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第二章: 「龍の試練」
第二十四話:「四門の均衡」
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黄震の死は、武門全体に重くのしかかった。
交流試合の場で命が奪われた事実は、誰もが目を背けることのできない惨劇であった。観客席ではすすり泣く声が絶えず、蒼龍門の門弟たちは皆、深い喪失感に沈んでいた。
リンもまた、震える拳を握りしめていた。
兄景嵐の強さは畏怖すべきものだったが、そこに人としての慈悲も容赦もなかった。あの冷酷さは、武を修める者の道から外れている――そう感じざるを得なかった。
試合は即座に中止され、競技委員会の協議が始まった。
審議の末、景嵐には「無期限の出場停止」と「門外活動の制限」が科されることとなった。だが、その裁きに満足する者は少ない。白虎門の内部ですら、彼を恐れる声と、なお称える声とで割れていた。
一方その混乱のさなかに、新たな動きがあった。
長年、白虎門の派生流派と位置づけられていた朱雀流が、正式に「朱雀門」として独立することが、老師会によって認められたのだ。
壇上に立った白蓮老師は、深く一礼し、涙をこらえながら言葉を紡いだ。
「私たちは白虎の末流として研鑽を積んで参りました。しかし、今ここで――朱雀は朱雀として独り立ちし、南の守りを担う存在として歩んでいく覚悟を示します」
その瞬間、場内に大きなどよめきが走った。
朱雀門の首長には蘭が任ぜられ、白蓮は老師の一人として迎えられる。こうして――玄武・蒼龍・朱雀・白虎、四門が東西南北の守護神として揃うこととなった。
「四門が揃ったか……」
雷玄首長の低い声が、荘厳な静けさを破った。
「だが、均衡が整ったということは、また新たな争いの火種が生まれることでもある」
リンは壇上に立つ蘭と白蓮の姿を見つめながら、胸の奥で言葉にならない思いを抱いていた。
黄震を失った悲しみ。
兄景嵐の恐るべき姿。
そして、新たに誕生した朱雀門。
四門が揃った今、世界は新たな局面へと進もうとしていた。
玄武門の後継と目されながら、景嵐は本来の教えを真っ向から裏切っていた。
玄武は守りを尊び、堅牢なる大地のごとき技を磨く門派。しかし彼の拳は、相手を打ち砕くことだけを目的とした冷酷無比なもの。
あの戦いぶりは白虎門の攻撃性をも凌駕し、むしろ挑発するかのように白虎の気風を刺激していた。
「護りを忘れた玄武に、後継を名乗る資格があるのか」
「むしろ武を私欲の道具とする外道ではないか」
師範たちの間からはそんな声が漏れ、試合後の評議では厳しい意見が相次いだ。
結論として、景嵐は玄武門後継としての試合参加を禁じられることになった。
だが一方で、武門を追放せよという過激な意見も後を絶たず、景嵐の存在は武門全体に重い影を落としていった。
――対照的に、朱雀流の若き後継・蘭はその人柄を讃えられていた。
出自こそ波乱に満ちていたが、修行を積み重ねる中で示した誠実さと、師弟や仲間を思う心は、多くの者に深い印象を残した。
「朱雀の名を継ぐに相応しい人物だ」
「白蓮老師の薫陶を受け、朱雀門を導くならば安心できる」
そうした声が日増しに高まり、ついに評議の場で正式に承認される。
白蓮が老師の一角に迎え入れられ、蘭が朱雀門の首長を務めることとなった。
黄震を失った痛みは消えない。
だが、武門はその死を無駄にせぬためにも、新たな秩序を築こうと動き始めていた。
そしてリンは、その変わりゆく流れのただ中で、兄景嵐の背に潜む影と、朱雀を担う蘭の歩みを見据えていた。
玄武門の本堂には、沈痛な空気が満ちていた。
黄震の死を受けて緊急に開かれた評議は、表向きは哀悼の場であったが、実際には景嵐の行いをどう裁くかが主題となっていた。
「……玄武は堅守の道を旨とする。相手を追い詰め、命を奪うなど言語道断だ」
白髭の長老が、卓を叩いて憤る。
