ポラリス~導きの天使~

ラグーン黒波

文字の大きさ
13 / 64
第二章・四人の【天使】

【第七節・前を向く】

しおりを挟む

 目を覚ますと、見知らぬ白い天井が見えた。交易所の高く、青い天井の色ではない。背中に柔らかな感触を感じ、自分はベッドの上にいるのだと理解する。夢か? いいや、夢にしては生々しいあの熱さや痛みはどこにも無い。
 腹部の上に置かれた右手が、固く細い物に包まれている違和感を覚え、恐る恐る視線を下げる。

「あらっ!! 気が付かれましたか【天使】様っ!?」

 最悪だ。傍らの椅子に座る、シスターに右手を握られていた。
 驚いて口から人語ではない奇声を出しながら、上半身を勢いよく起こす。真っ白な壁と、シスターの背後に飾り気のない大きな窓が一つ、私の足元には扉が見える。どこかの病院の個室か。そしてやはり、肉の無い両手が私の手を握っている。私はまだ悪夢の続きをみているのか? そう声を発したはずだが、喉が乾き張り付いたようになっていて、口をぱくぱくさせるだけに終わった。

「落ち着いて、とりあえずお水をどうぞ?」

 私の手を放したシスターは陶器の瓶からコップへ水を注ぎ、差し出す。受け取った水で喉を潤そうと勢いよく飲むが気管へ入り、むせ返る。

「あららっ!? ご無理をせず、ゆっくり飲んでくださいませっ!?」

 シスターは私の背を優しく擦る。【天使】である私が、こんな意味不明な骸骨にまで心配される惨めな姿を思うと、なぜか嗚咽と涙が出てきた。

「大丈夫ですよー、ここは街の病院でーす。お腹の傷も、私が完全に治しましたから問題ありませんよー」

 泣く子をあやすように、擦りながらシスターが状況をゆっくりと説明してくれた。

 ティルレットに脇腹を刺され、レイピアを介し呪詛を流し込まれた私は気絶。その光景を間近で見ていたツメイは絶叫し、建物の外へ逃亡。私はその後、ティルレットとバックスに運ばれ、レイピアが刺さったまま病院へ。シスターは交易所の外から、一部始終を見守っていた交易商人や一般人らに状況が収まったことを説明し、なんとか理解(?)を得られた。
 シスターも遅れて病院へ行き、私からレイピアを引き抜き魔術による施術を行って、傷口を縫合。幸い、臓器には傷がついていなかったので、大事には至らなかった(?)そうだ。

「大変でしたけど、【天使】様がご無事で何よりですわ」

「……なぜ、私を助けたのですか? ……バックス氏もだ。私はあなた達と分かり合えないと、あの時言いました。神々の手足として働き、高潔な【天使】として、狂人のあなた達を粛清すると宣言した。生かしたとしても、あなた達と分かり合えない事実は何も変わりません。恩を売るだけ無駄ですよ」

 しばしの静寂。シスターに表情は無いが、頬骨へ手のひらを当てる仕草から……考え込んでいるのだと思う。一分も経っただろうか、彼女は頬骨から手のひらを離し、太ももがあるべき部分へ両手を置く。

「私も神々を信仰し、この身を捧げてはおりますが……【天界】に住まう神々は、私達に試練しか与えません。そして、試練も実際は【地上界】で生きる私達の救いではなく、自身らの退屈しのぎ。乗り越えたとしても、何もありません」

