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11.政略結婚の許婚者
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帰りの車の中で侯爵夫人は顔を真っ赤にして憤る。
「本当になんて下品な一家かしら! アデレイドもアデレイドよ。私が止めたのに、庶民も同然の子爵家で出されたものを食べるなんて!」
格下とはいえヒルト子爵家はれっきとした貴族だ。それなのに、侯爵夫人が”庶民も同然”などということに、ハイジはびっくりした。
黙って聞いていると、夫人が”成り上がりのくせに”と言い出し、ハイジは、ヒルト子爵家が貴族になったのは十年ほど前のことだと知る。
フォールコン侯爵家とは別方向の王都の郊外に、肥沃な田畑と広大な牧草地を持つ子爵家は、もとは酪農も兼ねているただの農民だったという。十二年前の自然災害で王都をはじめ国内の大部分が被害にあった時、飼育している牛や馬、豊富に備蓄していた農産物を惜しみなく提供し、莫大な支援金や義援金を寄付したらしい。そのおかげで復興が早く進み、王都が安定したころに功績をたたえて叙爵されたようだ。
しかしフォールコン侯爵家や由緒ある貴族は、”ヒルト子爵家は爵位を金で買った”と揶揄し、”本物の貴族ではない”と陰口をたたいているらしい。
「それにしても最低な家族だわ! 好きになったらくっつきたいだなんて破廉恥な! 順番を間違えてもいいですって? アデレイドを軽薄な貴族たちと同じだとでも思っているの? フォールコン侯爵家の娘ですよ!」
「まったく同感だが、ものは考えようだ」
座席にもたれて侯爵が息を吐く。
「ヒルト子爵家の嫡男が順番を間違えれば、その責任を取らせるだけ。アデレイドとの結婚は確実になる」
「え? どういうことですか? 子爵家とは正式に婚約しているでしょう」
驚いた表情で夫人が侯爵を見た。
「それが、騎士団の知り合いから聞いたんだが、ヒルト子爵家の嫡男は、政略ではなく恋愛してから結婚したいと言っているそうだ。子爵家は良くも悪くも庶民的だから、息子の意思に従うだろう」
「なんですって! 貴族になりたての頃に、我が家とのつながりができたからこそ、社交界で体面を保っていられるくせに、いまさら何を言うの?」
「だが、この十年でヒルト子爵家は、ほかの貴族とのつながりも増えて力をつけてきた。平民の頃から裕福だったが、今では国内でも有数の資産家になっているし、正式に婚約していても、結納を交わしていないのだから、息子が嫌がれば破談になる可能性もある」
結納を交わした後に破談になれば慰謝料が発生するが、今の状態では、話し合いだけで簡単に婚約破棄できるそうだ。
「子爵家ごときが侯爵家を馬鹿にするような真似は許されないわ!」
ヒステリックに叫ぶ侯爵夫人の前で、侯爵はなだめるように手を振る。
「落ち着け。だから、子爵家の嫡男にはアデレイドに手を出してもらうほうがいいんだ」
「そんな! 結婚する前にアデレイドが傷物になったら、侯爵家の恥ですよ!」
なおも言い募る夫人を無視して、侯爵はハイジに顔を向けた。
「わかっているな、アデレイド。婚約解消などという不名誉な傷をつけられるより、傷物になってでも子爵家に嫁ぐほうがフォールコン侯爵家のためなんだ。あいつに誘われれば、どこへでもついていけ」
ヒルト子爵家のほうがフォールコン侯爵家よりはるかにお金持ちだということは、今日、訪れたことで、ハイジにも容易にわかる。おそらく侯爵夫妻は、子爵家の財産目当てでアデレイドをジェフリーと婚約させたのだろう。そうでなければ厳格そうな彼らが、子爵家の急な招待をうけたり、ぞんざいにも聞こえる彼らの口調に直接文句を言わなかったりと、格下の貴族にそこまで気を遣うわけがない。
