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第五章:「魏支国潜入」
第七十話:「決壊の策」
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乱戦の渦中、龍華帝国と烈陽国の連合軍は次第に押し返されつつあった。魏支国が誇る科学兵士たちが列をなし、奇怪な装備と薬を散布して前進するたびに、兵たちは咳き込み、あるいは力を失って膝をつく。
烈陽国の精鋭部隊も奮戦するが、科学兵士の異様な耐久力と薬の効力の前に、じりじりと後退を余儀なくされる。
「……このままでは、すり潰されるだけだ」
リンは馬上で状況を見渡し、眉をひそめた。
剣を振るい続けるだけでは勝機はない。ここを打破せねば、全軍は潰走の憂き目を見る。
その時、リンは藍峯を呼び寄せた。
「藍峯殿──魏支国の地に詳しいな。この周辺の絵図を持ってはおらぬか」
藍峯は驚きつつも頷いた。
「……ございます。黒鷹派が密かに写し取ったものが」
すぐさま懐から巻物を取り出し、リンに差し出す。
リンは素早く目を走らせ、指先で一点を示した。
「ここだ。大河の堤防。ここを決壊させれば、この平野に展開する科学兵士はひとたまりもあるまい」
藍峯は息を呑む。
「……堤防を破壊すれば、この地も大きな被害を受けますぞ」
「承知の上だ。しかし、今この時、我らが全滅すれば、未来は何も残らぬ。犠牲を恐れては道は開けぬ」
リンの瞳は迷いなく前を見据えていた。
その決意に、天翔も静かに頷く。
「よかろう。ならば俺が前に立ち、奴らを引きつけてやろう。時間を稼げばよいのだろう?」
最強の武神の言葉に、藍峯も決意を固めた。
黒鷹派の精鋭たちが堤防に向かい、火薬を仕掛け始める。
その間、戦場の中央では天翔が青龍刀を構え、正規軍と科学兵士を圧倒的な威容で引き受けていた。
やがて、藍峯から合図が届く。
リンは深く息を吸い、声を張り上げた。
「──今だ! 火を入れよ!」
轟音が大地を震わせた。堤防が崩れ落ち、溢れた濁流が怒涛の如く戦場へと押し寄せる。
科学兵士たちの鋼の脚は水に取られ、次々と流され、陣形は瞬く間に瓦解した。
「……やった……!」
味方の兵たちから歓声が上がる。
だがリンの胸中は張り裂けそうであった。水に呑まれる兵らの叫びを背に、リンは剣を握り直し、低く呟く。
「これで道は開けた……。進め、王都へ」
魏支国の科学兵士の多くが堤防の決壊によって濁流に呑まれ、戦場は一転して静寂を取り戻した。
勝利の兆しが見えたことで、周囲の兵らは歓声を上げる。だがその声がリンの胸には重く響き、勝利の味は苦かった。
濁流に沈んだのは敵兵ばかりではない。避難の遅れた民の家屋も押し流され、その叫び声が耳の奥にこびりついて離れない。
リンは拳を握りしめ、星華の背を見た。彼女は戦況を確認するため丘の上に立ち、遠眼で濁流の後を追っている。
その横顔には冷静さと同時に、深い悲しみが影を落としていた。
「……星華様」
声をかけると、彼女は振り返らずに小さく答えた。
「見ています、リン様。あなたが選んだ策の正しさも、そこに横たわる犠牲も……」
その言葉に、リンの胸が締めつけられた。
策を練ったのは自分だ。科学兵士を殲滅するために、民の土地を水に沈める決断を下したのも自分だ。
軍師としては間違ってはいない。だが、人としては――。
「私は……間違ったのかもしれない」
思わず吐き出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。
星華はようやく振り返り、淡い微笑みを浮かべた。
「誰が正しいと断言できるのでしょう。民を守りきれなかったことは事実です。でも、あなたが犠牲を望んだわけではない」
「だが、私の決断で……」
「それでも進まなければならないのです。私たちが魏支国に屈すれば、もっと多くの民が未来を失う」
星華の瞳には涙が宿っていた。強い軍師である彼女が涙を見せるのは稀なことだった。