「違います。乗り越えることで、神々に生きることを認められるのです。生かされていることに感謝し、人間達は皆祈らなければなりません」

「まあっ!? 【天使】様は、人間をまるで家畜のように例えるのですねっ!?」

「あなた達の考え方では、神々へ信仰を集めることができません。非生産的なやり方に、【天使】が賛同できるわけがない」

「それはそうかもしれませんけど……扱われる側としては、あまりいい気持ちではないでしょう?」

「それが余計な思考なのです。雑念です。不要です。棄ててください」

「いいえ。生き方を選ぶ権利が、人間を含めた【地上界】に住まう全ての生物にはありますわ」

「自分達の都合で生き死に選ぶ、野蛮な生き物が何言ってるんですか」

「それは【天使】様も同じでしょう?」

「……確かにそうですが」

 初めてだった。シスターは私の考えを聞いても、怒りもせず、向き合って討論をしてくれる。【ルシ】やポラリス、巻き髪の後輩【天使】と新人【天使】は、既に狂人側へと染まり切っていて、話すだけ無駄だとすら思っていた。感情任せに怒るか、否定され、軽蔑されるか、最悪裏切り者として【堕天】させられる。……そんな風に考えていた。
 だが、異なる価値観の持つ者同士がぶつかっているのにも関わらず、私がどれだけ差別的な言葉を使おうとも、シスターはふわりと受け止め、自分達の考えを述べる。なんと表現するべきか、とても妙な気分だ。

「――やはり、私には分かりません。神々に仕えることが【天使】の使命であり、幸福です。魔王の口車に乗せられたポラリス司祭や【ルシ】は神々を否定し、あなた達を歪ませている。……そうとしか思えない」

「ポラリス司祭の言葉を借りるなら――私達は完璧ではなく、歪な存在ですわ。例え神々が完璧だとしても、【地上界】と私達を完璧に創造しようとはしませんでした。私達だけではありません、【天使】様もです」

「あり得ませんね、現に私は完璧な【天使】として仕えています」

「ですが、本当に完璧なのだとしたら、神々の為に死ぬことも恐れないのではなくて?」

 耳が痛いな。そうだとも、私は死が怖い。あなたのように死を連想さえるような、ティルレットのように死に魅入られたおぞましい存在が怖い。魔王の娘やローグメルクもそうだ。彼女らも一般的な人間以上に死に近く、だというのに、生きることへ一切の不安を感じさせない。
 家畜の人間以上に、死に近い異形の者達の方が生を謳歌している。なぜ? 神々に見捨てられ、忌者にされた歴史の敗北者だろう? それは死ぬよりも辛く、重い十字架ではないのか?

「私は……死を連想させる、あなた達が怖いのです。ポラリス司祭の言葉が正しければ、私もまた完璧な存在ではないのでしょう。あのティルレットさんの表情を見た時、死にたくないと思いました。……悔しいです……私はあの場で、醜くも死ぬべきだったのですよ。……自分自身が醜く歪な……人間と同じ存在だと認めたくなかった」

 視線を上げ、シスターを真っ直ぐと見据える。やはり怖いな。死に近くも、生きていると感じさせるあなたが。

「でしたら、尚更生きるべきですわ。神々の代行者として私達を導くのではなく、【天使】様が【天使】様の意思で、私達を死から遠ざけてくださいませ。かつての戦争で【ルシ】がそうしたように、あなたの上司であるポラリス司祭がそうありたいと願い、行動するように」

「………………」

「死は多くの生き物が抱え、受け入れられぬものです。私だって……死は怖いものでしてよ? 眠りへつく前に、もう朝日を拝めないかもしれないと想像したことがございます。それから数日は一睡もできなくて大変でしたわっ!!」

 彼女は修道着の袖から、ハンカチに包まれた林檎を取り出す。私の両手を取って握らせ、こつこつとした無機質な感触が私の両手の上へ更に重ねられる。

「過ちや恐れは恥ではありません。我々は元々歪で、不完全な存在なのですから。だからこそ、互いに足りない部分を補い合うのです。完璧でなくとも、完璧に近付くことは出来ますわ。一人ではなく二人で、二人よりも三人で。最初から寄り添い合って、生きるよう出来ているのでしょう。私の信じる神々は退屈凌ぎだけではなく、そういった意味を込めて、【地上界】へ試練を課しているのだと考えております。生き方に正解などありませんわ。今すぐでなくともよいですから、ゆっくりと【天使】様自身や、【地上界】に住まう人々ついて考えてくださいませ。私はシスター。いつでも【天使】様のご相談に乗りますわ」

