34 / 146
第三章:「運命の交差」
第三十四話:「烈陽の海を越えて」
しおりを挟む
清蘭堂の薬棚の灯りは、夜風に小さく揺れていた。
老薬師夫婦に深々と頭を下げ、蒼龍門の後輩弟子たちに町を託すと、リンは港へと歩みを進める。
「兄上を追わねばならない……だがこの町は、あなたたちに任せる」
その言葉に、弟子たちの目は誇らしげに輝いた。
やがて交易船の甲板に立ち、岸がゆるやかに遠ざかる。
潮の香り、きしむ帆柱、波間に瞬く星々。
(いずれ烈陽国へ……兄上を追う道はここから始まる)
⸻
数日後の海上。
白波を裂いて進む船を、黒煙を上げた小船が取り囲んだ。
「海賊だ!」
船員たちが悲鳴を上げる中、リンは静かに立ち上がる。
鉤縄が甲板に掛かり、粗暴な男たちが雪崩れ込む。
だが次の瞬間――。
リンの拳が一閃し、首領格の大男の剣が宙を舞った。
残る者たちは身をすくめ、武器を握る手が震える。
「……まだやるか」
リンの声は低く、しかし静かに響いた。
「な、何者だ……?」
首領は歯を食いしばりながら睨み返す。
リンは拾い上げた剣を海へと投げ捨て、背筋を伸ばした。
「俺は通りすがりの薬師だ。だが一度でも刀を振るえば、人の命が散る。それを何度繰り返してきた?」
海賊たちは言葉を失い、互いに顔を見合わせる。
リンは一歩踏み出し、拳を握りしめた。
「お前たちに力があるのなら、脅すためではなく、守るために使え。この海を行き交う者を襲うのではなく、災いから護れ」
首領の目が揺らいだ。
やがて大男は剣を拾い直し、膝をつく。
「……分かった。俺たちは、この海を荒らすことをやめる。嵐や魔物に襲われる船を護る……それで仁義は通るか」
リンはしばし黙したのち、頷いた。
「ならば互いに無駄な血を流さずに済む。誓いを違えぬことを願う」
海賊たちは一斉に頭を垂れ、重苦しい空気の中に新たな約束が結ばれた。
⸻
さらに数日後。
水平線の向こうに、烈陽国の大地が姿を現した。
リンは簡素な商人風の装いに身を包み、港町の雑踏へと足を踏み入れる。
目に映ったのは、想像以上に活気に満ちた光景だった。
市井には香辛料や絹が並び、武を志す若者たちが道場の門前で剣を交えている。
笑い声と怒号が交錯し、どこか懐かしい熱気が町を覆っていた。
「……これほど開けているとは、正直思いもしなかった」
胸に浮かぶのは驚きと、そしてわずかな畏れ。
烈陽国――武神の故郷にして、兄の足跡が残る場所。
リンの新たな歩みは、ここから始まるのだった。
⸻
一方、烈陽国へと渡る別の航路。
藍峯の乗った船がゆるやかに進む中、突如として影のように迫る小舟があった。
「へへ……あの坊主(リン)の目はごまかしたが、今度は別だ。どうせ分かりゃしねぇ」
リンに誓いを立てたはずの海賊たちが、再び鉤縄を投げ込もうとしていた。
――だが、その刹那。
甲板に佇む藍峯の眼光が彼らを射抜く。
「……どこかで嗅いだ匂いだと思えば」
藍峯は袖を払うように、鋭く一閃した。
閃光のような動きに、数人の海賊が武器ごと叩き伏せられる。
首領格の海賊は地に伏し、呻き声を上げる。
「ま、待ってくれ! 俺たちは……あの若造に誓いは立てた! だが血が騒ぐのを、抑えきれなくて……!」
藍峯の唇がわずかに吊り上がった。
「言い訳は要らん。だが運がいいな。リンが聞けば二度と赦さぬだろうが……俺は違う」
藍峯は刀を納め、背を向けながら言い放つ。
「生きたければ、今度こそ俺に従え。
