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11. 身近な良い人
見ず知らずの男たちに襲われてから一ヶ月。
俺はその前と変わらず、パン屋・シニリントゥで働いていた。
今日もパン屋は繁盛している。
俺はいつものように営業時間より一時間くらい前に店に行って、あれこれと開店準備をして、可愛い小さな従業員たちと話をして。店を開けてからは、少しずつ増えていくお客さんにしっかり対応して、常連さんと時折世間話をする。それから、遅い昼休憩をして、のんびりとした午後の時間を店番しながら過ごしていた。
そういう、いつもと同じ日常。
違うところと言えば、お店にやってくる騎士団の人たちが少しばかり増えたことと、店先から見える道を歩く警邏隊の姿が増えたことくらい。
「やあ、リスト」
「ヘルマンさん、いらっしゃい」
パン屋を訪れたのはヘルマンだった。
もともと通ってくれている常連客の一人だけれど、ここ最近は俺の様子を見に来てくれているみたいで、頻度が少し上がった。
「その後、変わりはないか?」
棚に並ぶパンから好みのものをトングでトレイへとピックアップしながら、ヘルマンは問いかける。
今日は、かぼちゃペーストを練り込んだねじりパンと大きなメンチカツを挟んだパンが彼の昼食になるらしい。いや、お昼時間はとっくに過ぎてるから、もしかしたら間食かな。騎士は体が資本だからね。
「ないよー。いつも通り繁盛してるー。見かけてない常連さんもいないかな。みんな来てくれてて有り難い限り。あ、すぐ食べるならさ、メンチカツのパン、あたためる? 時間があればエイラにお願いするけど」
二つのパンを紙袋に包もうとして、メンチカツのほうは温かいほうがもっと美味しいかなぁなんて思って訊ねれば「では頼む」とお願いされた。俺は「はいはーい」と請け負って、一度店の裏側へと引っ込んで、ジャム作りに勤しんでいたエイラにパンの温めを頼む。
忙しいときはやってあげられないけれど、混雑時間を過ぎたあと、すぐに食べそうな人にはサービスでパンを温めてあげるのだ。
店に戻ってきて、ヘルマンと世間話をしていると、カランカランとドアベルが鳴る。視線を向けるともう一人の常連さん、アンリが来店したところだった。
「あ。アンリさん、いらっしゃい」
「やあ、リスト」
いつも通りの挨拶に自然と笑顔になる。
アンリが店に入ったすぐあとに、これまた常連の近所に住むおばあちゃんと、最近通い始めてくれている若い女性も入ってきて、この時間にしては賑やかな雰囲気になった。おばあちゃんと女性はどうやら顔見知りらしく、二人でおしゃべりをしながら棚に並ぶパンを選んでいた。
お客さん一人だけにかまけるわけにはいかないから、俺はカウンター越しにアンリとヘルマンと簡単な会話をしながら店全体を見る。ヘルマンのパンが温まるまでの、なんてことのない日常的な風景。特別じゃない普通の時間が、実は一番特別だったりするんだよね。
——こういう時間、すごく好きだな。
「アンリさん、今日のおすすめ聞く?」
そう訊きながらも答えはわかっているんだけど。
「もちろん。ここのパンはどれも美味しくて迷うからな。リストのおすすめを買うことにしてるんだ」
「ふふふ、まあ気持ちはわかるよー。俺もここのパン、全部好きだもん。それじゃあ、そうだなー……今日焼いてたのは……」
背の高い二人の肩越しに店内を見渡して、まだ残っているパンを確認する。街に物騒な雰囲気が少し流れてからは、午前中や陽の高い時間での来店が増えたからこの時間までの売れ行きは好調だ。
でも、騎士や警邏隊の人たちも様子見に来たついでに買ってくれるようになったから、ご主人やエイラが品数や種類を増やしたこともあって、閉店時間まではちゃんと選べるだけの品が残っている。
その中から、甘い系としょっぱい系をいくつか選んでおすすめする。なら、それを貰おうかと、アンリはトレイとトングを取りに行った。今日はお客さんが何人かいるから、俺はカウンター越しで接客してるからね。アンリだけなら、俺が取ってあげるんだけど。
そうこうしてると、入れ違いで常連のおばあちゃんから声がかかった。
「お会計いいかしら?」
もちろんと答えて、アンリとヘルマンに目礼をして、カウンターでお会計の対応をしていく。おばあちゃんはいつもの山パンと、最近よく出している季節の果物を使ったツイストパン。それから、みかんのジャムが欲しいのに見当たらないって言うから、棚をよく見たら上の奥のほうに残ってた。おばあちゃんと女性客の身長だと見えないだろうなっていう絶妙な位置だ。
その棚の上のジャムを取りに行こうとしたら、俺が動く前にアンリが気づいて取ってきてくれた。彼にお礼を言ってから、おばあちゃんの商品を紙袋に詰めていく。
「ローサさんって、お姉さんと知り合いだったんだね」
「前に道端で転んじゃったときにね、助けてくれたのよ。シニッカさん、こちらパン屋のリストくん。きれいな子でしょう」
ローサっていうのがおばあちゃんの名前。それから「シニッカ」と呼ばれたのがおばあちゃんと話していた女性の名前みたい。
俺はシニッカのトレイも受け取って、そっちも紙袋に詰めていく。彼女が買ってくれたのは栗のデニッシュと塩パン。量的には二人分って感じだから、もしかしたら家族か友人かと食べるんだろう。
「シニッカさん、あらためて、いらっしゃいませ。何度か来てくれましたよね。気に入ってもらえたのなら嬉しいな」
「覚えていてくれたんですか?」
目を丸くする彼女に、俺は頷いた。人の顔を覚えるのは結構得意なんだよね。
もともとは貴族なりのマナーというか処世術というかなんだけど、今こうやって接客業で役に立ってるから不思議なものだ。
そんな感じで、ローサとシニッカと軽く世間話をしながらそれぞれお会計をもらった。二人は「また来るわね」と言って、にこにこしながら帰っていった。
お客さんがここのパンを買って、ああやって笑顔でそれぞれの日常に戻っていくのを見送るのも、俺はすごく好きだ。
そのときちょうど、エイラがヘルマンのパンを持ってやってきた。茶色い紙に包んだパンを彼にそのまま手渡す。
「じゃあ俺もこれで」
「あ、ちょっと待って」
店を出ていくヘルマンに、俺はカウンター裏に置いておいた大きなバスケットを掴んで、慌ててあとを追った。
アンリを放置してしまうことにはなるが、今日はヘルマンに——というか騎士の人に用があったのだ。店にはエイラも出てきているし、まあ大丈夫だろう。
なんて思いながら外へ続く扉に手をかけようとして、アンリの片腕が伸びた。ヘルマンが開けた扉をトレイを片手に押さえてくれたのだ。バスケットで両手が塞がっていたから、気の利く行為が有り難い。少しばかり照れつつ、俺は「ありがと」と小さく笑んだ。
それからヘルマンと軒先へと出て、持っていたバスケットを差し出した。
「いつも見回りお疲れ様。これ、うちのパン屋から騎士団のみなさんに。三日くらいなら保つと思うから、今日非番の人にも食べてもらえたら嬉しいな」
俺が手渡したのは、バスケットいっぱいに詰め込んだ小ぶりな丸パンたち。売り物じゃなくて、ご主人とエイラが朝から騎士団の人のために作ったものだ。
行方不明事件が起きて、誘拐未遂事件も起きて、街の警邏は一気に強まった。騎士団や警邏隊の人たちは、朝早くから夜遅く……二十四時間を交代で街を見回ってくれている。
じつは、俺の誘拐は未遂に終わったから、そのときに犯人も捕まって一件落着——とはならなかった。
どうやら捕まったやつらは実行役で、実際に事件を企てた黒幕というか、親玉というか、指示をしているやつが背後にいるらしい。牢屋に入れている犯人に対して、そいつがどこにいるのか、何者なのかを騎士団が尋問しているけど、なかなか口を割らないんだって。犯罪者相手にこういうのもなんだけど、なかなか仲間意識が強いのか。はたまた弱みでも掴まれているのか。
実行犯は捕まっても黒幕がいるんじゃ、また事件が起こってもおかしくないってことで、騎士団も警邏隊も警戒を強めてくれているみたい。
「ヘルマンさんも、みんなも、体には気をつけてね」
「ありがとう。あいつらも喜ぶよ」
ここのパンが好きな連中が多いから、とヘルマンはバスケットを受け取る。そう言われると、俺もすごく嬉しかった。
「……なあ、リスト」
「ん?」
バスケットを抱えたヘルマンは、なにやら言い悩んでいる様子で。なんだろうと首を傾げていると、ようやく彼は口を開いた。
「その……良い人はいないのか?」
唐突な質問に、俺は目を丸くした。
ヘルマンが言う『良い人』。それはつまり、ヴィヒトリ以外に恋情や愛情を向けられる相手はいないのか、ということだ。
その質問の意図を正しく理解しながらも、俺は勘違いしてるかのように答えた。
「いっぱいいるよー。エイラもご主人も優しいし、オメガの俺にも良くしてくれてるし。カロリーナちゃんとライノくんだって懐いてくれてるでしょー? ヘルマンさんや他の騎士の人もこうやって気にかけてくれるしー、同居人も気のいいやつばっかでさ。常連さんもたくさんいて、みんな声かけてくれるから、ほんと、俺は良い人に囲まれてるよね」
狡い答えだってわかってる。でも嘘は言ってないと思う。だって、エイラもご主人も、二人の子どもや、お店の常連さんも、みんな『良い人』だ。
「常連か。……アンリさんはどうなんだ?」
「え?」
まさかヘルマンからアンリの名前が出るとは思わなかった。いや、よくよく考えると、そんなに意外でもないのかもしれない。
アンリは容姿も頭脳も優れていて、性格だって悪くない。まあ俺と彼は店員と客って関係性だから、彼の一面しか見ていないとは思うけど。でも、悪い話は聞かない。あえて言うなら、仕事人間すぎるところが玉に瑕ってくらいで、それだって塔に勤める凄ーい魔導師ってことを考えればマイナスではないと思う。
誰であっても恋愛対象になる魅力あふれる人——そう言って差し支えない。
アンリを好きって言う人は大勢いるだろう。というか、実際に街の人にかなりモテてる。そう……誰だってアンリのことは魅力的に感じる。俺じゃなくても、きっとそう。絶対に。
——だから、今日みたいに彼が店に来てくれると嬉しく思うのは、特別な感情じゃない。常連客が来てくれるのは、誰だって嬉しいはず。
「あー、っと……」
俺が誘拐未遂事件に巻き込まれてから、アンリは以前にも増して気を配ってくれるようになったと思う。
店に来る頻度や時間が変わったわけじゃないんだけど、ちょっとした会話の内容とか振る舞いとかに、優しさを感じる。さっきみたくジャムを取ってくれたり、扉を押さえておいてくれたり、そういう些細なことが増えた気がする。
だからなのか、ほんの少しだけ距離感が変わったような気もしていた。
いや、別に何かあるわけじゃない。ただ、なんだか俺が意識しちゃっているっていうか……。
「アンリさんも良い人だよね。なんたって、俺を助けてくれた恩人の一人だし? あの石がなかったらって思うと、ぞっとするよねぇ」
そう言えば、ヘルマンは「まあ、そうだな」と言って、それ以上の追求はしなかった。それに俺はほっとして、「お仕事頑張ってね」と見送る。
胸の奥が落ち着かないのは、きっと気のせい。
俺は一つ深呼吸をしてから、アンリの待つ店へと戻るのだった。
◇◇◇
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本当にありがたく思います。