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23.影と光の末路
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ジェフリーと暮らすようになって数か月後、王都の一流ホテルでハイジたちの結婚披露宴が開かれた。
白いローブデコルテに身を包み、専用の控室で待機しているハイジのもとに、侯爵夫妻がやってくる。
「アデレイド、元気にしていた?」
にこにことしている侯爵夫人の後ろに親子のような男性が二人ついてきていた。
「しばらく見ないうちに見違えるようだな、アデレイド」
中年の男性がそう声をかけ、若い青年のほうは、じろじろとハイジのドレスや身に着けているアクセサリー類を見回し、「やっぱり子爵家は潤っているんだな。どれもこれも贅沢なものだ」とつぶやく。どうやら父親と兄のワイアットのようで、二人ともハイジだと気が付いていないようだ。
初めて会う父と兄に、ハイジはいい印象が持てなかった。
「あとは開宴を待つだけでしょう。それなら家族だけにしていただけないかしら?」
すでに準備が整っているのを見て、侯爵夫人が、ハイジに付き従っているメイドたちに席を外すようにいう。侍女頭でもあるカーター夫人がハイジをうかがうように見るので、言うとおりにするように目配せをした。
「では、部屋の外におりますので、何かありましたらお声をかけてください」
カーター夫人はそういうと、メイドたちを連れて廊下へ出ていった。部屋の中では侯爵一家だけになり、ハイジは気になっているアデレイドのことを侯爵夫妻に聞いてみる。
「あの子は、どうなりました?」
「あの子?」
侯爵と顔を見合わせて、誰のことかわからないというように侯爵夫人が首を傾げた。
「私の双子の姉妹のことです」
すると、侯爵は露骨に顔をしかめ、侯爵夫人が「しっ!」と人差し指で口を押える。
「そんな子がいたなんて、誰にも知られてはいけないのよ。忌み子は、その日のうちにたたき出したわ!」
ハイジが子爵家へ行った後、ギーゼラがアデレイドを着の身着のままで追いだしたという。
「ええ? あいつを最近まで、屋敷に置いていたのか?」
父親が呆れたように言い、ワイアットは興味なさそうな顔をしているところを見ると、二人ともハイジの存在を知っていて、無視していたようだ。
「ハイジもフォールコン侯爵家の血を引いているのでしょう。心配ではないのですか?」
万が一にも、侯爵家の誰かが少しでも気にかけていてくれたらと、ハイジがかすかな希望を持って聞いてみたが、侯爵は冷たく言い放つ。
「小娘が一人、どこで野たれ死んでいようとも、我が家に関係はない」
「血がつながっていても、あいつはフォールコン侯爵家の娘ではないしな」
父親が明言すれば、ワイアットまでもが「アデレイドの片割れなんか、どうでもいいよ」と言う。
ハイジのことを家族だとは思ってくれる人は、フォールコン侯爵家にはいないようだ。
「そんなことより、父上。先月からヒルト子爵家の送金がないのですが、どういうことかご存じですか?」
父親が、自分の娘のことなのに”そんなこと”で片付けて話題を変えるので、ハイジは侯爵家の者全員に失望した。
「子爵家からの援助は、嫡男がアデレイドと結婚するまでだと契約書に書いてあっただろう? 結納金をもらったあと婚姻の証明書を提出して、先月に国王陛下から認可が下ったのだから、送金が終了するのは当たり前じゃないか」
侯爵が驚いたよう言い、侯爵夫人も戸惑ったように父親に聞く。
「今までの送金をためて、もう領地を買い戻せたんじゃないの?」
ハイジはその時初めて、贅沢三昧に暮らしていた侯爵家の生活が、実は子爵家から毎月振り込まれている多額の援助金で賄っているのだと知った。
創業当時は順調だったフォールコン侯爵の事業は数年で右肩下がりになり、ヒルト子爵家と縁をつなぐまで領地を切り売りしながら体面を保っていたらしい。
子爵家との縁談も、貴族になったばかりで何も知らない子爵夫妻に”未来の花嫁の養育費は婚家が負担するべきだ”といいくるめて、援助金の誓約書を交わしたそうだ。そして侯爵は、その養育費のお金で売り払った領地を買い戻すように父親に言っていたという。