「だが、景嵐の力は疑いようがない。あれほどの武が、他門に渡ればどうなるか……」
別の師範は声を潜め、懸念を口にする。
「力があろうと、道を外れた者を放置すれば、玄武そのものが穢れる!」
「追放すべきだ!」
「いや、追放すれば黒鷹派や外敵に利用されるだけ。むしろ我らの手の内に置き、監視するべきだ」
意見は真っ二つに割れた。
追放を望む者と、力を惜しむ者。だが双方に共通していたのは――「景嵐をこのまま後継に据えることはできない」という一点であった。
やがて議論の末に決まった裁定は、玄武門後継の資格剥奪と、無期限の試合参加禁止。
追放には至らなかったが、それは景嵐の武を恐れるがゆえの妥協でもあった。
「彼は……武を志す心を失ったのだろうか」
古参の師範が、ふと呟いた。
景嵐の冷徹な眼差しは、武を磨く者の光を失い、ただ戦場の獣のそれに堕しているように見えた。
その背に、玄武門の若き弟子たちでさえ恐怖を覚え、口々にささやき合う。
「本当にあの人が、俺たちの未来だったのか……?」
「違う、あれはもう玄武じゃない」
失望と畏怖が入り混じる声は、門の奥深くまで広がっていった。
玄武門において「後継」とは特別な意味を持つ。
古来より、玄武の道は一族の血を受け継ぐ者にのみ託されてきた。外部からの養子や弟子を後継に据えた例は、門の長い歴史の中でもただの一度もなかった。
そのため景嵐が後継の資格を剥奪された決定は、玄武門にとって前例のない異常事態だった。
「血を継ぎながら道を外す者が出るとは……」
長老たちの間に、嘆息が漏れる。
「ならば次は誰が継ぐ。門を率いる者がいなければ、いずれ弟子たちの心も離れていくぞ」
「だが、一族の若き者で景嵐に匹敵する力を持つ者は……」
景嵐の武を惜しむ声は、後継問題の深刻さを映していた。
彼に代わる存在を示せぬ以上、玄武門の未来は宙に浮いてしまう。
さらに他門の耳目も、この事態に敏感だった。
蒼龍門では「玄武の力が衰えるなら、均衡が崩れる」と囁かれ、朱雀門では「人格において蘭は正統の後継者に劣らぬ」と評価が高まっていった。
玄武門の威信が揺らげば、四門の均衡も乱れる。
黄震の死を機に芽生えた波紋は、もはや一門にとどまらぬ広がりを見せつつあった。
交流試合の場で命が奪われた事実は、誰もが目を背けることのできない惨劇であった。観客席ではすすり泣く声が絶えず、蒼龍門の門弟たちは皆、深い喪失感に沈んでいた。
リンもまた、震える拳を握りしめていた。
兄景嵐の強さは畏怖すべきものだったが、そこに人としての慈悲も容赦もなかった。あの冷酷さは、武を修める者の道から外れている――そう感じざるを得なかった。
試合は即座に中止され、競技委員会の協議が始まった。
審議の末、景嵐には「無期限の出場停止」と「門外活動の制限」が科されることとなった。だが、その裁きに満足する者は少ない。白虎門の内部ですら、彼を恐れる声と、なお称える声とで割れていた。
一方その混乱のさなかに、新たな動きがあった。
長年、白虎門の派生流派と位置づけられていた朱雀流が、正式に「朱雀門」として独立することが、老師会によって認められたのだ。
壇上に立った白蓮老師は、深く一礼し、涙をこらえながら言葉を紡いだ。
「私たちは白虎の末流として研鑽を積んで参りました。しかし、今ここで――朱雀は朱雀として独り立ちし、南の守りを担う存在として歩んでいく覚悟を示します」
その瞬間、場内に大きなどよめきが走った。
朱雀門の首長には蘭が任ぜられ、白蓮は老師の一人として迎えられる。こうして――玄武・蒼龍・朱雀・白虎、四門が東西南北の守護神として揃うこととなった。
「四門が揃ったか……」
雷玄首長の低い声が、荘厳な静けさを破った。
「だが、均衡が整ったということは、また新たな争いの火種が生まれることでもある」
リンは壇上に立つ蘭と白蓮の姿を見つめながら、胸の奥で言葉にならない思いを抱いていた。
黄震を失った悲しみ。
兄景嵐の恐るべき姿。
そして、新たに誕生した朱雀門。
四門が揃った今、世界は新たな局面へと進もうとしていた。
