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第一章:「龍門」
第十二話:「三老師の導き」
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黒鷹派との激しい交戦が収束し、林の中には重苦しい沈黙が落ちた。倒れ伏す者、荒い息をつく者、緊張の残滓がなお肌を刺す。リンは肩で呼吸を繰り返し、額を伝う汗を拭いながら、立ち尽くしていた。
その時――。
「ここまでだ」
凛とした声が闇を裂いた。
姿を現したのは、白虎門の飛燕。すでに何度か顔を合わせた、あの俊敏なる武人である。しかし今日は彼だけではなかった。
飛燕の後ろから、二つの影が現れる。
ひとりは、長い黒髪を背に垂らし、深い眼差しで一同を射抜く男。厚みのある袍を纏い、立っているだけで大地の重みを背負っているような存在感がある。玄武門の老師―― 玄潤(げんじゅん) であった。彼の足元からは、まるで地脈そのものが揺らめくような圧が伝わり、誰もが本能でその防御と沈着の力を感じ取った。
もうひとりは、しなやかな体躯に青龍の意匠を刺繍した道衣を纏う壮年の男。柔らかな表情を湛えながらも、その眼光は刃のように鋭い。蒼龍門の老師―― 蒼威(そうい)。力と速さを兼ね備え、己の心技を練り上げてきた者だけが持つ静かな自信が、彼の所作から滲み出ていた。
三人が揃った瞬間、空気が一変した。
黒鷹派の者たちでさえ、無意識に後退し、視線を逸らす。
「これ以上の乱戦は不要だ」
玄潤が低く、しかし圧するような声で告げる。
「秩序を乱せば、全ての門に火種が広がる。それを望むか?」
黒鷹派の者たちは答えず、ただ不気味な沈黙を残して後退した。撤退を選んだのだ。
緊張が解けた後、蒼威がリンに歩み寄る。
「……よく踏みとどまったな。だが、まだ心身は鍛え足りぬ」
その声音は厳しいが、どこか慈愛を含んでいる。リンは言葉を失い、ただ拳を固めて深く頭を下げた。
飛燕は腕を組み、目を細める。
「この子に手を伸ばす勢力は、これからも現れるだろうな」
玄潤はその言葉を受け、静かに頷く。
「だからこそ、我ら三老師が見届けねばならぬ。いずれ、朱雀流も、玄武も、蒼龍も、白虎も――一つの岐路に立たされる日が来る」
その言葉に、白蓮をはじめ門下の者たちは深く耳を傾けた。
そしてリンの胸にもまた、重く深い問いが刻まれる。
自らの血筋、朱雀流での修行、玄武門に待ち受ける未来、そして黒鷹派の影――。
三人の老師が揃い立った場は、一瞬にして緊張から静寂へと転じた。
黒鷹派の刺客たちも動きを止め、まるで天命に縛られたかのように息を潜める。
最初に口を開いたのは、白虎門の老師・飛燕。
鋭い眼差しでリンを射抜き、その声は風を裂くように鋭かった。
「小僧、力を望むならばまず恐れを知れ。恐れを克服せぬ者は、刃を振るうたびに己を傷つけることになる。朱雀の炎に囚われるな。燃やすべきは敵ではなく、己の弱さだ」
続いて口を開いたのは、蒼龍門の老師・蒼威(そうい)その声は穏やかであったが、深い谷にこだまするような重みを帯びていた。
「炎は瞬間を制するが、水は時を支配する。お前の歩む道は、刹那の輝きではなく、流れ続ける力を要する。心を急かせば流れを乱す。己の呼吸を見よ。呼吸が整えば、剣もまた整う」
最後に玄武門の老師・玄潤が、まるで岩を押し出すように低く言葉を放った。
「お前の背に刻まれた印……それは血の縛りでも、誇りでもない。ただ一つの証にすぎん。印に囚われるな、リン。守るものを己で選べ。選んだ時に、お前は初めて『地』を得る。地に根ざせば、誰の風にも、誰の炎にも、誰の波にも、揺るがぬ者となろう」
三老師の言葉は、まるで雷鳴のようにリンの胸を打った。
恐れを知ること、流れを見極めること、そして己の選択に根を張ること。
それは、朱雀流での鍛錬では決して得られない「別の視点」だった。
リンは拳を握りしめ、胸の奥に熱と重みを同時に感じていた。
――自分は、どこへ行くのか。誰のために立つのか。
三老師の眼差しが、その答えを待つかのように重くリンに注がれていた。
黒鷹派の影が退き、道場に再び静寂が訪れる。
しかしその静けさは、ただの安堵ではなく、重苦しい問いを含んでいた。
