ポラリス~導きの天使~

ラグーン黒波

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第三章・【悪魔】とエクソシスト

【第六節・狩人の朝食】

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「……久しぶりによく寝たなぁ」

 翌日の午前六時二十分。休憩所の窓から差し込む朝日で目を覚ます。起き上がり、大きく欠伸をして軽く首を回した後、酒瓶をゴロゴロと床を転がして外套から取り出しながら、今日の予定を頭ん中で決めていく。
 まず蜂の巣を酒場へ届けて、ついでに朝飯も済ませておくかな。で、その後は情報収集。昨日のようなこともある、どんなところから話が転がり出てくるかわからねぇ。酒場・狩猟者のたまり場・交易所に教会……代えの包帯に保存の利く干し肉、薬草と水も買っておくべきか。商業区にも足を運ぶとしよう。それほど大きくもない街だ、半日もあれば全部回れんだろ。
 近くに置いてある火打石で囲炉裏へ火を点け、両腕の包帯をべりべり剥ぎ取ると古い火傷の痕が顔を出す。治らねえ瘡蓋みてぇなもんだが、魔物や他人の血がこいつに触れると痒くて痒くてしかたねぇ。水気を弾く特殊な塗り薬を塗って誤魔化しちゃいるが、定期的に包帯も取り換えてやんねぇとボロボロになるしクセーしベタ付くし……厄介なもんだ。
 古い包帯を囲炉裏の火に放り込んで燃やしながら、外套を羽織る。まだペントラや弟子達も来ていないようで、休憩所は人の気配無く静まり返っていた。部屋の角に置かれた作業机を見て、昨晩ペントラが座っていたのを思い出し、懐から取り出した金貨を数枚置いておく。こういうのは柄じゃねぇんだが、良くしてもらった俺なりの礼だ。こいつで今日は弟子共と美味いもんでも食ってくれや。

 囲炉裏の火を消し、蜂の巣が入った包みを抱えて休憩所を出る。表通りには人っ子一人見当たらねぇ。向こうに見える酒場もまだ開いてねぇし、ちょっくらぶらついて時間を潰すか。

***

 昨夜遅く、ポラリス司祭が借家にまで訪ねてきた。緑の外套に大きな火傷痕を顔を持つ、【アレウス】と名乗る狩人の男。……スピカ達と接触させるのは危険だと判断した司祭達は、彼女達へ知らせに行ったそうだ。役立てないであろう私は彼に留守を任され、話がまとまり次第戻って来るとも言ってはいたが――

「――誰も来ない」

 翌日、午前六時三十三分。本来であれば既にポラリス司祭が教会へ一度来て、二錠ある裏口の鍵を一錠外している筈。しかし、目の前の裏口には二錠とも鍵がかかったままであり、未だ戻っていなことを示していた。一応、司祭からは昨晩予備の鍵を受け取ってはいたが……本日は私一人で、【天使】の業務をこなさなければならない。
 未熟な自分に全うできるか不安だが、それ以上に司祭達が無事か気になって気になって仕方ない。街周辺の平原は穏やかに見えても、夜は一転して魔物達が活発になり、住処から出て動物や人々を襲う。旅人や行商人が夜の行動を控えるのは当然の自衛手段である。……二人の【中級天使】に【狩人】の先輩、【悪魔】のペントラの四人で行動しているのだ。魔物達の中を走り抜けるだけなら戦力は十分、足手纏いは誰一人としていない。……いないのだが、どうしてもいやな考えが頭をよぎる。
 私が司祭達の役に立てていれば、このようなもどかしい気持ちや不安を抱くことも無いのだろう。先輩二人のように戦えない、自分の弱さが恨めしい。

「……でも、私は私にできることを……【待つ】しかできないんだから、任された留守だけでも、ちゃんとこなさないと」

 そうだ、不安になって下を向いてはいられない。彼らは優秀だ、未熟な自分が考える以上に。アダム副司祭は高い身体能力に剣や槍を扱う武闘派。【狩人】の先輩は力強くて、弓の腕も良いと聞いている。ペントラさんは侵略戦争経験者。ポラリス司祭には強力な【信仰の力】と行動力がある。何を心配する必要がある?
 自分に言い聞かせ、朝日を浴びながら深呼吸。もう今日は一人で業務を行うつもりでいよう。昨晩はあれから気が気でなくて眠れなかったが、業務に支障が出ないよう気を付けて過ごそう。一つ一つ、確実にこなしていけば問題はない。司祭や副司祭、【狩人】の先輩も言っていた。【天使】としての自分にもっと自信を持て、と。
 眼鏡をかけ直して気持ちを入れ替えていると、不意にお腹が鳴った。急いで来てしまったので、まだ今日は何も口にしていない。この時間帯に開いている店は――

