ポラリス~導きの天使~

ラグーン黒波

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第三章・【悪魔】とエクソシスト

【第三節・首の無い騎士】

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 小高い丘の上で、標的が来るまで静かに瞑想する。今宵は月が出ていないようだが、盲目の私には光が有ろうと無かろうと関係がない。感じるのは鎧と身体へ響く音、ランスを握る手の触覚、そして魔力を宿した者の気配。それ以外の感覚など最早この身体に存在しない。

「……おいっ!! 起きろっ!! 獲物だっ!! 獲物だっ!!」

 隣で寝ていた【愛馬・エポナ】が騒ぐ。
 彼は魔力に敏感だ。私の関知範囲の遥か外からでも、標的を見つける。以前、どのようにして標的を探しているかと熱弁していたことがあるが、どうやら私は未だその境地へ達していないらしく、理解するに至れなかった。
 狂王様の騎士として、勇者に討たれ幾星霜。首を失くし、主を守れず、自分は醜くも生き永らえている愚か者を見た時、狂王様はなんとおっしゃるだろうか。火に炙られようとも、張り付けにされ無数の槍で貫かれようとも、死ねなかったのだ。残されたものは人語を話す【愛馬・エポナ】と、身を包む狂王軍の鎧、そしてランス。他の物は全て勇者に奪われてしまった。
 瞑想を止めて立ち上がり、エポナを撫でる。彼の感触とランスを握る感触だけは、今も昔も変わらない。

「なんだ起きてたのかっ!! さあさあ、早く俺様に乗りなっ!! もう三分もしないうちにここを通るぜっ!!」

 鼻を鳴らしながら、いつもより興奮した様子で語る。
 腹が空いているのだろう。ここ数日は高い魔力を宿した者と出会えておらず、かといって有象無象の魔物や人間共の肉では腹を満たせない。私は空腹感に苛まされることはないが、魔力不足でランス捌きがやや鈍り、脚となるエポナが本調子でないと標的を仕留められず、早馬に逃げられてしまうことも少なくない。
 足元のランスを手に取り、エポナへ跨る。

「おいおいっ!! 最近食ってないから痩せたんじゃねえかっ!? 主殿と俺様は一心同体っ!! 主殿が死んだら俺様も死んじまうっ!!」

 エポナが大きく嘶き、丘から飛び降りた。着地の衝撃を全身で受け止める。
 分かっているとも、だから私は闘うのだ。

「ブルルル……っ!! 獲物は四人だが魔力を宿した奴は二人っ!! 懐かしい血塗れた【悪魔】の臭いと、胸糞悪いルシ野郎の臭いもするっ!!」

 ルシ――【ルシ】か。懐かしき名だ。彼の声無き伝令は、多くの騎士や魔術師らを統率し、どんなに困難な状況でも確実に覆してきた。既に魔の側へ堕ちた私はその恩恵を授かることはなかったが、戦場で彼の指揮に助けられた数は数えきれない。だが狂王様を裏切り、神々の使命にも背き、【勇者】に私達を殺すよう差し向けたのもまた彼だ。【天使】の彼を憎む気持ちは、亡霊の私にも少なからず有る。
 どすどすと草原を踏み鳴らしながら、エポナがゆっくりと移動し始めた。

「ああああああぁっ!! 首が疼くなぁ主殿ぉっ!? 今夜こそ、お互い上手く狩れるよう頑張ろうぜェっ!?」

 生憎、既にこの身体は痛みも無ければ疼きも無い。相手が誰であろうと、君の空腹を満たせるだけの魔力があるのであれば狩る。
 主亡き今、私に出来るのは自身の愛馬を生かす為にランスを振るう事のみ。

 ――――さあ、闘いだ。

***

「止まってくださいっ!!」

 巻き髪の声に、後ろへ続いていた僕らは足を止める。この丘の傍を抜ければ森が見えてくるのだが、進路上に黒い馬へ跨る首の無い騎士の姿があった。魔物……にしては、様子がおかしい。道中の魔物達はこちらを認識した瞬間、本能のまま問答無用で襲い掛かってきた。しかし、首の無い騎士はピクリとも反応せず、こちらを馬上から見下ろし、出方を伺っているようにも見える。

