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第六章:「禁苑の双頭」
第八十四話:「玲霞の裁判」
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玲霞の裁判が終わり、判決が言い渡された後も、街は落ち着きを取り戻すことはなかった。
黄楊が死刑となり、陳譚が終身刑を宣告されたことで、表面上は秩序が戻ったかに見えた。だが、その裏側では新たな囁きが広がりつつあった。
「玲霞は黄楊と同じ流れをくむ者ではないのか」
「裁きの場で罪を免れたのは、武神リンの庇護を受けたからに過ぎぬ」
人々の噂は根拠もないままに増幅し、やがて「玲霞は災いを呼ぶ存在」という偏見へと形を変えていった。特に保守的な長老たちは、彼女の存在を快く思わず、私的な集会で彼女の排斥を口にする者も現れる。
一方で、玲霞の人柄をよく知る若い者たちや市井の民は、彼女を擁護しようと声を上げた。彼らは玲霞が日々地道に人助けをしてきたことを知っており、「彼女が黄楊達と同じ類の人間であるはずがない」と信じていた。
だが、その声はまだ弱く、広がる偏見のうねりを押し返すには至らない。
「玲霞殿は我が国にとって必要な人材です。ですが……」
廷臣の一人がリンに進言した。「国の分断を避けるため、しばらく表舞台から遠ざけるのも一つの策かと」
廷臣の言葉が広間に重く落ちたその時、リンは静かに一歩前へ進み出た。
「――どうか、そのような言葉はお控えください」
低く澄んだ声が法廷を満たし、場の空気を張りつめさせる。
「玲霞殿が禁苑に関わったのは、家族を人質に取られ、抗う術を奪われていたゆえでございます。その事実を顧みず、ただ罪だけを言い募ることは、真実を曇らせ、国をさらに危うくする毒となりましょう」
廷臣は言葉を失い、周囲の民草の間にざわめきが広がる。リンは一歩踏み込み、毅然と声を重ねた。
「玲霞殿は自らの過ちを認め、裁きから逃げることなく正面から向き合われました。その誠意を疑い、なお糾弾し続けるのであれば、それは人の正義を歪めることに他なりません」
広場に居合わせた民衆ははっとして顔を上げ、驚きと戸惑いを入り混ぜた視線をリンに向ける。
「私は武神リン。国を護る者であると同時に、人を護る者でもございます。玲霞殿を一方的に貶めることは、私自身の信義を否定することと同義です。――そのうえでなお、異議を唱えられる方はいらっしゃいますか」
広間は静まり返った。誰も声を上げず、張りつめた空気は次第に和らいでいく。
玲霞が矯正施設に入って数日が経った頃。
彼女のもとに、同じ施設の職員が何気なく言葉を落とした。
「……あの武神様は、本当に立派なお方ですね」
玲霞が目を瞬かせると、職員は静かに続けた。
「陛下の御前で、貴女に対して偏見を口にする者が現れました。その時、リン様は毅然と立たれて、こう申されたのです――」
職員の声は、どこか敬意を帯びていた。
『玲霞殿が禁苑に関わったのは、人質に取られた家族を守るためであった。その事実を無視し、ただ罪だけを言い募ることは、真実を曇らせ国を危うくするものである』
玲霞の胸に、熱いものがこみ上げた。
職員はさらに言葉を重ねる。
『玲霞殿は己の過ちを認め、裁きに背を向けることなく受け入れた。その誠意を疑い、なお糾弾するならば、それは正義の名を借りた偏見に過ぎぬ。私は武神として、国を護る者であると同時に、人を護る者である。玲霞殿を一方的に貶めることは、私自身の信義を否定することと同義である――』
静かに語られるその一節に、玲霞は目を伏せ、震える唇を結ぶ。
(……リン様……そんなふうにまで……)
彼女の胸中に、暗く沈んでいた罪悪感の影が、少しずつ光に溶けていく。
涙を拭いながら、玲霞は小さく呟いた。
「……必ず、この御恩に報いてみせます」
矯正施設の静けさの中で、その誓いは玲霞自身を奮い立たせる新たな力となった。
龍華帝国の大広間。
玉座に座す帝王の前で、魏支国の国王は深々と膝を折った。
「龍華帝国の大帝よ……どうか……どうか黄楊の罪を、命以外の刑にてお許し願いたい……!」
その声は震え、老いた顔に涙が伝う。
