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第三章・【悪魔】とエクソシスト
【第五節・罪と骸】
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午前一時十三分。スピカからの作戦を聞き終え、アダムがシスターの施術を受けている部屋の扉をノックする。少し間を置いてノブが静かに回り、白い髑髏顔が扉の隙から顔を覗かせた。
「まあ、ペントラさん。スピカさんから任務の言伝でしょうか? アダム様はよく眠っていらっしゃるので、廊下でお話してもよろしくて?」
「あ、ああ。……それもあるんだけど、個人的に……あんたに聞いて、確かめたいことがあるんだ」
「……わかりましたわ。少々お待ちくださいませ」
***
シスターはアタシの様子を見て察してくれたのか、誰もいない静まりかえった教会へと案内してくれた。教会内は雲の切れ間から漏れる月明かりが時折差し込むが暗く、燭台の揺れる炎が周囲を照らしている。最前列の一つの椅子へ、人一人座れる程度の間隔を空けて座る。
誘ったはいいものの、どう切り出すべきかね。……彼女と初めて会った日から、ずっと悩んでいた。多分、アタシの予想は当たっている。でも、いざそれを口に出そうとすると言葉が続かない。シスターに表情は無く、正面の【天使】像を見ているかもわからないが、こちらが切り出すのを待っているのだろう。あまり時間をかけてしまっては、作戦の仕込みに影響が出る。
早く切り出せアタシ。あの時の答えが、目の前にあるんだぞ。本人に直接聞けば……十五年間背負い続けた罪の意識にも、決着がつけられる。
組んだ両手の震えを抑えながら、ようやくその言葉を絞り出した。
「なあ、シスター……あんた……あんたは本当の名前は……【ディアナ】、じゃないのかい?」
――返事は無い。それでもアタシの言葉を聞いて、太腿の上で組んだ骨だけの白い手がカタカタと震えているのが見えた。そうか……やっぱり、そうだったかい。
顔を上げ、彼女の顔を見る。眼球があるべき場所からは大量の涙が流れており、食い縛っているのか、顎の骨がカタカタと音をたてている。生前の……最後に見たきったない泣きっ面を思い出して、アタシの目も少し潤む。骨になっても、お節介焼きな所も、泣き虫な所も何も変わっていない。姿が変われど、あの頃のままの彼女がそこに居た。
「バッカだねぇ……ずっと一緒にいたアタシが、気付いてないとでも思ってたのかい。泣き虫ディアナ」
「ああ……あああ……あああああああぁ……」
シスター・ディアナは両手で顔を覆う。細い骨の指の間からは涙と嗚咽が漏れ、震えていた。つられて泣きそうになるが、笑って彼女が落ち着くのを待った。
ディアナ――【ディアナ・ブラン】は、狂王軍に所属していた【守護魔術師】にして、アタシの元【契約主】。守護魔術師達は身を守るための魔術や治癒に長けていたが、専門特化し過ぎた結果、代償として攻撃へ転じる一切の魔術が上手く扱えなくなる者が次々と出始めた。これを良しとしなかった狂王は、守護魔術師達も最前線の【攻め】へ加われるよう、強制的に【冥界】の【悪魔】と契約をさせ、戦力の増強と守りの増強を同時に行った。
この取り決めにより戦火は一段と激しくなり、それまで生存率の高かった守護魔術師達からも戦死者が出るようになった。死因は様々だが……中でも酷かったのは味方へ守護魔術での支援を行い続けた結果、【契約悪魔】へ魔力を供給することが出来なくなり、【契約主】と【悪魔】が共倒れしてしまう【魔力枯渇】だった。しかし、狂王は付け焼刃の若い魔術師達を、抜けた戦力と守りを補う形で戦地へ投入し続けた。魔力の少ない者から続々と戦死し、【魔王の国】での最終戦争までに生き残った守護魔術師は、ディアナを含めて三人のみ。