「――よう嬢ちゃん、教会はまだ空いてないのか?」

 背後の声へ振り返る。緑の外套を身に纏った、顔に大きな火傷痕のある男が立っていた。

 ……知っている。司祭が話していた危険な中年の【狩人】、【アレウス】だ。驚きと恐怖で全身から嫌な汗が一気に噴き出て、顔の血の気が引くのがわかる。思わぬ事態に、抱えていた聖書と十字架を地面に落としてしまった。昨晩の司祭との会話が脳内に響く。

『もしかしたら、教会にも彼は訪れるかもしれません。狩猟対象の情報を探しに。もし、アレウス氏と接触してしまったら、スピカさん達の事を話さないのは勿論ですが、出来るだけ彼を引き留めてください。出来るだけで構いません。決して無理のない範囲で、彼の話を聞いてあげてください』

『な……なぜですか?』

『僕は……単純に、彼がこの世界の【悪】だとは言い切れないんです。彼が行っていることは危険なことで、一歩間違えれば犯罪者と何ら変わりません。ですが、人として接する分には【普通】だと印象を受けました。狂人に限りなく近くとも、僕らとの意思の疎通は出来る筈です。君は彼の話を聞いて、素直に思ったことを彼へ伝えてください。無駄な行為かもしれませんが……価値観の違いを再認識させる意味でも、君の口から君の言葉で伝えることで、アレウス氏の中で踏み止まれる気持ちが生まれるかもしれません』

『そうであればいい……ですけど……私に、出来るでしょうか……』

『僕らは【天使】として、人間である彼と直接争う事を許されていません。そして【信仰の力】抜きの、人としての自分自身が非力なこともよくわかっています。ですが……誰かの危機に、何もできないのはもう嫌なんです。最悪階級制度へ背くことになろうとも、僕はスピカさん達と君達を守り抜きます。ですから自信を持って【天使】としてではなく、君自身の言葉で彼と話をしてみてください。それは君にしかできず、僕らにはできない【最大限の仕事】です』

「おいおい、大丈夫かぁ? どっこいせっと……聖書か。朝早くにお祈りとは、熱心なもんだなぁ」

 アレウスが屈んで聖書と十字架を拾い上げ、砂埃を払ってこちらに差し出したところで現実に引き戻される。「ありがとうございます」と礼を述べながら受け取り、改めて彼の顔を見る。頬に大きな火傷痕、若干白髪混じりの髪に綺麗に切り揃えられた口周りの髭、濃い茶色の瞳。……顔つきが少し怖いが、それ以外は普通の人間と変わらない。

「あん? 顔の火傷痕が気になるか?」

「い、いえっ!! あの……ごめんなさいっ!!」

「うんにゃ、気にすんな。治んねぇし目立つから仕方ねぇんだ。教会は……こう早いとまだ開いてねぇみてぇだなぁ。嬢ちゃんは何時ごろ開くか知ってるか?」

「えっと……いつもは、八時からです」

「八時……ね。わかった。それぐらいになったら、また来るとするぜ」

 足元の甘い匂いが漏れる銀色の包みを拾い上げて脇に抱え、アレウスは立ち去ろうとする。引き止めるべきか? だが、また来ると言っていたし後でも……いや、一度業務が始まったら、彼の話を聞いている余裕など自分にはない。とにかく、彼と話をしなければ――