「……おいおい、あの鎧――【ザガム】のおっさんの鎧じゃねえかっ!!」

 僕の後ろにいたペントラが前へ出て、驚いた表情をしながら声を漏らす。
 【ザガム】、どこかで聞いたことがある名だ。……ああ、そうだ。確か狂王軍の大将に、そのような名の者がいた。かつて侵略戦争時に【勇者】と共にその名を馳せ、狂王の忠臣として黒い愛馬へ跨り、騎馬隊を率いて他種族を殲滅して回ったと言われている。クーデター時に彼もまた【勇者】の手で討たれたが、不思議なことに首から下の遺体が未だに見つかっておらず、実はまだ生きているのではと生存説を唱える者もいた程だ。
 鼻を鳴らし、荒く息をたてながらザガムの鎧を乗せた馬は、ペントラを見てニヤリと笑った。

「よおよおっ!! ペントラちゃぁんっ!! 久し振りじゃねえのぉっ!? お前も死にそびれて生き延びちまった口かぁっ!?」

 馬は酷く濁った声で人語を発する。外見は体躯も毛艶も申し分ない一等馬。しかし、目に瞳孔が無く真っ赤に染まり、その中身も全く異質な存在のようだ。馬の姿をした魔物か、もしくは【悪魔】か。

「……お知り合いですか?」

 険しい表情で馬を睨みつけるペントラに尋ねると、彼女は昔の記憶を思い出すようにこめかみを人差し指で掻く。

「……いや、マジで知らねぇ。つーか馬って喋んのか?」

「んなぁっ!?」

 予想外の返答だったのか、馬は動揺したように大きく口を開け、左右の前足をバタバタとさせる。武器を構えていたアダムと巻き髪も振り返り、皆の視線がペントラへ集まる。だが嘘や隠し事をしている様子もなく、本当に心当たりが無いように見えた。当の本人も半笑いで「あれぇ?」と目を細め、馬を凝視している。

「マジかよぉ……あんなに可愛い可愛いって撫でてくれたのに……俺様、ちょっとショック……」

 馬はブルブルと鼻を鳴らしながら、下を向いて右前足で穴を掘っている。どういうことだ?

「ペントラ姐さん。すげぇ凹んでますけど、本当に心当たり無いんですか?」

「敵なんですか、味方なんですか? はっきりしてくださいよ」

「アタシに言われても……どうなのさ、お馬さん?」

 ペントラの質問が耳へ届いていないのか、馬は穴を掘るのを止めずに「マジかよ……マジかよ」と呟いていた。すると上に跨る首なし鎧が、慰めるように馬の首を擦り始める。どうやら馬とは別に鎧にも意思があり、目や耳は無いが嘆く馬の心情を察したらしい。
 慰められた馬は顔を左右に振り、自身の傷心を振り払うように嘶く。

「ブルルルっ!! 俺様達はかつて狂王様に仕えた、一人と一頭の誇り高き【悪魔】だっ!! 【勇者】に討たれた今、契約主を持たない【はぐれ悪魔】へ堕ちちまったがなっ!! 俺様はとても空腹だっ!! ペントラちゃぁんとルシ臭いそこの白いガキっ!! 俺達と決闘をしろぉっ!!」

 馬の宣戦布告に合わせ、首無し鎧が左手のランスを握り直し、鋭い先端で僕を指す。
 何故だかわからないが、彼らにとってルシの存在そのものが憎いらしく、陽気な馬の言葉とは裏腹にその殺気は本物である。かつて純白に光り輝いていたであろう鎧とランスは、仕留めた獲物の返り血で不自然に黒ずみ、所々濃さが違うのが生々しい。夜に溶け込むような漆黒の馬へ跨る姿は、自身の首を片手にぶら下げて人間を襲う人馬一体の怪物、【デュラハン】のようであった。

「……気に食わないですね」

 朱色の槍を横へ振るい、僕を指すランスの直線状にアダムが割って入った。眉間へ皺を寄せ、不服そうに馬と首なし鎧を睨みつける。……また彼の悪い蟲が出てしまったか。

「ポラリス司祭、ペントラ……さん。この場は私にお任せを。目的地はもう目と鼻の先、こんな所でグズグズしていては夜が明けていしまいます」

「は? 先輩っ!?」

 アダムの言う通りではある。このまま集団で留まり続けてしまうと、周囲の腹を空かせた魔物達も寄ってくるだろう。だが得体の知れない相手、多対一の方が分があるには違いない。なら短期決着に持ち込めばあるいは――
「――お前には用はねぇよぉっ!! この先へ進みたければ、そこのデカいのと勝手に進めっ!! 食ったところで腹の足しにもならねぇよっ!!」