彼女は【勇者】と同じ班へ割り振られたが、魔王の城手前で【冥界の魔人】と思われる存在と交戦。アタシは重傷を負ったディアナを担いで戦線から外れ、城から離れた穴蔵へ一時身を隠した。……これが全ての始まりだった。
穴蔵の中には、ヴォルガード王の強力な結界に閉じ込められた【魔王の国】の民達が居て、アタシ達は彼らへ接触してしまった。根が元々優しいディアナは、言葉の通じる弱者の彼らへ同情した。その後、狂王軍も穴蔵を発見し、【魔王の国】の民達を虐殺しようと試みる。ディアナは身を呈して守護魔術の結界を作り出し、彼らを守ろうとしたが……満身創痍だったのもあり、数分も持たずに彼女の結界は崩壊。彼女は【魔王の国】の民達と共に、複数の魔術師が生み出した業火に飲まれ、骨も残らないほど焼き尽くされていった。
……アタシはその時、自分の命惜しさに逃げちまった。ディアナはきっと、あの時一緒に居て欲しかった筈なのに。それでも、死ぬのが怖かったアタシは彼女の言葉に甘え、首輪代わりに着けられていた【契約の鎖】を断ち切って、狂王軍との交戦中に逃げ出したんだ。
自身の杖を胸へ突き刺され、業火に飲まれゆく彼女の後ろ姿。振り返らず、前を見て歩けとアタシに言った彼女は、歴史の誰に知られるわけでも無く燃えカスになっていった。
――数分後。落ち着いたらしく、顔から両手を放して目元の涙を指で拭いながら、彼女も口を開いた。
「い……いつから気付いていたんですか?」
「初めて会った時から。森で獣人共に襲われて、怪我の治療されてる最中に気付いた。上品な口ぶりや治癒の施術に守護魔術、背格好や声だけは変わっちまったようだが……アタシは、ずっと気付いていたさね」
「……驚いているでしょう? 死んだ人間が、骸骨になって生きているだなんて」
「そらもうっ!! 一体どうしたんだいその姿っ!?」
ディアナはハンカチで鼻をかみ、頬に手を当てながら当時の事をゆっくりと語り始める。
「魔術師達の放った業火に焼かれながら、私の意識はそこで一度途切れましたわ。真っ暗な夜空へ逆さに落ちていくような……何か恐ろしい体験をしたような気もしますが、よく覚えていませんの。意識が戻った頃には既にこの姿で、ローグメルクさん達を庇うようにして狂王軍の前へ立っていましたわ。その後、すぐにヴォルガード王の剣を持った勇者様に助けられ、行く当てもなかった私はローグメルクさん達と共に、こちらへ移り住みました」
ローグメルクが言ってたのはそれか。だが彼も、どういった経緯でディアナが骨になったかまでは知らなかった。ポーラはシスター・ディアナの思考が読めないと言っていたし、彼女はもう人間の枠組みから外れた存在なのだと、アタシは考えている。これまでの振る舞いや言動を思い返してみれば、本人もそれは自覚していそうだ。
ディアナは賢く、本質を見抜く目が有る。王都魔術学院の【守護魔術部門】を首席で卒業し、僅か十五で当時選りすぐりで固めた狂王軍の守りとして最前線へ立った。負傷兵の多さに心を痛めた彼女は、野戦病院で経験を積みながら独学で治癒魔術の施術方法を会得。【勇者】や【ルシ】、狂王からも一目置かれるようになり……火力補助要員も兼ねられるよう、【悪魔】であるアタシと契約した。捕虜の他種族兵とも積極的に関り、人語の壁を越えて意思疎通を図った努力もあってか、彼女にだけ心を開く者もいたそうだ。その後は生存率トップの【勇者】の班へ割り振られ、【魔王の国】一歩手前まで同行していた。……そこからは、アタシがよく知る通りだ。
コートの内ポケットから封の切られた一通の手紙を取り出し、ディアナに見せる。
「差出人不明の手紙と、領地の地図。【ルシ】を通してアタシに届けに来たのもお前だろ?」
「……はい。最期に別れて以来、あなたの居場所がわからなくて……恐れ多いながら、【ルシ】様にお願いしましたの。あの方はいろんな場所を飛び回っておられますし、あなたのこともよくご存じですもの。自分の足で探すよりも確実ですわ」
