『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第一章:「龍門」

第十話:「揺れる心、二つの門」

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流道場の中庭。
朝露に濡れた砂の上で、リンは黙々と素振りを繰り返していた。
刀が風を裂く音だけが、静寂の空間を刻む。

「リン」
背後から白蓮の声が響いた。
振り返った瞬間、白蓮は一通の手紙を差し出す。

「孟厳から返事が届いた。――お前を玄武門に受け入れるそうだ。ただし、朱雀流の外弟子としてな」

リンは瞬きを繰り返した。
外弟子――朱雀流の門籍を持ちながら他門で修行を積む者。
つまり完全に玄武門に籍を移すわけではない。

「……行くかどうかは、お前が決めることだ」
白蓮はそう言い、目を細めた。
「だが孟厳は、お前を守る口実を作った。玄武門の嫡男擁立派も、これで表立っては動けまい」

リンの胸の奥に、複雑な感情が渦巻いた。
昨日聞かされた自分の出自――玄武門の血を引くこと、本当の両親が内部抗争で命を落としたこと。
その門に自ら足を踏み入れるべきなのか。

白蓮は何も言わず、ただリンの横顔を見ていた。
その眼差しには、押し付けも干渉もない。ただ弟子の選択を見守る師の静かな覚悟があった。

リンは刀を握る手に力を込め、ゆっくりと息を吐いた。
――玄武門に行けば、景嵐という男の暴走に巻き込まれる。
だが行かなければ、自分の出自も、真実も、永遠に霧の中だ。

庭の端で、楊烈が黙って二人のやりとりを見守っていた。
その背後には、気配を殺した影がひとつ、遠くから様子を窺っている。
黒鷹派――まだこの動きは止まってはいなかった。

リンの心は、朱雀と玄武、二つの門の間で揺れ続けていた。

孟厳からの返書がもたらされた日、道場の空は鉛色に曇っていた。
空気が重く、風のない庭は、何かを待ち構えているかのように静まり返っている。

白蓮は用件を伝えると、その場を離れた。
残されたリンは、一人縁側に腰を下ろし、手紙を握りしめたまま視線を落とす。

――外弟子として玄武門に迎える。
孟厳の文字は力強く、迷いがなかった。
それは同時に、「守る」という意志が込められていることも、読み取れた。

「……守られるだけで、いいのか、私」
小さな声が唇から零れ落ちる。

その瞬間、ふと背筋に寒気が走った。
縁側から見える土塀の向こう、微かに人影が揺れる。
視線を凝らすと、影はすぐに消えた。

「気のせいじゃないな」
背後から楊烈の声がした。
彼は無造作に縁側へ腰を下ろすが、その目は庭の外を鋭く探っている。

「尾けられてたか。……黒鷹派であろう」

その言葉にリンの胸が跳ねた。

彼らは孟厳の返書の内容を知っているのか。
それとも――朱雀流の敷地さえも、もう安全ではないのか。

白蓮の言葉が脳裏をよぎる。
「行くかどうかは、お前が決めろ」
選択を委ねられた自由が、今は重く圧し掛かってくる。

外では、夕刻の太鼓が遠く響いた。
その音に紛れるように、また土塀の向こうに影が走る。
リンは刀の柄に手をかけ、深く息を吸った。

――選ぶ時は、近い。

そしてその選択は、朱雀流だけでなく、玄武門、いや武門全ての行く末を変えるかもしれない。

空気は張り詰めたまま、夜の帳が静かに降りていった。


孟厳が返書を封じ終えたその夜、玄武門の城下町。
灯りの乏しい裏路地に、黒い外套の男たちが三々五々と集まっていた。
その胸元や袖口には、かつて秘かに恐れられた黒鷹派の印――鷹の片翼を象った紋が、鈍い光を放っている。

「……動くのか」
低く抑えた声が、夜気に溶けた。
「董嵐殿の命だ。朱雀流に潜む“あの小僧”が玄武門へ渡る前に、消せ」
「だが、孟厳が動き出している。守りも固くなるぞ」
「だからこそ、今だ。策は練ってある」

短い言葉を交わすたびに、彼らの足は影のように散り、屋根の上、路地の奥、そして人混みの中へ消えていく。
誰も、ただの盗賊や浪人とは思わない。
その身のこなしと間合いの取り方は、熟練の殺し屋のそれだった。



朱雀流の門下たちが夜の鍛錬を終え、道場の灯が一つ、また一つと落ちていく頃――。

深い闇に包まれた林の奥、焚き火も使わず、月明かりだけを頼りに数人の影が円を描くように腰を下ろしていた。
漆黒の衣に、袖口と裾には飛翔する鷹の刺繍。黒鷹派。

低く押し殺した声が、夜気を震わせる。
「依頼は単純だ。標的はただ一人、朱雀流に身を寄せる若い男――名はリン」
「……首長の縁者だと聞くが」
「だからこそ価値がある。董嵐は“玄武門にリンを入れる事を恐れている”」
「ふふふ。何を恐れることがあろうか?未熟な若僧1人に。董嵐も小さい男よの」
「我らはすでに董嵐から金を貰っている。依頼を引き受けるのみだ」

その言葉に、周囲の者たちは頷く。
炎も無く、ただ闇の中で、金属の軋むような音だけが響く。
それは暗殺具の手入れの音だった。

一方その頃、リンは翌日の稽古に備えて白蓮のもとを辞し、自室で静かに呼吸を整えていた。
外は虫の声。
だがその静寂の奥に、微かな違和感――足音のような、気配の揺らぎが確かにあった。

道場の屋根上、二つの影が月を背にして身を伏せる。
「所在は確認した。だが今は動くな」
「何故だ? 夜襲で終わらせるべきでは」
「奴はまだ狩り場に下りてきていない。獲物が油断した時が最も確実だ」

そう囁き合い、影は屋根から闇へ溶けるように消えていく。

その姿を、さらに遠くから見つめる者がいた。
細く鋭い眼差し――孟厳の命を受けた密偵である。
「黒鷹派が……もう動き出したか」

闇の中で視線が交錯し、夜はさらに深く沈んでいった。

一方その頃、リンは翌日の稽古に備えて白蓮のもとを辞し、自室で静かに呼吸を整えていた。
外は虫の声。
だがその静寂の奥に、微かな違和感――足音のような、気配の揺らぎが確かにあった。

道場の屋根上、二つの影が月を背にして身を伏せる。
「所在は確認した。だが今は動くな」
「何故だ? 夜襲で終わらせるべきでは」
「奴はまだ狩り場に下りてきていない。獲物が油断した時が最も確実だ」

そう囁き合い、影は屋根から闇へ溶けるように消えていく。

その姿を、さらに遠くから見つめる者がいた。
細く鋭い眼差し――孟厳の命を受けた密偵である。
「黒鷹派が……もう動き出したか」

闇の中で視線が交錯し、夜はさらに深く沈んでいった。

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