『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第七章:「帝国の影」

第九十九話:「壯国の新基盤」

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リン一行は魏志国を後にし、国境を越えて壯国へと入った。
そこに広がっていたのは、荒れ果てた村と疲弊した人々の姿だった。瓦屋根は崩れ、道は泥にまみれ、子供たちは裸足で痩せ細っている。

リン一行が壯国の都を抜け、周辺の街や村を巡ると、惨状は魏志以上に深刻であった。
道端には餓死した者の遺骸が打ち捨てられ、井戸は濁り、病に伏した人々が呻き声をあげている。

リンは足を止め、深く眉をひそめた。
「……これでは兵を募るどころではない。まずは人の命を救わねば国が立たぬ」

藍峯も同意する。
「清潔こそ民を守る最初の盾。病を退け、日々の暮らしを保たせれば、人は働き、子を育て、国が潤う」

リンは馬を止め、しばし無言でその光景を見つめた。
「……この国では、まず衣食住の基盤を築かねばならぬな」

藍峯も頷く。
「軍備を語るより先に、人の命を支える土台が必要でしょう。川を整え、道路を築き、清潔な井戸を掘らねば、兵士も民も育たぬ」

こうして改革の第一歩が始まった。
各村には清掃と井戸の掘り直しを命じ、死者は丁重に埋葬させた。道は整えられ、汚物は川から遠ざけ、街角には井戸と溝渠(こうきょ)が設けられた。
やがて、疫病の流行は次第に下火となり、民の顔には少しずつ安堵の色が戻っていく。

リンは再度命じた。
「工事を指揮できる者を集めよ。魏志で培った技術を移し、まずは用水路と街道を整備する。加えて布を織る技術を伝え、衣を安定して供給するのだ」

その日から、壯国には新たな風が吹き始めた。
赤狼の者たちは街の広場に織機を組み上げ、魏志から連れてきた職人が紡績の手ほどきをする。藍峯は農夫たちに堤防や水路の設計を描き、鍬を振るわせた。

貧困に喘いでいた民たちは次第に顔を上げ、土木に汗を流すようになった。
「これで子供たちが清らかな水を飲める……」
「布があれば、寒さに震えずに済む……」
村々には少しずつ笑顔が戻り、生活は形を成し始める。

基盤整備の次に、リンは軍の訓練を始めた。
だが魏志国とは異なり、壯国の兵は農民上がりで規律に乏しく、飢えから盗みに走る者も多かった。
「軍律を整えねば、兵はただの盗賊に堕ちる」
リンは即座に判断し、藍峯に告げた。

藍峯は腹心・壮舷を呼び寄せる。
「壮舷、この壯国の現行法は腐敗と不正で満ちている。魏志で見せた才を、ここでも発揮せよ」

壮舷はうなずき、現行の法令を一つひとつ精査し始めた。
「まず豪族の恣意的な取り立てを禁じること。次に兵士が民を害した場合、王侯貴族であれ裁かれる仕組みを作ること。魏志での法を基盤に、壯国独自の律を組み上げましょう」

さらにリンは減税を布告した。
「三年の間、年貢を三割減じる。その分、民は田を耕し、織物を織り、余剰を市に流せ」

税を軽くされた農民たちは、飢えに震えるだけの日々から解放され、再び畑に鍬を振るう力を得た。商人も市場を広げ、交易の動きが活発になっていく。

藍峯は赤狼を各地に派遣し、土木事業を本格化させた。
・川の氾濫を防ぐ堤防の建設
・街と街を結ぶ街道の敷設
・市場と倉庫の整備
・織機と紡績の普及

人々の暮らしは次第に整い、痩せた顔には笑顔が戻り始めた。

その頃、壮舷は法の整備に着手していた。
「豪族が勝手に取り立てぬよう、徴税は国が一元管理する。病や貧困にあえぐ民を守るため、村ごとに施療所を置く。兵士が民を害した場合は、身分に関わらず裁きを受ける――」

壮舷の声は厳しくも揺るがず、次第に壯国独自の律が形を帯びていった。

リンはそれを見届け、ゆっくりと口を開いた。
「よし。まずは民を富ませる。国家が富み、民が満ちてこそ、兵は自然と集まり強くなる。急いて兵を募れば、民は枯れ、国は崩れる。順序を違えてはならぬ」

藍峯は深く頷いた。
「魏志での教えを壯国に広めれば、この国もまた立ち直ろう」

やがて市場には活気が戻り、村々には清らかな水が流れ、子どもたちの笑い声が響くようになった。
その基盤の上に、次の段階として兵の訓練が始まるのは、そう遠くない未来であった。

こうして壮舷は「壯律」と呼ばれる新たな法典の草案を作り出した。
それは徴税の公平、兵士の規律、民の保護を三本柱とし、国を内側から支えるものであった。

リンはそれを読み、深く頷いた。
「良い。壯国はこれで再び立ち上がるだろう。人々の暮らしを守り、兵を律し、法の下で国を築く。やがて魏志と並び、龍華の圧に抗する力となる」

夕暮れ、土木工事の音と織機の音が重なり、村々には新たな活気が芽吹いていた。
壯国の人々の胸には、久しく失われていた「希望」の二文字が蘇りつつあった。


壯国はもともと王権を持たず、各地の豪族が領地ごとに独立して統治していた。
都にも形式上の合議施設こそ存在したが、それは有力豪族たちが寄り合い、互いの利害を調整する場にすぎなかった。

しかし、戦乱の時代を経て国としてのまとまりを必要とする声が高まり、まず中央となる都に「大議会」が設けられることとなる。各地の豪族は地域ごとに代表を選び、その代表が集まって国の方針を決める制度が形作られた。

さらに、この新たな議会は最初の試みとして税制改革に着手した。従来は豪族ごとに勝手に徴収していた税を、一定の基準に基づき中央に納めさせ、そこから再分配を行う方式へと改めたのである。

こうして壯国は、初めて「豪族の連合」から「国家」へと歩みを進める基盤を築いていった。


壯国ではまず、都の大議会を改組し、二院制を導入した。
豪族たちが座を占める「上院」と、民衆の代表からなる「下院」である。

豪族の思惑と利権に偏らぬよう、上院で決められた法案は必ず下院でもう一度審議され、是非を問われた。下院には拒否権も与えられ、豪族の意志をそのまま押し通すことはできない仕組みとされた。

さらに壮舷は、民衆の代表を豪族の指名や推挙ではなく「選挙」によって選び出す制度を打ち立てた。民の声が初めて政治に届く道が開かれ、議会は次第に活気を帯びてゆく。

同時に政治制度を補うための法律も整えられ、豪族と民衆が共に従うべき規範が明文化されていった。
そして壮舷は議会の場でこう宣言する。

「ゆくゆくは身分の差を取り払い、すべての民を一つの法の下に置く。血筋も力も問わず、ただ民として国を担う者とする――それが我らの行くべき道だ」

その言葉は民衆に喝采をもって迎えられ、豪族たちに衝撃を与えた。だが、壯国は確かに新しい国家としての形を築き始めたのである。
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