〈時間もまだあるし、ぶらつくのもいいが腹減ったなぁ。……この時間帯に開いてる飯屋でも探すとするかぁ〉

「――あ、あのっ!?」

 声に反応して立ち止まり、アレウスが振り返る。

「こ……この時間帯に開いてるご、ごごご飯屋さんならっ!! 私、知ってますっ!!」

***

 俺は今、教会の前で初めて会った丸眼鏡の嬢ちゃんの隣へ座って、朝飯を食っている。
 あまりにも急な誘いで俺もよくわからねぇが、嬢ちゃんは見慣れない顔の見て、時間帯的に飯屋を探してるんじゃねぇかと思ったそうな。んで、嬢ちゃんも腹が減ってたらしく、一緒に飯を食わねぇかと誘われた。好意には素直に甘えろとは言ったが、こういうのは旅をしていて初めての経験だ。ましてや、こんな十を過ぎたかそこいらの小さな嬢ちゃんに、飯食わねえかと誘われるなんて。……にしても、よく食う嬢ちゃんだ。俺の倍近く食ってるんじゃねぇか?

「朝からそんな口に詰め込んで……数日振りの飯食ってるみてぇだな」

「ンんっ!! ……すいません、朝食をしっかり食べないと……お昼まで持たなくて」

「ハッ!! 俺もだ。飯と甘露はしっかり食わねぇと、頭は回らねえし身体も動かねぇ。何をするにしても身体が資本の世界だ。腹が減ったら食って、眠くなったら寝る。この二つを無理に削ると絶対どっかでガタが来る。今が調子良くてもな」

 皿に乗せられた目玉焼きをナイフで黄身と白身に切り分け、カウンターテーブルに乗せられた調味料入れから【岩塩】と【胡椒】を取り、白身へ振りかける。
 メニューは白米、半熟目玉焼き、スライスされた焼きベーコン、サラダに汁物。あっさりした内容だが、隣の嬢ちゃんは朝から山盛りの肉と野菜、どんぶり飯ときたもんだ。育ち盛りの食欲はすげぇなぁ。

「……黄身と白身、切り分けてるんですか?」

「黄身は飯と一緒に食う。味のしねぇ白身はこうやって味付けしてやって、ベーコンと一緒に食えば美味いぞ。好みの問題かもしれねぇが、俺のおすすめは【岩塩】と【胡椒】だ」

「………………」

「……食ってみるか?」

「いただきます」

 物欲しそうに見ていた嬢ちゃんの空いた皿へ、ベーコンと白身の切れっ端を乗せてやった。フォークで両方刺し、口に運んで満足そうな表情をする。たどたどしい口調とは裏腹に、案外肝が据わってやがる。嘘があるようにも見えねぇのも不思議だ。だが、親元離れているとは思えねぇガキが、教会の前で腹空かせてるとは……薄ぐれぇ事情がありそうだなぁ。

「開いてもいない教会の前で、腹空かせたガキが一人。孤児にも見えねぇが……嬢ちゃんは親とか居ねぇのか?」

「……両親は、いないです。私は教会で奉仕活動をしていて……司祭さん達にお仕事を教えてもらいながら、借家で暮らしています。ただ今日は……皆さん留守みたいで……」

「司祭……その司祭って、もしかして白髪のガキか?」

「え……お知り合い、ですか」

「知り合いってほどでもねぇが、昨日昼間に酒場で会った。ははぁ、あのガキ見た目以上に歳食ってんのなぁ」

 意外なところで繋がりができるもんだ。てことは、嬢ちゃんは昨日のオレルスと同僚か。この街思ったよりもせめぇな。「そうですか」と、ぽつりと呟いた嬢ちゃんは水を飲んで俺の顔を見る。

「アレウスさん。……アレウスさんは【狩人】とおっしゃってましたが……どんなものを狩って来たんですか?」

「どんなもんって……そりゃあ、色々狩ってきた。自分よりも何倍もでけぇ魔物から、ゴブリンみたいな小さくて小賢しい奴ら。竜人、雷獣……気に食わねぇ奴や、俺よりも強そうな奴も片っ端から狩ってきた。聴きてぇか? あんま楽しい話じゃねえぞ?」

 朝食をしながらする会話じゃないのはわかってるが、その物欲しそうな顔でずっと見続けられても俺の食が進まねぇ。本人が満足するまで話してやるか。


 ――一通り話し終えたところで、ようやく嬢ちゃんの視線から解放される。汁物はいつの間にか温くなってやがるし、店内にも客が何人か増えていた。随分話し込んでいたらしい。ガキには大体俺の顔で怖がられちまうし、数十年ぶりに会話したような気がするぜ。
 黄身を白米へ乗せて崩していると、嬢ちゃんはボロボロの手帳に何やら書きこんでいる。一般人からしてみれば珍しい冒険譚。本にしろって言う奴も以前いたが面倒だし、俺は字がヘタだからと断ったなぁ。

