ポラリス~導きの天使~

ラグーン黒波

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第三章・【悪魔】とエクソシスト

【第二節・エクソシスト】

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 蜂蜜塗れで街へ戻り、蜂の巣を抱えたまま風呂屋か井戸を探し歩いていると、あの変な格好のねーちゃん――ペントラと、ばったり出くわした。俺の姿を見て大笑いした後、井戸の場所まで案内してもらって頭から蜜を洗い流し、万事屋の休憩所で服が乾くまでいるといいと言われたんで、そうさせてもらうことにした。
 木炭のくべられた囲炉裏の火にふんどし姿で当たりながら、蜂の巣保護用の繊維が細かい風呂敷を一枚生成。こいつに包んどけば、多少なりとも床は汚れねぇだろ。乾くまでの代わりの服を【生成術】で作れればよかったんだが、生憎俺にこいつをぶつけてきたクソ野郎に魔力をほとんど使っちまった。まぁ、飯食って寝れば魔力も戻んだが。
 時折様子を見にペントラやその弟子が来るんで、囲炉裏の火で温めた酒を蜂蜜で割った【蜂蜜酒】を振る舞ってやる。俺好みの量にすると蜂蜜が濃いのか、何人か咽てやがったなぁ。

「よう、ナイスガイっ!! 服の調子はどうだい?」

「おっさんっ!! 今日はあんたの【蜂蜜酒】のお陰で畑仕事も捗ったぜ、ありがとなっ!!」

「代わりと言っちゃぁなんだが、商業区で貰った蛇酒がある。パンや肉なんかの食い物もあるぞ」

「アタシらも元は流れ者。旅人とは少し違うが、親方に拾ってもらうまでいろいろ苦労したもんだ。煙草は吸う? 結構きつめだけど」

 今日の仕事を一通り終えたであろう、日が暮れる頃にペントラと弟子数人が休憩所へ戻ってきた。賑やかなのは嫌いじゃねえが、この街の連中は随分と俺によくしてくれるんだなとは思った。今まで訪れた街や村の中でも、数少ねぇ方の部類。どっかの村じゃ歓迎されたあと、寝込みを襲われそのまま身ぐるみ剥がされかけたが、逆に全員ぶっ殺して臨時収入が入ったこともあったなぁ。

 だが、旅をしてよく分かったのが、【他人の好意には積極的に甘えろ】ってこった。一期一会、お互い笑って去る場合もあれば、死に別れる時もある。どうせもう会わねぇんなら、少しでも俺に良くしてもらった方がいいに決まってんだろ。突っぱねても損しかねぇし。
 囲炉裏を囲うようにして、ペントラと弟子の輪が徐々に出来始めた。

「おっさんは狩人なんだろ? どんな奴を狩ってきたか、話してくれよ」

「おっさんじゃねぇ、アレウスだ。どんな奴って……色々狩り過ぎてわかんねぇなぁ」

「自分よりもでかくて、おっかねぇ魔物相手に死にかけたことは?」

「手足の指を合わせても数えきれねぇ。ヘマして一週間床から動けねぇこともあったし、肩から魔物に噛まれて左腕持っていかれそうになったこともある。左肩周りにでっけぇ縫い目があんだろ? 医者三人がかりで、無理矢理くっつけたんだ」

「顔の痣や両足の脛傷もそれか……すげぇな、あんた」

「顔はガキだった頃の名残だ。村ごと馬鹿な【悪魔】に焼かれてな。脛は【竜人族】にやられた。太刀でぶった斬ってきやがったもんで、骨まで見えてたが腕だけで這って拠点にしてた村まで戻って、知り合いの魔術師に治させた。あいつらは強えぞぉ。飛んで火も吐くし、魔術や武器なんかも器用に使う。あと、地味に長い尻尾が邪魔くせぇ」

「【竜人族】? 世界の南端に住んでる、街でも滅多に見ない種族だぜ? あんた、どんだけ遠くから来たんだよ……」

「さぁなぁ、地図にも描かれてねぇ小さな村だった。どっから来たのかなんて、もう覚えちゃいねぇよ。ただ、雰囲気はこの街と似てるな。田舎くせぇ感じが懐かしいぜ」

 恵んでもらった飯を食いながら、連中の質問へ全て答えていく。俺にはただの苦労話だが、こいつらにとっちゃあ非現実的で、面白おかしい武勇伝にでも聞こえんだろうなぁ。食うか食われるかの世界、まっとうな人間が同じことしようもんなら百回は死んで、その三倍は血反吐吐きながら生きる地獄。だが、【弱肉強食】って言葉もあるくらいだ。考えようじゃ、血で血を洗える相手と毎日殺し合える天国と大差ねぇがな。なんにもねぇ俺にゃ、生き甲斐が狩りと甘露を食う程度しかねぇ。明日死のうが今死のうが、楽しかったで終われりゃそれでいい。

「しかし、あんたならギルドや王都へ志願しに行って、食い扶持にすることもできるんじゃないか? アタシはもったいない気もするがねぇ……」

「所属しちまうと掟やら命令やら面倒くせぇし、どうでもいい仕事まで押し付けられる。黙ってても狩りの話を耳へ入れられるのは便利に違いねぇが、三日前に嫌気がさして辞めた。俺には縛られねぇ根無し草の方が性に合っているらしい」