「黄楊は確かに大罪を犯しました。ですが、彼もまた我が国の臣であり……我にとっては父のような存在。この命を賭してでも庇いたいのです」
大広間に沈黙が落ちる。
その場に居合わせた龍華の臣下や民衆の誰もが、その姿を目にし、心中で嘆息した。
(――これが、一国の王の姿か)
「国を顧みず、罪人を庇うとは……」
「涙に縋り、理を見失うとは……」
民衆の囁きは次第に広がり、魏支国の王に向けられる視線は憐憫と侮蔑に染まっていく。
黄楊はその光景を、冷笑を浮かべて見ていた。
「……国王よ。愚かしい……。私のために頭を下げ、国を辱めるなど……」
帝王は静かにその全てを見届け、重々しい声で応えた。
「魏支国王よ、情を尽くす心は理解する。しかし、黄楊の罪は天下を震撼させた大逆。これを減ずることは、天下の理を覆すことに等しい」
その一言で、王の願いは退けられ、広間の空気は凍りついた。
処刑の日。
龍華帝国の首都、大広場は黒山の人々で埋め尽くされていた。
城壁には重々しい旗が翻り、鼓が鳴り響く。
壇上に引き立てられたのは、両手を鎖で縛られた黄楊。
その姿に、群衆は一斉にざわめいた。
「――あれが禁苑の元長、黄楊か」
「幾千もの命を弄んだ罪人だ」
「ようやく裁かれるのだ」
帝王は高座より厳粛に宣言する。
「黄楊。その罪は数知れず。無辜の民を犠牲にし、国家の威信をも危うくした。よって――死刑を以て償わせる」
その声は広場に響き渡り、群衆の沈黙を呼んだ。
黄楊は鎖に繋がれたまま顔を上げ、乾いた笑みを浮かべる。
「……法の下の平等、か。結局は勝者の都合にすぎぬ。龍華の帝王よ、貴様もいずれ同じ裁きを受ける日が来るだろう」
群衆の間にざわめきが走る。
だが、帝王は表情ひとつ動かさず、処刑人に目配せをした。
刑吏が進み出て、執行の合図を受ける。
太鼓が三度鳴り響くと同時に、黄楊は処刑台に押し付けられた。
「魏支国万歳!」
最後に吐き捨てるように呟いたその声は、涙を流した魏支国の王には決して届かぬ。
鋼の刃が振り下ろされ、血の赤が大地を染める。
広場に響いたのは群衆のどよめきと、次いで深い沈黙。
人々はその光景を目に焼き付け、龍華帝国の正義が示された瞬間を胸に刻んだ。
帝王は静かに立ち上がり、宣告する。
「これにて、黄楊の裁きは終わった――。天下の理は守られた」
その言葉と共に、黄楊の名は歴史の中で「罪人」として刻まれることとなった。
黄楊が死刑となり、陳譚が終身刑を宣告されたことで、表面上は秩序が戻ったかに見えた。だが、その裏側では新たな囁きが広がりつつあった。
「玲霞は黄楊と同じ流れをくむ者ではないのか」
「裁きの場で罪を免れたのは、武神リンの庇護を受けたからに過ぎぬ」
人々の噂は根拠もないままに増幅し、やがて「玲霞は災いを呼ぶ存在」という偏見へと形を変えていった。特に保守的な長老たちは、彼女の存在を快く思わず、私的な集会で彼女の排斥を口にする者も現れる。
一方で、玲霞の人柄をよく知る若い者たちや市井の民は、彼女を擁護しようと声を上げた。彼らは玲霞が日々地道に人助けをしてきたことを知っており、「彼女が黄楊達と同じ類の人間であるはずがない」と信じていた。
だが、その声はまだ弱く、広がる偏見のうねりを押し返すには至らない。
「玲霞殿は我が国にとって必要な人材です。ですが……」
廷臣の一人がリンに進言した。「国の分断を避けるため、しばらく表舞台から遠ざけるのも一つの策かと」
廷臣の言葉が広間に重く落ちたその時、リンは静かに一歩前へ進み出た。
「――どうか、そのような言葉はお控えください」
低く澄んだ声が法廷を満たし、場の空気を張りつめさせる。
「玲霞殿が禁苑に関わったのは、家族を人質に取られ、抗う術を奪われていたゆえでございます。その事実を顧みず、ただ罪だけを言い募ることは、真実を曇らせ、国をさらに危うくする毒となりましょう」
廷臣は言葉を失い、周囲の民草の間にざわめきが広がる。リンは一歩踏み込み、毅然と声を重ねた。
「玲霞殿は自らの過ちを認め、裁きから逃げることなく正面から向き合われました。その誠意を疑い、なお糾弾し続けるのであれば、それは人の正義を歪めることに他なりません」
広場に居合わせた民衆ははっとして顔を上げ、驚きと戸惑いを入り混ぜた視線をリンに向ける。
