『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

文字の大きさ
11 / 146
第一章:「龍門」

第十二話:「三老師の導き」

しおりを挟む
黒鷹派との激しい交戦が収束し、林の中には重苦しい沈黙が落ちた。倒れ伏す者、荒い息をつく者、緊張の残滓がなお肌を刺す。リンは肩で呼吸を繰り返し、額を伝う汗を拭いながら、立ち尽くしていた。

その時――。

「ここまでだ」

凛とした声が闇を裂いた。
姿を現したのは、白虎門の飛燕。すでに何度か顔を合わせた、あの俊敏なる武人である。しかし今日は彼だけではなかった。

飛燕の後ろから、二つの影が現れる。

ひとりは、長い黒髪を背に垂らし、深い眼差しで一同を射抜く男。厚みのある袍を纏い、立っているだけで大地の重みを背負っているような存在感がある。玄武門の老師―― 玄潤(げんじゅん) であった。彼の足元からは、まるで地脈そのものが揺らめくような圧が伝わり、誰もが本能でその防御と沈着の力を感じ取った。

もうひとりは、しなやかな体躯に青龍の意匠を刺繍した道衣を纏う壮年の男。柔らかな表情を湛えながらも、その眼光は刃のように鋭い。蒼龍門の老師―― 蒼威(そうい)。力と速さを兼ね備え、己の心技を練り上げてきた者だけが持つ静かな自信が、彼の所作から滲み出ていた。

三人が揃った瞬間、空気が一変した。
黒鷹派の者たちでさえ、無意識に後退し、視線を逸らす。

「これ以上の乱戦は不要だ」
玄潤が低く、しかし圧するような声で告げる。
「秩序を乱せば、全ての門に火種が広がる。それを望むか?」

黒鷹派の者たちは答えず、ただ不気味な沈黙を残して後退した。撤退を選んだのだ。

緊張が解けた後、蒼威がリンに歩み寄る。
「……よく踏みとどまったな。だが、まだ心身は鍛え足りぬ」
その声音は厳しいが、どこか慈愛を含んでいる。リンは言葉を失い、ただ拳を固めて深く頭を下げた。

飛燕は腕を組み、目を細める。
「この子に手を伸ばす勢力は、これからも現れるだろうな」

玄潤はその言葉を受け、静かに頷く。
「だからこそ、我ら三老師が見届けねばならぬ。いずれ、朱雀流も、玄武も、蒼龍も、白虎も――一つの岐路に立たされる日が来る」

その言葉に、白蓮をはじめ門下の者たちは深く耳を傾けた。
そしてリンの胸にもまた、重く深い問いが刻まれる。
自らの血筋、朱雀流での修行、玄武門に待ち受ける未来、そして黒鷹派の影――。

三人の老師が揃い立った場は、一瞬にして緊張から静寂へと転じた。
黒鷹派の刺客たちも動きを止め、まるで天命に縛られたかのように息を潜める。

最初に口を開いたのは、白虎門の老師・飛燕。
鋭い眼差しでリンを射抜き、その声は風を裂くように鋭かった。

「小僧、力を望むならばまず恐れを知れ。恐れを克服せぬ者は、刃を振るうたびに己を傷つけることになる。朱雀の炎に囚われるな。燃やすべきは敵ではなく、己の弱さだ」

続いて口を開いたのは、蒼龍門の老師・蒼威(そうい)その声は穏やかであったが、深い谷にこだまするような重みを帯びていた。

「炎は瞬間を制するが、水は時を支配する。お前の歩む道は、刹那の輝きではなく、流れ続ける力を要する。心を急かせば流れを乱す。己の呼吸を見よ。呼吸が整えば、剣もまた整う」

最後に玄武門の老師・玄潤が、まるで岩を押し出すように低く言葉を放った。

「お前の背に刻まれた印……それは血の縛りでも、誇りでもない。ただ一つの証にすぎん。印に囚われるな、リン。守るものを己で選べ。選んだ時に、お前は初めて『地』を得る。地に根ざせば、誰の風にも、誰の炎にも、誰の波にも、揺るがぬ者となろう」

三老師の言葉は、まるで雷鳴のようにリンの胸を打った。
恐れを知ること、流れを見極めること、そして己の選択に根を張ること。
それは、朱雀流での鍛錬では決して得られない「別の視点」だった。

リンは拳を握りしめ、胸の奥に熱と重みを同時に感じていた。
――自分は、どこへ行くのか。誰のために立つのか。

三老師の眼差しが、その答えを待つかのように重くリンに注がれていた。



黒鷹派の影が退き、道場に再び静寂が訪れる。
しかしその静けさは、ただの安堵ではなく、重苦しい問いを含んでいた。

三老師はそれぞれに視線を交わしたのち、自然とその目を――若き少年、リンへと向ける。

飛燕の眼差しは鋭く、まるで獲物を射抜く猛禽のよう。
「……己が刃で道を切り開けるか、それとも誰かに導かれるまま歩むか。少年よ、お前はどちらを選ぶ」
彼の言葉には、試すような響きがあった。

