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第三章・【悪魔】とエクソシスト
【第四節・ベファーナちゃん】
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――ああ、聞こえている。届いているとも、君の言葉は。
傍で咽び泣くエポナを撫でる。
「主殿っ!?」
すまない、少し眠っていたようだ。
手の感覚が戻り、ランスを引き抜く。【魔女】は相変わらず空中に留まったまま、私達を見下ろしながら笑っている。
「やるじゃないカ、デュラハンッ!! 君はただの【はぐれ悪魔】じゃないネ?」
若い女……少女の声だ。侵略戦争時にどこの種族へ属するわけでも無く、最も安全な空に拠点を構え続けた【魔女】。しかし、行き過ぎた知恵が神々の怒りに触れ、鉄槌で海へ叩き落とされたと聞いていたが……生前耳にした、生き残りがいるという噂は事実であったか。
魔術師と同等以上の魔力を、あの【魔女】から感じる。【雷の魔術】は消耗が激しく、上級魔術師でさえ使いたがらない【高等魔術】だが、まだ向こうは余裕があるようだ。
「主殿ぉっ!! 生ぎででよがっだぁっ!! ……やい、お前ぇっ!! そいつは俺様達のもんだっ!! 大人しく返すかそっから降りて来て、お前を食わせろぉっ!!」
「馬の【悪魔】とは珍しいナァ~? デモデモ、この子はダ~メ。ウチの友達の友達の友達だからネ」
「それはもう他人じゃねえかよぉっ!?」
知人ではあるかもな。エポナは苛立ち、ギリギリと歯ぎしりをしている。
しかし困った。こちらは肉体の再生へ魔力を使い果たし、奥の手が使えなくなってしまった。三つ編みの魔力は弱々しいが、【魔女】の姿ははっきりと認識できる。ランスを投げつけ……いや、躱されてしまうか。現状では【魔女】や三つ編みを打ち落とす手段がない。魔物達を狩って魔力を補給したとしても、時間が掛かり過ぎる。その間に逃げられるか、三撃目・四撃目と雷を落とされるだろう。一先ずはこちらが生き残るために、エポナを担いで逃げるべきか。
「フフン、ウチの勝ちだネッ!! 君達を煮るも焼くも実験材料にするのも、ウチの自由サッ!!」
「ブルルルぅ……俺様が万全の状態なら、あんなクソガキ如きにぃ……ズルいぞぉっ!! 降りてこぉいっ!!」
それは無理だろう。
「イイヨ~ッ!!」
いいのか。
「その代わリィ……今日から君達ハ、この【魔女・ベファーナ】ちゃんの【契約悪魔】としてこき使ってやるヨッ!! イーヒッヒッヒッ!!」
契約だと?
魔力で形作られた幼い表情がニヤリと笑い、音をたてず三つ編みと共に目の前へ降りてくる。……小さいな。三角帽子を合わせても、私の腰ほどの高さしかない。箒から飛び降りた【魔女】――ベファーナは、帽子から何かを取り出し、私へ差し出した。
「ハイ、契約書ッ!! 通常契約は対等の力配分になっちゃうからネ。お前らは一割の恩恵を受ケ、九割の労働力をウチへ捧げル。他にも動物を殺してはいけないとカ、人を殺せないとカ、主の命令は絶対とカァ……いっぱい書いてあるけド、読むの面倒臭いヤ。ここにサインしテ?」
「おおいっ!? 対等な契約じゃないし大事なとこすっ飛ばすんじゃねぇよぉっ!? 【契約悪魔】は契約違反すると魔力を契約主に没収されんだよぉっ!!」
「じゃあ読んでみてヨ」
「俺様は字が読めねぇんだクソガキぃっ!!」
だが、私とエポナには選ぶ権利がない。左手に握られたランスで彼女を貫くよりも、背を向けて走り出すよりも早く、私達の頭上からは雷が降り注ぐだろう。
「その通リ。死ぬのは勝手でモ、お互い死ねない理由があるんだロォ? ウチは君らを助けたいんダ。それとこの夜が明けるト、血に飢えた【狩人】が来ル。君らじゃ相手にならないシ、ウチ一人でもギリギリの相手ダ。そこでだネ、初仕事はウチらと君らの【共同戦線】といこうじゃないカ」
それほどの相手……【祓魔士】か、【勇者】の軍か?
「お前と同じ、戦争の残り火だヨ。強者を求めて彷徨っているところもまんまだネ。ウチの友達の友達が頑張って動いてくれてるけド、まともな戦力は【上級悪魔】二人と【天使】二人、そしてゴブリン二匹。こんなお粗末なメンツじゃ話にならないヨ」
「だからダチのダチは他人じゃねえかっ!?」
「うっさい馬だナァッ!? これから友達になるんだヨォッ!!」
箒の枝をプチプチと抜きながら、ベファーナは口を尖らせて手の内を語る。もう契約書へサインをする前提で話が進んでしまっているが、私が断って勝手に死ぬ選択を取るとは考えていないのだろうか?