「あん時は街でフードを被った男に、無言でこいつを突き出されて焦ったよ。いよいよ春到来かってねっ!!」
「うふふふっ、ペントラは相変わらずですのねっ!! ……で、お相手は出来ましたか?」
「あー……いるにはいるんだけど……当人が鈍感なのと、可愛いライバルが多くてねぇ」
「私でよければ協力いたしましてよ?」
「アッハッハッハッ!! ダメダメっ!! あんたが恋愛事に関わると、ロクなことにならないっ!! アタシだけの力で堕としてみるさっ!!」
「まあ、お顔が真っ赤ですわよ。虚勢ではなく、本当に恋をしていらっしゃるのね?」
その一言で顔の火照りを実感し、彼女から顔を背ける。恥ずいなぁ。……ディアナは元【契約主】で、十五年前まではなんでも話せる仲だったのに、ポーラのことになるとアタシホント駄目だわ。顔にも言葉にも出ちまうよ。だがまぁ……それよりもだ。
頭を左右に振って切り替える。今なら……ずっと突っかかってたことも、口に出せそうだ。
「なあ、ディアナ。アタシ、さ……ずっと気になって気になって、仕方なかったことがあるんだ」
「なにかしら?」
「……逃げちまったことだよ。主の危機だってのに、あんたの言葉に甘えて……逃げ出しちまった」
「………………」
ディアナは静かに、こちらの顔を見つめる。彼女の目も鼻も皮も無い表情は読めない。当時の事を思い出しているようにも見えるし、怒っているようにも、憐れんでいるようにも見える。同じ骸骨面なのに、おかしなもんだ。そんな彼女に目を合わせられなくて、思わず俯く。
「ずっと……後悔してたんだ。アタシ一人じゃ、どうしようもなかったことなんてわかってる。けど……けどね。主であるあんたの傍に、最期までいるべきだったんじゃないかって……どうしても考えちまうんだ」
「………………」
「ディアナと出会って十年、別れて十五年。今でもあんたが燃えカスになっていく光景が、目に焼き付いて離れない。それにもしかしたら……アタシがもう少し粘っていれば、【勇者】が助けに来てくれたかもしれなかった。アタシが死んだとしても、あんたは死なずに済んだかもしれない」
窓から月明かりが差し込んできた。青白い光が、脚の間で震える指を組んだ両手を照らしだす。
「……ごめん……ごめんなぁ。どう謝ったらいいか、わからないんだ。……手紙が来て、すぐここへ行けなかったのも……向き合うのが怖かったからだ。アタシは臆病で、卑怯な【悪魔】だよ。……生きていたとわかって、嬉しかったのに……もしあんたが死ぬ直前に、逃げたアタシを恨んでたら、あの時助けられたら……だからディアナのようになろうと、十五年間生きてきた。……けど、駄目だ。……アタシじゃ、あんたにはなれないよ。……あんたという罪から逃れようと、ただ誤魔化してきただけ。――教えてくれ……あんたは死ぬ時に一瞬でも、アタシの事を恨んだかい?」
涙が伝って、手の上へ落ちていく。罵られても、恨まれても、呪われたって構わない。踏み抜いてしまってはいけない領域の話なのかもしれないけれど、この答えを聞かなきゃ、アタシはこれ以上前へ進めないんだ。
視界の外から骨ばった白い左手が、アタシの涙に濡れた手の上にそっと重ねられる。その手に生者の温もりは無い。
「いいえ。それは違いますわ、ペントラ。私はあの時の選択を全く後悔していません。あなたは【悪魔】ですが、私達と契約した【悪魔】の中でも最も優しく、人間らしい素敵な女性でしたもの。お互い、嫌なものも沢山見てきましたわね。……惨い死に方をした方も、救えなかった命も。それでも、あなたが傍にいて笑ってくれたからこそ、私はあの十年間を頑張ってこれました」
アタシの両手を手に取る。彼女を見ると、あの頃のままの微笑みを浮かべた、涙を流すディアナの顔があった。骸骨の顔ではない。生気溢れる肌、金色の長髪に澄んだ青い瞳の、美しい彼女の姿だ。