「……アレウスさん」

「ああ?」

「私の知り合いに……【狩人】がいるのですが、その……アレウスさんとは対照的で、彼は【生きる為に仕方なく】、魔物達の狩猟を請け負っています」

 オレルスの事か。酒場で依頼を請け負った時も、【人助け】みてぇなこと言ってやがったな。体躯で物を言わせず、慎重に相手の動きや実力差を見極め、無理せず引き際を弁えられる奴だ。弓の腕も立ついい狩人ではあるが、獲物を徹底的に狩り尽くす【がめつさ】が足りねぇ。今までも害獣指定されてない魔物や大人しい魔物なんかは、極力狩るのを避けてきたんだろうさ。【可哀想だから】。でぇっきれぇな言葉だ。反吐が出る。

「嬢ちゃんも、俺に説教垂れるつもりか?」

「……いえ、彼にとっては、人も魔物も……なんというか、命の価値観が平等なんです」

「平等?」

 嬢ちゃんは手帳をしまい、俺の顔を……いや目を見て、おどおどしながらも続ける。

「はい……その……自分以外の生き物に対して、敬意を払うというか。……自分が生きていて、犠牲にしなきゃいけないのが、すごく申し訳ない。そんな感じです。アレウスさんの価値観とは、全く逆なんですけど……相手も自分も、命が平等って考えてる点では、同じだと……思いました」

「……その考えは否定しねぇ。俺も獲物も、嬢ちゃんだっていつか死ぬ。死ねばそれまで。何もかも無駄になる。誰だって死ぬのは嫌だろ? だから死ぬほど強くなって生き抜いてきたんだ。この世は弱肉強食。そういう風に世界が出来ちまってる以上、強者になろうとするのも自然の摂理だ」

「私は……どちらかと言うと、アレウスさんの考え方が羨ましいです。皆さん、自分よりも弱い存在や下の存在って、【可哀想だから】って理由だけで、甘くなったり、守られたり、生かされたり……命の重さが変わるんです。同じ世界に生きる生き物なのに、扱い方が他人と不平等になるんですよ」

「興味があるかねぇかの差だろ。所詮強い奴の都合、身勝手でも従うしかねえだろ。嫌なのか?」

「嫌です。何もできないのが。だから、強くて自分の都合で世界を生きている彼やアレウスさんが、とても羨ましいです」

 親がいねぇからかわからんが、十やそこらのガキの目付きじゃねぇ。善か悪。そういう観点で見てるんじゃなく、世界も命も不平等だって理解している悟った目だ。弱い自分が世界から必要とされる為、強くなりたいと本気で考えている。あわよくば、相手から【奪ってでも】強さを欲する貪欲な目。
 黄色い瞳とは対照的な【底の見えない泥沼】に顔を突っ込んだような気分になって、ガキ相手につい身震いしちまった。

「……嫌なら強くなるこったな。司祭や周りの連中に頼らず、嬢ちゃん一人で生き抜けるぐらいに」

「司祭……ポラリス司祭はなんというか、不思議な人です。決して、アレウスさんのように強くは無いんです。……濁らないって言うんでしょうか? 世界は不平等だと知っても、相手を全部受け入れてしまう……司祭が支えてくれるから、今の私は【生かされている】んですけど……あの人は上辺だけの感情じゃなくて、本当にそう思うから。諦めずに全力で、理不尽を捻じ曲げようと行動している。……すごい人です」