「それはできないのを知ってテ、契約の話を持ち掛けてるんだヨォ? 久しぶりにまともな【会話】をする気分はどうだイ、ザガム君?」
……なるほど。実に【魔女】らしく、したたかで汚い少女だ。いいだろう、ペンと契約書を貸したまえ。狂王様の忠臣・ザガムを雇い、生かしたことをいずれ後悔させてやろう。精々【不幸な事故】で死なぬよう、背後に怯えながら日々を過ごすがいい。
「イーヒッヒッヒッ!! アー、サインはここネ。でも目が見えないって不便じゃないかイ? 新しい頭を作ってあげようカ?」
ベファーナは私の手にペンを握らせ、サインすべき場所を指して教える。
確かに目や口が無いのは不便だが、これは自らの不覚の証でもある。一度は死んだ身だ。今生きていて、隣には愛馬がいる。彼さえ生きていれば、それ以外何もいらないさ。ベファーナは紙が見えずサインに苦労している私の手を掴み、強引に書かせる。
「主殿にべたべた触んなぁっ!! クソガキが気安く触れていいお方じゃないんだよぉっ!?」
「……ヨシヨシ、しっかり書けたネ。じゃあ馬を撫でてみてヨ。ウチの魔力が足されテ、君の魔力も底上げされてるはずダ」
彼女に言われるがまま、左手をエポナの首に添えて撫でてやると、彼の右前足がぐずぐずと音をたてて再生を始めた。
ふむ、契約はうまく成立したようだ。
鼻を鳴らしてやや不服そうにしながらも、再生が終わったエポナは自力で立ち上がる。どすどすと何度か地面を蹴って調子を確認し、空へ向かって嘶く。問題無いらしい。
「ああああぁああぁっ!! マジムカつくぅ~っ!! な~んでこんなクソガキに俺様がこき使われなきゃいけねぇんだよぉ~っ!?」
「うるサッ!? 契約書に騒ぐなって書いておくんべきだったヨ」
「あー……あ? なんだこの滅茶苦茶な契約内容っ!? クソガキの許可がないと何もできないじゃねーかっ!!」
読めなかった契約書へ書かれた内容が、徐々に頭へ文字として直接入って来る。
一、人間や他種族を含めた動物不殺
二、許可無しに戦闘行動を禁止する
三、ベファーナから常に百歩圏内にいること
四、実験の際には絶対協力すること
五、ベファーナの友達になること
六、朝は優しく起こし、眠るまで傍にいること
七、一日百回、ベファーナを笑顔にすること
八――――
……確かに、これは狂王様へ仕えていた時より酷な内容だな。頭は無いが、頭が痛い。エポナも次々と頭へ刻み込まれる内容に、ブルブルと鼻を鳴らしながら震えている。
「ンフフフ~。ニ・三個くらいなら破っても問題はないヨ? それ以上破った時ハ……オシオキダネッ!!」
「マジかよ……マジかよ……」
すまないエポナ。本当にすまない。
なだめようと彼の首を擦っていると、ベファーナは彼の背にふわりと跨る。嫌そうに首を左右へ振るが、あまり強く抵抗してしまうと契約に引っかかるので最低限に留める。
「ブルルルぅ……まさか主殿以外を乗せる日が来るとは思わなかったぜ」
「イーヒッヒッヒッ!! 光栄に思いなさいナッ!! 可愛い女の子を背中に乗せる機会なんテ、今までなかったでショ? これからよろしくネ、お馬サンッ!!」
「あああぁあああぁあっ!! 軽いなぁっ!? 俺様全速力で走りたくなってきちゃったなぁっ!?」
エポナは叫びながらバタバタと走り回り【事故】を狙うが、【魔女】に手綱はしっかりと握られていて、落馬する様子が全くない。
「ドードードードーッ!! 馬へ乗るのも悪くないけド、乗り心地は箒の方がいいネッ!!」
それぐらいで勘弁しておいてやってくれ、時間が無いのだろう?
「分かってるヨッ!!」
そう言ったベファーナは跳ね上げた反動で宙へ跳び、待機していた箒へ掴まりゆっくりと降りてくる。そして仰向けに低く浮いたままの三つ編みを、私の前まで移動させてくる。先程よりも魔力が弱まっており、苦しげな呼吸音も聞こえる。
「あばら骨が折れてるのかナ? ウチは医学的な知識が無いからわからないけド、今すぐ処理しないと死ヌ?」
肺に骨が刺さっているとしたらまずいな。至急ではないが、急いだほうがいい。医療の心得、もしくは治癒魔術に明るい者は君の仲間にいるか?
「いるヨ。寝て無きゃいいけド」
了解した。では行くとしようか、ベファーナ嬢?
返事に対し、彼女は不満げに口を尖らせて鳴らす。何が駄目だったのか?
「【ベファーナちゃん】って呼んで欲しいナ? ナ?」
「……ベファーナちゃん」
ベファーナちゃん。
「イーヒッヒッヒッ!! ウンウン、クルシュウナイゾーッ!! サアサア行こうではないカッ、我が友のアジトへッ!!」
***
時刻は二十九時四十二分。……森の獣道を、三分の二は進んだだろうか。もう少しでスピカ達の領地に到着するというところで、殿を務めていたペントラが声を上げる。
「しっ!! 馬の走る音だ……茂みへ身を隠しなっ!!」
指示に従い、獣道から少し離れた茂みの中へ僕らは身を潜める。
馬……その言葉を聞いて嫌な予感しかしないが、彼の無事を祈るほかない。隣で屈む巻き髪もやや不安げに、樋爪の力強い音のする方を見つめている。
一分も経たず、音の正体はやって来た。黒い馬へ跨り、左手にはランスを携え、全力疾走する首の無い黒い鎧。ああ、アダム……君の力量不足ではない。僕が相手の力量を見誤り、間違った采配をした結果だ。だが、今は自分の無能さを嘆くよりも――
「うぉういっ!! ルシ臭いガキっ!! ペントラちゃぁんっ!! デカいのっ!! お前らがそこへ隠れてんのはわかってんだよぉっ!! 取って食いやしないから出て来いヤァっ!!」
馬の声だ。どすどすと最高速から減速して止まり、僕らの隠れている方へ叫んでいる。
