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第一章

第二話 アブゾルフ -1-

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 やっちまった。俺は死ぬんだろうな。洞窟の奥深くで薄れゆく意識の中、止まらない自分の血が作った水たまりの中でそう確信した。
 首を微かに動かすとヘビ型のモンスターが口を開けてこちらを見ていた。うわー、蛇の口ってあんな風になってるのかよ。
 食べられるとしたらどうか早めに気を失いたい、そう願った品行方正な俺を神は見放さなかったのだろう。そこで俺の意識は途絶えた。

 願わくば天国に行けますように。








 次に俺が目を覚ましたときにはひんやりとして柔らかい何かを枕にして森で横たわっていた。
「あ、起きたの?」
 声音は女性だ。若くて優しそうな女性。声の位置は上からしている。となるとこの柔らかいのは太腿なのだろう。柔らかさからしてそうとしか思えない。
「そっか、俺は……死んだのか」


 農家の三男坊。口減らしで冒険者となったものの鳴かず飛ばず。そして恋はしたことがあっても農家の三男坊を相手にするわけはないから実ったことなし。更には女性と触れ合ったことももちろんなし。
 冒険者になってからは金で割り切った付き合いをしたり、時折チームを組むといったことで異性と接することはあったが、私生活においては全くなし。

 そんな俺が今、膝枕をされている。つまりここは死後の世界で、彼女は差詰め天使というとこだろう。
 神様、ありがとうございます。どうやら天国に連れてきてくれたんですね。生前はろくに信仰していなくて申し訳ありませんでした。


「返事をできるってことは生きてるんだね、よかった」
 心なしかいつもより重い瞼を開ける。太陽が上から眩しいほどに輝いているため、目を開けても彼女の顔は見えなかった。もっとも、太陽が別の位置にあったとしても目深に被ったローブが彼女の素顔を隠しているから見えないのだろうが。
 ただ、なんとなく笑ったんだろうなーとはわかる。

 そしてここが天国でも地獄でもないのだろうということもわかった。なぜならここは俺が先程洞窟に行く際に通った森とよく似ていたからだ。
 それに、仮に天国なら傷口を塞ぐための布などは必要ないだろう。

「ってことはあんた、あー、いや、あなたが俺を助けてくれた恩人、って訳か、いや、訳ですか」
 これが現実だと仮定したならばつまりはそういうことだろう。
 俺は洞窟に異常発生した毒蛇を退治しに向かったところバカデカい大蛇に返り討ちにされて鎧を壊され、取り巻きのヘビたちに全身の到るところを噛まれて血まみれになったところで意識を失ったことは覚えている。

 だからこそ、そんな状況にあったにもかかわらず生きているとすれば彼女は俺を救ってくれた人なのだろう。
「敬語じゃなくていいよー。それに、恩人っていうかな、ボクはちょっと違うかも」
 眼の前の彼女は謙虚なのか、恩人ではないという。だがあの状況から俺を救ってくれたのだから恩人に違いはない。
「俺を助けてくれたんだ。だから恩人だよ」
 そして今太腿を堪能させてくれている恩人でもある。
「そうじゃないんだけどなぁ……ところで、身体は動かせるかな。起き上がってみてよ」
 無情な言葉が投げかけられた。しかし人生で最初で最後になるであろう太腿をまだ堪能していたい。

 ならば。

 作戦は即座に決まった。起き上がろうとするが身体が動かせずバランスを崩し、後頭部ではなく顔面から太腿に埋まりにいくのだ。そして心配してくれる彼女の太腿をもう少しだけ堪能しよう。
「あーっと、やっぱり、身体にまだ毒が残ってるみたいです……あそこの蛇、神経を麻痺させるみたいじゃないですか」
 少しだけ上体を起こしてから、わざとではない程度で太腿に倒れ込みながら話す。
「えっ、大変!」
 そう、待っていたのはこの反応だ。申し訳ないがこの柔らかさを堪能させてもらい体力回復に努める。
「もしかすると僕が間違えちゃったのかも! 人間相手に毒を使うのって初めてだったから……」

「……毒?」
 まさか、聞き間違いだと信じたい。

「あっ、えっとね、そのー……そう! 僕はバリバリ戦えて強いとか魔法を使えるとかじゃなくて、僕は弱いから毒とかを使って戦うの。それで、毒も少量なら薬になったりするから、君の体に入った毒の中和のために毒を使ったんだ」
「はー、なんかお医者さんみたいですね。頭がよさそう」
 なんだか凄いことを言っているようだが、あいにく俺は無学な農家の三男坊だから全くそういう知識はない。
「そんなことないよー。……てかまだ毒の痺れが残ってるんだよね! 解毒するね。えっと、神経毒を中和するのは……って神経毒!? あそこの蛇って神経毒じゃなくて出血毒だから僕のミスだ! どうしよう」
 彼女は物凄く焦っている。俺が欲を出したばかりに。流石に申し訳無さすぎるので白状しよう。
「ごめんなさい! 嘘です、元気です! ほら、その証拠にこーんな元気!」
 彼女に自分が元気であることを示すために跳ね起き、彼女の方を向く。


 だが、鎧が壊れていたのを忘れていた。


 基本的に、冒険者は鎧の下には衣服を纏わない。もちろん、下着を履かない。これは先輩冒険者が言うには服の繊維が傷口に入ると面倒だからだそうだ。
 もっとも実力があったり恥じらいがある女性や金のある人間は身体に合った戦闘用の服を下に着込むという。
 要する、貧乏で冴えない冒険者である俺の場合は鎧の下に何も着てはいないのだ。

 そんな俺が、座っている彼女の目の前で、立っている。立っているのだ。立っているからこそ、先程までは彼女が俺に掛けてくれていた布が、ない。

 このことが意味することを言葉にはしたくない。
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