【完結】番じゃなくても愛してる

秋良

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06. 親切な贈りもの



 発情期から明けて、二日経った昼間。
 俺はいつものようにシニリントゥに出勤して、いつものように朝から昼の多忙な時間を乗り越えて、ようやく午後の時間を迎えた。休憩時間にやってきたという騎士団の若い騎士にパンを包んでいると、カランカランとドアベルが鳴る。

 ふっと顔を上げれば、アンリが軽く手をあげ、店内へと入ってきたところだった。「あっ」と思いつつも、俺は目線で笑顔を向けてから、まずは騎士の接客を続ける。

「山パン一つに、シナモンロール一つっと。おまけにラスクも包んでおきますね。よかったら、お仕事の合間にでもどーぞー。代金は——はい、たしかに。ありがとうございまーす。またのお越しをー」

 パンの入った紙袋を渡して、笑顔で見送れば、若い騎士は「また来ます」と言って、嬉しそうに店を出て行った。と、彼と入れ違いでアンリがカウンターへと近づいてくる。

「こんにちは、アンリさん。いらっしゃいませー」
「リスト、久しぶり。体調はどうだ?」

 今日もまた、アンリは紺色のローブを纏って、豊かな黒髪は無造作に伸びている。相変わらずの闇色具合に、俺は思わずほっとした。
 発情期が来ると一週間ほどお休みをもらうんだけど、そうなるとパン屋のお客さんには会えないし、常連さんと顔を合わせるのも一週間以上ぶりになる。その会えないうちに、遠征に行く騎士団の人や、商売をしに行く人なんかもいて……ごくごくたまに、そのまま姿を見なくなるってこともある。だから、発情期明けのこの時期は、誰が店に来てくれるのかなって、そわそわしながら店に立っていることが多い。

 ……単純に店に来なくなっただけならいいんだけどね。でも、なかには『帰らぬ人』になったってことも、なくはないからさ。

「もう平気。昨日から、元気に復帰してるよー。ご心配おかけしましたぁー」

 へらっと笑えば、アンリもほっとしたような表情を浮かべた。
 常連さんにしろ、そうでないにしろ、俺がお客さんの安否を気にしてしまうのと同じで、常連さんだって、日頃通い慣れている店の従業員のことは気になるものだろう。俺だって、よく足を運んでいる肉屋や八百屋のご主人たちの姿が見えなかったら心配する。アンリもそうやって、俺が無事に店に復帰したことを喜んでくれているようだった。

 この店に働くようになって、約三年。
 俺のうなじにはヴィヒトリがつけてくれた噛み痕——噛まれた当時よりは薄くはなったけれど、消えることはない番の証だ——があって、俺は特にそれを隠したりもしてないから、オメガだってことは気づく人なら誰でも気づく。それに、エイラや子どもたちの負担になってもいけないからと、俺は番に先立たれたオメガであることも公言してる。

 公言しているのは、要らぬ憶測が飛び交うよりはいいと思ってのことだし、営業時間中に「あの店員さんってオメガ?」だなんていちいち訊かれてもエイラたちの迷惑にもなるからね。オメガに偏見を持ってる人もいるから、公言するってのは一長一短なんだけど。
 でも、エイラはもともと俺がオメガだって知ったうえで俺を採用してくれたし、ここの街の人は第二の性でどうこうって考えの人は少ないから、俺としては言わないままにあれこれ言われて、こそこそされるよりもずっといい。

 そういうわけで、店の常連さんやご近所さんなら、俺がオメガなのは知っているから、一週間も休めば「ああ、発情期中か」と察してくれる。オメガと発情期は切っても切れない関係だから、それで嘲笑を受けたり、馬鹿にされることもない。
 ここの街——特にこのパン屋に通ってくれる人たちは、優しく、あたたかく、ほどほどに心地よい距離感を保ってくれる。だからこそ、俺も安心して働けているのだ。