「あ゛?」

 馬の余計な言葉が彼の逆鱗に触れたらしく、槍を振り回し、先端を馬に向けて突き返して威嚇する。
 彼は僕と比べられることを酷く嫌う。一応、彼なりに僕を上司として認めてはいるのだが、他人に言われるのを良しとしない節がある。アダムは【天使】として限りなく完璧に近い、【天使】らしい【天使】ではあるが、その半面で抑えつけていた一線を超えると感情的になりやすく、僕や巻き毛程度では歯止めが利かない。そのせいでペントラに激怒した彼が酒場で殴り合いをするまでに発展し、【副司祭と万事屋が痴情のもつれで殴り合いか】と、一時期街では話題になってしまった。その後、しばらく教会の参拝者が彼を不信がったのは言うまでもない。
 感情に走るアダムの左肩を、後輩の巻き髪は掴んで説得を試みる。

「アダム先輩、落ち着いて。こんな奴に乗せられることないですよ」

「黙ってろ木偶の坊。アレウスとかいう男と接触していない私と間抜けのお前が行ったところで、すぐにいい案が練れると思えない。奴を出し抜くには狩人の思考を持つ者、狡猾で賢い作戦をたてられる者、戦闘経験が豊富な者。この三者が揃ってさえいれば、最低限のことは出来る筈だ」

「待ってくださいアダムっ!! 君は今冷静さを欠いていますっ!!」

 僕の言葉に、彼は振り向かずこちらの喉元へ鋭い槍の先端を突き付ける。ああ、また厄介なことになったぞポラリス。

「私は至って冷静です。それに私が行ったところであの子は良い顔をしないでしょうし、またあの女の顔を見て胃に穴が開くのは御免です。今回の件は貸しにしておくので、司祭は司祭に出来ることをお願いします」

「任せても……大丈夫なのですか?」

「くどい。私はお前に気遣われるほど、弱くはないと言っているんだ。魔物も集まり始めている……早く木偶の坊と万事屋を連れて行け」

「あぁんもうこのクソガキっ!! どうするポーラっ!? 振り切った奴らが追い付いてきたよっ!!」

 ペントラが指さす方向では雲の切れ間からうっすらと月明かりが漏れ、道中あしらった足の遅い魔物達が追いかけてきている姿が見えた。
 これ以上の時間は掛けられない。アダムの実力は確かなものだ、疑うわけではない。しかし、あまりにも不透明で不確定な選択を、僕は迫られている。取捨選択のできない僕は……君を失うのが怖いんだ、アダム。

「……死ぬ気ではない……ですよね」

「神々が正しいのか、それともお前らが正しいのか。見定めるまで、私は死ねない」

「……わかりました」

 アダムは槍を僕の喉元から引き、再び馬へ先端を向ける。
 多分、彼は止まれない。あの時の僕もそうだったからよくわかる。城で少女が助けを求める声を聴いた時、スピカ達の声が耳に入っていたはずなのに、立ち止まって引き返すことができなかった。今のアダムの心境もそうなのだろう。自分の使命よりも、命を懸けてでも他人の為に何かを成そうとしている。あの時走ってしまった僕に、彼を止める権利はない。ならばせめて、重荷とならないよう背を押してやることが、今の僕にできる最大の選択だ。

「木偶の坊っ!! その前に足止めだっ!!」

「分かってますよっ!! ちゃんと五体満足で逃げてきてくださいねっ!?」

 言うが早いか、巻き髪は紙を固めて作った複数の玉の導火線へ火を点け、そのまま背後の群れと前方の馬目掛けて投擲する。爆発に備えて僕らは瞼をきつく閉じ、耳をふさぎながら森の方角へ走り出す。『ばぁん』と、強烈な音が身体へ響き、瞼の上から強い光が当たる感覚がした。直後、足を石か何かに取られて転びそうになるが、何者かに肩を支えられて転ばずに済んだ。恐らく、耳栓を持っていた巻き髪だろう。