リンはその姿に胸を打たれた。彼女もまた民の叫びを聞き、同じ痛みを抱えているのだ。
リンは頷いたものの、心の奥に沈む後悔と懸念は消えなかった。
科学兵士を退けた勝利は、同時に民の涙に彩られた敗北でもあったのだ。
戦場を後にする準備が進む中、星華は烈陽国から連れてきた伝令兵に声をかけ、帰還の段取りを整えていた。
リンはその様子を少し離れた場所から眺めていた。堤防を決壊させた策の勝利も、流された民の姿も、胸に去来して離れない。
そんな彼の心を知ってか、星華はふと振り返り、静かに言葉を落とした。
「リン……あなたの心の重みは、私もわかっています。けれど私は烈陽国へ戻らねばなりません。国の軍師として、戦局を報告する責務があるのです」
淡い声に、決意がにじんでいた。
リンはうなずき、言葉を探しながらも結局はただ「どうか、どうかお気をつけて」としか言えなかった。
星華は馬に跨がり、旗を掲げる従者を従えて進み出す。
遠ざかる蹄の音が戦場の静寂に響き、やがて夕霞の彼方に小さくなっていく。
去りゆく背中は強さと悲しみを帯びていた。
リンはその姿が見えなくなるまで目を離さず、胸にのしかかる後悔を噛み締めた。
――この戦いは終わった。だが、自分の中の葛藤はこれからも続いていく。
星華の背中が霞に消え、戦場に静かな余韻が漂う。
その沈黙を切り裂くように、天翔が重い足取りでリンのそばへ歩み寄った。
鎧に刻まれた傷が彼の戦いぶりを物語っている。
「……リン」
低く、しかし力強い声が落ちる。リンは顔を上げることなく答えた。
「民を巻き込み、命を奪ってしまった。私の選んだ策は……正しかったのでしょうか」
自責の色を浮かべるリンに、天翔はぐっと近づき、その肩をがしりと掴んだ。
燃えるような瞳でまっすぐに見据え、叱咤する。
「迷うな。お前が選んだのは勝利の道だ! 犠牲を背負わねば未来は掴めぬ。
お前が立ち止まれば、仲間も民も報われぬぞ!」
雷鳴のような言葉が響く。
リンは拳を握り締め、うつむいた瞳を少しずつ上げていく。
「……天翔殿」
「お前は龍華帝国を導く者だ。俺は烈陽国の将として、その背に立つ。
だから、胸を張れ! この戦いはまだ終わっていない!」
烈陽の空の下、二人の影が並び立つ。
叱咤と激励に胸を突き動かされ、リンの目に再び光が宿り始めていた。
烈陽国の精鋭部隊も奮戦するが、科学兵士の異様な耐久力と薬の効力の前に、じりじりと後退を余儀なくされる。
「……このままでは、すり潰されるだけだ」
リンは馬上で状況を見渡し、眉をひそめた。
剣を振るい続けるだけでは勝機はない。ここを打破せねば、全軍は潰走の憂き目を見る。
その時、リンは藍峯を呼び寄せた。
「藍峯殿──魏支国の地に詳しいな。この周辺の絵図を持ってはおらぬか」
藍峯は驚きつつも頷いた。
「……ございます。黒鷹派が密かに写し取ったものが」
すぐさま懐から巻物を取り出し、リンに差し出す。
リンは素早く目を走らせ、指先で一点を示した。
「ここだ。大河の堤防。ここを決壊させれば、この平野に展開する科学兵士はひとたまりもあるまい」
藍峯は息を呑む。
「……堤防を破壊すれば、この地も大きな被害を受けますぞ」
「承知の上だ。しかし、今この時、我らが全滅すれば、未来は何も残らぬ。犠牲を恐れては道は開けぬ」
リンの瞳は迷いなく前を見据えていた。
その決意に、天翔も静かに頷く。
「よかろう。ならば俺が前に立ち、奴らを引きつけてやろう。時間を稼げばよいのだろう?」
最強の武神の言葉に、藍峯も決意を固めた。
黒鷹派の精鋭たちが堤防に向かい、火薬を仕掛け始める。
その間、戦場の中央では天翔が青龍刀を構え、正規軍と科学兵士を圧倒的な威容で引き受けていた。
やがて、藍峯から合図が届く。
リンは深く息を吸い、声を張り上げた。
「──今だ! 火を入れよ!」
轟音が大地を震わせた。堤防が崩れ落ち、溢れた濁流が怒涛の如く戦場へと押し寄せる。
科学兵士たちの鋼の脚は水に取られ、次々と流され、陣形は瞬く間に瓦解した。
「……やった……!」
味方の兵たちから歓声が上がる。