裏稼業の性根ごと、この藍峯が飼い慣らしてやる。逃げ場はないぞ」
沈黙ののち、海賊たちは全員で頭を地に擦りつけた。
波間に立つ藍峯。鋭く光る眼光は、海賊たちの荒ぶる性根を一瞬で見抜いた。
藍峯は冷たい声を投げかける。
「今からお前たちは、俺の手足となって働いてもらう」
赤狼が眉をひそめ、声を荒げる。
「……おい、お前、名前は何という?」
しばしの沈黙の後、赤狼は胸を張り、力強く答えた。
「俺の名前は赤狼だ!」
藍峯はゆっくりと一歩近づき、さらに鋭い眼光を向ける。
「俺の名は藍峯。リンを守護する者だ。裏切りは容赦しねえ。分かったか?」
赤狼は仲間を見回し、荒ぶる血潮を抑えるように深く息をつく。
「……分かった、藍峯……俺たちは、二度と裏切らねぇ」
周囲の海賊たちも頭を垂れ、観念した様子を示す。
獣のような眼を持つ藍峯の前で、赤狼を含む荒くれ者たちは、今度こそ完全に従う決意を固めた。
⸻
赤狼と海賊たちを制した藍峯は、静かに海面を見据えた。
波の揺れに反射する夕陽が、甲板の木目を赤く染める。
しかし、その美しさとは裏腹に、藍峯の胸中は緊張で満ちていた。
「……このまま港へ向かうだけでは済まん」
藍峯の瞳に、遠く水平線の向こうにある未知の国――烈陽国の姿が浮かぶ。
藍峯はゆっくりと船首に向かい、海風に髪をなびかせながら小さく呟いた。
「リン……俺が先に道を切り開く」
その瞬間、沖合に白い帆影が浮かび上がる。
遠くに見える港の灯が、波間に揺れる。
しかし、それは平穏の印ではなく、嵐の前触れのようにも感じられた。
船員たちも、海賊たちも、波音の向こうに何が待ち受けているのか、まだ知らない。
だが藍峯の鋭い視線は、すでにその未来を射抜こうとしていた。
老薬師夫婦に深々と頭を下げ、蒼龍門の後輩弟子たちに町を託すと、リンは港へと歩みを進める。
「兄上を追わねばならない……だがこの町は、あなたたちに任せる」
その言葉に、弟子たちの目は誇らしげに輝いた。
やがて交易船の甲板に立ち、岸がゆるやかに遠ざかる。
潮の香り、きしむ帆柱、波間に瞬く星々。
(いずれ烈陽国へ……兄上を追う道はここから始まる)
⸻
数日後の海上。
白波を裂いて進む船を、黒煙を上げた小船が取り囲んだ。
「海賊だ!」
船員たちが悲鳴を上げる中、リンは静かに立ち上がる。
鉤縄が甲板に掛かり、粗暴な男たちが雪崩れ込む。
だが次の瞬間――。
リンの拳が一閃し、首領格の大男の剣が宙を舞った。
残る者たちは身をすくめ、武器を握る手が震える。
「……まだやるか」
リンの声は低く、しかし静かに響いた。
「な、何者だ……?」
首領は歯を食いしばりながら睨み返す。
リンは拾い上げた剣を海へと投げ捨て、背筋を伸ばした。
「俺は通りすがりの薬師だ。だが一度でも刀を振るえば、人の命が散る。それを何度繰り返してきた?」
海賊たちは言葉を失い、互いに顔を見合わせる。
リンは一歩踏み出し、拳を握りしめた。
「お前たちに力があるのなら、脅すためではなく、守るために使え。この海を行き交う者を襲うのではなく、災いから護れ」
首領の目が揺らいだ。
やがて大男は剣を拾い直し、膝をつく。
「……分かった。俺たちは、この海を荒らすことをやめる。嵐や魔物に襲われる船を護る……それで仁義は通るか」
リンはしばし黙したのち、頷いた。
「ならば互いに無駄な血を流さずに済む。誓いを違えぬことを願う」
海賊たちは一斉に頭を垂れ、重苦しい空気の中に新たな約束が結ばれた。
