『天翔(あまかけ)る龍』

キユサピ

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第七章:「帝国の影」

第百三話:「影を守る命」

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リンは暗い海岸沿いの道を静かに進んでいた。任務を終えた疲労が身体に重くのしかかるが、心は休まらなかった。彼女の胸中には、一刻も早く救わねばならぬ存在があった。

岸辺で海風を受けながら、リンは藍峯に向かって懇願した。
「藍峯殿……どうか、兄上――守武財殿を、何とか救ってくださいませ……!」

藍峯は静かに頷き、沈着な声で答える。
「心得ております、リン殿。既に手は打たせております。安心なされよ」

その言葉の先に、潤騎への伝達があった。藍峯は密かに通信文を潤騎に送り、景嵐に扮する守武財の脱出計画を指示する。
「潤騎よ、景嵐殿を速やかに安全な場所へ避難させよ。帝都内の黒鷹派の目を欺き、海路を確保せよ。失敗は許されぬ」

潤騎は微かな笑みを浮かべ、忠誠心を込めて答える。
「承知いたしました、藍峯殿。私めが必ず守り抜きます」

リンは胸を撫で下ろすが、その目は海の先、龍華帝国の東海岸を睨んでいた。任務を終えた今、彼の心はただひとつ、守武財殿の安全確保と烈陽国への帰還にあった。

藍峯はその様子を見守りつつ、計画の最終確認を行う。夜の闇に紛れた動きも、緻密な指示と潤騎の腕で確実に守られている。帝都の闇でどれだけの陰謀が渦巻こうとも、影の中で動く知将は生き延びる道を歩むのだった。

その夜、リンの胸に一筋の希望が灯る。守武財殿の安全を信じ、烈陽国へ帰る――その道筋が、暗闇に光を射す。

守武財は龍華帝国での任務を終え、ついに脱出の計画を進めていた。帝都の奸臣たちに目を光らせられながらも、藍峯の指揮のもと、潤騎や余崇ら精鋭の護衛に守られ、彼は東海岸へと向かう。

その影では、赤狼の配下の一人が、守武財に酷似する体格と容姿をもって代役として潜入していた。帝都の目をごまかすための策略である。

夜の帳の中、守武財は慎重に歩を進める。風の音、波のさざめき、遠く灯る街灯の光――全てが緊張の中で息を潜めていた。しかし、藍峯の指示通り、潤騎と余崇は一歩も守武財から目を離さない。

ついに龍華帝国の東海岸に到達したとき、リンは海辺で待機していた。漆黒の外套を纏った守武財が海風に立つ姿を見たリンは、安堵と緊張が交錯する。
「兄上……無事でありましたか」
「おかげさまでな。だが油断はできん」

守武財は潤騎、余崇、そして赤狼の配下と共に小舟に乗り込み、港を静かに離れた。
しかし、帝都では代役の男――守武財に扮した赤狼の配下――が捕縛されていた。権力者たちにより処刑が執行される知らせが、海の上に漂う風のように届く。

赤狼は船上でその報せを受け、拳を握りしめた。
「……無念だ。たとえ役目を果たすための代役でも、仲間が命を散らすとは……」

目に宿る哀しみは深く、海面に映る月光すらその悲しみを隠せない。だが守武財の安否が確認できたこと、そして帝国での影の戦いがまだ続いていることが、彼らの心に僅かな希望を残す。

リンは赤狼に向かって言った。
「赤狼よ、貴殿の哀しみは理解しております。しかし、我らはまだ戦いの途上にあります。守武財殿は生きておる――それだけが今、我らの救いです」

赤狼は短く頷き、海の向こうの遠き国々を見つめる。
波は静かに揺れ、船は揺れる。だが心の中の悲しみと決意は揺らぐことはない。
死んだ影の代償を胸に、守武財、リン、藍峯、そして赤狼たちは、烈陽国へと帰路を急ぐのであった。

赤狼は心の奥底で理解していた。守武財のため、任務のため、代役が犠牲になることもやむを得ぬことを――。しかし、止めどなく流れる涙は、理性の壁をも突破して溢れ出た。月明かりに照らされるその顔は、哀しみと悔恨に彩られていた。

船は烈陽国へ向けて進む。波は静かに揺れ、風は冷たく、夜の闇が海面を覆う。しかし中盤に差し掛かる頃、背後から追手の船影が見えた。夜闇に紛れ、黒い帆がこちらを覆い尽くす。追撃は執拗で、赤狼の胸は緊張に震える。

「くっ……ここからが正念場か」
赤狼は唇を噛み、船を操る手に力を込める。リンも守武財も、船上でそれぞれに集中する。潜入や脱出に長けた彼らだが、追手は数でも質でも油断ならぬ相手であった。

しかし、そのとき、東海岸を越えた海面に微かな光の点が幾つも現れる。三国――魏志国、壯国、晋平国――からの援軍の船団であった。藍峯の指示により、各国が事前に待機していた船が、まさに絶妙なタイミングで現れたのだ。

「援軍だ……!」
守武財の目に光が戻る。船団は追手の前に立ち塞がり、長く研ぎ澄まされた槍や弓矢、巧みな操船で追撃の船を牽制する。赤狼は船を加速させ、援軍の背後に滑り込むように進行する。

戦いは短時間で終わった。追手は三国の船団により挟み撃ちとなり、もはや烈陽国の船に迫ることはできない。夜風に乗って、勝利の静けさと安堵が船上を包んだ。

赤狼は深く息をつき、まだ冷たい海面に向かって小さくつぶやいた。
「……守武財殿、そして皆……生きてお帰りいただけた……」

守武財は赤狼の肩を軽く叩き、短く言葉を返した。
「赤狼、貴殿の尽力なくしては、我らは無事にここまで辿り着けませんでした。感謝します」

リンも頷き、船首に立つ。
「烈陽国は近い。ここからは故国の空気を胸いっぱいに吸い、無事を報告するのみです」

船は波を切り、静かに、しかし確実に烈陽国の港へと近づいていく。三国の援軍も共に進み、救援の絆を改めて示すかのように、夜の海に光を散らしていた。

赤狼の胸の哀しみはまだ癒えぬものの、その背後には未来への希望が確かにあった――守武財は無事である、そして烈陽国を暗黒の手から守るための新たな戦いは、すぐそこまで迫っていた。
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