 ――数十歩走った所で瞼を開ける。目の前には草原、遠くには目的地の森が見えた。背後を確認するが、煙幕が上がっていて状況を把握できない。ペントラも気になる様子で、背後の煙幕を見ながら走っていた。

「クソガキ一人で、アレを何とかできるってのかい……?」

「アダム先輩は大丈夫ですよ。俺達は、俺達に出来ることを優先しましょう。先輩はどうしようもない我儘な人ですが、約束は意地でも守る天邪鬼です」

 並走する巻き髪は、僕の背を押しながら笑いかけてくれる。

「分かってます。部下であり、友である彼を信じてあげることも、僕にしかできませんから……」

***

 行ったか。背後から、魔物共の混乱する雄叫びが聞こえる。完全に目や耳の機能を破壊できたのだと考えれば、もう少し時を稼げる。最悪は目の前でうるさく咽る馬と、それに跨る微動だしない鎧へ押し付けて逃げることも考えている。
 集中しろ、馬はともかくアレは得体が知れない。首から下の無いザガムの話はよく知っている。私の予想が正しければ、あの鎧と肉体と得物は狂王の忠臣と呼ばれた【大将・ザガム】本人のものだろう。人馬一体……には見えないな。アレはアレで、別の意識があるとみえる。

「ヴぉえっふぉヴぇっふぉふぉっ!? 何だってんだっ!? 俺様は耳や鼻を塞げるほど器用な前足を持っちゃいないっ!! こういうのは勘弁してくれぇっ!!」

 馬が咽ながら喚くと、ザガムの鎧はランスを振り回し始めた。すると刺激臭を含んだ煙幕は徐々に薄れていき、数秒もしないうちに奴らの周囲の視界は晴れてしまった。そして顔から出る体液を全て垂れ流す馬を優しく撫でる。

「ヴぉっふヴぉっふふっ!! ……ああぁ、大丈夫だ主殿。もう治った。だがクッソっ!! 残り少ない魔力を再生に回しちまったよクソっ!! ああああぁっ!? どうしてくれんだっ!? 俺様の胃が背に着くぞっ!?」

「うるさい馬だ。馬は馬らしく、黙って跨れてろ」

「あああああぁっ!? 腹の足しにもならねぇクソガキが、何言ってやがるっ!? あと俺様は馬じゃねぇっ!! 【悪魔】だっ!!」

 こちらを見て私の声に反応した。どうやら本当に五感は回復したらしい。やはり騎兵の高い機動力を、煙幕などで振り切り続けるのは得策と言えないな。ザガムの鎧にも全く効果がないようで、森まで全員で駆け抜けたとしても追いかけてくるだろう。
 撫でる手を止め、ザガムの鎧はランスで私を指す。これは好都合、標的が私へ移ったようだ。

「ああんっ!? なんでだよ主殿っ!? こんなクソガキほっといて、あいつらを追いかけようぜっ!?」

 前足をバタバタとさせ訴えるが、上の主殿は納得しかねるらしい。主従関係はザガムの鎧の方が上のようだ。馬なら馬らしく、騎手へ従え。
 しばし喚き散らしたあと、馬は観念した様子で低く鼻を鳴らす。

「ブルルルぅ……わかったっ!! さっさとこのガキ仕留めて、さっきの奴ら仕留めに行こうぜっ!! それでいいだろぉっ!?」

 どすどす地面を踏み鳴らしながら、こちらに正面を向いて戦闘態勢に入る。
 さて、まずはその足を切り落とし、機動力を削ぐことから始めよう。騎兵の厄介な点は機動力の高さだ。距離を詰めようにも追いつけず、体勢を立て直される。こちらを囲うよう小さく走り回られれば、容易に背後もとられてしまうだろう。馬も見た目通りの脚力であれば私の頭蓋骨をその前脚で踏み砕き、後ろ脚で蹴り飛ばされても無事では済まない。左側面は……駄目だ、ランスで妨げられる。では、利き手とは逆の右側面からならいけるか?
 馬は嘶き、ザガムの鎧がランスを正面に構えてこちらへ突っ込んでくる。
 ギリギリまで引き付けろ、馬は自分の意志で踏み砕くべく方向修正してくるだろう。周囲を回らさせるな。槍の間合いを生かし、寄せ付けないよう立ちまわれ。