「ハハッ!! 神や【天使】に仕える教会の司祭様だっつーのに、随分世界に反抗的な奴だなぁっ!? 終いにゃ神なんぞ信じねぇって言いそうだっ!!」

「し、信じてないわけじゃないですけど……あの人は神に頼るよりも、自分達の力で乗り越えようとしますから」

「ハーッハッハッハッハッ!! 摂理だと諦めちまった俺と違うなぁっ!! そこまで馬鹿だと敵わねぇっ!!」

 自然の摂理へ逆らう。テメェの器を知っても尚絶望せず、自分を含め使える駒は全部使ってでも、望む選択を導きだそうとする反逆者。殺したギルドのリーダーは善だ悪だのうるせぇ奴で、従わねぇ奴は邪険に扱うクソ野郎だった。だが、あのガキはちげぇ。善も悪も引き込んで、何もかもまっさらにしちまう。そんなガキの背中を見て育ったんだ、嬢ちゃんの目もそうなっちまうわけだぜ。
 笑いがある程度収まったところで、温くなった汁物を一気に飲み干す。

「っぷう……おもしれえ奴だな、嬢ちゃんの司祭様。そんな馬鹿野郎とは思ってもいなかったぜ。あー、もう一回会ってみてぇ」

「お客さん、朝から元気だねぇ。隣のお連れさんも何か頼むかい?」

 笑い声を聞きつけたのか、店員の婆さんが空いた皿を下げながら話しかけてくる。ああ、楽しくなり過ぎてすっかり本命の目的を忘れてたぜ。

「婆さん。この辺りで強い魔物や人、【悪魔】に心当たりはねえか? 狩猟者共に依頼してる内容や噂話でも構わねぇ。なんか知ってれば教えてくれ」

 婆さんは「そうねぇ」と言うと、厨房にいる爺さんの元へ尋ねに行った。旅人、ギルドメンバー、商人、いろんな奴が出入りする飲食店や酒場なんかは、掘り出しの噂話が稀にある。歳も歳であんまり情報にゃ期待出来そうにないが、聞くだけタダだ。当たれば儲けもんよ。一分くらいで爺さんが厨房から出てきて、カウンター越しに俺へ一枚の地図を見せてきた。

「一昨日かの。平原に首無し騎士の亡霊が出ると噂を聞いてなぁ。なんでも、狂王軍の鎧を身に付け馬へ跨る姿から、首から下が見つかっていない【ザガム大将】の亡霊なんじゃないかって話だ。真っ青な顔で店に来た旅人や商人が、この森近辺で見たと話しとった。流石に幽霊相手じゃ狩猟者も動かんし、本当かどうかも眉唾もんじゃが……興味があれば行ってみるといいぞ。日の出ている明るいうちにな」

 亡霊ねぇ。……そいつがかの有名なザガム本人かどうかは知らないが、デュラハンを狩ったことはまだねぇなぁ。街からそこそこ距離はあるが、往復で二時間もあれば行って戻ってこれるか。……いいな、面白そうだ。

「ありがとよ、爺さん。こいつは情報料だ。俺が戻って来るまでに甘露を一つ……いや二つだな。隣の嬢ちゃんにも何か食わせてやってくれ。飯代は別で払おう、嬢ちゃんの分までな」

 蜂の巣が入った包みをカウンターに乗せ、地図を受け取りじっくりと眺める。亡霊か魔物か、【首無しザガム】の正体を俺の目で確かめてやる。

***

「顔は怖くても、価値観が独特で……不思議な人でした。でも、司祭達が無事に辿り着けて良かったです……」

 甘い蜂蜜をかけた、白くもちもちしたデザートを食べながら、隣に座る【ルシ】へ報告する。アレウスと入れ替わりで店へ入って来た彼は、ポラリス司祭の報告を聞いたスピカから連絡を受け、心配になって【地上界】へ様子を見に来たそうだ。ありがたいんですけど、自身のお仕事は大丈夫なんですか?

「一概に【悪】とは言えない、か。難しい人物だが、私達と分かり合える可能性はある」

「……彼は危険な人物ではないと?」

「何をしですかわからないという点では、危険かもしれない。倫理思考でなく本能優先で行動するアレウス氏は、その場の状況一つで考え方が変わる。信念的な深い部分までは簡単に変えられないけども、【強者には従う】ってのは逆手にも取れる。つまり――」