「私の願いは今も昔も変わらず、【皆の安寧とあなたの幸せ】ですわ。もし、逃げたことに罪の意識を感じて、これまで生きて来れられたのだとしたら、それはもうここで終わりにしましょう。あなたがそうやって無理に笑って生きているのだとしたら、それが私にとっての後悔であり、罪でもあります。赦しを乞うことであなたが前へ進めるのなら赦しましょう。あなたが本当に生きたいように生きて、幸せになれるのなら、私がどうなろうと構いませんわ。そう想い、【契約の鎖】を私が強引に切ったんですもの。【はぐれ悪魔】になったとしても、あなたなら人間とうまく付き合っていける。あの場で一緒に死んでしまうなんて、それこそもったいないですわよ?」
両腕を回し、優しく抱きしめてくれる。温かい、人の体温を感じる。清潔感のある石鹸の匂いと、柔らかな肌と髪の感触。過去の記憶が見せた幻覚かもしれないが――アタシを抱きしめる彼女は、間違いなく生きていた。
「自分の為に生きなさい。自分の為に幸せになってください。あなたにはもう、あなたの居場所があるでしょう? その場所を大切になさってください。私、【ディアナ・ブラン】という亡霊にいつまでも囚われてはいけません。過去に苦しみ、折れそうになることもあるでしょう。幸せになっていいのか、迷うこともあるでしょう。けれど、あなたがただ苦しむだけの道を、自らの意思で選択し続けているのだとしたら、その時は本当に化けて枕元へ出てやりますわよ?」
「……ディアナ」
「……あなたを恨んでなんていませんわ、ペントラ。泣いてもいい。悩んだらいつ相談しに来てもいいから、あなた自身の新しい【幸せな人生】を歩みなさい――生きててくれて、ありがとう」
彼女を抱きしめ返す。コツコツとした固く、体温の無いひんやりとした冷たい骨と布の感触。笑えない。笑えないよ。涙が止まらない。嗚咽が出て、みっともない顔をしているに違いない。彼女の肩へ顔を埋める。
虚しくも骨のみになったディアナ。……でも、確かに彼女はここにいて、生きているんだ。
「勝手に背負って……勝手に泣いて……ホントダッサいなぁ、アタシ……」
もっと素直に生きよう。もっと幸せになろう。もっとアタシ自身を好きになろう。
……仲間の皆と一緒に。
それが自慢の契約主様の、生前最期の【我儘・願い】さね。
「まあ、ペントラさん。スピカさんから任務の言伝でしょうか? アダム様はよく眠っていらっしゃるので、廊下でお話してもよろしくて?」
「あ、ああ。……それもあるんだけど、個人的に……あんたに聞いて、確かめたいことがあるんだ」
「……わかりましたわ。少々お待ちくださいませ」
***
シスターはアタシの様子を見て察してくれたのか、誰もいない静まりかえった教会へと案内してくれた。教会内は雲の切れ間から漏れる月明かりが時折差し込むが暗く、燭台の揺れる炎が周囲を照らしている。最前列の一つの椅子へ、人一人座れる程度の間隔を空けて座る。
誘ったはいいものの、どう切り出すべきかね。……彼女と初めて会った日から、ずっと悩んでいた。多分、アタシの予想は当たっている。でも、いざそれを口に出そうとすると言葉が続かない。シスターに表情は無く、正面の【天使】像を見ているかもわからないが、こちらが切り出すのを待っているのだろう。あまり時間をかけてしまっては、作戦の仕込みに影響が出る。
早く切り出せアタシ。あの時の答えが、目の前にあるんだぞ。本人に直接聞けば……十五年間背負い続けた罪の意識にも、決着がつけられる。
組んだ両手の震えを抑えながら、ようやくその言葉を絞り出した。
「なあ、シスター……あんた……あんたは本当の名前は……【ディアナ】、じゃないのかい?」
――返事は無い。それでもアタシの言葉を聞いて、太腿の上で組んだ骨だけの白い手がカタカタと震えているのが見えた。そうか……やっぱり、そうだったかい。
顔を上げ、彼女の顔を見る。眼球があるべき場所からは大量の涙が流れており、食い縛っているのか、顎の骨がカタカタと音をたてている。生前の……最後に見たきったない泣きっ面を思い出して、アタシの目も少し潤む。骨になっても、お節介焼きな所も、泣き虫な所も何も変わっていない。姿が変われど、あの頃のままの彼女がそこに居た。