 骨だけの、体温も感じられない細い手と指。表情の無い髑髏顔。だがきっと、あなたは私に微笑んでいるのだろう。

 ――この世界は、皆等しく歪んでいる。どれほど完璧に見えようとも、誰しもが何かを欠いている。ならば欠けた部分が満たされ、完璧になるその日まで、人々を死から遠ざけるよう導き、あなた達から学ぼうではないか。

 神々の意思ではなく私の意志で、【天使】として気高く生きてやる。

***

「彼に会わなくともよいのですか?」

 病室の前に設置された椅子に腰掛ける、教会のローブを纏った【ルシ】へ尋ねる。
 時刻は十九時三十語五分。僕達は街へ戻ってくるなり、三つ編みの男が交易所で暴れたと交易商人から聞き、運ばれた病院へ急いで駆け付けたのだ。しかし、既にシスターの手によって治療の施術は完了しており、【ルシ】も一足早く来たようだが、自身の出る幕ではないと、部屋の外から聞き耳を立てていたようだ。

「私や君らが話すより、彼にとっては、シスターが一番良い話し相手だからね。神々を崇拝しつつも、異なる価値観の他者を受け入れる器を持ち合わせた彼女なら大丈夫。……出番がなくて、良かったと思うくらいさ」

 そう語る【ルシ】の右手には、金色に輝く小さな筒のようなものが握られている。以前牢屋で見た代物だ。彼の信仰によって形作られた武器だろうか? 最悪の事態も有り得るとして、備えてきたのかもしれない。
 僕の横に立つスピカが彼からそれを奪い取り、両手で回し眺める。

「またヘンテコな物を……これはどんな玩具ですか?」

「遥か昔、【銃】と呼ばれていた武器を模した物だよ。ポケットに入るくらい小さいけど、殺傷能力を持った立派な武器さ。時代遅れも一周回れば、最新鋭の技術になる。内部構造がとても複雑で、剣や槍の方が生産性はあるんだけど昔は――」

「――あー、いいです。そういうの聞き飽きてるんで」

 彼女はそう言って【ルシ】へ【銃】を雑に投げ返し、彼は「おっと」と慌てて掴み取る。
 スピカと【ルシ】の力関係はスピカの方が上らしく、彼女はよく【ルシ公】と呼んで彼をからかい、過去の事を気にかける【ルシ】は彼女に強く出れない。ほぼ一方的になされるがままで、彼に憧れる者としては複雑な気分になる。神々と唯一対等な【特別階級】がいいのですか、それで。

「ま、まあ……ポラリス君もご苦労だった。【魚人族】との交渉も皆で頑張ってくれていたようだし、私としては部下の成長に嬉しい限りだ。腕の傷は大丈夫かい?」

「港町の中へは入れてもらえませんでしたが、止血の手当てをしていただけて助かりました。交渉も……すぐにとはいきませんが、族長直々に動いてくれると約束をしていただいたので、いずれ交易市場にも動きが出始めるでしょう」

「というか、いつから監視してたんです?」

 割って入ったスピカの言葉に、小さく咳払いをした【ルシ】は椅子から立ち上がり、「失礼するよ」と呟き僕らの横を歩いて通り過ぎる。

「あ、誤魔化した。ボクに隠し事は無しですよー」

「恐らく【千里眼】でしょう。【上級天使】以上の一部の【天使】が行使可能な権限の一つで、特定の対象を常時監視することができるそうです。使用できるのは、【地上界】にいる時のみですが……」

 僕とスピカは振り返り、【ルシ】が歩いて行った通路を見るが、既に彼の姿はなかった。
 彼の肉体は、正規の手順で【受肉】を行った肉体ではない。【地上界】に長く留まれないが、瞬時に【天界】と【地上界】を移動する事が可能で、視察や少々手のかかる用事を済ませる時に利用しているそうだ。これは神々や【天使】達には、まだ知られていない技術である。【銃】と呼ばれる太古の武器の再現や、最新技術の肉体……彼の発想力や、それを実用可能とする技術力を改めて凄まじいと感じた。