だが、父親は契約のことなど知らされていなかったようだ。
「それなら、契約書の写しでも渡しておいてくださいよ! それにあの程度の金では、もう領地を取り戻すのは無理です」
売った当初と同額なら買い戻せていたかもしれないが、今は土地の値段が上がっている。援助金をためていても、生活の見直しなどしなかったようで、ワイアットを海外留学させたり、アデレイドをソーンダーズ学院へ入れたり、高額な学費にもお金を使い、領地のほとんどが戻っていないらしい。半分になってしまった領地では、今後の生活は維持できないという。
「アデレイド、子爵家にこれからも送金するようにお前から頼め」
父親がハイジに詰め寄って言うが、彼女にその気はない。
「子爵夫妻からは、独立されているジェフリー様には援助も干渉もしないと言われております」
ハイジから頼むことはできないと断ると、父親は「それなら、夫のほうに”妻の実家を支えろ”と言えばいいだろう」と、さらに言う。
「そうだ。子爵家の嫡男は、王宮の近衛騎士なんだから、年俸は高いはずだ。今までの半分でもいいから援助させろ」
ワイアットまでもが図々しくいった。彼は海外留学を修めた後、領地の手伝いをしているそうだが、辺境の田舎にいるより都会で定職について仕送りするようにすれば、少しは侯爵家の助けになると思うのに、おそらく大した仕事もせず遊び歩いているのだろう。
結婚して、家政を任されるようになったのだから、ハイジは管理からジェフリーの家の収支を教えてもらっている。彼の収入は確かに高額で、屋敷の維持管理費はもとより子爵家から派遣される召使いたちの給与を支払っていても、貴族としての体面を十分保っていた。今まで子爵夫妻が送金していた金額の半分くらいなら、無理をすれば援助も可能だが、ハイジにとってフォールコン侯爵家は助ける価値も義理もない。
「フォールコン侯爵家の領地の収入に見合った生活をなさるようにされたらいかがですか? それでも援助が欲しいのなら、ご自分で子爵夫妻かジェフリー様に頭を下げて頼んでください」
半分売り払っていても、まだ領地は残っているのだから、贅沢をやめて節約すればいいだけのことだ。ハイジがそうというと、父親は顔を真っ赤にする。
「由緒正しいフォールコン侯爵家の次期当主でもある私が、平民上がりのヒルト子爵家に下でに出られるわけがないだろう! 何のためにお前を格下貴族に嫁がせたと思っている!」
侯爵家が子爵家の資産目当てなのは、ハイジにもわかっていたが、黙って冷笑を浮かべていると、侯爵夫人が間に入った。
「少し、落ち着きなさい」
激昂している父親をなだめながら、侯爵夫人はハイジを見る。
「アデレイド。結婚してもフォールコン侯爵家の娘であることを忘れないようにって、言っておいたでしょう。侯爵家のために、あなたから子爵家に言いなさい」
侯爵夫人の言い分に、フォールコン侯爵もワイアットも同意するようにうなずいていた。侯爵家の人たちは、困っているのは自分たちなのに、下のものに頭を下げたくないから、嫁いで格下になったハイジに援助を頼めと言っているのだ。
「あら、血はつながっていても、私はフォールコン侯爵家の娘ではないのではなかったかしら」
ハイジがくすりと笑っていうと、侯爵家のみんながきょとんとして顔を見合わせた。
「何を言っているんだ?」
父親がいぶかし気な顔をした時、ドアがノックされる。
「ジェフリー様がお迎えにいらっしゃいました」
ドア越しにカーター夫人が声をかけるので、ハイジは「どうぞ」と答えた。
ジェフリーが入ってくると聞いて、父親があわてて彼女に耳打ちする。
「いいな、アデレイド。結婚したからと言って、うちとの縁が切れたわけではない! ちゃんと夫に援助を頼むんだぞ」
「自分から私との縁を切った人たちを助けるつもりはありません」
父親にぴしゃりといった後、ハイジは何食わぬ顔をしてジェフリーを出迎える。ドアを開けてジェフリーが入ってきたので、父親もそれ以上は言えなかったようだ。
ジェフリーが、満面の笑みでハイジに近づいてくる。
「ハイジ!」
彼の呼びかけを聞いて、侯爵家の人々に緊張が走ったのを背後に感じたが、ハイジは気が付かないふりをした。
「なんで、その名前を?」
不思議そうにつぶやくワイアットの声が聞こえたのか、ジェフリーが首をかしげた。ハイジは、初対面の父親と兄をジェフリーに紹介した後、にこやかに言う。
「侯爵家で私をハイジと呼ぶのは、召使だけだったんです」
「え? 愛称なのに家族が呼ばないで、召使が呼んでいたのか?」
驚くジェフリーに、ハイジは「召使たちとは家族のように仲が良かったから」とごまかす。
「血のつながった家族は、正式名でしか呼びたくなかったみたい。私は、”ハイジ”と呼んでほしかったのに」
ハイジが悲しそうに言うと、ジェフリーが慰めるように彼女の肩を抱く。
「これからは俺がずっとハイジと呼ぶよ」
こっそり侯爵家の人々を見ると、みんなの顔色が変わっている。侯爵夫妻も父も兄も、ようやくハイジがアデレイドではないと気がついたようだ。
「お、お前は、まさか……」
震える声で確かめようとする父親の言葉を、ハイジはさえぎる。
「そろそろ開宴時間ですか?」
ジェフリーに聞くと、彼は「ああ」とうなずいた。
「だけど、積もる話がまだあるようなら、披露宴が終わった後でまた家族と会ってくれていいよ」
気遣ってくれるジェフリーに、ハイジは「いいえ」と首を振る。
「もう話は終っています。昔の習わしにしたがって、”嫁いだ後は実家はないものと思え”と家族とは絶縁しました」
「絶縁?」
穏やかではないと、ジェフリーは目を丸くした。
「安心してください。別家庭を持ったのだから、お互いに頼ることのないようにという、ヒルト子爵夫妻と同じ考えです」
ハイジがにっこり微笑むと、彼は「そういうことかと」ほっとしたようだが、侯爵家の家の人々には、本当に絶縁したとわかっているだろう。
「俺は、フォールコン侯爵家に頼ることなく、ハイジを幸せにします」
ジェフリーが誓うようにいい、ハイジは侯爵家の人たちに、さりげなくくぎを刺す。
「貴族は、格上が格下を助けるものですから、由緒正しいフォールコン侯爵家が、私たちを頼ってくることなどないと思いますわ」
プライドの高い彼らは、これで子爵家に援助を申し込みにくくなったことだろう。侯爵夫妻も父も兄も、子爵家に嫁がせた娘が、”忌み子”と散々さげすんだハイジだとわかって、何も言えなくなったようだ。
披露宴で、彼らは終始沈鬱な顔をしていた。だがそれは、子爵家の人々や招待客には、大事な一人娘を嫁がせた寂しさに見えたようで、みんなが気遣ってそっとしていた。
それから半年後、子爵夫妻に夕食に誘われてジェフリーと本邸のほうへ行くと、子爵が侯爵家の近況を教えてくれる。
「フォールコン侯爵が、王都の屋敷を売って領地に帰るそうだ。事業もたたんだと聞いたが、もしかして資業績が悪かったのだろうか?」
利益などほとんどなかったらしいから、多分倒産したのだろうとハイジは思ったが、困ったことがあれば相談に乗ると言っていた子爵に、侯爵家の実情を伝えれば、援助すると言い出しそうだ。
「いいえ。祖父も年ですし、引退しただけです。領地の田舎でのんびりするつもりなんだと思います」
「そうか。それならいいが、フォールコン侯爵夫妻が遠くへ行ってしまって、ハイジも寂しくなるな」
ハイジが家族と絶縁したことは子爵夫妻も知っている。たとえ絶縁していても、同じ王都に住んでいれば会う機会もあるのにと、辺境の領地へ帰ったことを気にしてくれているようだ。
「いいえ、ジェフリーさまと一緒ですし、お義父さまお義母さまが近くにいらっしゃいますから、寂しくはありません」
ハイジがいうと、子爵夫人が肩をすくめる。
「”嫁いだら実家はないものと思え”なんて、由緒正しい貴族は、習わしが厳しいのね。うちは歴史なんかない平民上がりだから、干渉したくないけれど、近くに住んでほしいよ」
「私も、ヒルト子爵家に嫁げて幸せです」
にっこり笑うハイジに、ジェフリーが「我慢しなくても、会いたくなったら俺に言えよ」と言う。
「今時、古い慣習を守っている貴族も少なくなってきているんだから、俺がいつでもフォールコン侯爵家の領地に連れていってやる」
優しい彼は、いつもハイジを思いやってくる。それすごくありがたくて嬉しいのだが、フォールコン侯爵家に関しては、有難迷惑でしかない。
「ありがとうございます。ジェフリー様」
表面上はにこやかに微笑んで言うが、ハイジは、もう二度と侯爵家の人たちには会いたくないと思っていた。
おそらく、”フォールコン侯爵家の領地に行きたい”などと、彼に言うことはないだろう。
白いローブデコルテに身を包み、専用の控室で待機しているハイジのもとに、侯爵夫妻がやってくる。
「アデレイド、元気にしていた?」
にこにことしている侯爵夫人の後ろに親子のような男性が二人ついてきていた。
「しばらく見ないうちに見違えるようだな、アデレイド」
中年の男性がそう声をかけ、若い青年のほうは、じろじろとハイジのドレスや身に着けているアクセサリー類を見回し、「やっぱり子爵家は潤っているんだな。どれもこれも贅沢なものだ」とつぶやく。どうやら父親と兄のワイアットのようで、二人ともハイジだと気が付いていないようだ。
初めて会う父と兄に、ハイジはいい印象が持てなかった。
「あとは開宴を待つだけでしょう。それなら家族だけにしていただけないかしら?」
すでに準備が整っているのを見て、侯爵夫人が、ハイジに付き従っているメイドたちに席を外すようにいう。侍女頭でもあるカーター夫人がハイジをうかがうように見るので、言うとおりにするように目配せをした。
「では、部屋の外におりますので、何かありましたらお声をかけてください」
カーター夫人はそういうと、メイドたちを連れて廊下へ出ていった。部屋の中では侯爵一家だけになり、ハイジは気になっているアデレイドのことを侯爵夫妻に聞いてみる。
「あの子は、どうなりました?」
「あの子?」
侯爵と顔を見合わせて、誰のことかわからないというように侯爵夫人が首を傾げた。
「私の双子の姉妹のことです」
すると、侯爵は露骨に顔をしかめ、侯爵夫人が「しっ!」と人差し指で口を押える。
「そんな子がいたなんて、誰にも知られてはいけないのよ。忌み子は、その日のうちにたたき出したわ!」
ハイジが子爵家へ行った後、ギーゼラがアデレイドを着の身着のままで追いだしたという。
「ええ? あいつを最近まで、屋敷に置いていたのか?」
父親が呆れたように言い、ワイアットは興味なさそうな顔をしているところを見ると、二人ともハイジの存在を知っていて、無視していたようだ。
「ハイジもフォールコン侯爵家の血を引いているのでしょう。心配ではないのですか?」
万が一にも、侯爵家の誰かが少しでも気にかけていてくれたらと、ハイジがかすかな希望を持って聞いてみたが、侯爵は冷たく言い放つ。
「小娘が一人、どこで野たれ死んでいようとも、我が家に関係はない」
「血がつながっていても、あいつはフォールコン侯爵家の娘ではないしな」
父親が明言すれば、ワイアットまでもが「アデレイドの片割れなんか、どうでもいいよ」と言う。
ハイジのことを家族だとは思ってくれる人は、フォールコン侯爵家にはいないようだ。
「そんなことより、父上。先月からヒルト子爵家の送金がないのですが、どういうことかご存じですか?」
父親が、自分の娘のことなのに”そんなこと”で片付けて話題を変えるので、ハイジは侯爵家の者全員に失望した。
「子爵家からの援助は、嫡男がアデレイドと結婚するまでだと契約書に書いてあっただろう? 結納金をもらったあと婚姻の証明書を提出して、先月に国王陛下から認可が下ったのだから、送金が終了するのは当たり前じゃないか」
侯爵が驚いたよう言い、侯爵夫人も戸惑ったように父親に聞く。
「今までの送金をためて、もう領地を買い戻せたんじゃないの?」
ハイジはその時初めて、贅沢三昧に暮らしていた侯爵家の生活が、実は子爵家から毎月振り込まれている多額の援助金で賄っているのだと知った。
創業当時は順調だったフォールコン侯爵の事業は数年で右肩下がりになり、ヒルト子爵家と縁をつなぐまで領地を切り売りしながら体面を保っていたらしい。
子爵家との縁談も、貴族になったばかりで何も知らない子爵夫妻に”未来の花嫁の養育費は婚家が負担するべきだ”といいくるめて、援助金の誓約書を交わしたそうだ。そして侯爵は、その養育費のお金で売り払った領地を買い戻すように父親に言っていたという。
だが、父親は契約のことなど知らされていなかったようだ。
「それなら、契約書の写しでも渡しておいてくださいよ! それにあの程度の金では、もう領地を取り戻すのは無理です」