三老師はそれぞれに視線を交わしたのち、自然とその目を――若き少年、リンへと向ける。
飛燕の眼差しは鋭く、まるで獲物を射抜く猛禽のよう。
「……己が刃で道を切り開けるか、それとも誰かに導かれるまま歩むか。少年よ、お前はどちらを選ぶ」
彼の言葉には、試すような響きがあった。
玄潤は深い息を吐き、静かに口を開いた。
「玄武の血を受けし者よ。汝の存在は、争いの火種とも、和を結ぶ柱ともなろう。だが答えを選ぶのは……他の誰でもない、お前自身だ」
その声音は水底から響くように重く、リンの胸の奥へ沈んでいく。
蒼威は一歩進み出て、真っすぐにリンを見据えた。
「我らが力で道を示すことは容易い。だが、それではお前の未来にはならぬ。――リン、お前は何を望む。朱雀に留まるか、玄武へ戻るか。それとも、己の道を求めるか」
三人の老師の眼差しが、重なり合う。
それは裁きではなく、導きでもない。
ただ一つ、少年に「己の答えを見つけよ」と迫る眼差しだった。
リンは拳を握り締め、言葉を探す。
頭ではまだ何も定まってはいない。
だが――胸の奥で燃え上がる小さな火だけは、確かに存在していた。
三人の老師の視線を受けて、リンは思わず息を呑んだ。
言葉を求められているのは分かる。
だが、すぐに答えられるほど自分の心は整理されてはいなかった。
朱雀流で培った日々。
蒼龍門で出会った仲間たち。
そして、玄武門の血を引くという揺るぎない事実。
――どれも捨て難い。
だが、どれもまだ掴みきれない。
「……私は……」
声を絞り出そうとした瞬間、喉が詰まった。
拳を握り締め、ただ苦しげに視線を落とす。
その姿を見て、三人の老師は互いに小さく頷き合った。
飛燕がふっと笑みを浮かべる。
「答えを焦る必要はない。今はそれでよい」
玄潤が静かに言葉を重ねる。
「迷いは恥ではない。むしろ、その迷いこそが道を選ぶ糧となる」
最後に蒼威が一歩近づき、肩に手を置いた。
「リン。己の中に燃える火を見失うな。その火が導く時、おのずと答えは形を成す」
三老師はそれ以上は何も語らず、同じ方向へ歩み去っていった。
彼らの背中は大きく、そして何より重かった。
残されたリンはただ立ち尽くし、胸の奥で小さな炎が揺れるのを感じていた。
それは答えを告げるにはまだ細い火。
だが確かに、消えることのない火だった。
その時――。
「ここまでだ」
凛とした声が闇を裂いた。
姿を現したのは、白虎門の飛燕。すでに何度か顔を合わせた、あの俊敏なる武人である。しかし今日は彼だけではなかった。
飛燕の後ろから、二つの影が現れる。
ひとりは、長い黒髪を背に垂らし、深い眼差しで一同を射抜く男。厚みのある袍を纏い、立っているだけで大地の重みを背負っているような存在感がある。玄武門の老師―― 玄潤(げんじゅん) であった。彼の足元からは、まるで地脈そのものが揺らめくような圧が伝わり、誰もが本能でその防御と沈着の力を感じ取った。
もうひとりは、しなやかな体躯に青龍の意匠を刺繍した道衣を纏う壮年の男。柔らかな表情を湛えながらも、その眼光は刃のように鋭い。蒼龍門の老師―― 蒼威(そうい)。力と速さを兼ね備え、己の心技を練り上げてきた者だけが持つ静かな自信が、彼の所作から滲み出ていた。
三人が揃った瞬間、空気が一変した。
黒鷹派の者たちでさえ、無意識に後退し、視線を逸らす。
「これ以上の乱戦は不要だ」
玄潤が低く、しかし圧するような声で告げる。
「秩序を乱せば、全ての門に火種が広がる。それを望むか?」
黒鷹派の者たちは答えず、ただ不気味な沈黙を残して後退した。撤退を選んだのだ。
緊張が解けた後、蒼威がリンに歩み寄る。
「……よく踏みとどまったな。だが、まだ心身は鍛え足りぬ」
その声音は厳しいが、どこか慈愛を含んでいる。リンは言葉を失い、ただ拳を固めて深く頭を下げた。
飛燕は腕を組み、目を細める。
「この子に手を伸ばす勢力は、これからも現れるだろうな」
玄潤はその言葉を受け、静かに頷く。
「だからこそ、我ら三老師が見届けねばならぬ。いずれ、朱雀流も、玄武も、蒼龍も、白虎も――一つの岐路に立たされる日が来る」
その言葉に、白蓮をはじめ門下の者たちは深く耳を傾けた。
そしてリンの胸にもまた、重く深い問いが刻まれる。
自らの血筋、朱雀流での修行、玄武門に待ち受ける未来、そして黒鷹派の影――。
