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第三章 魯坊丸の日記は母上の楽しみ
7.魯坊丸は山口教継を放置する
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天文二十一年四月四日。
月締めの月次決算も佳境に入った。
次々と各部署の書類が届けられ、収入と支出を計算するそろばんの音が響いた。
商売を手広くやっているので大忙しだ。
猫の手も借りたい。
文官は元より、右筆、側近、侍女、護衛侍女、その他の見習いまで動員して処理をしていた。
俺も再計算して間違いないのを確認すると判子を押した。
紅葉が自分の仕事を終え、俺の再計算を手伝い始めた。
そろばんを弾きながら、俺に聞いてきた。
「若様。山口教継殿の謀反を許す理由は防衛の為でしょうか」
「紅葉は納得できないか」
「納得しております。しかし、若様ならば教継殿を取り込むこともできました。取り込んだ上で今川方に寝返らせておくことも可能と思うのです」
「確かにできなくはない」
「その理由をお聞かせいただけますか」
紅葉の指摘はもっともだった。
山口家は笠寺で塩の販売を独占しており、千秋季忠を別当に迎えたことで熱田神宮に上納金を払うことになった。しかし、琉球交易に絡ませるなどの予備的な措置を取れば不満を解消できた。
俺は敢えてしなかった。
なるべく史実から離れるのを避けたかった。
俺は城の生活改善に銭を欲した。
炭団や石鹸を作り、小遣い稼ぎに清酒を造った。
しかし、酒豪の公卿山科-言継の目に留まって帝に献上された。
それを契機に畿内で大々的に売ることになった。
すべて親父の無茶な要求の為だ。
また、俺は砂糖欲しさに琉球交易を始めた。
そう、公家様に知り合いができたので一条家に交易の許可を得た。
琉球と交易するならば、朝廷の印書があると便利だった。
国同士の交易と密輸では意味が違い、密輸は値段交渉で足元を見られる。
薩摩の島津家も同じ理由で近衛家を通じて一条家を頼った。
近衛家を頼ったのは、島津家の祖が近衛家の荘園であった島津荘の地頭だったからだ。
今は、島津家に水先案内人となって貰い、織田、島津、境商人の船団が琉球を行き来している。
六角家が琉球交易に参加したいというくらいだ。
東海を治める今川義元が興味を持たない訳もない。
史実から掛け離れた。
だが、それゆえに史実に近づけたい。
「加藤に言った言葉に嘘はない」
「昨日の説明ですね」
「五十歳に届かぬ親父が亡くなった。太原雪斎は親父より年上だ。いつ亡くなっても可笑しくない」
「雪斎殿が亡くなれば、義元殿が大将となってやってくると」
太原雪斎は甲・相・駿の三国同盟を花道に亡くなったと記憶している。
今年、武田家から北条家の氏親に嫁いでくるとの話が伝わっている。
史実に沿うならば、二、三年後に亡くなる。
時間が経つほど、俺に有利に働く。
「山口-教継を取り込むのは簡単だ。しかし、慎重な義元は騙せないと思う。疑われた教継は義元を信用させる為とか言って、こちらの手の内を露わにする。同じ理由で水野-信元も取り込んでおらん。どちらも腹に一癖も二癖もある曲者で信用できない」
「信元殿と教継殿は曲者ですか」
織田-信長は尾張を統一した後、鳴海城と大高城に付け城を築き、城を包囲して兵糧攻めを敢行した。
すでに史実と異なるので義元が侵攻する時期は不明だ。
しかし、状況を似せれば、思考は変わらない。
あの『桶狭間の戦い』をなぞれば、義元の首を取るのは容易い。
だから、あえて山口-教継の謀反を防がなかった。
「調略で山口-教継を取った義元は、混乱する尾張を調略で落とそうと考える。二年の時を稼げれば、製作中の硝石が大量に手に入る。戦術が大きく変わる」