「バッカだねぇ……ずっと一緒にいたアタシが、気付いてないとでも思ってたのかい。泣き虫ディアナ」
「ああ……あああ……あああああああぁ……」
シスター・ディアナは両手で顔を覆う。細い骨の指の間からは涙と嗚咽が漏れ、震えていた。つられて泣きそうになるが、笑って彼女が落ち着くのを待った。
ディアナ――【ディアナ・ブラン】は、狂王軍に所属していた【守護魔術師】にして、アタシの元【契約主】。守護魔術師達は身を守るための魔術や治癒に長けていたが、専門特化し過ぎた結果、代償として攻撃へ転じる一切の魔術が上手く扱えなくなる者が次々と出始めた。これを良しとしなかった狂王は、守護魔術師達も最前線の【攻め】へ加われるよう、強制的に【冥界】の【悪魔】と契約をさせ、戦力の増強と守りの増強を同時に行った。
この取り決めにより戦火は一段と激しくなり、それまで生存率の高かった守護魔術師達からも戦死者が出るようになった。死因は様々だが……中でも酷かったのは味方へ守護魔術での支援を行い続けた結果、【契約悪魔】へ魔力を供給することが出来なくなり、【契約主】と【悪魔】が共倒れしてしまう【魔力枯渇】だった。しかし、狂王は付け焼刃の若い魔術師達を、抜けた戦力と守りを補う形で戦地へ投入し続けた。魔力の少ない者から続々と戦死し、【魔王の国】での最終戦争までに生き残った守護魔術師は、ディアナを含めて三人のみ。
彼女は【勇者】と同じ班へ割り振られたが、魔王の城手前で【冥界の魔人】と思われる存在と交戦。アタシは重傷を負ったディアナを担いで戦線から外れ、城から離れた穴蔵へ一時身を隠した。……これが全ての始まりだった。
穴蔵の中には、ヴォルガード王の強力な結界に閉じ込められた【魔王の国】の民達が居て、アタシ達は彼らへ接触してしまった。根が元々優しいディアナは、言葉の通じる弱者の彼らへ同情した。その後、狂王軍も穴蔵を発見し、【魔王の国】の民達を虐殺しようと試みる。ディアナは身を呈して守護魔術の結界を作り出し、彼らを守ろうとしたが……満身創痍だったのもあり、数分も持たずに彼女の結界は崩壊。彼女は【魔王の国】の民達と共に、複数の魔術師が生み出した業火に飲まれ、骨も残らないほど焼き尽くされていった。
……アタシはその時、自分の命惜しさに逃げちまった。ディアナはきっと、あの時一緒に居て欲しかった筈なのに。それでも、死ぬのが怖かったアタシは彼女の言葉に甘え、首輪代わりに着けられていた【契約の鎖】を断ち切って、狂王軍との交戦中に逃げ出したんだ。
自身の杖を胸へ突き刺され、業火に飲まれゆく彼女の後ろ姿。振り返らず、前を見て歩けとアタシに言った彼女は、歴史の誰に知られるわけでも無く燃えカスになっていった。
――数分後。落ち着いたらしく、顔から両手を放して目元の涙を指で拭いながら、彼女も口を開いた。
「い……いつから気付いていたんですか?」
「初めて会った時から。森で獣人共に襲われて、怪我の治療されてる最中に気付いた。上品な口ぶりや治癒の施術に守護魔術、背格好や声だけは変わっちまったようだが……アタシは、ずっと気付いていたさね」
「……驚いているでしょう? 死んだ人間が、骸骨になって生きているだなんて」
「そらもうっ!! 一体どうしたんだいその姿っ!?」
ディアナはハンカチで鼻をかみ、頬に手を当てながら当時の事をゆっくりと語り始める。
「魔術師達の放った業火に焼かれながら、私の意識はそこで一度途切れましたわ。真っ暗な夜空へ逆さに落ちていくような……何か恐ろしい体験をしたような気もしますが、よく覚えていませんの。意識が戻った頃には既にこの姿で、ローグメルクさん達を庇うようにして狂王軍の前へ立っていましたわ。その後、すぐにヴォルガード王の剣を持った勇者様に助けられ、行く当てもなかった私はローグメルクさん達と共に、こちらへ移り住みました」
