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第一章 魯坊丸は日記をつける
閑話(五十八夜) 五郎丸、織田信光に報告する
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〔天文十七年 (一五四八年)春二月〕
魯坊丸様は仕事が速い。
数珠屋に赴かれ、忍びを頼むと、あっという間に概算を出してしまわれた。
その額を見て、思わず『うぉ』と私は驚きの声を上げた。
おおよそ三千貫文 (三億六千万円)であった。
小さな城が建つ。
三千石の領主が自らの城を建てるのに必要な額であり、知行二千貫文である前田様の荒子城より立派な城が建つ。
そんな額をさらりと出した。
この小さな体にどれほど野心を秘めているのかと思い描くと笑みが浮かんだ。
今日も休む間もなく、私の酒造蔵で職人の育成に熱を入れておられる。
せっかく酒造所ができても、肝心の働く人が居なければ話にならないと頑張っておられる。
私も魯坊丸様に負けていられない。
しかし、あちらこちらに連れ出される福殿もお気の毒だが、嫁いで十日も経たずに元主に連れ出された新成田家の当主様も憐れだ。
苦情を上げたくとも平針城主である加藤図書助様から止められており、文句を上げることさえできない。
城の中では、同情的な目を向けられて針のムシロだそうだ。
図書助様や私のように魯坊丸様の偉大さを理解すれば、そんな些細なことは気にせずいられるというのに…………福殿も苦労させられることになるだろう。
成田家の連中は魯坊丸様の凄さがわかっておらん。
私は魯坊丸様より預かった概算書をもって、守山城の一室でとある方を待っていた。
「待たせたな。五郎丸」
「信光様。お手を取らせて申し訳ございません。急ぎの用で来させていただきました」
「手紙では、済まんことか」
「額が額ゆえに、詳しく説明せねばならぬと考えました」
「聞こう」
織田-信光様は大殿であられる信秀様の弟である。
信秀様の片腕として、織田弾正忠家を取り仕切っておられる。
尾張で『たたら鉄』を製造する費用のすべてを肩代わりしていただいた。
あの時も守山筆頭家老が青い顔をして反対したが、信光様の鶴の一声で決まった。
今回も前回と同様に筆頭家老様が同席しておられる。
私の顔を怖い顔で睨んでいる。
私が出した概算書を横から覗きこんで、家老様は天を仰がれた。
「殿。今の守山にその額を出す余裕はございませんぞ。去年から物入りでございます。守山の台所が火の車であることをご承知ください」
「わかっておる」
「では、お断りしてください」
「もちろん、引き受ける」
「殿。無茶でございます」
「こんな面白そうな話を受けずに何が楽しみだ。刀を振るうだけが武士ではないぞ」
「とぉ~のぉ~」
信光様の家老も楽ではない。
それだけはわかる。
酒造所の造営のみならば、半分の額で完成する。
しかし、誰かの邪魔が入るかもしれない。
敢えて誰とは言わない。
火が出て、すべてが焼失すれば水の泡だ。
技術を盗まれて、他で同じ酒が造られるようになれば、投資した額は戻ってこない。
帝が褒めた酒を独占して売れるのは一時である。
売るだけ売って『先行逃げ切り』を狙うと、魯坊丸様は言われた。
この三千貫文を元手に、十倍、二十倍、百倍の銭を儲けると。
誰かが真似て追随してくるまでが勝負だと言われた。
「ほら見ろ。魯坊丸は面白いことを考えておる。三千貫文を三十万貫文に化けさせるつもりだ」
「三十万貫文ですか?」
「一国に相当する銭になるな」
「夢物語でございます。子供の夢に付き合っておられません」
「だが、今造っている酒は帝が所望された酒だぞ。出来ぬとあらば、織田弾正忠家の恥となる」
「それはわかっておりますが…………守山では捻出できません」
「そうか、無理か」
「無理でございます」