「はい。農地の肥料として『蝮土』を隠れ蓑に製作中です。三年後、四年後はさらに多くの硝石が手に入ります」
「八年もあれば、大砲を積んだ水軍らしきものもできる。大砲の前に今川の水軍は手も足も出ず。海上に近い駿河の町は火の海に沈む」
「若様は今川-義元殿に油断していただきたいのですね」
「その通りだ。義元は知恵者だ。労せずに尾張が手に入るならば、兵ではなく調略で落とそうとする。調略に無駄な時間を費やし、こちらが戦力を整える時間を稼ぎたい」
「末森の家老、教継殿が寝返ったとなれば、織田弾正忠家の家臣らは混乱するでしょう」
「三河の幕府奉公衆を唆し、今川への叛旗を翻させ、三河平定に義元の時間を削る。紅葉の手腕に期待しているぞ」
「若様ほど巧くできませんが、努力します」
三河は幕府奉公衆が多い。
守護に従わない独立武士であり、今川家は足利一門だから味方した者も多い。
しかし、義元が三河を実効支配すれば、対立が起きる。
従わない武士団など邪魔だ。
義元の三河支配に幕府奉公衆の処分が欠かせない。
織田-信秀の死から桶狭間まで八年も時間を稼げたのは、義元が三河平定に要した時間だった。
あるいは、信長を使って尾張守護代を始末させた。
義元は最後に信長を食らって尾張を奪う。
そんな『漁夫の利』を狙っていたのかもしれない。
なぜなら、俺も同じ事を考えた。
義元に三河武士団を潰させ、その後に三河を奪えば、三河支配が楽になる。
幕府奉公衆の家は残すが、土地はすべて織田家が管理する。
織田弾正忠家から銭を貰って生計を立てる幕府奉公衆は、織田弾正忠家に文句が言えない。
親父を三河から撤退させる為にそんな案を口にした。
義元は知恵者なので読みやすい。
八年も待ってくれないだろうが、二年は待って欲しい。
「教継の謀反を放置するのは、義元にこちらが油断していると思わせる」
「わざと尾張を混乱させるのですね」
「油断してくれるとありがたい」
「大丈夫です」
「紅葉がそういうならば、そんな気がしてきた」
できれば、あと八年ほど油断してくれるといいな。
月締めの月次決算も佳境に入った。
次々と各部署の書類が届けられ、収入と支出を計算するそろばんの音が響いた。
商売を手広くやっているので大忙しだ。
猫の手も借りたい。
文官は元より、右筆、側近、侍女、護衛侍女、その他の見習いまで動員して処理をしていた。
俺も再計算して間違いないのを確認すると判子を押した。
紅葉が自分の仕事を終え、俺の再計算を手伝い始めた。
そろばんを弾きながら、俺に聞いてきた。
「若様。山口教継殿の謀反を許す理由は防衛の為でしょうか」
「紅葉は納得できないか」
「納得しております。しかし、若様ならば教継殿を取り込むこともできました。取り込んだ上で今川方に寝返らせておくことも可能と思うのです」
「確かにできなくはない」
「その理由をお聞かせいただけますか」
紅葉の指摘はもっともだった。
山口家は笠寺で塩の販売を独占しており、千秋季忠を別当に迎えたことで熱田神宮に上納金を払うことになった。しかし、琉球交易に絡ませるなどの予備的な措置を取れば不満を解消できた。
俺は敢えてしなかった。
なるべく史実から離れるのを避けたかった。
俺は城の生活改善に銭を欲した。
炭団や石鹸を作り、小遣い稼ぎに清酒を造った。
しかし、酒豪の公卿山科-言継の目に留まって帝に献上された。
それを契機に畿内で大々的に売ることになった。
すべて親父の無茶な要求の為だ。
また、俺は砂糖欲しさに琉球交易を始めた。
そう、公家様に知り合いができたので一条家に交易の許可を得た。
琉球と交易するならば、朝廷の印書があると便利だった。
国同士の交易と密輸では意味が違い、密輸は値段交渉で足元を見られる。
薩摩の島津家も同じ理由で近衛家を通じて一条家を頼った。
