『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第一章:「龍門」

第十一話: 「闇の翼、忍び寄る影」

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夜明け前、道場の庭はまだ薄い靄に包まれていた。
白蓮は竹刀を肩に担ぎ、稽古場の床板を静かに踏みしめていたが、ふと足を止める。

鼻先をかすめる、鉄と血の匂い。
それは戦場に身を置いた者だけが嗅ぎ分けられる、生きた殺意の匂いだった。

白蓮は目を細め、背後の廊下に向かって声を掛ける。
「リン、起きているか」

部屋の襖がゆっくり開き、まだ寝間着姿のリンが顔を出した。
「……はい、どうかしましたか?」

白蓮は竹刀を壁に立てかけ、腕を組む。
「今、道場の外に妙な気配があった。人間の動きというより……獣が獲物を狙うときの呼吸だ」
「……黒鷹派?」

白蓮は頷き、低く告げる。
「おそらくは。お前が玄武門の血を引くと知った連中は、黙っていない。孟厳殿の庇護下に入る前に、ここで始末しようと考えても不思議ではない」

リンは唇を引き結んだ。
「……どうすれば」

白蓮は迷いなく言葉を返す。
「自分の身は、自分で守れ。だが一人で立つ必要はない。今は道場全体でお前を守る」
そして視線を鋭くし、続けた。
「ただし、敵は必ず夜を選ぶ。灯りの下ではなく、闇の中での戦いを覚悟しろ」

その言葉は、リンの胸に重く落ちた。
外の靄が少しずつ晴れていく。だがその向こうには、すでに死の気配が忍び寄っていた。


夜の闇に紛れ、静かに朱雀流の道場周囲を覆う影。黒鷹派の数名が、林立する樹木の間をすり抜けるように進む。その目はリンを標的に定め、冷徹な意志を宿していた。

リンは夜間の稽古を終え、道場に戻る途中、森の中で異様な気配を感じる。風に乗って微かに、足音ともつかぬ音が耳に届く。心臓が早鐘のように打つ。

「……ここに来るのは間違いない」
リンは身を低くし、手元の木刀に力を込めた。

一方、黒鷹派も距離を詰める。静かに、しかし確実に、狙いを定める。互いに呼吸を整え、最初の動きが訪れる瞬間を待つ。

夜闇の中、最初の交戦が始まった——。

夜の闇に紛れ、朱雀流の道場周囲には黒鷹派の影が静かに覆いかぶさっていた。森の茂みの中で、十数人の影が身を潜め、武具を携え、互いに手信号で意思を伝える。動きは無音、だがその瞳には冷徹な光が宿っていた。狙いはただ一つ――リンを葬ること。

リンは夜間の稽古を終え、道場へと戻る途中だった。気配に違和感を覚え、立ち止まる。暗がりの中で、確かに何かが、自分の周囲に迫っている――
「……ここに来るのは間違いない」

森を切り裂くような黒鷹派の進行は計画的で、分散して複数方向から道場を包囲する構えだ。弓を手にした者、短剣を携えた者、黒衣に身を包み、静かに忍び寄る。狙撃班が樹上に潜み、地上班が林間を慎重に踏みしめる。

リンは背後に風の揺れを感じ、胸の奥に緊張が走る。夜の空気は、これまで感じたことのない重みを帯びていた。ここで小さな一歩でも間違えれば、即座に黒鷹派の罠に呑み込まれる――だが、闘志もまた彼の胸に湧き上がった。

林間を一歩踏み出すと、黒衣の影がさっと動いた。刹那、風を切る音と共に短剣が迫る。リンは咄嗟に身をかわし、木の根に足を取られそうになりながらも体勢を立て直す。

「来た……!」心の奥で緊張と冷静がせめぎ合う。

黒鷹派は複数方向から同時に迫り、弓矢が林の隙間を通って飛ぶ。リンは咄嗟に身を伏せ、矢をかわす。地面の苔に手をつきながら、黒衣の者たちの動きを目で追う。数名が木の影から現れ、彼の進路を塞ごうとする。