ばれているのか……いや、奴はペントラや僕の魔力がどうこうと話をしてもいた。それを辿り、追跡した可能性の方が高いだろう。どうする、迎撃するか。茂みや木々の中では、馬の高い機動力も生かせない。しかし、このまま隠れていても奴らが引く気配はない。
「………………っ!!」
「えっ!?」
巻き髪が紙の球の導火線へ着火し、立ち上がって彼らに向け投擲する。獣道にまで到達すると、軽い破裂音と共に白煙が周囲に広がった。彼は腰のベルトへ差していた短刀を引き抜きぬき、白煙の中へ突っ込んで行く。
「馬鹿っ!! 不用意に突っ込むんじゃないよっ!!」
ペントラの叫びとほぼ同時に固い金属音が鳴り響くが、それ一度きりで白煙の中は静かになった。僕とペントラも立ち上がり、それぞれ戦闘体勢をとりながら白煙が晴れるのを待つ。
――三十秒も経たないうちに煙が晴れた。そこには短刀を首無し鎧へ突き出す巻き髪と、その短刀を右手で握り、刺されまいと膠着している二人と一頭の姿があった。ギリギリと金属と金属が擦れる音をたてているが、鎧も馬も巻き髪も微動だにしない。
「お、おいっ!! やめろってっ!! 状況が変わったんだっ!! お前らを食ったりなんかしねぇっつってんだろうがよぉっ!!」
「黙れぇ……っ!! だったら、なんで先輩が追い付いてこないんだよ……っ!? なんでお前らが先に俺らを見つけるんだよぉ……っ!!」
短剣を掴んでいた右腕が徐々に鎧側へ押され始め、巻き髪の背が前へ進む。
「あの人は、口が悪くても約束を守る男だった……っ!! 俺やポーラ司祭、ペントラ姐さんだって、先輩を信じて送り出したんだ……っ!! 嫌で嫌で仕方なかった筈なのに、自分よりも司祭や彼女達の事を優先した……っ!!」
「ううおぉっ!? ちょっ、待てっ!? そこの二人も黙ってないで止めてくれぇっ!!」
「この世が歪だってのは知っているっ!! ……弱肉強食で理不尽なのだってっ!! でも俺は……俺は――――」
――彼が更に一歩、足を踏み出した瞬間だった。横から箒に跨り、彼の頭を蹴り飛ばす小さな陰。蹴り飛ばされた巻き髪は、そのまま茂みの中へと倒れこむ。
僕とペントラはその光景を見てようやく我に返り、獣道へ飛び出した。
「イーヒッヒッヒッ!! ごめんネェッ!! そいつらはもうウチの【契約悪魔】なのサ。乱暴はやめてネッ!!」
飛び出した僕らの前へふわりと箒から降り立ったのは、一人の小さな少女。ツギハギの三角帽子、体格に似合わない大きめのローブ、首には……呪い道具だろうか、水晶の中に眼球が入ったペンダントを身に着けている。
彼女が空中を指すと、空からゆっくりと一人の人影が降りてきた。あれは……アダム? 彼はこちらの目の前まで下降してくる。瞼を閉じ眠っているようにも見えるが、吐血したのか口の周りは血に濡れ、苦しそうに短い呼吸を繰り返していた。
「アダムっ!!」
「先輩っ!!」
頭やコートに葉っぱを付けた巻き髪も加わり、アダムの生存に安堵するが、僕らは再び彼女達へ身構える。
「……あなた達……いえ、あなたは何者ですか?」
「よくぞ聞いてくれタッ!! ウチは【魔女のベファーナ】チャーンッ!! デカい首無し鎧は狂王軍の【大将・ザガム】、その下は喋る馬だヨッ!! ウチは【はぐれ悪魔】だったあいつらの新しい主様サ。アジトを借りてるスピカとは友達デ、友達の友達の君達の味方。ケンカする気はないヨ? 寧ろ【天使】君を助けてあげたんだかラ、感謝して欲しいぐらいだけどネェ?」
緑の瞳で怪しく笑う小さな【魔女】――ベファーナは、指先をくるくると回しながらカタコトで自己紹介と立場の説明する。
【魔女】。多くの書物に空想上の種族として書かれている、【人間と類似した種族】だ。鼻の高い小さな老婆の姿をしており、生まれながらにして膨大な魔力を有している。人間の魔術師など足元にも及ばないほどの【高等魔術】や、禁忌とされている魔術も指一本で操り、時折【地上界】に降りてきては他種族をたぶらかす。……雲よりも高い位置に城を構え住んでいたが、侵略戦争時に神の鉄槌によって海へ落ち、滅んだとも聞いたことがある。
書物に書かれた【魔女】の容姿とは真逆なベファーナだが、彼女は箒へ跨り空を飛んでいた。更に魔術を指一本で操り、挙句は背後の【悪魔】さえも使役している。馬の【悪魔】が「状況が変わった」と言ったのは、その為であろう。しかし、一度は敵対した一人と一頭だ。信用しても……いいのだろうか。
「ン~……まずはスピカ達の所へ行こうカ。ウチをすぐ信用しろってのも難しいシ、こっちの【天使】さんも苦しそうだしネ。それまではケンカはストップッ!! 何があったのか全知全能のウチは全部知ってるけド、ウチらと君達の目的は同じだからネ」
すいすいと足元へ飛んできた箒へ飛び乗り、ベファーナはこちらを見下ろしながら先へ進むよう促す。ペントラが溜め息をつき、彼女から目を離せないでいる僕と巻き髪の肩を叩く。
「だな。アタシも頭が追い付いてないし、ここでうだうだしてても時間の無駄さね。鎧や馬とも一時休戦。城に着いてから詳しく聞けばいいさ。それでいいかい、お二人さん」
「……そうするしかないですね。先を急ぎましょう、スピカさん達の領地まではもうすぐです」
僕とペントラも、魔術でアダムを運ぶベファーナへ続く。巻き髪は何か言いたげに首無し鎧を見ていたが、少し遅れてついてくる。
「あんだデカいのっ!! 文句あるのかっ!!」
「うるさいよ馬ッ!! 早く来なさいナッ!! 百歩圏内から離れちゃうヨッ!?」
「ブルルルッ!? あ~も~、いくぜ主殿ぉっ!!」