玄武門の後継と目されながら、景嵐は本来の教えを真っ向から裏切っていた。
玄武は守りを尊び、堅牢なる大地のごとき技を磨く門派。しかし彼の拳は、相手を打ち砕くことだけを目的とした冷酷無比なもの。
あの戦いぶりは白虎門の攻撃性をも凌駕し、むしろ挑発するかのように白虎の気風を刺激していた。
「護りを忘れた玄武に、後継を名乗る資格があるのか」
「むしろ武を私欲の道具とする外道ではないか」
師範たちの間からはそんな声が漏れ、試合後の評議では厳しい意見が相次いだ。
結論として、景嵐は玄武門後継としての試合参加を禁じられることになった。
だが一方で、武門を追放せよという過激な意見も後を絶たず、景嵐の存在は武門全体に重い影を落としていった。
――対照的に、朱雀流の若き後継・蘭はその人柄を讃えられていた。
出自こそ波乱に満ちていたが、修行を積み重ねる中で示した誠実さと、師弟や仲間を思う心は、多くの者に深い印象を残した。
「朱雀の名を継ぐに相応しい人物だ」
「白蓮老師の薫陶を受け、朱雀門を導くならば安心できる」
そうした声が日増しに高まり、ついに評議の場で正式に承認される。
白蓮が老師の一角に迎え入れられ、蘭が朱雀門の首長を務めることとなった。
黄震を失った痛みは消えない。
だが、武門はその死を無駄にせぬためにも、新たな秩序を築こうと動き始めていた。
そしてリンは、その変わりゆく流れのただ中で、兄景嵐の背に潜む影と、朱雀を担う蘭の歩みを見据えていた。
玄武門の本堂には、沈痛な空気が満ちていた。
黄震の死を受けて緊急に開かれた評議は、表向きは哀悼の場であったが、実際には景嵐の行いをどう裁くかが主題となっていた。
「……玄武は堅守の道を旨とする。相手を追い詰め、命を奪うなど言語道断だ」
白髭の長老が、卓を叩いて憤る。
「だが、景嵐の力は疑いようがない。あれほどの武が、他門に渡ればどうなるか……」
別の師範は声を潜め、懸念を口にする。
「力があろうと、道を外れた者を放置すれば、玄武そのものが穢れる!」
「追放すべきだ!」
「いや、追放すれば黒鷹派や外敵に利用されるだけ。むしろ我らの手の内に置き、監視するべきだ」
意見は真っ二つに割れた。
追放を望む者と、力を惜しむ者。だが双方に共通していたのは――「景嵐をこのまま後継に据えることはできない」という一点であった。
やがて議論の末に決まった裁定は、玄武門後継の資格剥奪と、無期限の試合参加禁止。
追放には至らなかったが、それは景嵐の武を恐れるがゆえの妥協でもあった。
「彼は……武を志す心を失ったのだろうか」
古参の師範が、ふと呟いた。
景嵐の冷徹な眼差しは、武を磨く者の光を失い、ただ戦場の獣のそれに堕しているように見えた。
その背に、玄武門の若き弟子たちでさえ恐怖を覚え、口々にささやき合う。
「本当にあの人が、俺たちの未来だったのか……?」
「違う、あれはもう玄武じゃない」
失望と畏怖が入り混じる声は、門の奥深くまで広がっていった。
玄武門において「後継」とは特別な意味を持つ。
古来より、玄武の道は一族の血を受け継ぐ者にのみ託されてきた。外部からの養子や弟子を後継に据えた例は、門の長い歴史の中でもただの一度もなかった。
そのため景嵐が後継の資格を剥奪された決定は、玄武門にとって前例のない異常事態だった。
「血を継ぎながら道を外す者が出るとは……」
長老たちの間に、嘆息が漏れる。
「ならば次は誰が継ぐ。門を率いる者がいなければ、いずれ弟子たちの心も離れていくぞ」
「だが、一族の若き者で景嵐に匹敵する力を持つ者は……」
景嵐の武を惜しむ声は、後継問題の深刻さを映していた。
彼に代わる存在を示せぬ以上、玄武門の未来は宙に浮いてしまう。
さらに他門の耳目も、この事態に敏感だった。
蒼龍門では「玄武の力が衰えるなら、均衡が崩れる」と囁かれ、朱雀門では「人格において蘭は正統の後継者に劣らぬ」と評価が高まっていった。
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