『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第七章:「帝国の影」

第九十八話:「魏志国での初動」

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魏志国の都は小国ながら活気に満ちていた。龍華帝国の影に隠れるように存在してきた国だが、民の眼差しには確かな勤勉さと誠実さが宿っている。
東の港を経て龍華を横切り、リン一行は無事に魏志国へ入った。案内人が先触れをしていたため、王と重臣たちが城門に整列し、深々と頭を下げる。

「遠路よりよくぞ参られた。どうか我が国を導いていただきたい」
王の言葉に、リンは静かに頷いた。

「導くのは私ではありません。民が自ら立ち、国を富ませるのです。そのための道を示すに過ぎません」

その一言に重臣たちがざわめく。王は感銘を受け、城内の謁見の間へリンを迎え入れた。



数日後、城下の広場には領民や兵が集められた。壇上に立ったリンは声を張る。

「魏志国は小さな国と侮られてきました。しかし、土は肥え、水は豊かです。力を合わせれば、龍華に劣らぬ国を築ける。まずは産業を興すこと。田を耕し、水路を広げ、職人を育てよ。富は兵を養い、兵は国を守る礎となる!」

力強い声に、民衆は一斉に拍手で応えた。

藍峯が陰に控え、民の表情を鋭く観察している。彼の手配で視察は滞りなく進み、農民や職人たちはすぐに動き出した。



やがてリンは兵士たちの前に立った。魏志国の兵は寄せ集めに近く、足並みも乱れている。リンは眉をひそめ、地に木の棒を突き立てて語る。

「兵とは数ではない。質だ。国を守る覚悟と訓練が、千の兵にも勝る。今日からお前たちは変わる。列を乱すな、声を揃えよ、己を律せよ!」

掛け声と共に、兵士たちの訓練が始まった。槍を構え、弓を引き、走り込みを繰り返す。初めは足並みが揃わなかったが、リンが自ら先頭に立ち汗を流す姿に、若者たちの眼が燃え上がる。

「我らも国を支えたい!」
「龍華に怯えぬ兵となろう!」

声が重なり、訓練場の空気は熱を帯びた。



夜、軍議の席。王と重臣が集まる中、リンは地図を広げる。

「いずれ龍華帝国との摩擦は避けられぬ。だが、怯える必要はない。富を築き、兵を鍛え、国を一つにすれば、魏志国は誰にも侮られぬ。守りを固め、未来を見据えよ」

その言葉に王は震えながらも深く頷いた。

「……我が国も、ようやく歩み出せるのだな」



数ヶ月後、基盤が整い始めるとリンは次の地・壯国へと向かう決意を固めた。出立の日、魏志国王は城門まで見送り、涙ながらに言葉を贈る。

「あなたのおかげで、我らは国の未来を信じることができた。どうか壯国にも、この光を」

リンはただ頷き、東の空を見上げる。藍峯は背後で小さく呟いた。

「この歩みがいずれ龍華を揺るがす……」

魏志国での軍事訓練が軌道に乗りはじめた頃、夕暮れの城壁上でリンは藍峯を呼び寄せた。
赤く沈む陽を見つめながら、彼は静かに語り出す。

「藍峯殿。軍備が整い、兵の士気が上がるのは喜ばしいことです。しかし……」
そこで一拍置き、重く続けた。
「国を守るのは武力だけではない。軍律が定められねば兵は暴徒となり、法がなければ富める者は弱きを搾取する。内側から崩れれば、外敵を退けても国は滅びます。上一人より下万民に至るまで、法の下の平等を植えつけねばなりません」

藍峯は深く頷いた。
「ご慧眼の通り。実は、腹心の部下に各国の法律や制度に通じた者がおります。名は壮舷。才は折り紙つきで、軍律や憲章の策定に長けております」

「壮舷……」
リンは名を反芻する。

藍峯は迷いなく言葉を継いだ。
「魏志国に残し、軍事訓練と並行して法の骨格を築かせましょう。単なる模倣ではなく、この国の風土と民に合った独自の憲法を整備する。その監修を一任します」

「それができれば、この国は真に揺るがぬ柱を得ることになるでしょう」
リンの瞳には決意の光が宿っていた。

その後、藍峯は壮舷を呼び出し、魏志国の王の前で紹介した。
壮舷は痩身の青年で、眼鏡の奥に冷静な光を宿していた。

「王よ、これより貴国に留まり、兵制・法制の両輪を築かせていただきます。産業と軍事の土台が揺らがぬよう、必ずや尽力いたします」

王は感激し、深々と頭を下げた。
「ここまで尽くしていただけるとは……我が国は幸運に恵まれました」

こうして魏志国では、リンが推し進めた産業と強兵の方策に加え、壮舷による法整備が本格的に始動する。国を形作る三本柱――産業、軍事、法――が同時に芽吹き始めたのである。

やがて準備が整い、リンは次の目的地・壯国へと向かう旅立ちの日を迎える。魏志国には壮舷を中心とする改革の火が残され、民の中に新たな希望が芽生えていた。

壮舷は魏志国に残ると、早速城中に臨時の書院を設けた。机の上には各国から持ち込まれた法典の写し、軍律の記録、農業や鉱山に関する報告書が並べられていた。

彼はまず兵士の統制から着手する。
「兵は民の力を借りて食らい、民は兵の守りに安んずる。ゆえに兵と民の間に壁を作ってはならぬ」

壮舷は百人隊の指揮官たちを集め、明快に告げる。
「酒と女に溺れることを禁じる。徴発は許可制とし、勝手に民家から食を奪う者は斬罪とする。訓練と警邏は交代で行い、農繁期には兵を解いて耕作を助けよ。民が飢えれば兵もまた飢える。軍と民は一つの器と心得よ」

指揮官たちはざわめいたが、壮舷は一歩も退かぬ眼差しで言葉を重ねる。
「この法はすべての兵に徹底される。上に立つ者が犯せば、下もまた崩れる。規律は上下の別なく守られねば意味がない」

次に壮舷は徴税の仕組みに手を入れた。
魏志国では長らく地方豪族が勝手に取り立てを行い、農民を疲弊させていた。壮舷は帳簿を改め、土地の収穫高を調査させ、徴税を一律に三割と定める。さらにその三割のうち一割は軍備に、二割は穀倉に納めさせ、飢饉に備える新制度を打ち立てた。

ある農夫が涙ながらに言った。
「これまで五割も六割も取られておりました……残るのは家族を養うにも足りぬほどで。これでようやく子らに腹いっぱい食わせられます」

壮舷は冷静に答える。
「法は弱きを守るためにある。税が軽すぎれば国は痩せ、重すぎれば民が枯れる。均衡を保つことこそ国の寿命を延ばすのです」

さらに彼は「魏志律」と仮称された基本法草案を起草し始めた。
第一条――王といえども法の外に立たず。
第二条――民は法の前に等しく、貴賤を問わず同じ裁きを受ける。
第三条――兵は民を守ることを第一とし、私利のために刀を振るってはならぬ。

王はその草案を読み、深く頷いた。
「法の下に王も従う……この国では誰も口にしたことのない言葉だ。だが、この道こそ新しき魏志を生かす柱となろう」

壮舷は筆を置き、窓の外に広がる夕陽を見た。
――リン殿が言われた通り、国を支えるのは武力と富だけではない。律と法があってこそ、千万人の力は一つとなる。

こうして魏志国には、壮舷の才覚により「軍律と法制」の萌芽が芽吹き、民は徐々に秩序の下に安堵を得始めたのであった。
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