「ああああぁあっ!!」

 馬が雄叫ぶ。喧しいな――――ここだ。

 真横へ跳び抜けながら、馬の右前脚へ槍の先端を当てた。鋭い切っ先が肉へ食い込み、裂く感触が両手に伝わる。奴らが横を駆け抜けた直後、背後では馬が喚く声と鎧の重い金属音と地響き、そして大量の血が噴き出て地面へ落ちる水音が聞こえた。
 槍を構え直し素早く振り返ると、馬はこちらに尻を向けて横倒しになり、投げ出されたザガムの鎧はランスを地面に突き刺して、跪いていた。よし、上手くいった。

「ああああああぁいでえええぇっ!? クソがぁっ!! ただのガキと舐めてたが、あいつ騎兵との戦い方を知ってやがるぅっ!! 主殿ぉっ!?」

 脛から下の右脚が無くなった馬は、立とうともがきながら叫ぶ。ザガムの鎧はランスを引き抜いて馬へ駆け寄り、馬の首を擦り始める。するとゴキゴキと骨を何度も折り、磨り潰すような音を出し、欠損した右脚部分が修復し始める。……だが、骨が形作られた時点でその現象は止まり、骨がむき出しの状態で再生が不完全に終った。

「ああ、ダメだ主殿っ!! 再生するだけの魔力が足りねぇっ!! 俺様はまだ起き上がれねぇから、あのクソガキを仕留めてくれっ!! この際文句は言わねぇっ!! 魔物の肉でもなんでもいいから、早く喰わせてくれぇっ!!」

 馬の悲痛な叫び声を聞き、主は撫でる手を止めランスを持ち直し、立ち上がる。そして彼がランスで指した標的は……勿論、私だ。

「ザガム大将との一騎打ち……時代を超えた、【英雄】との闘いか……ふふ」

 面白い。思わず笑ってしまう。
 狂王のやり方そのものに賛同するつもりはないが、神々の意志によって生まれたのが狂王なら、彼に生涯仕え続けたザガムもまた神々の手足。【天使】と形は違えど、神々の意志を継いだ者同士がこうして対峙しているというわけだ。時代が時代なら……【勇者】は現王ではなく、彼だったのかもしれない。私にとって、反逆した【勇者】や【ルシ】よりも無慈悲で残忍、何の疑念を抱くことも無く殲滅を実行し続けたザガムの方が、偉大な英雄に思えた。もしかしたら、私の忠実で完璧であろうとする精神は、彼へ憧れた結果なのだろうか。

 手首の回転を利かせて槍を振り回し、両手持ちに構え直す。

「ザガム大将っ!! 私はとても嬉しく思うっ!! 時代に取り残された亡霊だとしても、憧れのあなたと武勇を交える機会に巡り合えたことにっ!! 互いに重荷への気遣いなど不要っ!! そして今宵、私はあなたという理想を超えて、更なる【天使】としての高みを上り詰めるっ!!」

 彼に聞き取る耳は無い、だが私の声は聞こえたようだ。姿勢を正し、ランスを自分の前へ掲げる。
 知っている、【軍隊式の敬礼】だ。あなたも戦士として高ぶっているのだろう、【英雄・ザガム】よ。
 できれば……万全の状態のあなたと闘いたかった。

***

 エポナ、今暫く我儘に付き合ってくれ。君を斬られた怒りよりも、狂王様の騎士・ザガムとしての魂がざわついている。
 消えかけた残り火のような誇りへ、再び薪がくべられた。首を失って以来、魔力を求め、獣畜生に等しい行為を繰り返し生きてきた。元はただの軍馬だった君も、人や魔物を食らうのは良い気分ではなかっただろう。口に出したことはないが、私と巡り合ったことを後悔しているのかもしれない。背に跨ることも、私の目や口の代弁者として振る舞うことも。不服だと思いつつ、生きる為に仕方ない。そう、心のどこかで妥協しているのかもしれない。