「そうなると、兄者に頼むしかないな」
守山家老が「…………」と言葉を上げずに考えた。
考えて、考えて、考え抜く。
その上で大殿に相談することに同意した。
「恥を凌いで、大殿に相談されるのが宜しいと思われます」
「何じゃ。つまらん答えじゃな。何としても捻出すると言ってくれんのか」
「無理なものは、無理でございます」
「仕方ない。恥をかきに末森の館に行ってくるか」
以前、鉄砲や鉄の生産方法を知った大殿は魯坊丸様から知識を取り上げて、信頼する家臣に命じるつもりだった。
子供に鉄砲や鉄の生産を命じるなどあり得ない。
大殿の判断がまともだと、私も思う。
しかし、信光様が「こんな面白そうな子供から知恵を取り上げてはつまらんであろう」と大殿を止めた。
止めた上で信光様が魯坊丸様の面倒を見ると大見得を切った。
そのお陰で鉄砲や鉄の生産が魯坊丸様の手に残ったのだ。
信光様は面倒を見ると言われたが、ほとんど私に丸投げされており、私が一方的に報告の手紙を書くのが仕事である。
信光様から戻ってくる手紙は、「今回も面白かった。もっと焚き付けよ」というような曖昧な指示しかない。
信光様は魯坊丸様を放置するだけで面倒を見るつもりなどないのだ。
それでも魯坊丸様は自ら問題を解決して進まれた。
魯坊丸様は凄い。
今回、私は大殿から命じられた難題を見て、もう駄目だと思った。
終わったと諦めた。
だが、魯坊丸様は諦めず、難なく問題を解決されてしまった。
最後の銭くらいは、面倒を見ると言われた信光様に出してもらわねば、こちらの苦労が報われない。
精々、大殿に叱られてくればよい。
大殿ならば、三千貫文などはした金だ。
「結果をお待ちしております」
「わかった。おい、末森に先触れを出せ。明日、兄者に会いにゆく」
「畏まりした。すぐに手配致します」
古渡城の二ノ丸と三ノ丸が焼失して機能を失ったので、末森城を居城に移された。
城は築城中であり、麓の館が借り居城となっていた。
明日の夕刻までに返事も届くだろう。
すぐに魯坊丸様に報告しよう。
そう考えつつ、私は信光様に礼をして守山城をあとにした。
魯坊丸様は仕事が速い。
数珠屋に赴かれ、忍びを頼むと、あっという間に概算を出してしまわれた。
その額を見て、思わず『うぉ』と私は驚きの声を上げた。
おおよそ三千貫文 (三億六千万円)であった。
小さな城が建つ。
三千石の領主が自らの城を建てるのに必要な額であり、知行二千貫文である前田様の荒子城より立派な城が建つ。
そんな額をさらりと出した。
この小さな体にどれほど野心を秘めているのかと思い描くと笑みが浮かんだ。
今日も休む間もなく、私の酒造蔵で職人の育成に熱を入れておられる。
せっかく酒造所ができても、肝心の働く人が居なければ話にならないと頑張っておられる。
私も魯坊丸様に負けていられない。
しかし、あちらこちらに連れ出される福殿もお気の毒だが、嫁いで十日も経たずに元主に連れ出された新成田家の当主様も憐れだ。
苦情を上げたくとも平針城主である加藤図書助様から止められており、文句を上げることさえできない。
城の中では、同情的な目を向けられて針のムシロだそうだ。
図書助様や私のように魯坊丸様の偉大さを理解すれば、そんな些細なことは気にせずいられるというのに…………福殿も苦労させられることになるだろう。
成田家の連中は魯坊丸様の凄さがわかっておらん。
私は魯坊丸様より預かった概算書をもって、守山城の一室でとある方を待っていた。
「待たせたな。五郎丸」
「信光様。お手を取らせて申し訳ございません。急ぎの用で来させていただきました」
「手紙では、済まんことか」
「額が額ゆえに、詳しく説明せねばならぬと考えました」
「聞こう」
織田-信光様は大殿であられる信秀様の弟である。
信秀様の片腕として、織田弾正忠家を取り仕切っておられる。
