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第四章:かりそめの婚約。その終わり

38:王位継承者

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 意味が飲み込めない。
 だが、『勢州』という言葉は、確かに、幼い彼女の記憶の片隅におぼろげに残っていた。大きな屋敷の中、己を疎む人々に囲まれ、本当の家族を持たずに暮らしていた辛い日々の記憶の中に。
 小野は続いて、若榴に視線を移す。

「そして、ここにいらっしゃる若榴様もまた、勢州の血を引いておられる方だ。つまり、若榴様は君の義理の兄であり、我が国の正統な王位継承者にふさわしい」

 睡蓮は、隻眼の少年の顔を見た。ここからでは彼の表情はわからない。
 仮に、もし小野という軍人の言うことが全て正しいのであれば、彼女の中に昔からあった小さな疑問は解消する。
 何故、若榴は遊郭から逃げ出した自分を拾ったのか。そして、何故、人斬りとして育てたのか。
 その答は、自分が彼と同じく、滅ぼされた勢州の一族の生き残りだったから。現在の皇城を討ち果たす仲間になり得ると考えたから。

「私は、若榴様と睡蓮様に、この国の新たな指導者になっていただきたい。そうすることで、この国を正しい方向に導けると考えているのです。そのために、少々手荒なことをしてしまったが、容赦いただきたい」
「…………」

 そう言いながら、小野は睡蓮の拘束を解く素振りはみじんも見せない。
 彼から告げられた自分の過去に、全く動揺しなかったといったら嘘になる。
 だが、心の中は急速に冷めていくのがわかる。それがどうしたというのだ。今の自分には全く関係がない話だ。本当の家族を持っていない自分に、血族だの血筋だの言われても、なにも感じない。
 睡蓮は手を縛る縄がかなり緩んできたのを感じていた。目の前の二人に悟られぬよう、慎重に縄から手を引き出していく。
 若榴が薄笑いを浮かべて言った。

「きれい事を言うが、結局、君は軍人のくせに、家の商売のことしか考えていない、『政商』ということだな」
「ふふ。手厳しいことをおっしゃられますね。ですが、若榴様は一族再興の悲願を果たされ、私はそれを財務面でご支援する。お互いに利益のあるお取引かと」
「それにしても、よくわからないな。君の本当の目的が金にあるといえ、仮にも帝国主義国家の樹立を目指しているんだ。にも関わらず、民主主義を求める新時代主義の連中をテロ活動に利用していたのはなぜなんだ?」

 それから若榴が愚痴っぽく付け加えた。

「頭でっかちの連中をたきつけて動かすのは少々骨が折れたもんでね」

 小野は口の端を曲げ、どこか嘲るかのように言った。

「答は簡単ですよ。一つは、目くらましです。北探――北部連邦の息のかかった者が動いていると官憲に悟られないためです。それと、あともう一つは、平和ぼけしている連中をあざ笑ってやりたいというのもありましたね。民衆中心の政治体制の実現、特権階級の廃止などと奴らは言いますが、そもそも、敵視の対象である権力者たちが西側諸国にすりよっているからこそ、この国では中途半端に民主主義が息づいているという事実に全く気づいていない。奴らの活動の結果、この国が東側と手を組み、真の帝国へと進化を遂げたら、それはあまりにも愉快なことじゃないかと思ったわけです」

 小野が自分に酔ったようにしゃべっている間に、睡蓮は己の両手を縄から解放させることに成功していた。
 機会は一度きり。
 小野が視線を天井に向けた一瞬の隙をついて、彼女は発条のように上半身を起こすと、彼の首の後ろに手刀をたたき込む――

「…………っ!!」

 だが、その寸前、彼女の腕は若榴によってつかまれていた。
 そのまま腕をひねられ、背中から床にたたきつけられる。衝撃で息がとまり、身動きがとれなくなる。

「ああ、驚いたな。まったく、これから嫁入りをするというのにはしたないな」

 小野が笑顔で軽口を叩き、靴で睡蓮の腹に蹴りを入れる。

「もっともこういう余興が見たくて、若榴様にわざと緩く縄を縛るようにご依頼したんだけどね。……そういうわけで、君には、新たな皇城の姫君、すなわち、中宮陛下として、この国を率いていってもらいたいんだけど、どうかな?」