「――力でねじ伏せるのが、一番効果的ってことですか……」

 回答に対し、無言でにっこりと笑ったルシは、自身の注文した林檎や蜜柑などの果物を絞った飲み物へ口を付ける。
 彼の肉体の構造は私達の【受肉】と異なる。長くは留まれないが自由に【地上界】を瞬時に移動でき、食事や睡眠も必要としない特別な肉体だ。【特級階級】の権限か、【受肉】を開発した技術を応用した独自の物だろうか。【ルシ】本人に関して、書物や他人の言伝程度しか私も知らない。多くの人間や【天使】達にとって【英雄】の彼にポラリス司祭も憧れ、昇進していつかは共に仕事をしたいと考えていると、以前話していた。
 私の上司の理想像。司祭の目標でもあり、いずれ辿り着く姿。神々に並ぶ実力と才能の持ち主が、まさかすぐ傍にいるとは、厨房にいる老夫婦は思いもしないだろう。飲み終えたルシは代金の銀貨数枚をカウンターへ置き、席から立ち上がる。

「さて、そろそろ私達の仕事の時間だ。教会へ向かうとしよう」

「え? ……教会へ、いらっしゃるんですか?」

「うん。君一人で全業務を切り盛りするにはまだ心もとない。交代する同僚もいないしね。司祭業務は私に任せ、君は通常通りの業務を頼む」

 ルシとの共同業務……こんなことが、現実になるだなんて。私、明日死ぬのではないのでしょうか?

 教会の裏口の鍵を外して中へ入り、【ルシ】はどこからか出した金色の装飾が入った黒い司祭服へ着替える。彼の長身に合う大きさの司祭服は教会に無い筈だが、あらかじめ用意していたようだ。ローブのフードを被り、教会の正面出入口の閂を外そうと近付いた時、後ろに立つルシに肩を叩かれた。彼は振り向いた私の顔から眼鏡を取って、瞳を覗き込む。

「ふむ……ポラリス君の時もそうだったが、【受肉】の肉体は【下級天使】だと【何かしらの欠落】を起こしてしまう可能性があるようだね。君は【視力】、ポラリス君は【味覚】と【嗅覚】。これは私の力不足だ。……近いうちに、対策をたてなければならないな」

「機能的なものなんですね。……でも、治せるのですか?」

「【受肉】する前の空の肉体を調整して、【下級天使】達の魂に合わせればできなくはない。ただ、既に【受肉】してしまった場合は少し勝手が違ってね。人間達の医療施術に近い行為が必要になるんだ。痛みは伴わないが、君の場合は馴染むまで盲目の状態になる」

「……司祭のように、欠落した部分が自然回復する可能性は……?」

「無くはないが、彼のような場合は稀だ。確実に治すのだとしたら、直接調整した方がいいだろう。君の意思に任せるよ。そのままでも問題が無いのであれば、僕は構わない。幸い、眼鏡という補助器具もあるしね」

 ルシは私に眼鏡をかけ直し、背後の出入口の閂を取り外す。私はアレウスが私の瞳を覗き込んで考えていた【思考】が、ずっと引っかかっていた。【受肉】の仕組みそのものを創り出した彼ならば、答えがわかるかもしれない。

「あの……尋ねたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「うん、なんだい?」

「えっと……私の目は……他人から見ると、恐怖心を抱かせるようなもの、なのでしょうか……? アレウスさんが……そのようなことを一瞬考えていたので」

 ルシは顎に手を当て俯き加減になり、少し考えるような仕草と間をおいた後、笑顔で笑いかけて答える。

「黄色い瞳は【悪魔】に多い。ペントラ君の瞳も、君と同じ黄色だ。迷信のような物だが事実、それだけで多くの人間達が何の罪もないのに処刑されたことも昔はあった。今はもうほとんどそんな悪しき風習はないが、名残のような物が残る地域もある。アレウス氏はその世代か、出身地域がちょうど重なって、君の瞳を見て恐怖心を抱いたのかもしれないね。想像でしかないが……あまり気にしないことだ。生まれ持った宝石のように美しい瞳を、恥じることなく誇りに思いなさい」

 古い偏見。彼はそう言いたいのだろう。アレウス氏は【悪魔】に有効な【銀の武器】を扱い、【祓魔士】の家系ではないかと司祭は昨晩話していた。私の黄色い瞳を見て【祓魔士】の本能がざわついた。そう考える方が自然か……。一瞬でも、小さな弱い自分へ恐怖心を抱かれたのは複雑な気分だが、今は業務に集中し、司祭達が無事に帰ってくることだけを祈ろう。

 皆さんに、【天使】の導きが有らんことを――
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