そして、実の孫に”家のために身を売れ”とでもいうような侯爵の言葉に、ハイジは愕然とした。
車が屋敷につき、ハイジが離れへ向かおうとすると、侯爵が「どこへ行くんだ?」と厳しい声をかける。
「もうすぐ夕食の時間だから、さっさと自分の部屋に戻りなさい」
そういって待っているかのようにその場にとどまっているので、ハイジは仕方なく侯爵夫妻と一緒に屋敷の中に入った。
階段の裏にエレベーターがあるようで、それで二階へ連れていかれ、ハイジはエレベーターから降りる。夫妻の部屋は三階にあるようなので、エレベーターの扉が閉まったのを確認してから急いで階段を下りていく。
離れに行くと部屋の電気が付いていて、ワンピースを着たアデレイドが書斎で待っていた。
「ヒルト子爵家へ行っていたんですって? ギーゼラに聞いてびっくりしたわ」
いじっていた携帯電話を閉じて、ソファーから立ち上がる。
「ほとんど会ったことがない子爵夫妻はともかく、おじい様たちにもばれなかったの? ハイジも私のふりがうまくなったのね」
アデレイドは、くすくすと笑う。
「子爵家に行った感想は明日にでも聞くわ。すぐに戻らないと怒られるし、早く着替えましょう」
ハイジも早くアデレイドの身代わりから解放されたい。クローゼットの中からお仕着せを出して着替え、脱いだドレスを彼女に渡した。
翌日、学院から帰ってきたアデレイドが、ヒルト子爵家での様子を尋ねてくる。
「で? 私の代わりに行ったヒルト子爵家の印象はどうだった?」
「……とても快活で親しみやすそうなご家庭ですね」
言葉を選んでハイジが答えると、アデレイドが噴き出す。
「快活で親しみやすい? 物は言いようね。うるさくてなれなれしい人たちだと、社交界では言われているわ。嫡男は騎士として出世したようだけど、子供の頃は暴れまわっていたずらばかりするような乱暴者だったし」
「一緒にお庭を駆け回っていたとお伺いしましたが」
「蛇の皮を持ったまま近づいてくるから、私は逃げていただけよ」
アデレイドは肩をすくめて言った。
初めて会った時、ジェフリーはきれいな状態で脱皮した蛇の皮を庭で見つけて、それをポケットに入れたままアデレイドと遊ぼうとしたらしい。気味が悪くてアデレイドが逃げているうちに追いかけっこになって、それが彼には”一緒に駆け回って遊んだ”記憶になったようだ。
「お嬢様がヒルト子爵家のジェフリー様と婚約されていらっしゃるとは知りませんでした。ジェフリー様は恋愛結婚をお望みのようだと侯爵ご夫妻から伺いましたが?」
ハイジも結婚は好きな人としたいと思っている。アデレイドと同じくフォールコン侯爵家に生まれたのに、五分の違いでつけられた格差を嘆いていたが、そのおかげでハイジは自由な恋愛ができるのだ。そう考えると、ハイジはアデレイドが少しかわいそうに思えた。
「そう。だったら、そのジェフリー様と恋愛しなくちゃね。結婚するのは決まっているのに、面倒くさい男ね」
「え?」
強要されていると思っていた政略的な婚約を、アデレイドがすんなり受け入れていることに驚く。
「デニス様とのおつきあいはどうなさるおつもりですか?」
ハイジが尋ねると、彼女は「別に、どうもしないわ」とそっぽを向いた。
「学生の頃のお付き合いなんて、卒業したらそれで終わりでしょう。私は、由緒正しいフォールコン侯爵家の長女よ。政略結婚は当たり前。貴族にとって、恋愛と結婚は別ものなのよ」
振り返ってにんまりと笑うアデレイドを見て、ハイジは、彼女の心配をしたことを後悔する。
侯爵家の娘としての気位が高い彼女にとって、デニスとの付き合いは軽い火遊びのようなもので、結婚して多少身分が下がっても平民にはなりたくないのだろう。そう思うと、ハイジはデニスに同情する。