「……ごめんなさい」

 隣に立つスピカが俯き、ぽつりと呟いた。三つ編みの彼の件だろう。確かに提案してきたのは彼女からだが、それに乗って部下へ指示を出したのは僕である。あなたが謝ることじゃない。

「……僕の至らなさでもあります。上司として、もっと彼と話す時間を作るべきでした。ニーズヘルグが【堕天】し、僕が【中級天使】に昇格した事を快く思っていないことは、薄々わかっていましたから。……こちらの都合でこの街の皆さんにも迷惑を掛けてしまいましたし、スピカさんや街の方々へ謝るのは、寧ろ僕の方です」

 しかし、スピカは暗い表情で俯いたままだ。こういった場合、彼女になんと言葉をかけてあげるべきか。……わからない。頼みのローグメルクは、病院の外で新人【天使】と共に凹んでいて、ティルレットは交易所の修繕の手伝いを行っている。
 一先ず彼女の手を取り、病室の前にある椅子へ座らせる。皆が各々の責任を感じているのだ。互いに励まし合うことは出来るが、完全に払拭することは出来ないだろう。それは僕も同じだ。シスター、今はあなたの励ましの言葉が欲しいです。

「あらぁ? なんであんた達がこんな所にいるんだい」

 【ルシ】が姿を消した通路の方から、固い靴底を鳴らし、大きな包みを抱えた人影がこちらに向かって来る。後ろで短く束ねた赤い髪、両肩から袖部分が切り落とされた特徴的な黒のコート。あれは――ペントラだ。
 彼女は傍まで来ると、不思議そうな表情で僕らの顔を見比べている。

「ここは病院さね。暗い顔して、二人共どっか悪いのかい?」

「ペントラさんこそ、どうして病院……というか、この街にいるんです?」

「アタシは仕事。ここには薬品とその原材料とかを配達しに来たのさ。しっかし、重いったらありゃしないよ。か弱いに乙女に荷車一台引かせるとかないわー。今度は軽い物だけ扱うようにしなきゃねぇ、アッハッハッハッ!!」

 病院内だというのに、構わず豪快に笑ういつものペントラを見て少しだけ胸がすく。彼女の右横の壁に、〈院内ではお静かに〉の張り紙が無ければもっとよかったのだが。

「そういや、交易所で乱闘騒ぎがあったらしいじゃないか。ポーラかスピカは知ってる?」

「知ってるも何も……僕の部下です」

 事のあらましを彼女へ説明する。僕も人伝で聞いた話であり、偏見なく説明できた自信はないが、ペントラは途中から抱えていた大きな包みを床へ置き、隣の病室前に設置されていた椅子を拝借してスピカの隣へ座り、足を組んで落ち着いた様子で聞いていた。
 一通り話終えると彼女は腕組みをし、少し考えるように天井を見上げる。

「神、神、神……アタシの一番嫌いな部類だねっ!! テメェの頭で考えらんねぇクソガキほど、手の掛かる奴はないってのっ!! そんであんた達は悪いと思って反省してる、街の連中も赦してくれた、んで怪我人も本人ぐらいでそれももう治った、ハイお終いっ!!」

 椅子から勢いよく立ち上がったペントラは、両手のひらで僕の顔を頬挟む。ぱぁんと爽快な音が院内に響き、俯いていたスピカも驚いたように反応する。頬が取れそうなくらい痛い。ペントラが顔を近づける。

「しっかりしな。誰だって、生きてりゃ失敗はある。皆が赦してくれて何とかなったんなら、それでいいじゃないか。似たような派手な失敗だって、この先あるかもしれない。けど、その度にウジウジしてちゃ、何も変わりゃしないよっ!! あんた達が今すべきことは笑うなり、飯食って寝てスッキリするなりで、自分の中でその気持ちをとっとと整理することだっ!! んで、そのあとちゃんとクソガキと膝交えて話しなっ!! つーか、めんどくせぇからアタシも晩飯に誘えっ!! 活入れてやるっ!!」

 そういい放つと彼女は僕の頬から両手を離し、今度はスピカの方へ振り返り、同じように頬を両手のひらで勢いよく挟む。廊下に爽快な音が再び響き渡り、傍から見ても痛そうだ。

「スピカっ!! あんたもあんまりポーラを困らせるんじゃないよっ!! こいつ馬鹿真面目だから、人が凹んでるの見ると同調して自分まで凹んじまうんだっ!! 反省するのも大事だけど、謝って赦してもらえたんなら笑ってやりなっ!! こいつの部下はこいつの部下だっ!! 責任感じんのもわかるけどね、今は自分の部下の傍にいてあげなさいなっ!! 可愛い上司がいつまでも暗い顔してると、部下まで暗くなっちまうよっ!! 二人共若いのによく頑張ってるっ!! 褒めて欲しければ、アタシがいくらでも褒めてやるさっ!!」

 ペントラはスピカの頬から両手を離し、そのまま強く抱きしめる。スピカは頬を赤く腫らして、困惑した様子で目を大きく見開いていた。

「余計なことしかしない神様が嫌いなのは、アタシも同じ。けど、自分まで嫌いになっちゃあいけない。神様が信じられないなら、周りの奴らを信じてやりなさいな。皆、いろんなもん抱えて生きてんだ。この街の人間や魚人みたいに、理解してくれる奴だって世界にはいる。だからあんまり自分を責めなさんな。赦される側が素直に赦されてくれなきゃ、誰も救われないよ。わかったかい?」

「……ありがとうございます、ペントラさん」

 スピカは彼女の肩へ顔をうずめる。ペントラもまた【悪魔】だ。励まし方もやり方も、言葉遣いも乱暴だが、彼女なりの温かさは下手な同情の言葉よりも、僕らの胸に響くものであった。そうだ、いつまでも引きずってはいられない。皆を導く【天使】として、前を向き続けなければ――

「うるさいですよ。病院内はお静かに――あ」

 傍の病室の扉を開けて、鋭い目つきをした不機嫌そうな見知った顔が出てきた。

***

 交易所前のベンチに並んで腰かけながら、私とローグメルクは下ばかり見ていた。
 上司の力になれない、自分の無力さ……いや、私はずっと足手まといだった。他の二人よりもポラリス司祭に甘えてばかりで、自分一人では満足に【天使】として業務もこなせない落ちこぼれだ。あの人は、いつも私を励ましてくれる。焦るな、かつては自分もそうだったと。新しいことを一つ一つこなせると、ちゃんと褒めてくれる。ニーズヘルグは私を「使えない」といつも言っていたが、ポラリス司祭は私を蔑むような言葉を一切使わず、状況に合わせた適切な【お告げ】を丁寧に教えてくれた。臆病で口下手で近眼なのも、文句一つ言わずに理解しようとしてくれる。

 そんな優しい司祭が傷付きボロボロになるのを、間近で見ていても足がすくんで動けず、駆け寄ることすらできなかった。三つ編みの先輩がいつもあなたに怒っていて、いつかは積もった感情が爆発するのではないかと、危惧を報告するべきだった。流石の司祭も、今回の事で私を見捨ててしまうかもしれない。依存するのはいけないとわかってはいる。所詮上司と部下の、冷淡な関係だともわかっている。それでもあの人に軽蔑されるような言葉を投げかけられてしまったら、私はもう立ち直れない。
 だが、隣に座るローグメルクは違う。主の為に、亡くなった人達の為に、涙を流して行動した。額から生えた角や足の蹄は最初見た時怖かったが、彼自身は優しく礼儀もあり、他人へ気遣いのできる繊細な人だ。【悪魔】でありながら、【天使】の私達を仲間として扱ってくれる。
 スピカもティルレットもシスターも、皆自分自身の信念を持って生きる姿に、なにもない私は胸が痛くなる。

「眼鏡さん。……俺らのせいで司祭に怪我させちまったり、迷惑かけてしまって、すんませんでした」

 膝に手を置き、ローグメルクは私に向かって頭を下げてくれる。あなたは正しいことをしたのだ。ポラリス司祭の怪我も、私が応急処置の仕方一つでも知ってさえいれば、すぐにでも駆け寄って手当てすることができたはず。謝るべきは、そんな責任を感じさせてしまった私の方である。

「い、いえ……私なんて、なにもできなくて……足を引っ張ってばかりで……」

「そんなことないっす。最初にイシュが喧嘩売って来た時、眼鏡さんがしがみついてなかったらポーラ司祭も吹っ飛んで、間違いなく怪我してたっすから。偶然だとしても、司祭の役にたててやした。俺は逆に守る立場のはずなのに、司祭に怪我させちまって……なんて謝ったらいいか、わからねぇっす」

 頭を上げた彼も浮かない表情である。司祭なら守ってくれると思って、あの時しがみついてしまったのだ。結果論だとしても、動けなかった事に変わりはない。自分の弱く情けない姿を恥ずかしく思う。

「本来ならお嬢や司祭、眼鏡さんも守られる立場であって、俺は怪我してでも守らなくちゃいけない立場なんす。そう自分で宣言したのに、結局我慢ならなくてイシュの口車に乗せられ争っちまいやした。……認めたくないっすけど、自分の中にも、あの頃の戦火が燻ってるんすよ。割り切ってたつもりなのに……ダッセェすよね……」

「でで、でもっ!! ローグメルクさんが動かなければ、【魚人族】の族長さんが……危なかったですからっ!!」

「そうかもしれないっすけど……」

「えっと……ローグメルクさんは……亡くなった人々の誇りを守る為に動いたんです。……ですから、とても立派で、正しいことだと……思います。あなたのお陰で、亡くなった方々の誇りも、族長さんも守れました。……その……かっこよかったですよ?」

「そ、そうすか? 俺単純で馬鹿っすから、褒めて貰えると素直に嬉しいっす……へへ」

 ローグメルクは照れくさそうに、鼻の頭を右手人差し指で擦る。彼の場合、励ましの言葉よりも褒めてあげた方が良いのかもしれない。自分の言葉で彼を勇気付けられたのだとしたら、私も嬉しい。

「私は……まだ新人で、できることも少なくて、毎日勉強をしながら【天使】の業務に従事しています。……だから世間知らずで……【悪魔】の皆さんも、きっと怖い方達なんだなと、勝手に想像していました」

「んー、大体間違いではないっすけどね。ただ【契約悪魔】は約束事は守るし、【冥界】の【はぐれ悪魔】に比べたら人間っぽいつーか、情に厚いっつーか。……俺からしてみれば、【天使】の方がびっくりっすよ。だって性別も名前も無いんすよね? 不便じゃないすか?」

「私は……小さくて女の子みたいですし、新人とか、丸眼鏡とか……そんな風に呼ばれるので、そこまで困ってはいません」

「寂しくないすか。名前無いと、その他大勢みたいな感じで」

 その他大勢……確かに、【天使】は神々の手足として働くために生まれてくる、道具に等しい存在だ。神々にとって名前の無い【下級天使】は、名を覚える価値すらないのだろう。足りなくなれば補充する、消耗品と同じ。だからこそ、最低限の役割すら担えない自分が情けないのだ。
 ニーズヘルグの「使えない」と言ったあの顔を思い出して胸が痛む。

「あっ、すんませんっ!? 俺、また余計なことをっ!?」

「い……いえ……ごめ……ごめんなさい……」

 私が悪いのだ。普通の事すらまともにできない、私がおかしいのだ。胸が痛い、涙が止まらない。みっともなくてかっこ悪くて、この場から消えてしまいたい気分になる。神よ、なぜ私のような【使えない天使】をお作りになられたですか。
 私は、自分の無力さがとても辛いです。いつも周りを困らせてしまう、自分が憎いです。

「眼鏡の客人、お顔をお上げください」

 その言葉に顔を上げると、目の前にはいつの間に来たのかティルレットおり、赤いハンカチを差し出していた。怪我をしているようで、メイド服の上から左腕と腹部に白い包帯が巻かれている。白い肌に青い瞳、まるで人形のような無機質な表情で、私を見つめている。

「不肖も未熟者故、悩み、戸惑うことが多々ございます。客人はまだ芽吹きかけた種。焦り、多くの水を与えようとも、その育ちはとても緩やかなものにございましょう。己が意思で育ちを操るのは至難の業。水を与え過ぎては、毒を盛るに等しゅうございます」

「へぇっ!? ティルレットも戸惑うことあるんすかっ!?」

「静粛に」

「あ、すんません……」

 ローグメルクをたしなめつつ、ティルレットはハンカチを受け取らない私の眼鏡を取って、優しく涙を拭いてくれる。視界が涙と近眼で一気にぼやけるも、彼女と隣のローグメルクの顔はなんとか認識できた。
 聞きなれない難しい口調だが、励ましてくれているのだろう。私がポラリス司祭に報告していれば、彼女の怪我も無かったはずだ。謝罪しようと声を出すが、嗚咽ばかりで言葉にならない。ティルレットは察してくれたのか、右手で涙を拭いつつ、左手で私の手を握ってくれた。

「良いのです。客人の目に映る情熱は儚い。しかして不肖の目には、美しい華となる客人の姿も垣間見えました。今はまだ名も無き華の種なれど、手間暇を掛け、適切な量の水を与え、適度に温かな情熱を注ぎ続ければ、いずれ見る者を癒し、幸福をもたらす大輪の華となりましょう。おこがましくはございますが、是非その時は不肖に客人という華を描かせてくださりますよう、ここでお願い申し上げます」

 抑揚のない口調、冷たい瞳、白い肌。そんな彼女の口から出た【情熱】という言葉は空虚にも聞こえたが、握られた手からぽかぽかと心地よい温かさが全身に広がって行くのを感じ、胸の痛みが落ち着いてゆく。次第に涙も止まり、ティルレットが眼鏡をかけ直してくれた。

「私で……不出来な【天使】の、私でも……いいのですか……?」

「勿論にございます」

「……宜しくお願い致します……私……頑張りますから……っ!!」

「感謝」



「単に眼鏡さんをモデルにしたいって、ナンパしてるだけっすよね?」

「静粛に」
しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

女神様、もっと早く祝福が欲しかった。

しゃーりん
ファンタジー
アルーサル王国には、女神様からの祝福を授かる者がいる。…ごくたまに。 今回、授かったのは6歳の王女であり、血縁の判定ができる魔力だった。 女神様は国に役立つ魔力を授けてくれる。ということは、血縁が乱れてるってことか? 一人の倫理観が異常な男によって、国中の貴族が混乱するお話です。ご注意下さい。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている

潮海璃月
ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。

私の薬華異堂薬局は異世界につくるのだ

柚木 潤
ファンタジー
 薬剤師の舞は、亡くなった祖父から託された鍵で秘密の扉を開けると、不思議な薬が書いてある古びた書物を見つけた。  そしてその扉の中に届いた異世界からの手紙に導かれその世界に転移すると、そこは人間だけでなく魔人、精霊、翼人などが存在する世界であった。  舞はその世界の魔人の王に見合う女性になる為に、異世界で勉強する事を決断する。  舞は薬師大学校に聴講生として入るのだが、のんびりと学生をしている状況にはならなかった。  以前も現れた黒い影の集合体や、舞を監視する存在が見え隠れし始めたのだ・・・ 「薬華異堂薬局のお仕事は異世界にもあったのだ」の続編になります。  主人公「舞」は異世界に拠点を移し、薬師大学校での学生生活が始まります。  前作で起きた話の説明も間に挟みながら書いていく予定なので、前作を読んでいなくてもわかるようにしていこうと思います。  また、意外なその異世界の秘密や、新たな敵というべき存在も現れる予定なので、前作と合わせて読んでいただけると嬉しいです。  以前の登場人物についてもプロローグのに軽く記載しましたので、よかったら参考にしてください。  

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

処理中です...