 いいのだ、エポナ。君が私へ気を遣うことなど無い。主人だと慕う必要などもうないのだ。たとえ一蓮托生だとしても、君がいなければまともに【悪魔】として生きることができない。ザガムという弱く、愚かで、卑しい男に愛想をつかしてくれても構わない。瞑想中に逃げ出すこともできただろう。
 侵略戦争中、私は君を【戦場を駆ける道具】として扱い続けてきた。口では愛馬などと呼んではいたが、所詮は道具。君が戦場で死ねば、新しいよく訓練された馬へ容易に乗り換えてしまうだろう。首を勇者に落とされ、狂王様より頂いた【悪魔】の力が生存本能で君へ流れ込んだ時、私の意識は半日ほど途絶えたままだった。気付いた時には君の横で倒れこみ、目も見えず、痛みも感じず、口もきけない状態だった。
 半死半生。君が意識のない間に何をしたのか、私にはわからない。ただ『主殿』と、強く呼びかけてくれた。死の淵から助けてもらったのは確かだ。完全な【悪魔】としての力を持ってさえすれば、私など必要ないだろう。道具として扱うとしても、もっと利口な相手がいただろう。奴隷として扱うにしても、馬の君にはあまりに代償が重過ぎた。文字で意思表示をしようにも、君は文字が覚えられない。
 一人と一頭、完全に別々の意識。私は残された時を、主ではなく君の為に全て捧げようと思い、今日まで過ごしてきた。騎士としての誇りを捨て、便利な道具として【第二の生】を生きてきたつもりだった。

 だが、すまない……自分が思っていた以上に、騎士としての精神が棄てきれなかったらしい。

 目の見えない私は、首が有りし頃の勘と魔力の気配、そして音で戦う事を強要される。どれほど傷つこうとも死ねない身だが、傷や欠損した部位の再生にはそれ相応の魔力が必要となる。エポナの為にも、消耗は出来るだけ控えねばなるまい。
 標的の魔力の気配はほんの僅かで、素早く動かれては反応に遅れてしまう。振り回した際の音や、躱しながらエポナを攻撃した距離から推測するに、恐らく得物は槍。しかも、立ち回りの知識がそれなりにある。だが、私の目が見えないことまでわかっていないことから、得体の知れない相手へ迂闊に飛び込んではこないだろう。出方を伺う行為は先手必勝の戦場最前線では愚の骨頂だが、正面からの少数決闘ならば別だ。……であれば、私から動かねば状況は変わるまい。
 左手のランスを、標的の魔力がする方へ向け突進する。自分の足で地を蹴る感覚は久しぶりだが、あの頃と何一つ変わらないな。
 先端が接触する直前、標的の魔力の気配が消え、胴に固い物が接触する音がした。右――標的の着地音を認識して足を止め、そちらの方を向く。真っ暗な闇の中に、魔力の気配を見つけた。

「堅い……っ!!」

 それはそうだろう。狂王様から頂いた特別な鎧だ。魔力を持つ者が身に纏えば、俗物の剣や槍程度では傷一つ付けられない。さあ、どうする。
 気配が消え、背面に衝撃が二つ――背後に着地音。
 金属音と、固い革のような音。蹴りと斬撃か、よろめくほどでも無いが良い連携だ。恐らく、私の目が見えないか、耳が聞こえないかなど探ってきている。
 背後へ振り返り、予備動作無しで魔力の気配目掛けてランスを突き出す。ギリギリ当たる間合いだったが、躱されたらしい。気配が消え、右脇に衝撃がくる。駆け抜ける音を追い勘で突くが、地面にランスが刺さった。
 ……右肩の可動に違和感がある。どうやら鎧の隙間を狙って斬ってきたようだ。ちぎれてはいないので問題はないが、標的の闘い方は確実にこちらを追い詰める闘い方だと理解した。どうしたものか。

「手を抜いている……訳じゃないですよね」

 全力だとも。君があまりに早く、私にはそれが捉えられない。この差が大きすぎるのだ。素人ならまだしも、動き方は兵士の技量と、曲芸師のしなやかさを足したような立ち回りだ。単純に追いつけないのだよ。
 ランスを引き抜き、標的の方へゆっくりと向き直る。魔力の気配はうっすらとまだそこにあった。
 魔力を持たない標的相手の立ち回りは、やはり安定しないな。だが、まだ奥の手がある。【勇者】以外には無敗だった奥の手が。それを使えば標的の動きへ追いつき、追い越すことも可能だ。しかし、魔力の消耗が激し過ぎる。負傷しているエポナが耐えれるかどうか……。