⸻
さらに数日後。
水平線の向こうに、烈陽国の大地が姿を現した。
リンは簡素な商人風の装いに身を包み、港町の雑踏へと足を踏み入れる。
目に映ったのは、想像以上に活気に満ちた光景だった。
市井には香辛料や絹が並び、武を志す若者たちが道場の門前で剣を交えている。
笑い声と怒号が交錯し、どこか懐かしい熱気が町を覆っていた。
「……これほど開けているとは、正直思いもしなかった」
胸に浮かぶのは驚きと、そしてわずかな畏れ。
烈陽国――武神の故郷にして、兄の足跡が残る場所。
リンの新たな歩みは、ここから始まるのだった。
⸻
一方、烈陽国へと渡る別の航路。
藍峯の乗った船がゆるやかに進む中、突如として影のように迫る小舟があった。
「へへ……あの坊主(リン)の目はごまかしたが、今度は別だ。どうせ分かりゃしねぇ」
リンに誓いを立てたはずの海賊たちが、再び鉤縄を投げ込もうとしていた。
――だが、その刹那。
甲板に佇む藍峯の眼光が彼らを射抜く。
「……どこかで嗅いだ匂いだと思えば」
藍峯は袖を払うように、鋭く一閃した。
閃光のような動きに、数人の海賊が武器ごと叩き伏せられる。
首領格の海賊は地に伏し、呻き声を上げる。
「ま、待ってくれ! 俺たちは……あの若造に誓いは立てた! だが血が騒ぐのを、抑えきれなくて……!」
藍峯の唇がわずかに吊り上がった。
「言い訳は要らん。だが運がいいな。リンが聞けば二度と赦さぬだろうが……俺は違う」
藍峯は刀を納め、背を向けながら言い放つ。
「生きたければ、今度こそ俺に従え。
裏稼業の性根ごと、この藍峯が飼い慣らしてやる。逃げ場はないぞ」
沈黙ののち、海賊たちは全員で頭を地に擦りつけた。
波間に立つ藍峯。鋭く光る眼光は、海賊たちの荒ぶる性根を一瞬で見抜いた。
藍峯は冷たい声を投げかける。
「今からお前たちは、俺の手足となって働いてもらう」
赤狼が眉をひそめ、声を荒げる。
「……おい、お前、名前は何という?」
しばしの沈黙の後、赤狼は胸を張り、力強く答えた。
「俺の名前は赤狼だ!」
藍峯はゆっくりと一歩近づき、さらに鋭い眼光を向ける。
「俺の名は藍峯。リンを守護する者だ。裏切りは容赦しねえ。分かったか?」
赤狼は仲間を見回し、荒ぶる血潮を抑えるように深く息をつく。
「……分かった、藍峯……俺たちは、二度と裏切らねぇ」
周囲の海賊たちも頭を垂れ、観念した様子を示す。
獣のような眼を持つ藍峯の前で、赤狼を含む荒くれ者たちは、今度こそ完全に従う決意を固めた。
⸻
赤狼と海賊たちを制した藍峯は、静かに海面を見据えた。
波の揺れに反射する夕陽が、甲板の木目を赤く染める。
しかし、その美しさとは裏腹に、藍峯の胸中は緊張で満ちていた。
「……このまま港へ向かうだけでは済まん」
藍峯の瞳に、遠く水平線の向こうにある未知の国――烈陽国の姿が浮かぶ。
藍峯はゆっくりと船首に向かい、海風に髪をなびかせながら小さく呟いた。
「リン……俺が先に道を切り開く」
その瞬間、沖合に白い帆影が浮かび上がる。
遠くに見える港の灯が、波間に揺れる。
しかし、それは平穏の印ではなく、嵐の前触れのようにも感じられた。
船員たちも、海賊たちも、波音の向こうに何が待ち受けているのか、まだ知らない。
だが藍峯の鋭い視線は、すでにその未来を射抜こうとしていた。
10
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる