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22. 光の螺旋
カウチの横で膝をついていたアンリはゆっくりと立ち上がり、少し離れたところで何か準備を始めた。その間に、俺は助手のイルメリから最後の説明を受ける。
「リストさん、安心してください。副所長の魔法の腕は確かですから」
「うん。信頼してます」
緊張はするけれど、失敗するんじゃないかなんて心配はしてない。なんて言ったって、筆頭魔導師自らがかけてくれるのだ。それに、アンリに施してもらえるのなら、これ以上に心強いことはない。
しばらくすると、準備ができたのかアンリがカウチのほうへと戻ってくる。
「目とか、閉じたほうがいい?」
そう訊ねれば、にこりと笑みを返される。
「いいや。力を抜いて、リラックスしていればどんな体勢でも構わない。痛みなどとも無縁だし、怖いこともしないからな。まあ、でも、そうだな……私のおすすめを聞くか?」
「ふふっ。じゃあお願い」
おすすめ、という響きにくすぐったくなる。
それはいつも、パン屋に来てくれるアンリが俺に問いかける定番の台詞だから。
俺が頷けば、アンリは心得たと目を細めた。
「私のおすすめは、特に恐怖心がなければ、目は閉じずにいるといいんじゃないかと思う。リストは魔法そのものに、あまり馴染みがないだろう? 緊張はするかもしれないが、そばにはイルメリもいるし……なにより、思い出に残る光景に出逢えると思うから、目を閉じるのはもったいない」
「思い出に残る光景?」
いったいどういう意味だろう、と首を傾げると、アンリは悪戯っ子みたいな表情を返す。
「それが何かは、受けてからのお楽しみだ」
「ふぅん? なんか意味深だね」
「ふふふ、気になりますよね? 私も、魔法がかかる瞬間を見逃さないことをお勧めしますよ、リストさん。なんと言っても、副所長の魔法ですからね。この塔……ううん、この国一番の素敵な光景が見られるはずですから」
俺の左隣に立っていたイルメリも、アンリの提案を後押しする。彼女にも視線を向けてはみるが、「これ以上は秘密です」と口を噤んでしまった。
魔法がなんたるかも知らないし、魔導具の恩恵には与れど魔法自体はそれほど身近じゃないから——俺は病気もほとんどしないからね——、二人が意味深に微笑む理由はよくわからない。
でも、楽しそうにしている二人を見て、緊張は随分と解れていった。
「そういうことなら、ちゃんと目を瞑らないように、しっかり見届けるよ」
そう言えば、アンリもイルメリも満足げに頷いた。
「——では、始めようか」
すべての準備が整ったのち、右隣のアンリがシャキリとした雰囲気へと変わる。いつもは見ない真剣な表情にドキッとする。仕事や任務に真摯に取り組む姿って、それだけで格好良かったりするよね。
凛とした姿に惚れ惚れしていると、視線が合った。
——いよいよ、魔法が始まるんだ。
偏に「魔法」と言っても、もたらされる効果や反応はさまざまだという。
魔法騎士がよく使う魔法は、戦闘に役立つもの。火の柱が上がるとか、氷の礫を飛ばすとか。あるいは、騎士や兵士の肉体を一時的に強化するだとか。
街で商売を営む魔法使いだったら、ちょっとした失せ物探しや壊れ物の修復。ちょっと魔法に長けていれば、あんまり重くない病を治すとかも。
そして魔導師は、新しい魔法を生み出したり、すでにある魔法をより良くしたり、魔導具や魔法に関するあれこれを作り出したりってのが主だけど、魔法の能力はずば抜けて高いらしい。だから、魔法騎士や魔法使いが使える魔法なんて、赤子の手をひねるより簡単にこなせるとか何とか。
ちなみに、番を解消する魔法は、わりと時間のかかる魔法らしくって、魔導師でも魔法を完全に施し終わるまでに三十分から数時間ほどかかるらしい。アンリの場合は、技術も魔力も高いから三十分、という説明もさっき受けた。
まあそんな偉大な魔導師の一人であるアンリが、いよいよ魔法をかけ始めたのか、カウチに横たわる俺の上に手をかざす。
(ああ……本当に、始まっちゃったなぁ)
これでヴィヒトリとの番という関係が身体上では無くなってしまうのかと思うと、やっぱり少し……いや、かなり胸が痛い。でも、この苦しさも、切なさも、ぜんぶ受け入れるって決めたから。
だから、今日は涙は流さないって思って、ここまで来た。
ヴィヒトリへの愛情と、アンリへの愛情をそれぞれ胸の中にしっかりと感じて、抱き締める。二つの愛情はそれぞれが別の形であっても、同じ大きさ、同じ温度をしている。
その想いたちを一欠片も失いたくないから、俺は胸の上で両手の指を組んで、胸の中に愛情を押し込むようにして、じっとアンリのことを見つめていた。
集中するためか、アンリは目を瞑っている。
俺には「目を開じるのはもったいない」なんて言っておいて、本人は閉じちゃうんだなぁなんて思いながら、俺を挟んで反対に立つイルメリを見ると、愛嬌たっぷりに片目を瞑ってみせた。どうやら魔法は順調な滑り出しらしい。
まあ、真剣な顔をして魔法を施すアンリを見られるのは、なかなか良い光景だ。
美男の格好いい姿を見られるから目を開けていたほうがいいと言ったのかなぁ? でもイルメリはともかく、アンリが自分の美貌を見ろと言うタイプでないことは俺だって知っている。もしかしたら、仕事中の姿を見てほしいって思いはあるかもしれないけど。
でも、アンリの口振りからして、そんな感じじゃなかった。
じゃあ、きっとさらに何か「見たらいいもの」があるんだろうなと考えていると、なんだか体がほんのり温かくなってきた。
(魔法が効き始めたってことなのかな?)
アンリ……は真剣そのものだから、邪魔しちゃ悪い。ってことで、イルメリに訊いてみようと思ったとき、ふっと、アンリの長めの黒い睫毛が揺れて、その奥に隠されていたグリーントルマリンの瞳が煌めいた。
「え……うわ……」
俺が驚きの声を上げたのは無理もない。
だって、アンリが目を開けた瞬間、俺とアンリの周りには光の螺旋がしゃらしゃらと宙を走って、目の前いっぱいに光が織りなす幻想的な光景が広がり始めたのだから。
「…………なにこれ、すごい……!」
清廉な白と、涼やかな若草色。それから淡い黄色……いや、金色と表したほうがしっくりきそうな光の粒がきらきらと幾重にも重なって、螺旋を描く。
光の螺旋はしばらくすると、俺の体を覆うように拡散と収束を繰り返し、まるで水の中を揺蕩うようにゆらゆらと宙を舞い続けた。
——まるで魔法だ。
いや、たしかにこれは魔法には違いないんだけれど。
でも見たことのない光が描く美しい光景に、俺は感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。
視線を右に左に。俺を包みこみながら、なおも優しい明滅を繰り返して浮かぶ光の粒を追ううちに、その光のきらめきはアンリのほうから流れついていることに気づく。
光を操るその様は、言葉に表せないほどに秀麗で、いっそ神々しいほど。
——ああ、なるほど……『魔法で人々を導く』っていうのは、きっと、こういうことなのかもしれない。
彼が担っている立場や背負っている覚悟、それらに対する想いの一端を、光の螺旋や煌めく粒の一つ一つに感じられた気がして、誇らしくも愛おしい。
ふとアンリと目が合えば、彼は穏やかに微笑む。
それで、なんだか泣きたくなった。
彼が俺を見つめる表情はいつだって優しさと慈しみに満ちている。そこには必ず『ありのままの俺』を受け入れてくれる懐の深さと愛情が滲む。
今だって、そうだ。
アンリは案じて、そして許してくれているんだ。今、この瞬間に俺がヴィヒトリという唯一無二の番との関係を解消するって現実に寂しさを感じることに。
——やっぱり、哀しい。うん……哀しいよなぁ……。
今さら魔法をやめてほしいとは思わない。
けれど、ヴィヒトリへの気持ちが、アンリへの気持ちよりもほんの少し重くなることを、今だけは自分に許そう。心はそう簡単にはできてないから、想いはゆらゆらと揺れ動いてしまうし、その時その一瞬で、温度も形も重さも違っていく。
でも変わらない愛情は、たしかに俺の中にある。
ヴィヒトリを愛している。
たとえ、うなじの噛み痕が消えてしまっても。
彼を、永遠に、ずっと愛している。
そして、アンリを愛している。
優しすぎる、この男のことも、俺は好きで好きで、愛おしくてたまらない。
真面目で実直すぎた誇り高い騎士と、誠実で慈しみ深い素晴らしい魔導師。
そのどちらもが、俺の最愛で、この先ずっと愛を捧げたい人。
大好きだから、嬉しくて。
大好きだから、苦しくて。
大好きだから、切なくて。
それでも大好きだから、想い続けていきたい。
「目を閉じずにいて、よかっただろう?」
「……うん」
きらきらと煌めき舞う光が織りなす光景に心を動かされながら、俺はずっとアンリの生み出す奇跡を見つめ続けた。美しい幻想的な光景は飽きることがない。
この部屋に時計はなくて、ゆったりとした時間が流れていて、どのくらいの時間が経ったのか忘れるほどにアンリと魔法に見惚れていると、やがて彼は「もう少しだ」と告げた。
光はさらに量を増し、輝きを増し、さらなる光景を紡いでいく。魔法のことは何も知らなくても、最後の大詰めなのかな、という雰囲気に、思わず胸の上で組んでいた両手をぎゅうっと握り締めた。
ああ、いよいよ終わってしまうんだ。
ヴィヒトリとの、ある一つのつながりが。
緊張と、愛惜と、寂寥と。とてもじゃないけれど言葉という括りで表せないほどの想いが込み上げてきて、少しだけ目が潤む。けれど、涙は溢さずに、やり遂げたくて。
だから、目に力をぐっと入れて、俺は最後まで魔法の行く先を見つめ続けた。
いっそうの煌めきを放ったのち、光の螺旋はアンリの手元へと収束していき、光の粒はしゅわしゅわと俺の内へと溶けていった。
幻想的な魔法の光はそうして、消えていったのだった。
「——これで無事に完了だ。お疲れ様、リスト」
魔法の終わりを告げる声。
それをどこか遠いもののように感じながら、俺は魔法がかけられる前と同じ様子に戻った部屋をぼんやりと見るともなしに眺める。
三十分ほど前と変わらない室内。
……ううん、一つだけ変わったものがある。
何も言わず、微動だにしない俺をアンリもイルメリも訝しむこともせず、声をかけることもなく、静かに見守ってくれている。その優しさを感じながら、俺はうなじに手を伸ばした。
魔法が正しく効いた証左として、そこに噛み痕はもうなかった。
「——ありがとう、ヴィヒトリ。これからもよろしくね」
うなじへと伸ばしていた手を口元へと寄せて、手の甲に唇を落とす。
魔法をかけてもらっているうちに、ほんわりと温かくなっていた体は、今なお少し高めの体温を帯びている。うなじも、手の甲も、じんわりと温かい。
うなじだけじゃなく、胸の奥のほうも、まだちゃんとあたたかかった。
「アンリさん、イルメリさん、ありがとう。俺、この魔法を受けられてよかったよ」
泣きたくなるような気持ちと、優しい気持ちに包まれながら笑顔で言えば、アンリもイルメリもあたたかな笑顔を返してくれた。
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いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。
私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、
一部に翻訳ソフトを使用しています。
もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、
本当にありがたく思います。