「主殿ぉっ!! 俺様の事はいいから、全力で戦ってくれぇっ!! あるだろぉっ!? とっておきの奴がぁっ!?」

 遠くからエポナの声が叫び声が聞こえる。追いつけていない、こちらの動きを見て察したのだろう。また君に気を遣わせてしまったな。

「ふっ!!」

 掛け声とともに気配が消え、両足の膝裏が切られる。浅い――が、更に左脇下から上へ衝撃が走り、ランスを握る感覚がなくなった。腕を落としたか。

「主殿ぉっ!! 頼むから本気で戦ってくれぇっ!!」

 彼の声の直後に背中から強い衝撃を感じ、踏みとどまれなかった私はそのまま地面を転がる。蹴られたか突かれたか……それすらもわからない。見えないのだよ。
 身体に宿る【悪魔】の力が、生存本能で切断された左腕を引き寄せ、つなぎ合わせようと再生し始める。ゴキゴキとした骨の音と、肉をかき混ぜる水気のある音が身体に響く。生前から、この感覚には慣れないな。左腕の感覚が戻り、ランスを地面に突き刺して立ち上がる。

「馬だけでなく、上の方も再生するか……」

 ああ、お陰で激戦へ幾たび身を投じようとも、生き延びることができた。【悪魔】の力も持たず、生身で最前線を立ち続けた【勇者】のしぶとさには負けるがね。このままでは持久戦、しかも向こうへ分がありすぎる。やはり奥の手を使うべきか……。

「どれだけ傷つけても埒が明かない。……仕方ありません、押し切らせていただきます」


 闇の中。魔力の気配が濃く、はっきりとしてきた。標的の外見を形取り、得物の形までも目で見るようにわかる。両手には二又の槍を二本、更に背後へ薙刀が二本【浮遊】している。男のような女のような……中性的な顔立ちに三つ編み、コートを身に纏い、ゆったりと標的は立っていた。
 なるほど、魔力が僅かだと感じたのは隠していた所為か――その判断は誤りだ。君は隠し通すべきだったな。

「この【信仰の力】、貴方で試してみるのも悪くはないっ!!」

 標的が右槍をこちらへ向けると、背後の薙刀が私目掛け左右から斬りかかってくる。胴と脚への同時攻撃……だが、大振り過ぎる。

 軽く跳んで足元の攻撃を躱し、胴を狙う左の薙刀目掛けてランスを振り下ろす。薙刀の刃が先に鎧へ当たるが、鎧の強度の前には意味もなさず、弾かれ空中に留まった薙刀はランスで叩き壊れた。そして着地と同時に、足元の薙刀を【踏み砕いてしまった】……こちらは偶然だ。

「なっ……目が見えていないはずでは……」

 見えないとも、【肉眼】は。しかし、魔力で編んだ武器にしては存外【脆い】。例の爆発もしない紛い物か、はたまた私をまだ試しているか……。
 標的が音をたてず跳躍し、私の両肩を切り落とそうと両手の槍を振り下ろす。やはりこれも大振りだな。ランスを横へ払い、空中の標的を弾き飛ばす。骨を折る振動と音、魔力で形作られた表情が一瞬にして歪むのが見て取れた。弾き飛ばされた標的は空中で体勢を立て直し着地するが、肋骨が折れたのか、左脇を庇いながら苦し気に呻いている。

「ぐ……あっ!? どう……なってるんだっ!!」

 どうもこうも、そちらから不利な状況へ転んだだけだ。気配も殺し、動作音も最小限、少ない手数で相手の特徴を理解し利用する。君の戦術や適応力は見事なもので、立ち回りも悪くは無い。欠点があるとすれば、得物の振り方が素人臭い大振りで、見えてしまうと攻撃の太刀筋を読まれてしまう。イロハの基礎は出来ているが、どことない【ぎこちなさ】から察するに、我流で武を学び鍛えたのであろう。僭越ながら一軍を従えた大将の評価としては……中の下と評価せざるを得ない。
 魔力が揺れる。標的の握る二本の槍が形を変え、一本の太刀になった。反応されるとわかったのか、無理に飛び込んでこず、じりじりとこちらへにじり寄る。決断力の速さは感心するが、今少し我慢強さが足りないな。
 ランスを標的へ構え、突進する。標的の動きが止まり、左右へ回避しようと集中し始めた。君は躱した直後に、反撃で一太刀入れようと考えているのだろう。君の戦い方はよくわかった。器用さ故に、欲張りすぎるのだよ。何事も。