***
無事に城へ辿り着いた僕らは通された客間へ集まり、眠そうに瞼を擦るスピカやローグメルク、ティルレット、ドルロス夫妻も加え、作戦会議を行う事となった。喋る馬の【悪魔】――【エポナ】は扉をくぐれないので、開け放った庭側の窓から参加している。
「――といった事情がありまして、狩人のアレウス氏をどうにか誘導、もしくは彼と和解する為に、ご協力をしていただければ……スピカさん?」
「ふぁぁ……あ、すみません。この時間帯はいつも寝ているものですから……ローグメルク、追加の紅茶と顔を拭くための温タオルを持ってきてもらってもいいですか? 話の内容は頭へ入ってくるのですが、明確な解答が思い浮かびません。ボクらの戦力に新しい二枚のカードが加わりましたし、もう少し戦略を広げられるかもしれまへん……ふぁぁ……」
二枚のカードとは首の無い鎧――【狂王軍のザガム大将】と【魔女・ベファーナ】の事だろう。ザガムはソファへ礼儀正しく座り、隣に座る主のベファーナはティースプーンを魔術でくるくると回しながら、欠伸するスピカをにやにやと見ていた。
ザガム。狂王軍の大将として【勇者】と共に戦場を駆け巡った、狂王の忠臣と呼ばれた武人。愛馬へ跨り、巧みなランス捌きで他種族を圧倒。数十本の矢で射られるなど、瀕死の重傷を受けても倒れることなく殲滅し続けた。生前から【悪魔】の力を借りていたとのことだが、そのお陰もあってか首を【勇者】に切り落とされても死なず、今日までエポナと共に生き抜いてきたそうだ。噂通りの実力なら、頼もしい戦力となってくれるだろう。
……アダムは彼との戦いで重症を負った。肋骨数本が肺へ刺さり、別室でシスターの施術を受けているが、意識が戻って動けるようになったとしても無理をさせたくない。巻き髪はザガムがこの場にいること自体、整理できていない様子だ。しかし、相手は人間であり天然のエクソシスト。【天使】の僕らが人間のアレウスへ直接干渉することは難しいし、ペントラ、スピカ達だけでは太刀打ちできない。
君の気持はわかる。けど、今だけは堪えてくれ。
「若造。そんなに強い奴なのかのう? その……アレキダスだかアンダウスとか言う奴は?」
「人間の狩人一人なら、アタシら二人も負けちゃいないと思うがねぇ」
ドルロス夫妻は紅茶を飲みながら、隣に座る巻き髪へ尋ねる。彼は呼びかけられてぴくりと反応した後、苦笑いしながら夫妻を見やる。
「かなり。……マグさんが力を必要としない【技の達人】なら、アレウスさんはそれへ更に【強引な力】と【間合いの広さ】、【生成術】が加わります。戦闘経験もかなり豊富だそうで、雷獣相手に狩猟を試みたこともあったとか。ペントラさんの話では竜人族相手に戦ったとも話していたそうですし、複数の対人も慣れていそうです」
「ううむ、直接見た若造が言うのであれば間違いは無かろう。ああ、悔しいのぅ。ワシがあと四十若ければ一騎打ちも……」
「馬鹿言ってんじゃないよクソジジイ。向こうの得物は変化自在、【銀の武器】で常に一撃必殺。ヴォルガード王との【お遊び】と同じ考え方してんなら、十回は死ぬよ」
「まだ戦ってもおらんわいっ!! ベファーナっ!! 今すぐ若返りの薬を作っておくれっ!! ワシ一人で迎え撃つぞっ!!」
ユグ・ドルロスの冷静な指摘にマグ・ドルロスは顔を真っ赤にし、二振りの鉈を手にソファの上へ立つ。普段は温厚な好々爺の印象だが、ヴォルガード氏の事が絡むと若い頃を思い出すのか、つい熱くなってしまうらしい。
彼に呼ばれたベファーナはティースプーンをカップから一旦抜き取り、砂糖をボトボトと投下して再び魔術で搔き混ぜ始める。
「【寿命を削る代わりに若返る薬】はあるにはあるけド、マグ爺じゃ対価払えないでショ。都合のいい薬なんテ、この世には存在しないのサ」
彼女はそう言い砂糖が溶け切らず浮いている紅茶を、何食わぬ顔でスピカの前へ置く。寝ぼけた彼女はローグメルクが持ってきたと思ったのか、そのままカップを手に取り口を付け、ぎょっとした表情で盛大に噴き出す。
「ア゛ッマ゛ッ!?」
「イーヒッヒッヒッ!! 目は覚めたかイッ!?」
「お゛ま゛え゛ぇ゛……っ!!」
「ベファーナ嬢。お戯れはそこまでで」
ケタケタと笑うベファーナをスピカは忌々しそうに睨みながら、ティルレットからハンカチを受け取って口元を拭う。少し遅れて、ローグメルクが紅茶と温タオルを持って戻ってくる。彼は不機嫌そうな主を見て「お、遅れたこと怒ってやすかっ!?」と慌てて謝罪するが、スピカは彼の淹れた紅茶を一気に飲み干し、タオルでごしごしと顔を拭く。一連の出来事に眠気は完全に吹き飛んだようで、スッキリとした表情になった。
「んんっ……失礼しました。では、ボクの方から戦力となるであろう人選の振り分けと、【対アレウス氏作戦】を発案します。質問等があれば遠慮なくおっしゃてください。まず要の前線から。ドルロス夫妻、ローグメルク、シスター、ペントラさん、ベファーナ、そしてザガム公とお兄さんの部下……そう、巻き髪の君です」
「お……俺だけですかっ!? ポーラ司祭はっ!?」
「お兄さんは確かに攻撃を防ぐ盾役としては優秀です。……ですが、【天使】として人間に干渉できない制度がある以上、【信仰の力】抜きでは戦力として数えられません。それはあなたやローグメルク、ティルレットの方がよくわかっているかと思います。アダム君は【信仰の力】抜きでもそこそこ戦えるそうですが、重症で意識も無く動けません。狩人としての知識を持ち、彼の戦い方を間近で見た優秀な射手にして狩人であるあなただけが、作戦に要求する条件を全て満たしているのです」
「………………」