「なら良かった。と言いたいところだが、少し痩せたんじゃないか?」

 カウンター越しに振られた質問に、俺は小さく苦笑する。

「あー……ははは、うん。バレた?」

 アンリはかなり言葉を交わす間柄の常連だけれど、お客さんではあるから、痩せたというかやつれたというかに気づかれたのと、体力的にはまだ本調子でないことを見抜かれたのはみっともないし、バツも悪い。
 まして、つい先日会ったときには、俺からアンリの疲労具合を指摘したのだ。つっこんだ張本人が、今度は似たような指摘を受けてるとか世話ないよね。

「顔色は良いみたいだが——体力はまだ戻ってないだろうと思って、いくつか栄養剤を持ってきたんだ」
「え、ほんと?」

 俺が誤魔化しつつも笑っていると、アンリはローブの内ポケットから暗褐色の小瓶を取り出した。それはアンリが言うとおりに「栄養剤」が詰まった瓶。それが合計で三本、カウンターに並べ置かれる。
 眦を下げながら「どうぞ」と言って渡された小瓶を受け取りながら、俺は丁寧に頭を下げた。

「ありがとう、アンリさん。でもほんと、いつも悪いなぁ。もちろん、すっごく助かってるんだけどさ」

 アンリがこの店に頻繁に通ってくれるようになって、いつの頃からか、彼は発情期明けに栄養剤だとか、香りのいい石鹸だとか、おすすめの果実水だとかを贈ってくれるようになった。
 彼曰く、自分が使って余ったからとか、研究材料の余りだからとか、たまたま良い果実がたくさん手に入ったからとか、そういう理由で『お裾分け』としてくれるのだ。

 もちろん、さすがに俺でも、全部が全部そうじゃないことくらいはわかる。
 はじめのうちは「いつも申し訳ないよ」と言って、やんわりと断ろうともしていたのだけれど、アンリはのらりくらりと俺の言葉を躱して、結局受け取ることになってしまう。そんなことが続いたのもあって、俺は早々に断るのを諦めた。

 それに、俺が断るとアンリが悲しそうな目をするから。
 たまーにその場に居合わせるエイラからも「素直に受け取っちゃいなさいな」と言われて、まあそれで、あまり遠慮しなくてもいいかと思えたのもある。とはいえ、やっぱり毎回気を配ってくれることに多少の心苦しさはあるんだけどね。

「遠慮しないでくれ。私の余りみたいなものだから」
「それはそれで、アンリさんのことが心配になるやつだってー。俺のことはいいけどさ、アンリさんも最近、お疲れって感じだよね? ちゃんとご飯食べてる? 睡眠は?」

 気にするな、と言ってくれるアンリの優しさを有り難く思いつつも、栄養剤が「余りみたいなもの」と言われると、それはそれで俺も黙ってはいられない。
 余りものってことは、アンリも栄養剤を飲むような状況ってことでしょ? それって、人の心配してる場合じゃないだろって思う。そうじゃなくたって、ここ数ヶ月のアンリは疲れが滲んでいるんだから……。そういうの、すっごく心配になる。

「リストには敵わないな。大丈夫、食事はきちんととっているよ。睡眠も徹夜続きというわけではないから、安心してほしい」
「ほんとかなぁー。魔導師さんって、へろっへろになるまですーぐ塔に詰めるでしょ? アンリさんもだけど、みんないつも忙しそうにしてるから、俺、結構心配してるんだよ。ちょっと休めたり、のんびりできたりはしないの?」

 じとっと疑いの目を向ければ、アンリは苦笑しながらも答えた。

「耳が痛いな。——じつは、今の研究がうまくいきそうでね。あともう少しで成果が出そうなんだ。その大詰めで忙しくしているというわけだ」

 つまりは、今が踏ん張りどき、ということらしい。

「この研究が終わったら、しっかり休むさ」
「んー、そっかぁ。そーいうことなら、まあ仕方ないのかな」

 休むというのが、この場を収めるための言葉なのか、本当のことなのか、俺に判断がつかない。魔法の研究がどのくらい大変かも、成果が出るまでの『あともう少し』も、俺はわからないから。だから、結局はアンリのことを信じるしかない。
 本当に、無理はしないでほしいんだけどな……。