売った当初と同額なら買い戻せていたかもしれないが、今は土地の値段が上がっている。援助金をためていても、生活の見直しなどしなかったようで、ワイアットを海外留学させたり、アデレイドをソーンダーズ学院へ入れたり、高額な学費にもお金を使い、領地のほとんどが戻っていないらしい。半分になってしまった領地では、今後の生活は維持できないという。
「アデレイド、子爵家にこれからも送金するようにお前から頼め」
父親がハイジに詰め寄って言うが、彼女にその気はない。
「子爵夫妻からは、独立されているジェフリー様には援助も干渉もしないと言われております」
ハイジから頼むことはできないと断ると、父親は「それなら、夫のほうに”妻の実家を支えろ”と言えばいいだろう」と、さらに言う。
「そうだ。子爵家の嫡男は、王宮の近衛騎士なんだから、年俸は高いはずだ。今までの半分でもいいから援助させろ」
ワイアットまでもが図々しくいった。彼は海外留学を修めた後、領地の手伝いをしているそうだが、辺境の田舎にいるより都会で定職について仕送りするようにすれば、少しは侯爵家の助けになると思うのに、おそらく大した仕事もせず遊び歩いているのだろう。
結婚して、家政を任されるようになったのだから、ハイジは管理からジェフリーの家の収支を教えてもらっている。彼の収入は確かに高額で、屋敷の維持管理費はもとより子爵家から派遣される召使いたちの給与を支払っていても、貴族としての体面を十分保っていた。今まで子爵夫妻が送金していた金額の半分くらいなら、無理をすれば援助も可能だが、ハイジにとってフォールコン侯爵家は助ける価値も義理もない。
「フォールコン侯爵家の領地の収入に見合った生活をなさるようにされたらいかがですか? それでも援助が欲しいのなら、ご自分で子爵夫妻かジェフリー様に頭を下げて頼んでください」
半分売り払っていても、まだ領地は残っているのだから、贅沢をやめて節約すればいいだけのことだ。ハイジがそうというと、父親は顔を真っ赤にする。
「由緒正しいフォールコン侯爵家の次期当主でもある私が、平民上がりのヒルト子爵家に下でに出られるわけがないだろう! 何のためにお前を格下貴族に嫁がせたと思っている!」
侯爵家が子爵家の資産目当てなのは、ハイジにもわかっていたが、黙って冷笑を浮かべていると、侯爵夫人が間に入った。
「少し、落ち着きなさい」
激昂している父親をなだめながら、侯爵夫人はハイジを見る。
「アデレイド。結婚してもフォールコン侯爵家の娘であることを忘れないようにって、言っておいたでしょう。侯爵家のために、あなたから子爵家に言いなさい」
侯爵夫人の言い分に、フォールコン侯爵もワイアットも同意するようにうなずいていた。侯爵家の人たちは、困っているのは自分たちなのに、下のものに頭を下げたくないから、嫁いで格下になったハイジに援助を頼めと言っているのだ。
「あら、血はつながっていても、私はフォールコン侯爵家の娘ではないのではなかったかしら」
ハイジがくすりと笑っていうと、侯爵家のみんながきょとんとして顔を見合わせた。
「何を言っているんだ?」
父親がいぶかし気な顔をした時、ドアがノックされる。
「ジェフリー様がお迎えにいらっしゃいました」
ドア越しにカーター夫人が声をかけるので、ハイジは「どうぞ」と答えた。
ジェフリーが入ってくると聞いて、父親があわてて彼女に耳打ちする。
「いいな、アデレイド。結婚したからと言って、うちとの縁が切れたわけではない! ちゃんと夫に援助を頼むんだぞ」
「自分から私との縁を切った人たちを助けるつもりはありません」
父親にぴしゃりといった後、ハイジは何食わぬ顔をしてジェフリーを出迎える。ドアを開けてジェフリーが入ってきたので、父親もそれ以上は言えなかったようだ。
ジェフリーが、満面の笑みでハイジに近づいてくる。
「ハイジ!」
彼の呼びかけを聞いて、侯爵家の人々に緊張が走ったのを背後に感じたが、ハイジは気が付かないふりをした。
「なんで、その名前を?」
不思議そうにつぶやくワイアットの声が聞こえたのか、ジェフリーが首をかしげた。ハイジは、初対面の父親と兄をジェフリーに紹介した後、にこやかに言う。
「侯爵家で私をハイジと呼ぶのは、召使だけだったんです」
「え? 愛称なのに家族が呼ばないで、召使が呼んでいたのか?」