「今呼ばれなかった他の人員は、アレウス氏を落とす最後の詰めや補助へ回ってもらいます」
「一応、人間一人に対して総力戦ってわけか。まあ、あのおっさんが相手なら、分の悪いアタシ達は束になって連携仕掛けるしかないねぇ。ホントは来ないのが一番だけども……」
ペントラは焼き菓子を齧りつつ、バックポシェットからナイフや刷毛などを出し、テーブルの上に並べている。【悪魔の七つ道具】……と言っていたか。並べられたのは【六つ】しかないように見えるが。
一方、巻き髪はザガムが作戦に参加することや、【天使】では自分のみが加わることなど……様々な感情を抱いているであろう、複雑な面持ちだ。だがその目は真剣で、相手の力量を理解している分、本気で作戦へ取り組もうとしているようにも見られた。
僕は【最悪の事態】に備えての後方支援。盾役ならシスターもいる。ティルレットが抜擢されなかったのは……彼女は情熱的になり過ぎて、本当に間違いでアレウスを殺しかねない。加減ができない彼女を、前線へ加えるのは危険だと判断したのか。それはこちらも同意見だ。作戦はあくまでアレウスの撃退もしくは和解、命を奪うまでは考えていない。
前線の危険な任務を巻き髪に任せてしまう形になってしまうが……僕は僕に出来ることを、アダムの分まで最大限に頑張るしかない。
「では、肝心の作戦内容に移らせていただきますね。まずペントラさんですが――」
傍で咽び泣くエポナを撫でる。
「主殿っ!?」
すまない、少し眠っていたようだ。
手の感覚が戻り、ランスを引き抜く。【魔女】は相変わらず空中に留まったまま、私達を見下ろしながら笑っている。
「やるじゃないカ、デュラハンッ!! 君はただの【はぐれ悪魔】じゃないネ?」
若い女……少女の声だ。侵略戦争時にどこの種族へ属するわけでも無く、最も安全な空に拠点を構え続けた【魔女】。しかし、行き過ぎた知恵が神々の怒りに触れ、鉄槌で海へ叩き落とされたと聞いていたが……生前耳にした、生き残りがいるという噂は事実であったか。
魔術師と同等以上の魔力を、あの【魔女】から感じる。【雷の魔術】は消耗が激しく、上級魔術師でさえ使いたがらない【高等魔術】だが、まだ向こうは余裕があるようだ。
「主殿ぉっ!! 生ぎででよがっだぁっ!! ……やい、お前ぇっ!! そいつは俺様達のもんだっ!! 大人しく返すかそっから降りて来て、お前を食わせろぉっ!!」
「馬の【悪魔】とは珍しいナァ~? デモデモ、この子はダ~メ。ウチの友達の友達の友達だからネ」
「それはもう他人じゃねえかよぉっ!?」
知人ではあるかもな。エポナは苛立ち、ギリギリと歯ぎしりをしている。
しかし困った。こちらは肉体の再生へ魔力を使い果たし、奥の手が使えなくなってしまった。三つ編みの魔力は弱々しいが、【魔女】の姿ははっきりと認識できる。ランスを投げつけ……いや、躱されてしまうか。現状では【魔女】や三つ編みを打ち落とす手段がない。魔物達を狩って魔力を補給したとしても、時間が掛かり過ぎる。その間に逃げられるか、三撃目・四撃目と雷を落とされるだろう。一先ずはこちらが生き残るために、エポナを担いで逃げるべきか。
「フフン、ウチの勝ちだネッ!! 君達を煮るも焼くも実験材料にするのも、ウチの自由サッ!!」
「ブルルルぅ……俺様が万全の状態なら、あんなクソガキ如きにぃ……ズルいぞぉっ!! 降りてこぉいっ!!」
それは無理だろう。
「イイヨ~ッ!!」
いいのか。
「その代わリィ……今日から君達ハ、この【魔女・ベファーナ】ちゃんの【契約悪魔】としてこき使ってやるヨッ!! イーヒッヒッヒッ!!」
契約だと?
魔力で形作られた幼い表情がニヤリと笑い、音をたてず三つ編みと共に目の前へ降りてくる。……小さいな。三角帽子を合わせても、私の腰ほどの高さしかない。箒から飛び降りた【魔女】――ベファーナは、帽子から何かを取り出し、私へ差し出した。
「ハイ、契約書ッ!! 通常契約は対等の力配分になっちゃうからネ。お前らは一割の恩恵を受ケ、九割の労働力をウチへ捧げル。他にも動物を殺してはいけないとカ、人を殺せないとカ、主の命令は絶対とカァ……いっぱい書いてあるけド、読むの面倒臭いヤ。ここにサインしテ?」
「おおいっ!? 対等な契約じゃないし大事なとこすっ飛ばすんじゃねぇよぉっ!? 【契約悪魔】は契約違反すると魔力を契約主に没収されんだよぉっ!!」
「じゃあ読んでみてヨ」
「俺様は字が読めねぇんだクソガキぃっ!!」
だが、私とエポナには選ぶ権利がない。左手に握られたランスで彼女を貫くよりも、背を向けて走り出すよりも早く、私達の頭上からは雷が降り注ぐだろう。
「その通リ。死ぬのは勝手でモ、お互い死ねない理由があるんだロォ? ウチは君らを助けたいんダ。それとこの夜が明けるト、血に飢えた【狩人】が来ル。君らじゃ相手にならないシ、ウチ一人でもギリギリの相手ダ。そこでだネ、初仕事はウチらと君らの【共同戦線】といこうじゃないカ」
それほどの相手……【祓魔士】か、【勇者】の軍か?
「お前と同じ、戦争の残り火だヨ。強者を求めて彷徨っているところもまんまだネ。ウチの友達の友達が頑張って動いてくれてるけド、まともな戦力は【上級悪魔】二人と【天使】二人、そしてゴブリン二匹。こんなお粗末なメンツじゃ話にならないヨ」
「だからダチのダチは他人じゃねえかっ!?」
「うっさい馬だナァッ!? これから友達になるんだヨォッ!!」
箒の枝をプチプチと抜きながら、ベファーナは口を尖らせて手の内を語る。もう契約書へサインをする前提で話が進んでしまっているが、私が断って勝手に死ぬ選択を取るとは考えていないのだろうか?
「それはできないのを知ってテ、契約の話を持ち掛けてるんだヨォ? 久しぶりにまともな【会話】をする気分はどうだイ、ザガム君?」
……なるほど。実に【魔女】らしく、したたかで汚い少女だ。いいだろう、ペンと契約書を貸したまえ。狂王様の忠臣・ザガムを雇い、生かしたことをいずれ後悔させてやろう。精々【不幸な事故】で死なぬよう、背後に怯えながら日々を過ごすがいい。
「イーヒッヒッヒッ!! アー、サインはここネ。でも目が見えないって不便じゃないかイ? 新しい頭を作ってあげようカ?」
ベファーナは私の手にペンを握らせ、サインすべき場所を指して教える。
確かに目や口が無いのは不便だが、これは自らの不覚の証でもある。一度は死んだ身だ。今生きていて、隣には愛馬がいる。彼さえ生きていれば、それ以外何もいらないさ。ベファーナは紙が見えずサインに苦労している私の手を掴み、強引に書かせる。
「主殿にべたべた触んなぁっ!! クソガキが気安く触れていいお方じゃないんだよぉっ!?」
「……ヨシヨシ、しっかり書けたネ。じゃあ馬を撫でてみてヨ。ウチの魔力が足されテ、君の魔力も底上げされてるはずダ」
彼女に言われるがまま、左手をエポナの首に添えて撫でてやると、彼の右前足がぐずぐずと音をたてて再生を始めた。
ふむ、契約はうまく成立したようだ。
鼻を鳴らしてやや不服そうにしながらも、再生が終わったエポナは自力で立ち上がる。どすどすと何度か地面を蹴って調子を確認し、空へ向かって嘶く。問題無いらしい。
「ああああぁああぁっ!! マジムカつくぅ~っ!! な~んでこんなクソガキに俺様がこき使われなきゃいけねぇんだよぉ~っ!?」
「うるサッ!? 契約書に騒ぐなって書いておくんべきだったヨ」
「あー……あ? なんだこの滅茶苦茶な契約内容っ!? クソガキの許可がないと何もできないじゃねーかっ!!」
読めなかった契約書へ書かれた内容が、徐々に頭へ文字として直接入って来る。
一、人間や他種族を含めた動物不殺
二、許可無しに戦闘行動を禁止する
三、ベファーナから常に百歩圏内にいること
四、実験の際には絶対協力すること
五、ベファーナの友達になること
六、朝は優しく起こし、眠るまで傍にいること
七、一日百回、ベファーナを笑顔にすること
八――――
……確かに、これは狂王様へ仕えていた時より酷な内容だな。頭は無いが、頭が痛い。エポナも次々と頭へ刻み込まれる内容に、ブルブルと鼻を鳴らしながら震えている。
「ンフフフ~。ニ・三個くらいなら破っても問題はないヨ? それ以上破った時ハ……オシオキダネッ!!」
「マジかよ……マジかよ……」
すまないエポナ。本当にすまない。
なだめようと彼の首を擦っていると、ベファーナは彼の背にふわりと跨る。嫌そうに首を左右へ振るが、あまり強く抵抗してしまうと契約に引っかかるので最低限に留める。
「ブルルルぅ……まさか主殿以外を乗せる日が来るとは思わなかったぜ」
「イーヒッヒッヒッ!! 光栄に思いなさいナッ!! 可愛い女の子を背中に乗せる機会なんテ、今までなかったでショ? これからよろしくネ、お馬サンッ!!」
「あああぁあああぁあっ!! 軽いなぁっ!? 俺様全速力で走りたくなってきちゃったなぁっ!?」
エポナは叫びながらバタバタと走り回り【事故】を狙うが、【魔女】に手綱はしっかりと握られていて、落馬する様子が全くない。
「ドードードードーッ!! 馬へ乗るのも悪くないけド、乗り心地は箒の方がいいネッ!!」
それぐらいで勘弁しておいてやってくれ、時間が無いのだろう?
「分かってるヨッ!!」
そう言ったベファーナは跳ね上げた反動で宙へ跳び、待機していた箒へ掴まりゆっくりと降りてくる。そして仰向けに低く浮いたままの三つ編みを、私の前まで移動させてくる。先程よりも魔力が弱まっており、苦しげな呼吸音も聞こえる。
「あばら骨が折れてるのかナ? ウチは医学的な知識が無いからわからないけド、今すぐ処理しないと死ヌ?」
肺に骨が刺さっているとしたらまずいな。至急ではないが、急いだほうがいい。医療の心得、もしくは治癒魔術に明るい者は君の仲間にいるか?
「いるヨ。寝て無きゃいいけド」
了解した。では行くとしようか、ベファーナ嬢?
返事に対し、彼女は不満げに口を尖らせて鳴らす。何が駄目だったのか?
「【ベファーナちゃん】って呼んで欲しいナ? ナ?」
「……ベファーナちゃん」
ベファーナちゃん。
「イーヒッヒッヒッ!! ウンウン、クルシュウナイゾーッ!! サアサア行こうではないカッ、我が友のアジトへッ!!」
***
時刻は二十九時四十二分。……森の獣道を、三分の二は進んだだろうか。もう少しでスピカ達の領地に到着するというところで、殿を務めていたペントラが声を上げる。
「しっ!! 馬の走る音だ……茂みへ身を隠しなっ!!」
指示に従い、獣道から少し離れた茂みの中へ僕らは身を潜める。
馬……その言葉を聞いて嫌な予感しかしないが、彼の無事を祈るほかない。隣で屈む巻き髪もやや不安げに、樋爪の力強い音のする方を見つめている。
一分も経たず、音の正体はやって来た。黒い馬へ跨り、左手にはランスを携え、全力疾走する首の無い黒い鎧。ああ、アダム……君の力量不足ではない。僕が相手の力量を見誤り、間違った采配をした結果だ。だが、今は自分の無能さを嘆くよりも――
「うぉういっ!! ルシ臭いガキっ!! ペントラちゃぁんっ!! デカいのっ!! お前らがそこへ隠れてんのはわかってんだよぉっ!! 取って食いやしないから出て来いヤァっ!!」
馬の声だ。どすどすと最高速から減速して止まり、僕らの隠れている方へ叫んでいる。
ばれているのか……いや、奴はペントラや僕の魔力がどうこうと話をしてもいた。それを辿り、追跡した可能性の方が高いだろう。どうする、迎撃するか。茂みや木々の中では、馬の高い機動力も生かせない。しかし、このまま隠れていても奴らが引く気配はない。
「………………っ!!」
「えっ!?」
巻き髪が紙の球の導火線へ着火し、立ち上がって彼らに向け投擲する。獣道にまで到達すると、軽い破裂音と共に白煙が周囲に広がった。彼は腰のベルトへ差していた短刀を引き抜きぬき、白煙の中へ突っ込んで行く。