ローグメルクが言ってたのはそれか。だが彼も、どういった経緯でディアナが骨になったかまでは知らなかった。ポーラはシスター・ディアナの思考が読めないと言っていたし、彼女はもう人間の枠組みから外れた存在なのだと、アタシは考えている。これまでの振る舞いや言動を思い返してみれば、本人もそれは自覚していそうだ。
ディアナは賢く、本質を見抜く目が有る。王都魔術学院の【守護魔術部門】を首席で卒業し、僅か十五で当時選りすぐりで固めた狂王軍の守りとして最前線へ立った。負傷兵の多さに心を痛めた彼女は、野戦病院で経験を積みながら独学で治癒魔術の施術方法を会得。【勇者】や【ルシ】、狂王からも一目置かれるようになり……火力補助要員も兼ねられるよう、【悪魔】であるアタシと契約した。捕虜の他種族兵とも積極的に関り、人語の壁を越えて意思疎通を図った努力もあってか、彼女にだけ心を開く者もいたそうだ。その後は生存率トップの【勇者】の班へ割り振られ、【魔王の国】一歩手前まで同行していた。……そこからは、アタシがよく知る通りだ。
コートの内ポケットから封の切られた一通の手紙を取り出し、ディアナに見せる。
「差出人不明の手紙と、領地の地図。【ルシ】を通してアタシに届けに来たのもお前だろ?」
「……はい。最期に別れて以来、あなたの居場所がわからなくて……恐れ多いながら、【ルシ】様にお願いしましたの。あの方はいろんな場所を飛び回っておられますし、あなたのこともよくご存じですもの。自分の足で探すよりも確実ですわ」
「あん時は街でフードを被った男に、無言でこいつを突き出されて焦ったよ。いよいよ春到来かってねっ!!」
「うふふふっ、ペントラは相変わらずですのねっ!! ……で、お相手は出来ましたか?」
「あー……いるにはいるんだけど……当人が鈍感なのと、可愛いライバルが多くてねぇ」
「私でよければ協力いたしましてよ?」
「アッハッハッハッ!! ダメダメっ!! あんたが恋愛事に関わると、ロクなことにならないっ!! アタシだけの力で堕としてみるさっ!!」
「まあ、お顔が真っ赤ですわよ。虚勢ではなく、本当に恋をしていらっしゃるのね?」
その一言で顔の火照りを実感し、彼女から顔を背ける。恥ずいなぁ。……ディアナは元【契約主】で、十五年前まではなんでも話せる仲だったのに、ポーラのことになるとアタシホント駄目だわ。顔にも言葉にも出ちまうよ。だがまぁ……それよりもだ。
頭を左右に振って切り替える。今なら……ずっと突っかかってたことも、口に出せそうだ。
「なあ、ディアナ。アタシ、さ……ずっと気になって気になって、仕方なかったことがあるんだ」
「なにかしら?」
「……逃げちまったことだよ。主の危機だってのに、あんたの言葉に甘えて……逃げ出しちまった」
「………………」
ディアナは静かに、こちらの顔を見つめる。彼女の目も鼻も皮も無い表情は読めない。当時の事を思い出しているようにも見えるし、怒っているようにも、憐れんでいるようにも見える。同じ骸骨面なのに、おかしなもんだ。そんな彼女に目を合わせられなくて、思わず俯く。
「ずっと……後悔してたんだ。アタシ一人じゃ、どうしようもなかったことなんてわかってる。けど……けどね。主であるあんたの傍に、最期までいるべきだったんじゃないかって……どうしても考えちまうんだ」
「………………」
「ディアナと出会って十年、別れて十五年。今でもあんたが燃えカスになっていく光景が、目に焼き付いて離れない。それにもしかしたら……アタシがもう少し粘っていれば、【勇者】が助けに来てくれたかもしれなかった。アタシが死んだとしても、あんたは死なずに済んだかもしれない」
窓から月明かりが差し込んできた。青白い光が、脚の間で震える指を組んだ両手を照らしだす。