驚くジェフリーに、ハイジは「召使たちとは家族のように仲が良かったから」とごまかす。
「血のつながった家族は、正式名でしか呼びたくなかったみたい。私は、”ハイジ”と呼んでほしかったのに」
ハイジが悲しそうに言うと、ジェフリーが慰めるように彼女の肩を抱く。
「これからは俺がずっとハイジと呼ぶよ」
こっそり侯爵家の人々を見ると、みんなの顔色が変わっている。侯爵夫妻も父も兄も、ようやくハイジがアデレイドではないと気がついたようだ。
「お、お前は、まさか……」
震える声で確かめようとする父親の言葉を、ハイジはさえぎる。
「そろそろ開宴時間ですか?」
ジェフリーに聞くと、彼は「ああ」とうなずいた。
「だけど、積もる話がまだあるようなら、披露宴が終わった後でまた家族と会ってくれていいよ」
気遣ってくれるジェフリーに、ハイジは「いいえ」と首を振る。
「もう話は終っています。昔の習わしにしたがって、”嫁いだ後は実家はないものと思え”と家族とは絶縁しました」
「絶縁?」
穏やかではないと、ジェフリーは目を丸くした。
「安心してください。別家庭を持ったのだから、お互いに頼ることのないようにという、ヒルト子爵夫妻と同じ考えです」
ハイジがにっこり微笑むと、彼は「そういうことかと」ほっとしたようだが、侯爵家の家の人々には、本当に絶縁したとわかっているだろう。
「俺は、フォールコン侯爵家に頼ることなく、ハイジを幸せにします」
ジェフリーが誓うようにいい、ハイジは侯爵家の人たちに、さりげなくくぎを刺す。
「貴族は、格上が格下を助けるものですから、由緒正しいフォールコン侯爵家が、私たちを頼ってくることなどないと思いますわ」
プライドの高い彼らは、これで子爵家に援助を申し込みにくくなったことだろう。侯爵夫妻も父も兄も、子爵家に嫁がせた娘が、”忌み子”と散々さげすんだハイジだとわかって、何も言えなくなったようだ。
披露宴で、彼らは終始沈鬱な顔をしていた。だがそれは、子爵家の人々や招待客には、大事な一人娘を嫁がせた寂しさに見えたようで、みんなが気遣ってそっとしていた。
それから半年後、子爵夫妻に夕食に誘われてジェフリーと本邸のほうへ行くと、子爵が侯爵家の近況を教えてくれる。
「フォールコン侯爵が、王都の屋敷を売って領地に帰るそうだ。事業もたたんだと聞いたが、もしかして資業績が悪かったのだろうか?」
利益などほとんどなかったらしいから、多分倒産したのだろうとハイジは思ったが、困ったことがあれば相談に乗ると言っていた子爵に、侯爵家の実情を伝えれば、援助すると言い出しそうだ。
「いいえ。祖父も年ですし、引退しただけです。領地の田舎でのんびりするつもりなんだと思います」
「そうか。それならいいが、フォールコン侯爵夫妻が遠くへ行ってしまって、ハイジも寂しくなるな」
ハイジが家族と絶縁したことは子爵夫妻も知っている。たとえ絶縁していても、同じ王都に住んでいれば会う機会もあるのにと、辺境の領地へ帰ったことを気にしてくれているようだ。
「いいえ、ジェフリーさまと一緒ですし、お義父さまお義母さまが近くにいらっしゃいますから、寂しくはありません」
ハイジがいうと、子爵夫人が肩をすくめる。
「”嫁いだら実家はないものと思え”なんて、由緒正しい貴族は、習わしが厳しいのね。うちは歴史なんかない平民上がりだから、干渉したくないけれど、近くに住んでほしいよ」
「私も、ヒルト子爵家に嫁げて幸せです」
にっこり笑うハイジに、ジェフリーが「我慢しなくても、会いたくなったら俺に言えよ」と言う。
「今時、古い慣習を守っている貴族も少なくなってきているんだから、俺がいつでもフォールコン侯爵家の領地に連れていってやる」
優しい彼は、いつもハイジを思いやってくる。それすごくありがたくて嬉しいのだが、フォールコン侯爵家に関しては、有難迷惑でしかない。
「ありがとうございます。ジェフリー様」
表面上はにこやかに微笑んで言うが、ハイジは、もう二度と侯爵家の人たちには会いたくないと思っていた。
おそらく、”フォールコン侯爵家の領地に行きたい”などと、彼に言うことはないだろう。
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