尾張で『たたら鉄』を製造する費用のすべてを肩代わりしていただいた。
あの時も守山筆頭家老が青い顔をして反対したが、信光様の鶴の一声で決まった。
今回も前回と同様に筆頭家老様が同席しておられる。
私の顔を怖い顔で睨んでいる。
私が出した概算書を横から覗きこんで、家老様は天を仰がれた。
「殿。今の守山にその額を出す余裕はございませんぞ。去年から物入りでございます。守山の台所が火の車であることをご承知ください」
「わかっておる」
「では、お断りしてください」
「もちろん、引き受ける」
「殿。無茶でございます」
「こんな面白そうな話を受けずに何が楽しみだ。刀を振るうだけが武士ではないぞ」
「とぉ~のぉ~」
信光様の家老も楽ではない。
それだけはわかる。
酒造所の造営のみならば、半分の額で完成する。
しかし、誰かの邪魔が入るかもしれない。
敢えて誰とは言わない。
火が出て、すべてが焼失すれば水の泡だ。
技術を盗まれて、他で同じ酒が造られるようになれば、投資した額は戻ってこない。
帝が褒めた酒を独占して売れるのは一時である。
売るだけ売って『先行逃げ切り』を狙うと、魯坊丸様は言われた。
この三千貫文を元手に、十倍、二十倍、百倍の銭を儲けると。
誰かが真似て追随してくるまでが勝負だと言われた。
「ほら見ろ。魯坊丸は面白いことを考えておる。三千貫文を三十万貫文に化けさせるつもりだ」
「三十万貫文ですか?」
「一国に相当する銭になるな」
「夢物語でございます。子供の夢に付き合っておられません」
「だが、今造っている酒は帝が所望された酒だぞ。出来ぬとあらば、織田弾正忠家の恥となる」
「それはわかっておりますが…………守山では捻出できません」
「そうか、無理か」
「無理でございます」
「そうなると、兄者に頼むしかないな」
守山家老が「…………」と言葉を上げずに考えた。
考えて、考えて、考え抜く。
その上で大殿に相談することに同意した。
「恥を凌いで、大殿に相談されるのが宜しいと思われます」
「何じゃ。つまらん答えじゃな。何としても捻出すると言ってくれんのか」
「無理なものは、無理でございます」
「仕方ない。恥をかきに末森の館に行ってくるか」
以前、鉄砲や鉄の生産方法を知った大殿は魯坊丸様から知識を取り上げて、信頼する家臣に命じるつもりだった。
子供に鉄砲や鉄の生産を命じるなどあり得ない。
大殿の判断がまともだと、私も思う。
しかし、信光様が「こんな面白そうな子供から知恵を取り上げてはつまらんであろう」と大殿を止めた。
止めた上で信光様が魯坊丸様の面倒を見ると大見得を切った。
そのお陰で鉄砲や鉄の生産が魯坊丸様の手に残ったのだ。
信光様は面倒を見ると言われたが、ほとんど私に丸投げされており、私が一方的に報告の手紙を書くのが仕事である。
信光様から戻ってくる手紙は、「今回も面白かった。もっと焚き付けよ」というような曖昧な指示しかない。
信光様は魯坊丸様を放置するだけで面倒を見るつもりなどないのだ。
それでも魯坊丸様は自ら問題を解決して進まれた。
魯坊丸様は凄い。
今回、私は大殿から命じられた難題を見て、もう駄目だと思った。
終わったと諦めた。
だが、魯坊丸様は諦めず、難なく問題を解決されてしまった。
最後の銭くらいは、面倒を見ると言われた信光様に出してもらわねば、こちらの苦労が報われない。
精々、大殿に叱られてくればよい。
大殿ならば、三千貫文などはした金だ。
「結果をお待ちしております」
「わかった。おい、末森に先触れを出せ。明日、兄者に会いにゆく」
「畏まりした。すぐに手配致します」
古渡城の二ノ丸と三ノ丸が焼失して機能を失ったので、末森城を居城に移された。
城は築城中であり、麓の館が借り居城となっていた。
明日の夕刻までに返事も届くだろう。
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