近衛家を頼ったのは、島津家の祖が近衛家の荘園であった島津荘の地頭だったからだ。
今は、島津家に水先案内人となって貰い、織田、島津、境商人の船団が琉球を行き来している。
六角家が琉球交易に参加したいというくらいだ。
東海を治める今川義元が興味を持たない訳もない。
史実から掛け離れた。
だが、それゆえに史実に近づけたい。
「加藤に言った言葉に嘘はない」
「昨日の説明ですね」
「五十歳に届かぬ親父が亡くなった。太原雪斎は親父より年上だ。いつ亡くなっても可笑しくない」
「雪斎殿が亡くなれば、義元殿が大将となってやってくると」
太原雪斎は甲・相・駿の三国同盟を花道に亡くなったと記憶している。
今年、武田家から北条家の氏親に嫁いでくるとの話が伝わっている。
史実に沿うならば、二、三年後に亡くなる。
時間が経つほど、俺に有利に働く。
「山口-教継を取り込むのは簡単だ。しかし、慎重な義元は騙せないと思う。疑われた教継は義元を信用させる為とか言って、こちらの手の内を露わにする。同じ理由で水野-信元も取り込んでおらん。どちらも腹に一癖も二癖もある曲者で信用できない」
「信元殿と教継殿は曲者ですか」
織田-信長は尾張を統一した後、鳴海城と大高城に付け城を築き、城を包囲して兵糧攻めを敢行した。
すでに史実と異なるので義元が侵攻する時期は不明だ。
しかし、状況を似せれば、思考は変わらない。
あの『桶狭間の戦い』をなぞれば、義元の首を取るのは容易い。
だから、あえて山口-教継の謀反を防がなかった。
「調略で山口-教継を取った義元は、混乱する尾張を調略で落とそうと考える。二年の時を稼げれば、製作中の硝石が大量に手に入る。戦術が大きく変わる」
「はい。農地の肥料として『蝮土』を隠れ蓑に製作中です。三年後、四年後はさらに多くの硝石が手に入ります」
「八年もあれば、大砲を積んだ水軍らしきものもできる。大砲の前に今川の水軍は手も足も出ず。海上に近い駿河の町は火の海に沈む」
「若様は今川-義元殿に油断していただきたいのですね」
「その通りだ。義元は知恵者だ。労せずに尾張が手に入るならば、兵ではなく調略で落とそうとする。調略に無駄な時間を費やし、こちらが戦力を整える時間を稼ぎたい」
「末森の家老、教継殿が寝返ったとなれば、織田弾正忠家の家臣らは混乱するでしょう」
「三河の幕府奉公衆を唆し、今川への叛旗を翻させ、三河平定に義元の時間を削る。紅葉の手腕に期待しているぞ」
「若様ほど巧くできませんが、努力します」
三河は幕府奉公衆が多い。
守護に従わない独立武士であり、今川家は足利一門だから味方した者も多い。
しかし、義元が三河を実効支配すれば、対立が起きる。
従わない武士団など邪魔だ。
義元の三河支配に幕府奉公衆の処分が欠かせない。
織田-信秀の死から桶狭間まで八年も時間を稼げたのは、義元が三河平定に要した時間だった。
あるいは、信長を使って尾張守護代を始末させた。
義元は最後に信長を食らって尾張を奪う。
そんな『漁夫の利』を狙っていたのかもしれない。
なぜなら、俺も同じ事を考えた。
義元に三河武士団を潰させ、その後に三河を奪えば、三河支配が楽になる。
幕府奉公衆の家は残すが、土地はすべて織田家が管理する。
織田弾正忠家から銭を貰って生計を立てる幕府奉公衆は、織田弾正忠家に文句が言えない。
親父を三河から撤退させる為にそんな案を口にした。
義元は知恵者なので読みやすい。
八年も待ってくれないだろうが、二年は待って欲しい。
「教継の謀反を放置するのは、義元にこちらが油断していると思わせる」
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「油断してくれるとありがたい」
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