 速度を落とさず、間合いの少し手前でランスを標的目掛けて投げる。素早く右へ回避されるが、想定外の攻撃で両手の武器がついていけていない。左拳で顔面をそのまま殴り飛ばすつもりだったが、利き手と反対方向に逃げられたため、右拳で胴を殴り飛ばすことに変更する。体重をかけ、濃い魔力へ向かい右拳を突き出し――ブチブチと筋繊維が千切れ、背骨が折れる音と感触がした――――入ったな。


「――ト、思うじゃン?」


 砕ける音。私が殴りつけたのは彼ではなく……彼の生成した太刀だった。
 ニ・三歩で勢いを殺して周囲の魔力を探るが、エポナの弱々しい魔力と……遠くで大量に悶え蠢く魔物共の魔力のみ。どこだ、消えるはずがない。幻術だろうか。いや、土壇場で魔力を押し殺して気配を消したか。

「主殿っ!! 上だぁっ!!」

 上。しかし、私には何も見えず、音もしない。ただ暗闇があるのみだ。エポナ、君には何が――

 ――轟音…………ああ……魔力の塊が私を……【呑んだ】のか?

「――――っ!?」

 エポナの叫び声がするが、聞き取れない。ぶすぶすと、肉を焼く音がする。この音はよく知っている、人間を焼いた時の音だ。強烈な熱で、鎧の中の肉体が焼けているのか、私は。

「あ――――じ――のぉっ!?」

 理解してきた。魔力の雷が私に落ちたのか。痛みは無いが、身体が重い。周囲の魔力が薄くなり、上空に浮かぶ三つ編みの彼と【それ】の形を認識した。

「イーヒッヒッヒッ!! スッゲェ~ッ!! マ~ダ立ってるのかヨッ!?」

 三角帽に箒に跨るその姿――【魔女】か。眩しいほどの魔力の塊……それさえあれば……エポナの腹を満たせる。
 麻痺した左脚を引きずり、地面に突き刺さったランスを引き抜く。【魔女】は未だ空中で留まっていた。
 待っていろエポナ……すぐに終わ――

***

 主殿に、二度目の雷が落ちる。嫌だ、嫌だ、嫌だ、やめてくれ。その人は、俺様の大事な人なんだ。
 黒煙を上げ、人肉が焼ける臭いがする。鎧の中の肉体が焼け焦げているんだ。骨がむき出しの前右足を使わず、残りの足で這って近付く。神経が再生しかけていて、骨が地面に擦れるたびに激痛がはしる。構うものか、主殿の危機だ。

「あーるーじーどーのぉっ!?」

 地面は主殿を中心に焦げ、近付けば近付くほど熱を感じた。呼びかけに反応がなく、左手で握ったランスを地面に突き刺したまんま、もたれかかる形で跪いている。
 嘘だ……嘘だ。あんたは【不死身のザガム大将】。神々の意志によって産み落とされた、偉大なる狂王様に身を捧げ、その言葉を信じ、【冥界】の魔人と契約を交わして【悪魔】となった。幾たびの戦場を俺様と共に駆けようとも、敗北はたった一度のみ。数十本の矢に射られようとも、剣で両腕を落とされようとも死ななかった。
 そんなボロボロで闘う姿のあんたが、俺様は嫌で嫌で仕方なかった。俺様を常に庇って闘う姿が嫌だったんだ。軍用馬としてあんたの家で育てられ、騎手の為に死ぬことだけを考えて生きてきた。なのに、なんで俺様が生き残って主殿が先に死んでんだよ。やめてくれよ。あんたほどの偉大な男が、俺様のせいで、こんなつまらない所でくたばらないでくれ。

「主殿ぉっ!? 俺様だっ!! エポナだよぉっ!! 聞こえてんのかぁっ!?」

 動かない。あんたが黙って座り込んでいる時や眠っている時、俺様はあんたが死んでしまったのではと不安に駆られる。その度に応えるよう首や顔を撫でてくれて、あんたが生きているとわかって安心するんだ。
 言葉なんていらない。目が見えなくても、主殿の傍には俺様がいる。俺様が目となり口となろう、主殿の脚となろう、盾にしてくれても構わない。

「だから……だからよぉ……俺様を置いて、逝かないでくれぇよぉ……」
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