玄潤は深い息を吐き、静かに口を開いた。
「玄武の血を受けし者よ。汝の存在は、争いの火種とも、和を結ぶ柱ともなろう。だが答えを選ぶのは……他の誰でもない、お前自身だ」
その声音は水底から響くように重く、リンの胸の奥へ沈んでいく。

蒼威は一歩進み出て、真っすぐにリンを見据えた。
「我らが力で道を示すことは容易い。だが、それではお前の未来にはならぬ。――リン、お前は何を望む。朱雀に留まるか、玄武へ戻るか。それとも、己の道を求めるか」

三人の老師の眼差しが、重なり合う。
それは裁きではなく、導きでもない。
ただ一つ、少年に「己の答えを見つけよ」と迫る眼差しだった。

リンは拳を握り締め、言葉を探す。
頭ではまだ何も定まってはいない。
だが――胸の奥で燃え上がる小さな火だけは、確かに存在していた。

三人の老師の視線を受けて、リンは思わず息を呑んだ。
言葉を求められているのは分かる。
だが、すぐに答えられるほど自分の心は整理されてはいなかった。

朱雀流で培った日々。
蒼龍門で出会った仲間たち。
そして、玄武門の血を引くという揺るぎない事実。

――どれも捨て難い。
だが、どれもまだ掴みきれない。

「……私は……」
声を絞り出そうとした瞬間、喉が詰まった。
拳を握り締め、ただ苦しげに視線を落とす。

その姿を見て、三人の老師は互いに小さく頷き合った。

飛燕がふっと笑みを浮かべる。
「答えを焦る必要はない。今はそれでよい」

玄潤が静かに言葉を重ねる。
「迷いは恥ではない。むしろ、その迷いこそが道を選ぶ糧となる」

最後に蒼威が一歩近づき、肩に手を置いた。
「リン。己の中に燃える火を見失うな。その火が導く時、おのずと答えは形を成す」

三老師はそれ以上は何も語らず、同じ方向へ歩み去っていった。
彼らの背中は大きく、そして何より重かった。

残されたリンはただ立ち尽くし、胸の奥で小さな炎が揺れるのを感じていた。
それは答えを告げるにはまだ細い火。
だが確かに、消えることのない火だった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【短編集】こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

異世界転生、防御特化能力で彼女たちを英雄にしようと思ったが、そんな彼女たちには俺が英雄のようだ。

Mです。
ファンタジー
異世界学園バトル。 現世で惨めなサラリーマンをしていた…… そんな会社からの帰り道、「転生屋」という見慣れない怪しげな店を見つける。 その転生屋で新たな世界で生きる為の能力を受け取る。 それを自由イメージして良いと言われた為、せめて、新しい世界では苦しまないようにと防御に突出した能力をイメージする。 目を覚ますと見知らぬ世界に居て……学生くらいの年齢に若返っていて…… 現実か夢かわからなくて……そんな世界で出会うヒロイン達に…… 特殊な能力が当然のように存在するその世界で…… 自分の存在も、手に入れた能力も……異世界に来たって俺の人生はそんなもん。 俺は俺の出来ること…… 彼女たちを守り……そして俺はその能力を駆使して彼女たちを英雄にする。 だけど、そんな彼女たちにとっては俺が英雄のようだ……。 ※※多少意識はしていますが、主人公最強で無双はなく、普通に苦戦します……流行ではないのは承知ですが、登場人物の個性を持たせるためそのキャラの物語(エピソード)や回想のような場面が多いです……後一応理由はありますが、主人公の年上に対する態度がなってません……、後、私(さくしゃ)の変な癖で「……」が凄く多いです。その変ご了承の上で楽しんで頂けると……Mです。の本望です(どうでもいいですよね…)※※ ※※楽しかった……続きが気になると思って頂けた場合、お気に入り登録……このエピソード好みだなとか思ったらコメントを貰えたりすると軽い絶頂を覚えるくらいには喜びます……メンタル弱めなので、誹謗中傷てきなものには怯えていますが、気軽に頂けると嬉しいです。※※

レヴシャラ~夢想のくちびるは魔法のキスに抱かれて~

菜乃ひめ可
ファンタジー
 ここは、さまざまな種族が生存する世界。  主人公であるベルメルシア家の御令嬢アメジストの種族は、人族(ひとぞく)である。  自分の信念を曲げない正しき道を歩む彼女は、とても慈悲深く、困っている者がいれば誰であろうと助ける。そして種族関係なしに皆仲良しでいられる世界をと願い、日々を過ごしていた。彼女が十六歳になってからの、とある大雨の日――帰路の途中で見かけた怪我人を助ける、アメジスト。この出来事がきっかけで、彼女の人生は大きく変化していくのであった。  ※作中でオリジナル言語(造語)を使っていることがあります(魔法やフルーツなど)

精霊のお仕事

ぼん@ぼおやっじ
ファンタジー
【完結】 オレは前世の記憶を思い出した。 あの世で、ダメじゃん。 でもそこにいたのは地球で慣れ親しんだ神様。神様のおかげで復活がなったが…今世の記憶が飛んでいた。 まあ、オレを拾ってくれたのはいい人達だしオレは彼等と家族になって新しい人生を生きる。 ときどき神様の依頼があったり。 わけのわからん敵が出てきたりする。 たまには人間を蹂躙したりもする。? まあいいか。

処理中です...