「私は武神リン。国を護る者であると同時に、人を護る者でもございます。玲霞殿を一方的に貶めることは、私自身の信義を否定することと同義です。――そのうえでなお、異議を唱えられる方はいらっしゃいますか」
広間は静まり返った。誰も声を上げず、張りつめた空気は次第に和らいでいく。
玲霞が矯正施設に入って数日が経った頃。
彼女のもとに、同じ施設の職員が何気なく言葉を落とした。
「……あの武神様は、本当に立派なお方ですね」
玲霞が目を瞬かせると、職員は静かに続けた。
「陛下の御前で、貴女に対して偏見を口にする者が現れました。その時、リン様は毅然と立たれて、こう申されたのです――」
職員の声は、どこか敬意を帯びていた。
『玲霞殿が禁苑に関わったのは、人質に取られた家族を守るためであった。その事実を無視し、ただ罪だけを言い募ることは、真実を曇らせ国を危うくするものである』
玲霞の胸に、熱いものがこみ上げた。
職員はさらに言葉を重ねる。
『玲霞殿は己の過ちを認め、裁きに背を向けることなく受け入れた。その誠意を疑い、なお糾弾するならば、それは正義の名を借りた偏見に過ぎぬ。私は武神として、国を護る者であると同時に、人を護る者である。玲霞殿を一方的に貶めることは、私自身の信義を否定することと同義である――』
静かに語られるその一節に、玲霞は目を伏せ、震える唇を結ぶ。
(……リン様……そんなふうにまで……)
彼女の胸中に、暗く沈んでいた罪悪感の影が、少しずつ光に溶けていく。
涙を拭いながら、玲霞は小さく呟いた。
「……必ず、この御恩に報いてみせます」
矯正施設の静けさの中で、その誓いは玲霞自身を奮い立たせる新たな力となった。
龍華帝国の大広間。
玉座に座す帝王の前で、魏支国の国王は深々と膝を折った。
「龍華帝国の大帝よ……どうか……どうか黄楊の罪を、命以外の刑にてお許し願いたい……!」
その声は震え、老いた顔に涙が伝う。
「黄楊は確かに大罪を犯しました。ですが、彼もまた我が国の臣であり……我にとっては父のような存在。この命を賭してでも庇いたいのです」
大広間に沈黙が落ちる。
その場に居合わせた龍華の臣下や民衆の誰もが、その姿を目にし、心中で嘆息した。
(――これが、一国の王の姿か)
「国を顧みず、罪人を庇うとは……」
「涙に縋り、理を見失うとは……」
民衆の囁きは次第に広がり、魏支国の王に向けられる視線は憐憫と侮蔑に染まっていく。
黄楊はその光景を、冷笑を浮かべて見ていた。
「……国王よ。愚かしい……。私のために頭を下げ、国を辱めるなど……」
帝王は静かにその全てを見届け、重々しい声で応えた。
「魏支国王よ、情を尽くす心は理解する。しかし、黄楊の罪は天下を震撼させた大逆。これを減ずることは、天下の理を覆すことに等しい」
その一言で、王の願いは退けられ、広間の空気は凍りついた。
処刑の日。
龍華帝国の首都、大広場は黒山の人々で埋め尽くされていた。
城壁には重々しい旗が翻り、鼓が鳴り響く。
壇上に引き立てられたのは、両手を鎖で縛られた黄楊。
その姿に、群衆は一斉にざわめいた。
「――あれが禁苑の元長、黄楊か」
「幾千もの命を弄んだ罪人だ」
「ようやく裁かれるのだ」
帝王は高座より厳粛に宣言する。
「黄楊。その罪は数知れず。無辜の民を犠牲にし、国家の威信をも危うくした。よって――死刑を以て償わせる」
その声は広場に響き渡り、群衆の沈黙を呼んだ。
黄楊は鎖に繋がれたまま顔を上げ、乾いた笑みを浮かべる。
「……法の下の平等、か。結局は勝者の都合にすぎぬ。龍華の帝王よ、貴様もいずれ同じ裁きを受ける日が来るだろう」
群衆の間にざわめきが走る。
だが、帝王は表情ひとつ動かさず、処刑人に目配せをした。
刑吏が進み出て、執行の合図を受ける。
太鼓が三度鳴り響くと同時に、黄楊は処刑台に押し付けられた。
「魏支国万歳!」
最後に吐き捨てるように呟いたその声は、涙を流した魏支国の王には決して届かぬ。
鋼の刃が振り下ろされ、血の赤が大地を染める。
広場に響いたのは群衆のどよめきと、次いで深い沈黙。
人々はその光景を目に焼き付け、龍華帝国の正義が示された瞬間を胸に刻んだ。
帝王は静かに立ち上がり、宣告する。
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