(アデレイドは彼のことを都合のいいように利用しているだけなのね)
アデレイドのためなら何でもすると言っていたデニスが哀れだ。ハイジはますます彼女のことが嫌いになっていった。
「本当になんて下品な一家かしら! アデレイドもアデレイドよ。私が止めたのに、庶民も同然の子爵家で出されたものを食べるなんて!」
格下とはいえヒルト子爵家はれっきとした貴族だ。それなのに、侯爵夫人が”庶民も同然”などということに、ハイジはびっくりした。
黙って聞いていると、夫人が”成り上がりのくせに”と言い出し、ハイジは、ヒルト子爵家が貴族になったのは十年ほど前のことだと知る。
フォールコン侯爵家とは別方向の王都の郊外に、肥沃な田畑と広大な牧草地を持つ子爵家は、もとは酪農も兼ねているただの農民だったという。十二年前の自然災害で王都をはじめ国内の大部分が被害にあった時、飼育している牛や馬、豊富に備蓄していた農産物を惜しみなく提供し、莫大な支援金や義援金を寄付したらしい。そのおかげで復興が早く進み、王都が安定したころに功績をたたえて叙爵されたようだ。
しかしフォールコン侯爵家や由緒ある貴族は、”ヒルト子爵家は爵位を金で買った”と揶揄し、”本物の貴族ではない”と陰口をたたいているらしい。
「それにしても最低な家族だわ! 好きになったらくっつきたいだなんて破廉恥な! 順番を間違えてもいいですって? アデレイドを軽薄な貴族たちと同じだとでも思っているの? フォールコン侯爵家の娘ですよ!」
「まったく同感だが、ものは考えようだ」
座席にもたれて侯爵が息を吐く。
「ヒルト子爵家の嫡男が順番を間違えれば、その責任を取らせるだけ。アデレイドとの結婚は確実になる」
「え? どういうことですか? 子爵家とは正式に婚約しているでしょう」
驚いた表情で夫人が侯爵を見た。
「それが、騎士団の知り合いから聞いたんだが、ヒルト子爵家の嫡男は、政略ではなく恋愛してから結婚したいと言っているそうだ。子爵家は良くも悪くも庶民的だから、息子の意思に従うだろう」
「なんですって! 貴族になりたての頃に、我が家とのつながりができたからこそ、社交界で体面を保っていられるくせに、いまさら何を言うの?」
「だが、この十年でヒルト子爵家は、ほかの貴族とのつながりも増えて力をつけてきた。平民の頃から裕福だったが、今では国内でも有数の資産家になっているし、正式に婚約していても、結納を交わしていないのだから、息子が嫌がれば破談になる可能性もある」
結納を交わした後に破談になれば慰謝料が発生するが、今の状態では、話し合いだけで簡単に婚約破棄できるそうだ。
「子爵家ごときが侯爵家を馬鹿にするような真似は許されないわ!」
ヒステリックに叫ぶ侯爵夫人の前で、侯爵はなだめるように手を振る。
「落ち着け。だから、子爵家の嫡男にはアデレイドに手を出してもらうほうがいいんだ」
「そんな! 結婚する前にアデレイドが傷物になったら、侯爵家の恥ですよ!」
なおも言い募る夫人を無視して、侯爵はハイジに顔を向けた。
「わかっているな、アデレイド。婚約解消などという不名誉な傷をつけられるより、傷物になってでも子爵家に嫁ぐほうがフォールコン侯爵家のためなんだ。あいつに誘われれば、どこへでもついていけ」
ヒルト子爵家のほうがフォールコン侯爵家よりはるかにお金持ちだということは、今日、訪れたことで、ハイジにも容易にわかる。おそらく侯爵夫妻は、子爵家の財産目当てでアデレイドをジェフリーと婚約させたのだろう。そうでなければ厳格そうな彼らが、子爵家の急な招待をうけたり、ぞんざいにも聞こえる彼らの口調に直接文句を言わなかったりと、格下の貴族にそこまで気を遣うわけがない。
そして、実の孫に”家のために身を売れ”とでもいうような侯爵の言葉に、ハイジは愕然とした。