「馬鹿っ!! 不用意に突っ込むんじゃないよっ!!」
ペントラの叫びとほぼ同時に固い金属音が鳴り響くが、それ一度きりで白煙の中は静かになった。僕とペントラも立ち上がり、それぞれ戦闘体勢をとりながら白煙が晴れるのを待つ。
――三十秒も経たないうちに煙が晴れた。そこには短刀を首無し鎧へ突き出す巻き髪と、その短刀を右手で握り、刺されまいと膠着している二人と一頭の姿があった。ギリギリと金属と金属が擦れる音をたてているが、鎧も馬も巻き髪も微動だにしない。
「お、おいっ!! やめろってっ!! 状況が変わったんだっ!! お前らを食ったりなんかしねぇっつってんだろうがよぉっ!!」
「黙れぇ……っ!! だったら、なんで先輩が追い付いてこないんだよ……っ!? なんでお前らが先に俺らを見つけるんだよぉ……っ!!」
短剣を掴んでいた右腕が徐々に鎧側へ押され始め、巻き髪の背が前へ進む。
「あの人は、口が悪くても約束を守る男だった……っ!! 俺やポーラ司祭、ペントラ姐さんだって、先輩を信じて送り出したんだ……っ!! 嫌で嫌で仕方なかった筈なのに、自分よりも司祭や彼女達の事を優先した……っ!!」
「ううおぉっ!? ちょっ、待てっ!? そこの二人も黙ってないで止めてくれぇっ!!」
「この世が歪だってのは知っているっ!! ……弱肉強食で理不尽なのだってっ!! でも俺は……俺は――――」
――彼が更に一歩、足を踏み出した瞬間だった。横から箒に跨り、彼の頭を蹴り飛ばす小さな陰。蹴り飛ばされた巻き髪は、そのまま茂みの中へと倒れこむ。
僕とペントラはその光景を見てようやく我に返り、獣道へ飛び出した。
「イーヒッヒッヒッ!! ごめんネェッ!! そいつらはもうウチの【契約悪魔】なのサ。乱暴はやめてネッ!!」
飛び出した僕らの前へふわりと箒から降り立ったのは、一人の小さな少女。ツギハギの三角帽子、体格に似合わない大きめのローブ、首には……呪い道具だろうか、水晶の中に眼球が入ったペンダントを身に着けている。
彼女が空中を指すと、空からゆっくりと一人の人影が降りてきた。あれは……アダム? 彼はこちらの目の前まで下降してくる。瞼を閉じ眠っているようにも見えるが、吐血したのか口の周りは血に濡れ、苦しそうに短い呼吸を繰り返していた。
「アダムっ!!」
「先輩っ!!」
頭やコートに葉っぱを付けた巻き髪も加わり、アダムの生存に安堵するが、僕らは再び彼女達へ身構える。
「……あなた達……いえ、あなたは何者ですか?」
「よくぞ聞いてくれタッ!! ウチは【魔女のベファーナ】チャーンッ!! デカい首無し鎧は狂王軍の【大将・ザガム】、その下は喋る馬だヨッ!! ウチは【はぐれ悪魔】だったあいつらの新しい主様サ。アジトを借りてるスピカとは友達デ、友達の友達の君達の味方。ケンカする気はないヨ? 寧ろ【天使】君を助けてあげたんだかラ、感謝して欲しいぐらいだけどネェ?」
緑の瞳で怪しく笑う小さな【魔女】――ベファーナは、指先をくるくると回しながらカタコトで自己紹介と立場の説明する。
【魔女】。多くの書物に空想上の種族として書かれている、【人間と類似した種族】だ。鼻の高い小さな老婆の姿をしており、生まれながらにして膨大な魔力を有している。人間の魔術師など足元にも及ばないほどの【高等魔術】や、禁忌とされている魔術も指一本で操り、時折【地上界】に降りてきては他種族をたぶらかす。……雲よりも高い位置に城を構え住んでいたが、侵略戦争時に神の鉄槌によって海へ落ち、滅んだとも聞いたことがある。
書物に書かれた【魔女】の容姿とは真逆なベファーナだが、彼女は箒へ跨り空を飛んでいた。更に魔術を指一本で操り、挙句は背後の【悪魔】さえも使役している。馬の【悪魔】が「状況が変わった」と言ったのは、その為であろう。しかし、一度は敵対した一人と一頭だ。信用しても……いいのだろうか。
「ン~……まずはスピカ達の所へ行こうカ。ウチをすぐ信用しろってのも難しいシ、こっちの【天使】さんも苦しそうだしネ。それまではケンカはストップッ!! 何があったのか全知全能のウチは全部知ってるけド、ウチらと君達の目的は同じだからネ」
すいすいと足元へ飛んできた箒へ飛び乗り、ベファーナはこちらを見下ろしながら先へ進むよう促す。ペントラが溜め息をつき、彼女から目を離せないでいる僕と巻き髪の肩を叩く。
「だな。アタシも頭が追い付いてないし、ここでうだうだしてても時間の無駄さね。鎧や馬とも一時休戦。城に着いてから詳しく聞けばいいさ。それでいいかい、お二人さん」
「……そうするしかないですね。先を急ぎましょう、スピカさん達の領地まではもうすぐです」
僕とペントラも、魔術でアダムを運ぶベファーナへ続く。巻き髪は何か言いたげに首無し鎧を見ていたが、少し遅れてついてくる。
「あんだデカいのっ!! 文句あるのかっ!!」
「うるさいよ馬ッ!! 早く来なさいナッ!! 百歩圏内から離れちゃうヨッ!?」
「ブルルルッ!? あ~も~、いくぜ主殿ぉっ!!」
***
無事に城へ辿り着いた僕らは通された客間へ集まり、眠そうに瞼を擦るスピカやローグメルク、ティルレット、ドルロス夫妻も加え、作戦会議を行う事となった。喋る馬の【悪魔】――【エポナ】は扉をくぐれないので、開け放った庭側の窓から参加している。
「――といった事情がありまして、狩人のアレウス氏をどうにか誘導、もしくは彼と和解する為に、ご協力をしていただければ……スピカさん?」
「ふぁぁ……あ、すみません。この時間帯はいつも寝ているものですから……ローグメルク、追加の紅茶と顔を拭くための温タオルを持ってきてもらってもいいですか? 話の内容は頭へ入ってくるのですが、明確な解答が思い浮かびません。ボクらの戦力に新しい二枚のカードが加わりましたし、もう少し戦略を広げられるかもしれまへん……ふぁぁ……」
二枚のカードとは首の無い鎧――【狂王軍のザガム大将】と【魔女・ベファーナ】の事だろう。ザガムはソファへ礼儀正しく座り、隣に座る主のベファーナはティースプーンを魔術でくるくると回しながら、欠伸するスピカをにやにやと見ていた。