「お仕事に一生懸命なのは素敵なことだけど、ほんっとーに無茶はダメだからね? 倒れるまでやるとか、ナシだよ? ほどほどにね」
「ははっ。わかった。ほどほどにしよう」

 あんまりにも俺が言うもんだから、結局、アンリは苦笑いを浮かべながらも表面上は折れてくれた。まあ口だけかもしれないけど、それでも無理をしすぎないって約束ができたのは嬉しい。
 まあ、この人がむやみやたらに嘘をつかない人柄なことは知っているんだけれどね。だから本当に、絶対もう無理! ってくらいの無茶はしないと思う。

「うん、健康は大切だからね。あっ、栄養剤はほんと、ありがとう。俺も無理しないでいただくよ。——さーてと、今日はどうする? と言っても、ほとんど残ってないんだけど。ここ最近、昼間までに来てくれるお客さんが多くてさー」

 アンリが来るのは、昼の客足が落ち着いた頃が多い。早いときは正午くらいに訪れることもあるけれど、だいたいは少し遅めの時間に来るのだ。お客さんの少ない時間帯だからこそ、こうやってのんびりお喋りをしながら接客できるってわけ。俺は人見知りはしないし、忙しくてもお客さんにはちゃんと目を合わせて挨拶して、合間を縫って声もかけるけどね。
 まあそれで。今日もアンリはいつもと同じくらいの時間にやって来てくれたんだけど、大変申し訳ないことに、いつもよりも商品のラインナップが乏しい。

(取り置きしておいてあげるってのも、できなくはないんだけど……アンリさん、そういうの遠慮しそうだしなー)

 接客モードに切り替えた俺は、あれこれと思案していた。すると、アンリはなにやら「ああ、なるほど」と何かに納得したような顔をした。

「最近、事件が起きているから、みんな早く店に来たのかもな」
「……事件?」

 物騒な言葉に、ぎょっとする。

「知らないか? 最近、街周辺で行方不明事件が起きていてな。ここ半月で三人ほど、姿が見えなくなったらしい。いずれも年若い女性で、置き手紙や手掛かりなんかもなくて、まだ見つかっていないそうだ。もしかしたら『人攫い』なんじゃないかって話も出ていてな。街の警邏を強化するって噂もある」

 ああ、だからか。じつは、昨日今日とやけに昼前から騎士や警邏隊の人たちの来店が多かった。彼らの任務予定次第では、朝や昼にも来店することはあるけれど、それにしては人が多いなとは思ってたのだ。あれは警邏がてらに立ち寄ってくれたのと、休憩の合間を縫って様子を見に来てくれたんだろう。

「街の人も、日中に用を済ませて陽が暮れる前には帰る人が増えている」
「へぇ、そうだったんだ」

 言われてみれば、騎士たちだけじゃなく、ご近所の人が来る時間もなんだかいつもと違う気がした。一人でひょっこり顔を出すご老人なんかも、今日はお隣さんと連れ立ってきていた。
 あれはきっと、ここ最近で起きたという行方不明事件——あるいは、人攫い——を用心してのことだったらしい。みんな不安で、いつもと行動が違ったようだ。

「……なんだか物騒だね」

 不穏な気持ちで、俺は硝子窓越しに街を見た。

 メロイアは小さな街ではないし、他の地区との交易もあるから人の往来はそれなりにある。ものを売ったり買ったりする商人も来るし、その商人を護衛する人だって来る。近隣を結ぶ乗合馬車も走っているから、街を歩けば顔見知りでない人とすれ違うのは普通だ。
 けれど、大きな事件なんてほとんど起きない平穏な街なのだ。近くに騎士団が駐屯してはいても、魔獣退治と国境警備が主な仕事で、大きな戦が起きているわけでもない。警邏隊の人たちだって治安維持がメインで、時たま酔っ払って騒いでいる人をまとめ上げるくらい。

 それなのに、行方不明事件……しかも、もしかしたら人攫いだなんて。


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