車が屋敷につき、ハイジが離れへ向かおうとすると、侯爵が「どこへ行くんだ?」と厳しい声をかける。
「もうすぐ夕食の時間だから、さっさと自分の部屋に戻りなさい」
そういって待っているかのようにその場にとどまっているので、ハイジは仕方なく侯爵夫妻と一緒に屋敷の中に入った。
階段の裏にエレベーターがあるようで、それで二階へ連れていかれ、ハイジはエレベーターから降りる。夫妻の部屋は三階にあるようなので、エレベーターの扉が閉まったのを確認してから急いで階段を下りていく。
離れに行くと部屋の電気が付いていて、ワンピースを着たアデレイドが書斎で待っていた。
「ヒルト子爵家へ行っていたんですって? ギーゼラに聞いてびっくりしたわ」
いじっていた携帯電話を閉じて、ソファーから立ち上がる。
「ほとんど会ったことがない子爵夫妻はともかく、おじい様たちにもばれなかったの? ハイジも私のふりがうまくなったのね」
アデレイドは、くすくすと笑う。
「子爵家に行った感想は明日にでも聞くわ。すぐに戻らないと怒られるし、早く着替えましょう」
ハイジも早くアデレイドの身代わりから解放されたい。クローゼットの中からお仕着せを出して着替え、脱いだドレスを彼女に渡した。
翌日、学院から帰ってきたアデレイドが、ヒルト子爵家での様子を尋ねてくる。
「で? 私の代わりに行ったヒルト子爵家の印象はどうだった?」
「……とても快活で親しみやすそうなご家庭ですね」
言葉を選んでハイジが答えると、アデレイドが噴き出す。
「快活で親しみやすい? 物は言いようね。うるさくてなれなれしい人たちだと、社交界では言われているわ。嫡男は騎士として出世したようだけど、子供の頃は暴れまわっていたずらばかりするような乱暴者だったし」
「一緒にお庭を駆け回っていたとお伺いしましたが」
「蛇の皮を持ったまま近づいてくるから、私は逃げていただけよ」
アデレイドは肩をすくめて言った。
初めて会った時、ジェフリーはきれいな状態で脱皮した蛇の皮を庭で見つけて、それをポケットに入れたままアデレイドと遊ぼうとしたらしい。気味が悪くてアデレイドが逃げているうちに追いかけっこになって、それが彼には”一緒に駆け回って遊んだ”記憶になったようだ。
「お嬢様がヒルト子爵家のジェフリー様と婚約されていらっしゃるとは知りませんでした。ジェフリー様は恋愛結婚をお望みのようだと侯爵ご夫妻から伺いましたが?」
ハイジも結婚は好きな人としたいと思っている。アデレイドと同じくフォールコン侯爵家に生まれたのに、五分の違いでつけられた格差を嘆いていたが、そのおかげでハイジは自由な恋愛ができるのだ。そう考えると、ハイジはアデレイドが少しかわいそうに思えた。
「そう。だったら、そのジェフリー様と恋愛しなくちゃね。結婚するのは決まっているのに、面倒くさい男ね」
「え?」
強要されていると思っていた政略的な婚約を、アデレイドがすんなり受け入れていることに驚く。
「デニス様とのおつきあいはどうなさるおつもりですか?」
ハイジが尋ねると、彼女は「別に、どうもしないわ」とそっぽを向いた。
「学生の頃のお付き合いなんて、卒業したらそれで終わりでしょう。私は、由緒正しいフォールコン侯爵家の長女よ。政略結婚は当たり前。貴族にとって、恋愛と結婚は別ものなのよ」
振り返ってにんまりと笑うアデレイドを見て、ハイジは、彼女の心配をしたことを後悔する。
侯爵家の娘としての気位が高い彼女にとって、デニスとの付き合いは軽い火遊びのようなもので、結婚して多少身分が下がっても平民にはなりたくないのだろう。そう思うと、ハイジはデニスに同情する。
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