三人の老師が揃い立った場は、一瞬にして緊張から静寂へと転じた。
黒鷹派の刺客たちも動きを止め、まるで天命に縛られたかのように息を潜める。
最初に口を開いたのは、白虎門の老師・飛燕。
鋭い眼差しでリンを射抜き、その声は風を裂くように鋭かった。
「小僧、力を望むならばまず恐れを知れ。恐れを克服せぬ者は、刃を振るうたびに己を傷つけることになる。朱雀の炎に囚われるな。燃やすべきは敵ではなく、己の弱さだ」
続いて口を開いたのは、蒼龍門の老師・蒼威(そうい)その声は穏やかであったが、深い谷にこだまするような重みを帯びていた。
「炎は瞬間を制するが、水は時を支配する。お前の歩む道は、刹那の輝きではなく、流れ続ける力を要する。心を急かせば流れを乱す。己の呼吸を見よ。呼吸が整えば、剣もまた整う」
最後に玄武門の老師・玄潤が、まるで岩を押し出すように低く言葉を放った。
「お前の背に刻まれた印……それは血の縛りでも、誇りでもない。ただ一つの証にすぎん。印に囚われるな、リン。守るものを己で選べ。選んだ時に、お前は初めて『地』を得る。地に根ざせば、誰の風にも、誰の炎にも、誰の波にも、揺るがぬ者となろう」
三老師の言葉は、まるで雷鳴のようにリンの胸を打った。
恐れを知ること、流れを見極めること、そして己の選択に根を張ること。
それは、朱雀流での鍛錬では決して得られない「別の視点」だった。
リンは拳を握りしめ、胸の奥に熱と重みを同時に感じていた。
――自分は、どこへ行くのか。誰のために立つのか。
三老師の眼差しが、その答えを待つかのように重くリンに注がれていた。
黒鷹派の影が退き、道場に再び静寂が訪れる。
しかしその静けさは、ただの安堵ではなく、重苦しい問いを含んでいた。
三老師はそれぞれに視線を交わしたのち、自然とその目を――若き少年、リンへと向ける。
飛燕の眼差しは鋭く、まるで獲物を射抜く猛禽のよう。
「……己が刃で道を切り開けるか、それとも誰かに導かれるまま歩むか。少年よ、お前はどちらを選ぶ」
彼の言葉には、試すような響きがあった。
玄潤は深い息を吐き、静かに口を開いた。
「玄武の血を受けし者よ。汝の存在は、争いの火種とも、和を結ぶ柱ともなろう。だが答えを選ぶのは……他の誰でもない、お前自身だ」
その声音は水底から響くように重く、リンの胸の奥へ沈んでいく。
蒼威は一歩進み出て、真っすぐにリンを見据えた。
「我らが力で道を示すことは容易い。だが、それではお前の未来にはならぬ。――リン、お前は何を望む。朱雀に留まるか、玄武へ戻るか。それとも、己の道を求めるか」
三人の老師の眼差しが、重なり合う。
それは裁きではなく、導きでもない。
ただ一つ、少年に「己の答えを見つけよ」と迫る眼差しだった。
リンは拳を握り締め、言葉を探す。
頭ではまだ何も定まってはいない。
だが――胸の奥で燃え上がる小さな火だけは、確かに存在していた。
三人の老師の視線を受けて、リンは思わず息を呑んだ。
言葉を求められているのは分かる。
だが、すぐに答えられるほど自分の心は整理されてはいなかった。
朱雀流で培った日々。
蒼龍門で出会った仲間たち。
そして、玄武門の血を引くという揺るぎない事実。
――どれも捨て難い。
だが、どれもまだ掴みきれない。
「……私は……」
声を絞り出そうとした瞬間、喉が詰まった。
拳を握り締め、ただ苦しげに視線を落とす。
その姿を見て、三人の老師は互いに小さく頷き合った。
飛燕がふっと笑みを浮かべる。
「答えを焦る必要はない。今はそれでよい」
玄潤が静かに言葉を重ねる。
「迷いは恥ではない。むしろ、その迷いこそが道を選ぶ糧となる」
最後に蒼威が一歩近づき、肩に手を置いた。
「リン。己の中に燃える火を見失うな。その火が導く時、おのずと答えは形を成す」
三老師はそれ以上は何も語らず、同じ方向へ歩み去っていった。
彼らの背中は大きく、そして何より重かった。
残されたリンはただ立ち尽くし、胸の奥で小さな炎が揺れるのを感じていた。
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だが確かに、消えることのない火だった。
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