アベレーション・ライフ

あきしつ

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四月:終わりの始まり

第15話:体育大会前夜

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「なーんか今年は心が軽いなー」
体育大会を前日に控えた快達は今日この日、特に何もせず終えようとしている。
「特に意気込むことが無いからでしょうか。他クラスの蹂躙など、普段とやることは変わりません」
男子勢は全員で歯磨きをして、もうすぐで就寝しようと思っていた。電樹と冬真はコップを置いて先にリビングルームへ向かう。
「よう、有都。お前らももう寝んのか?」
「明日は朝早いので夜更かしは良くないと思いますよ?」
二人に話しかけられた有都は明らかな動揺を見せる。その様子をいち早く悟った糸永は冬真の腕を引っ張る。
「ほら、あんたも人のこと言ってないでさっさと寝なさい!」
「え、あ、ちょっ…」
冬真も動揺しつつその恋情揺らめくその空間から脱出する。
「あの…いいかしら電樹」
「ん?お前が名前呼びって珍しいな」
頬を赤らめ、髪の毛をいじりながら有都が言う。最早気づいてもおかしくないレベルの恥じらいだ。だが電樹は他人の恋愛はいじり倒すくせして、自分に関しては全くもって鈍感である。
「あれほど体温が上昇しているのに…なぜ感知できないのか。それこそ理解できません」
「それ、多分あんたにしか分かんない」
電樹の親友である冬真と、有都と仲が良い糸永は基本的には一緒にいることが多い。とはいえ両者から恋的な感情は一切存在しないと快は思っていた。
「今年の…体育大会でさ…どっちかが三位以内に入れたら…その…一緒にで、デートとか…その一緒にお出かけとか行かない?」
「うおおおお!いいぞおおおおおお!」
「バレますよ?」
まさか有都がデートという言葉を口に出すとは。それに発狂した糸永を冬真が宥める。
「んー……暇だし良いけど…ちょっと違うんじゃね?」
「え?」
電樹は有都に人差し指を立ててみせる。
「一位だよ!俺の目標はそんだけだ!それだったら堂々と行けるだろ?」
その澄みきった笑顔に有都は悶絶する。自分が自分でなくなるように。
「鷲掴みにされたわね」
「されてますね」
スキップに近い足取りで有都は部屋へ戻っていく。電樹はその様子を頭を掻きながら見ていた。


例年と違い心が軽い、それだけでは眠気には勝てない。快は部屋のベッドに横になる。
(だめだ…考えること多すぎて眠れん)
目を瞑っても眠れない。快はこの状況が嫌いだった。体育大会のこと、家のこと、地球のこと…山程ある考え事の中でも最も輝きを放って存在感をアピールしているが鳥束翼だった。あの男は何者なのだろうか。
ふとスマホの着信音が鳴り響く。
(解華?めずらしいな…)
「何?」
『ごめーんちょっとわたしの部屋来てくれない』
またろくでもないことに付き合わされるのか…快はため息を吐きながら、部屋を出た。

「いらっしゃーい」
紅茶を片手に解華が言う。黒のルームウェアを身に纏った解華はまさしく艶やかという言葉を擬人化したものといっても過言ではない。
「んで何の用だよ」
「せんせーのこと何だけどさ」
太ももからふくらはぎにかけてクリームを塗りながら解華はその目付きを変える。
「先生?なんで?そしてそんなに太ももを露にするな。目のやり場に困る」
快は目を丸くして聞き返す。
「変態ストーカー野郎のことで警察に行って来たんだけどさ。死んだらしいよあのスナイパー」
スナイパー、というのは界都と柔也を狙い撃ち、鳥束に拘束されたという彼だ。
「え…?」
快は目を丸くする。捜査中、その殺し屋は僕に任せてと鳥束は言った。鳥束が教室から出ていき、戻ってくるその間、何が起こったのか。考えても思いつかない。
「ってかお前も大変だな。ストーカー野郎は死んだのか?」
「いいえ、まだ。口は利かないみたいだけど」
「ふ~ん」
快にとって解華は敵に回したくない人間の一人だ。間接的ではあるものの、平気で人を殺す女だ。
(あれ?そういや何であんなやり方をすんのか聞いたことなかったな…ま、いっか)
「人は脆い、感情が最高潮になった時、もたらしてくれた人物に甘くなる。感情を持つ人間であればどんな異能力者でも同じだわ。そして最高の気分を味わった後、絶望を、手の平返しを喰らえば人の精神はいとも簡単に折れる」
「………ああ、そうだな…」
部屋は静まり帰る。本当なら解華の部屋など長居して得はないが、快はなぜか立とうと思わなかった。
「…あら、そういう雰囲気ね。脱いで」
「脱ぐか!!やっぱ最悪だ!お前は!」
頬を膨らませ、不満そうな顔をする解華を快は呆れ顔で見て、勢いよく立ち上がる。
「ったく…あんま気負いすぎんなよ」
「当たり前じゃない。あんなストーカーが逝ったところで毛ほどの感情も湧かないわ」
快はあくまで強気を見せる解華を背に、部屋を出て行った。静寂に包まれている女子棟の廊下をふらふら歩きながら呟く。
「鳥束…翼…か。一体何者なんだ?」
快はその場にいない男に向かって言う。鳥束の言うことは真実なにか虚実なのか。今、考えても分からない。今はこれから来るであろう未曾有の脅威のためにも、備えなければ。快は鳥束翼を信じようと決めた。例え、あの男が何者であっても。そして──


「お願いできるかしら。生徒会長」
三十代程の眼鏡の女は暗闇の中、机に座る自分の前に立つ少年に穏やかな口調で問いかけた。
「はい、心得ております。理事長先生」
理事長と呼ばれた女は机から腰を上げ、窓際に立つ。学園都市の華美な夜景を見つめ、話を続ける。
「これ以上、この学校で彼らの存在を大きくするわけにはいかない。その為にも明日の体育大会。分かるわよね?」
「はい、今年こそ、奴らを叩き潰す所存です」
理事長は机に飾られている一輪の花を手に持つ。どこにでも生えている、クローバーだ。理事長は生徒会長の胸にそれを押し付ける。
「クローバーの花言葉、幸運と約束……そしてもう一つ」
生徒会長は不思議そうにクローバーを見つめる。
「復讐よ」
理事長はそう言うと再び、窓際へ寄る。
「さて…一勝負しましょうか…鳥束翼…」


───体育大会開催まであと九時間───
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