だがリンの胸中は張り裂けそうであった。水に呑まれる兵らの叫びを背に、リンは剣を握り直し、低く呟く。
「これで道は開けた……。進め、王都へ」
魏支国の科学兵士の多くが堤防の決壊によって濁流に呑まれ、戦場は一転して静寂を取り戻した。
勝利の兆しが見えたことで、周囲の兵らは歓声を上げる。だがその声がリンの胸には重く響き、勝利の味は苦かった。
濁流に沈んだのは敵兵ばかりではない。避難の遅れた民の家屋も押し流され、その叫び声が耳の奥にこびりついて離れない。
リンは拳を握りしめ、星華の背を見た。彼女は戦況を確認するため丘の上に立ち、遠眼で濁流の後を追っている。
その横顔には冷静さと同時に、深い悲しみが影を落としていた。
「……星華様」
声をかけると、彼女は振り返らずに小さく答えた。
「見ています、リン様。あなたが選んだ策の正しさも、そこに横たわる犠牲も……」
その言葉に、リンの胸が締めつけられた。
策を練ったのは自分だ。科学兵士を殲滅するために、民の土地を水に沈める決断を下したのも自分だ。
軍師としては間違ってはいない。だが、人としては――。
「私は……間違ったのかもしれない」
思わず吐き出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。
星華はようやく振り返り、淡い微笑みを浮かべた。
「誰が正しいと断言できるのでしょう。民を守りきれなかったことは事実です。でも、あなたが犠牲を望んだわけではない」
「だが、私の決断で……」
「それでも進まなければならないのです。私たちが魏支国に屈すれば、もっと多くの民が未来を失う」
星華の瞳には涙が宿っていた。強い軍師である彼女が涙を見せるのは稀なことだった。
リンはその姿に胸を打たれた。彼女もまた民の叫びを聞き、同じ痛みを抱えているのだ。
リンは頷いたものの、心の奥に沈む後悔と懸念は消えなかった。
科学兵士を退けた勝利は、同時に民の涙に彩られた敗北でもあったのだ。
戦場を後にする準備が進む中、星華は烈陽国から連れてきた伝令兵に声をかけ、帰還の段取りを整えていた。
リンはその様子を少し離れた場所から眺めていた。堤防を決壊させた策の勝利も、流された民の姿も、胸に去来して離れない。
そんな彼の心を知ってか、星華はふと振り返り、静かに言葉を落とした。
「リン……あなたの心の重みは、私もわかっています。けれど私は烈陽国へ戻らねばなりません。国の軍師として、戦局を報告する責務があるのです」
淡い声に、決意がにじんでいた。
リンはうなずき、言葉を探しながらも結局はただ「どうか、どうかお気をつけて」としか言えなかった。
星華は馬に跨がり、旗を掲げる従者を従えて進み出す。
遠ざかる蹄の音が戦場の静寂に響き、やがて夕霞の彼方に小さくなっていく。
去りゆく背中は強さと悲しみを帯びていた。
リンはその姿が見えなくなるまで目を離さず、胸にのしかかる後悔を噛み締めた。
――この戦いは終わった。だが、自分の中の葛藤はこれからも続いていく。
星華の背中が霞に消え、戦場に静かな余韻が漂う。
その沈黙を切り裂くように、天翔が重い足取りでリンのそばへ歩み寄った。
鎧に刻まれた傷が彼の戦いぶりを物語っている。
「……リン」
低く、しかし力強い声が落ちる。リンは顔を上げることなく答えた。
「民を巻き込み、命を奪ってしまった。私の選んだ策は……正しかったのでしょうか」
自責の色を浮かべるリンに、天翔はぐっと近づき、その肩をがしりと掴んだ。
燃えるような瞳でまっすぐに見据え、叱咤する。
「迷うな。お前が選んだのは勝利の道だ! 犠牲を背負わねば未来は掴めぬ。
お前が立ち止まれば、仲間も民も報われぬぞ!」
雷鳴のような言葉が響く。
リンは拳を握り締め、うつむいた瞳を少しずつ上げていく。
「……天翔殿」
「お前は龍華帝国を導く者だ。俺は烈陽国の将として、その背に立つ。
だから、胸を張れ! この戦いはまだ終わっていない!」
烈陽の空の下、二人の影が並び立つ。
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