 強烈な痛みに激しく咳き込みながら、睡蓮は小野の顔をにらみつける。
 生まれてから本当の家族を持ったことのない自分に、血筋というものほど空虚な言葉は無い。

「気が向かない? それなら、君に一つ、良いことを教えるよ。如月龍進の正体についてだ。それを知れば、きっと君は自ら女王になろうと考えを改めるよ」

 この男は一体なにを言っている? 旦那様の正体……?
 小野は口の端を曲げて、ゆっくりと言った。

「彼は……、如月龍進は、大君殿下の腹違いの兄であり、前帝の隠し子なんだ」
「…………っ」

 息を呑んだ。

「信じられない? だけどこれは事実であり、我が国の機密事項。皇城でも限られた者しか知らない。では、彼の母親が誰か、という疑問がわくだろうが、さすがにこれは僕にもわからない。ただ、おそらく名の知れた芸妓でないか、とは言われている。前帝と芸妓の間に隠し子がいるなどという話は、決して世の中に知られてはならないことだからね」

 小野があたりを歩き回りながら、得意げな口調で続ける。

「そして、その秘密を知るのが、勢州の巫の一族だった。一説によると、なかなか子が授からない前帝に、巫たちは、芸妓と一時の契りを結ぶよう託宣を行ったとのこと。そうやって生まれたのが龍進。そして、その後、託宣の通り、見事に中宮もご懐妊され、今の帝がお生まれになったとのこと」

 そして、睡蓮の背後に回り込むと、どことなく愉快そうな口調で言った。

「ですが、帝がどこの馬の骨ともわからぬ芸妓と契りを交わしたなどということが公になってはならない。その結果として、恩知らずな皇城の人々は、勢州の一族を滅ぼしてしまったわけ。一方の龍進は命を取られることはなく、素性を隠し、東北の華族である如月家に養子として出された。最も、それは皇城の策略で、大君の隠された兄として、大君の間諜として動かすためだ。私のような、帝に対する脅威を速やかに見つけ、排除するためにね」

 睡蓮は、今度はさらに鮮明に、遠い過去の記憶を思い出した。
 屋敷の中に横たわる、父や義母、数多の親族の遺体。炎に包まれた家々。山の中、血まみれの足で、追っ手から逃げる自分。
 小野が、目を細める。

「さあ、これで理解出来ただろう? 如月龍進が生まれたから、君の一族は、そして、ご両親は殺された。つまり、彼は君にとって仇なんだよ」
「……うっ!?」

 そう言うなり彼は、睡蓮の右手を軍靴で踏みつけた。
 そして、声のトーンを一段上げ、両腕を広げる芝居がかった仕草で言った。

「さあ、若榴様、睡蓮様。今こそ、復讐を果たすべきです。本日の東京駅の爆破を号砲として、私たちとともに、この国に真の王朝を打ち立てようではありませんか!」

 沈黙が落ちた
 ややあって、

「……どうでもいいことです」

 睡蓮の口から、発された一言。
 投げやりな口調というよりは、どこか怒りを圧さえたような言い方だった。
「私の生まれなど、本当に、どうでもいいのです。し、今更、王朝がどうのこうの、全く興味がありません」

 小野と若榴が、無言のまま睡蓮を見ている。
 睡蓮は思う。
 自分にもし、なにかやりたいことがあるとするなら、それは一つ。たとえ偽りでも、幸せな家庭生活を教えてくれた旦那様に……、龍進に、なんらかの恩返しがしたい。
 はじめて自分に、生きる意味を、家族の温かさを教えてくれた人だから。たとえそれが偽りのものであっても。
 睡蓮は唇をかみしめる。
 今、自分があの人の役に立てることがあるとするなら……。

「そうか、君は、新王朝の姫君にはならないというのか」

 小野の声色が、すっと冷たいものに変わった。
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