「……ごめん……ごめんなぁ。どう謝ったらいいか、わからないんだ。……手紙が来て、すぐここへ行けなかったのも……向き合うのが怖かったからだ。アタシは臆病で、卑怯な【悪魔】だよ。……生きていたとわかって、嬉しかったのに……もしあんたが死ぬ直前に、逃げたアタシを恨んでたら、あの時助けられたら……だからディアナのようになろうと、十五年間生きてきた。……けど、駄目だ。……アタシじゃ、あんたにはなれないよ。……あんたという罪から逃れようと、ただ誤魔化してきただけ。――教えてくれ……あんたは死ぬ時に一瞬でも、アタシの事を恨んだかい?」
涙が伝って、手の上へ落ちていく。罵られても、恨まれても、呪われたって構わない。踏み抜いてしまってはいけない領域の話なのかもしれないけれど、この答えを聞かなきゃ、アタシはこれ以上前へ進めないんだ。
視界の外から骨ばった白い左手が、アタシの涙に濡れた手の上にそっと重ねられる。その手に生者の温もりは無い。
「いいえ。それは違いますわ、ペントラ。私はあの時の選択を全く後悔していません。あなたは【悪魔】ですが、私達と契約した【悪魔】の中でも最も優しく、人間らしい素敵な女性でしたもの。お互い、嫌なものも沢山見てきましたわね。……惨い死に方をした方も、救えなかった命も。それでも、あなたが傍にいて笑ってくれたからこそ、私はあの十年間を頑張ってこれました」
アタシの両手を手に取る。彼女を見ると、あの頃のままの微笑みを浮かべた、涙を流すディアナの顔があった。骸骨の顔ではない。生気溢れる肌、金色の長髪に澄んだ青い瞳の、美しい彼女の姿だ。
「私の願いは今も昔も変わらず、【皆の安寧とあなたの幸せ】ですわ。もし、逃げたことに罪の意識を感じて、これまで生きて来れられたのだとしたら、それはもうここで終わりにしましょう。あなたがそうやって無理に笑って生きているのだとしたら、それが私にとっての後悔であり、罪でもあります。赦しを乞うことであなたが前へ進めるのなら赦しましょう。あなたが本当に生きたいように生きて、幸せになれるのなら、私がどうなろうと構いませんわ。そう想い、【契約の鎖】を私が強引に切ったんですもの。【はぐれ悪魔】になったとしても、あなたなら人間とうまく付き合っていける。あの場で一緒に死んでしまうなんて、それこそもったいないですわよ?」
両腕を回し、優しく抱きしめてくれる。温かい、人の体温を感じる。清潔感のある石鹸の匂いと、柔らかな肌と髪の感触。過去の記憶が見せた幻覚かもしれないが――アタシを抱きしめる彼女は、間違いなく生きていた。
「自分の為に生きなさい。自分の為に幸せになってください。あなたにはもう、あなたの居場所があるでしょう? その場所を大切になさってください。私、【ディアナ・ブラン】という亡霊にいつまでも囚われてはいけません。過去に苦しみ、折れそうになることもあるでしょう。幸せになっていいのか、迷うこともあるでしょう。けれど、あなたがただ苦しむだけの道を、自らの意思で選択し続けているのだとしたら、その時は本当に化けて枕元へ出てやりますわよ?」
「……ディアナ」
「……あなたを恨んでなんていませんわ、ペントラ。泣いてもいい。悩んだらいつ相談しに来てもいいから、あなた自身の新しい【幸せな人生】を歩みなさい――生きててくれて、ありがとう」
彼女を抱きしめ返す。コツコツとした固く、体温の無いひんやりとした冷たい骨と布の感触。笑えない。笑えないよ。涙が止まらない。嗚咽が出て、みっともない顔をしているに違いない。彼女の肩へ顔を埋める。
虚しくも骨のみになったディアナ。……でも、確かに彼女はここにいて、生きているんだ。
「勝手に背負って……勝手に泣いて……ホントダッサいなぁ、アタシ……」
もっと素直に生きよう。もっと幸せになろう。もっとアタシ自身を好きになろう。
……仲間の皆と一緒に。
それが自慢の契約主様の、生前最期の【我儘・願い】さね。
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