ザガム。狂王軍の大将として【勇者】と共に戦場を駆け巡った、狂王の忠臣と呼ばれた武人。愛馬へ跨り、巧みなランス捌きで他種族を圧倒。数十本の矢で射られるなど、瀕死の重傷を受けても倒れることなく殲滅し続けた。生前から【悪魔】の力を借りていたとのことだが、そのお陰もあってか首を【勇者】に切り落とされても死なず、今日までエポナと共に生き抜いてきたそうだ。噂通りの実力なら、頼もしい戦力となってくれるだろう。
……アダムは彼との戦いで重症を負った。肋骨数本が肺へ刺さり、別室でシスターの施術を受けているが、意識が戻って動けるようになったとしても無理をさせたくない。巻き髪はザガムがこの場にいること自体、整理できていない様子だ。しかし、相手は人間であり天然のエクソシスト。【天使】の僕らが人間のアレウスへ直接干渉することは難しいし、ペントラ、スピカ達だけでは太刀打ちできない。
君の気持はわかる。けど、今だけは堪えてくれ。
「若造。そんなに強い奴なのかのう? その……アレキダスだかアンダウスとか言う奴は?」
「人間の狩人一人なら、アタシら二人も負けちゃいないと思うがねぇ」
ドルロス夫妻は紅茶を飲みながら、隣に座る巻き髪へ尋ねる。彼は呼びかけられてぴくりと反応した後、苦笑いしながら夫妻を見やる。
「かなり。……マグさんが力を必要としない【技の達人】なら、アレウスさんはそれへ更に【強引な力】と【間合いの広さ】、【生成術】が加わります。戦闘経験もかなり豊富だそうで、雷獣相手に狩猟を試みたこともあったとか。ペントラさんの話では竜人族相手に戦ったとも話していたそうですし、複数の対人も慣れていそうです」
「ううむ、直接見た若造が言うのであれば間違いは無かろう。ああ、悔しいのぅ。ワシがあと四十若ければ一騎打ちも……」
「馬鹿言ってんじゃないよクソジジイ。向こうの得物は変化自在、【銀の武器】で常に一撃必殺。ヴォルガード王との【お遊び】と同じ考え方してんなら、十回は死ぬよ」
「まだ戦ってもおらんわいっ!! ベファーナっ!! 今すぐ若返りの薬を作っておくれっ!! ワシ一人で迎え撃つぞっ!!」
ユグ・ドルロスの冷静な指摘にマグ・ドルロスは顔を真っ赤にし、二振りの鉈を手にソファの上へ立つ。普段は温厚な好々爺の印象だが、ヴォルガード氏の事が絡むと若い頃を思い出すのか、つい熱くなってしまうらしい。
彼に呼ばれたベファーナはティースプーンをカップから一旦抜き取り、砂糖をボトボトと投下して再び魔術で搔き混ぜ始める。
「【寿命を削る代わりに若返る薬】はあるにはあるけド、マグ爺じゃ対価払えないでショ。都合のいい薬なんテ、この世には存在しないのサ」
彼女はそう言い砂糖が溶け切らず浮いている紅茶を、何食わぬ顔でスピカの前へ置く。寝ぼけた彼女はローグメルクが持ってきたと思ったのか、そのままカップを手に取り口を付け、ぎょっとした表情で盛大に噴き出す。
「ア゛ッマ゛ッ!?」
「イーヒッヒッヒッ!! 目は覚めたかイッ!?」
「お゛ま゛え゛ぇ゛……っ!!」
「ベファーナ嬢。お戯れはそこまでで」
ケタケタと笑うベファーナをスピカは忌々しそうに睨みながら、ティルレットからハンカチを受け取って口元を拭う。少し遅れて、ローグメルクが紅茶と温タオルを持って戻ってくる。彼は不機嫌そうな主を見て「お、遅れたこと怒ってやすかっ!?」と慌てて謝罪するが、スピカは彼の淹れた紅茶を一気に飲み干し、タオルでごしごしと顔を拭く。一連の出来事に眠気は完全に吹き飛んだようで、スッキリとした表情になった。
「んんっ……失礼しました。では、ボクの方から戦力となるであろう人選の振り分けと、【対アレウス氏作戦】を発案します。質問等があれば遠慮なくおっしゃてください。まず要の前線から。ドルロス夫妻、ローグメルク、シスター、ペントラさん、ベファーナ、そしてザガム公とお兄さんの部下……そう、巻き髪の君です」
「お……俺だけですかっ!? ポーラ司祭はっ!?」
「お兄さんは確かに攻撃を防ぐ盾役としては優秀です。……ですが、【天使】として人間に干渉できない制度がある以上、【信仰の力】抜きでは戦力として数えられません。それはあなたやローグメルク、ティルレットの方がよくわかっているかと思います。アダム君は【信仰の力】抜きでもそこそこ戦えるそうですが、重症で意識も無く動けません。狩人としての知識を持ち、彼の戦い方を間近で見た優秀な射手にして狩人であるあなただけが、作戦に要求する条件を全て満たしているのです」
「………………」
「今呼ばれなかった他の人員は、アレウス氏を落とす最後の詰めや補助へ回ってもらいます」
「一応、人間一人に対して総力戦ってわけか。まあ、あのおっさんが相手なら、分の悪いアタシ達は束になって連携仕掛けるしかないねぇ。ホントは来ないのが一番だけども……」
ペントラは焼き菓子を齧りつつ、バックポシェットからナイフや刷毛などを出し、テーブルの上に並べている。【悪魔の七つ道具】……と言っていたか。並べられたのは【六つ】しかないように見えるが。
一方、巻き髪はザガムが作戦に参加することや、【天使】では自分のみが加わることなど……様々な感情を抱いているであろう、複雑な面持ちだ。だがその目は真剣で、相手の力量を理解している分、本気で作戦へ取り組もうとしているようにも見られた。
僕は【最悪の事態】に備えての後方支援。盾役ならシスターもいる。ティルレットが抜擢されなかったのは……彼女は情熱的になり過ぎて、本当に間違いでアレウスを殺しかねない。加減ができない彼女を、前線へ加えるのは危険だと判断したのか。それはこちらも同意見だ。作戦はあくまでアレウスの撃退もしくは和解、命を奪うまでは考えていない。
前線の危険な任務を巻き髪に任せてしまう形になってしまうが……僕は僕に出来ることを、アダムの分まで最大限に頑張るしかない。
「では、肝心の作戦内容に移らせていただきますね。まずペントラさんですが――」
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