しかし、単独では分が悪い。黒鷹派は静かに、だが確実にリンを包囲しつつあった。林間に散らばる数本の短剣の先端が月明かりに光る。

その時、背後から低く鋭い声が響く。
「リン、無理をするな!」

朱雀流の門下が次々と姿を現し、黒鷹派に対抗する。白蓮の気配も感じられ、稽古場の者たちが援護に入る構えを見せる。

しかし黒鷹派は単なる襲撃者ではない。林間の隅々まで知り尽くした動きで、一触即発の緊張が張り詰める。

リンは拳を握り、胸の中で覚悟を固める。
「ここで逃げるわけにはいかない……!」

目の前に迫る黒衣の者たち、林の奥から矢を放つ者たち。緊迫した状況の中、リンは瞬時に学んだ間合いと反応を総動員し、最初の交戦が始まった――。

リンは拳を握り、体に叩き込まれた技を次々と繰り出す。相手の速度を読み、間合いを制御し、攻撃を最小限に受け流す。刹那の判断で木の根を蹴り、跳躍して矢をかわす。

一方、黒鷹派は単なる襲撃者ではなく、巧妙に攻勢を分散させ、リンを孤立させようと動く。林の暗がりから、何者かが静かに忍び寄り、次の攻撃のタイミングを伺っている。

リンの心の中で、朱雀流で培った日々の修行が走馬灯のように蘇る。白蓮が授けた間合いの読み、蘭から学んだ反応の速度、朱音の戦術の要点――すべてが今、命を守るために結集する。

林の奥、枝の間から黒衣の影が跳躍し、リンに迫る。彼は咄嗟に反応し、跳び避けながら横に転がる。背後では味方が間合いを制し、短剣の刃を受け止め、矢を打ち返す。

しかし戦いは長引けば長引くほど危険が増す。黒鷹派の数は決して少なくなく、すべての動きを防ぐことは不可能に近い。リンは胸に決意を固める。
「ここで逃げるわけにはいかない……!」

刹那の静寂の中、林間に矢の軌道が光り、木の枝が折れる音が響く。緊張が最高潮に達し、次の瞬間、リンは己の全力をもって反撃に出る――。

林間の空気が張り詰める。黒鷹派の影が木々の間を滑るように現れ、リンの周囲を囲んだ。
「ここで終わりにしてもらう」リンは静かに言うが、心臓の鼓動は早い。黒鷹派の者たちは無言で鋭い眼光を送る。

突如、一人が飛びかかる。リンは身を翻してかわすが、次々と斬撃が襲いかかる。林の中に金属がぶつかる鋭い音、葉が裂ける音が響き渡り、緊張が高まる。

背後から微かな足音。リンは一瞬立ち止まり、耳を澄ます。異様な重厚感を伴う足音が近づく。視線を上げると、木々の間から三老師が現れた。

黒い道衣に包まれた老人の背筋は、年齢を超えた威厳を放つ。手に杖を持つその姿に、黒鷹派の者たちも足を止め、気配を押し殺した。

「そこでやめろ」三老師の声は、林間に響き渡る。低く、しかし揺るぎない命令の響きだ。

黒鷹派の襲撃者たちは一瞬ためらう。リンのすぐ側で刃を構えていた者も、ぎりぎりの距離で立ち止まる。三老師の目が一人一人を鋭く射抜いた。

「命令は絶対だ」老人の声がさらに重みを帯びる。黒鷹派の者たちは、互いに目配せをしながらも、やがて林を離れる。影のように静かに、しかし確実に後退していく。

リンは息を整えながら、足元の土と散乱した落ち葉を見つめる。胸の奥に、熱い安堵と戦いの余韻が混ざる。
振り返ると、三老師は静かに立ち、彼の瞳には深い慈しみと厳しさが同居していた。

「よく耐えたな、リン」三老師の声が、林間に柔らかく響く。
リンはうなずき、仲間たち――朱雀流の同門の顔を思い浮かべる。支え合う力の大切さを、改めて実感した瞬間だった。
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