「あー、わかる。俺も仕事したくねーって自由に遊び惚けてたら、いつの間にか乞食になってたわ。アレウスさんみてぇな、一人でなんでもできたら違ったんだがなぁ。俺みたいな凡人は、社会との繋がりってのを絶っちゃいけねぇって痛感させられたよ」

「はっ!! よっぽど利口じゃねえか。てめぇの器を理解して、生き方を変えられたんならそれでいい」

 縛られてるつーよりも、人間関係を絶つと生きていけないことを、ここの奴らは理解している。大事なのはそこだ。本当に一人で生き抜けるなら、俺もそうする。だが人並に最低限の食い物や寝床を、テメーで確保し続けるのは絶対無理だ。俺も自然の摂理には敵わねぇ。こっちがどうにかこうにか適応するしかねぇんだ。土地や集団に縛られんのは、人によってはしょうがねぇものなぁ。世の中世知辛いぜ。

***

「――服は乾いたが、生憎宿も取ってねぇときたもんだ。ここで一泊してっても構わねぇか?」

 休憩所の隅に置かれた作業台へ向かい、一人黙々と裁縫をするペントラへ着替えながら尋ねる。弟子達は暗くなると早々に帰ったが、奴らの頭であるこいつだけはなかなか帰ろうとしなかった。別にこっちを怪しんでいるわけじゃなく、残った仕事を片付けてるだけにも見えるが。ペントラは眠そうに欠伸をしながら振り向き、座ったままで大きく両腕を上げ背伸びをする。

「ん~……もうこんな時間か。別に構わないよ? ここで寝泊りする奴も珍しくないし、アタシももう少しで終わるしね。毛布かなんかいる?」

「要らねぇ。朝にはこいつを酒場へ届けて、情報収集が終わり次第出発する。……あまりこの街には長居したくねぇんだ」

「ど田舎だから?」

「居心地が良過ぎる。俺のような血生臭い奴は平和でのどかな場所じゃなく、獣だらけで死屍累々の場所がお似合いだ」

 ペントラに背を向け、囲炉裏の小さくなった火を見つめて横になり、空いた酒瓶をマントで包んで枕代わりにした。蜂蜜の匂いが風呂敷から漏れているんだか、まだ濃い甘ったるい匂いが周囲を漂っているように感じるぜ。
 今日はいい一日だったなぁ。狩人として普通に仕事して、誰かに感謝されたなんて久し振りじゃねぇか? 暖かな屋根のある安全な寝床と、甘露にもありつけた。明日もこの調子でトントンと進めりゃいいんだがねぇ。……と、その前に聞くだけ聞いておかないとな。すっかり忘れてたぜ。

「なぁ、ねーちゃん。この辺りで【悪魔】とか腕の立つ魔物はいねぇのか? いや、種族なんざ何でもいい。ギルドでも狩人でも構わねぇ。俺を殺せそうなくらい強い奴はいねぇか?」

 背後の動く気配が止まる。流石のねーちゃんも面食らって言葉にならねーか。俺の言ってる事なんざ、人殺しやギルド潰しと大差ねぇもんなぁ。知ってたとしても言うわけねぇだろうし、やっぱその道や情報が集まりそうな場所に足運んで直接聞くに限るか。

「すまん、なんでもねぇから今のは忘れてくれ」

「お、おう。……なんだい、口説かれるかと思ったよ」

 右手を後ろへ見えるようにひらひらとさせ、敵意と興味が無いことを意思表示する。そっからしばらく互いに無言だったが、囲炉裏の小さくなった火でうとうとしかけた頃に作業を終えたらしく、「じゃあね、ナイスガイっ!! 【蜂蜜酒】ご馳走様っ!!」と、わざわざ耳元で叫んで出て行きやがった。やかましくもお節介で、いい女だ。俺の趣味じゃねぇが、ありゃあモテるだろうなぁ。

 ――目を瞑る。甘い蜜の香りと、火が消えた炭の温かな熱。偶には、こんな夜も悪くはねぇ。

***

 午後二十七時二十四分。書類の整理を終え、眠りにつく準備をしていると、玄関の扉を乱暴に叩く音がする。来客の予定は無かった筈だが、火急の知らせだろうか。格好だけでも取り繕うべく、寝巻の上から教会のローブを纏い、応対しようとカンテラを片手に応対へ向かう。玄関では真っ暗な中、戸口の下側に付いた郵便投函口が何度も開閉し、早く来いと言わんばかりに指がくいくいと動いているのが見えた。

「恨めしやぁ……恨めしやぁ……バラ色人生恨めしやぁ……アタシにも春が来ないかなー……」

「何をやってるんですか、ペントラさん」

 戸口の向こうにはペントラが居た。カンテラを靴棚の上へ置き、錠を外すが気付いていないのか、まだ投函口の開閉を繰り返しながらぼそぼそと呟いている。子供の悪戯か。戸口は外開きなので、このまま開けると彼女へぶつかると思い、興味半分で投函口から突き出た指を握り返す。「ぎゃぁっ!?」と、短い悲鳴と共に扉へ勢いよくぶつかる衝撃と音がして、投函口から指が引っ込んだ。気配がなくなり扉をそっと開けると、道の中央で額を押さえ蹲る彼女の姿があった。

「いってえぇ……デコぶつけたぁ。……これは【天使】がデコにチューして、「痛いの痛いの飛んでけ~♪」って、優しく頭撫でてもらわないと死ぬ奴ですわぁ……」

「そうですか。じゃあ、おやすみなさい」

「ちょっとぉっ!?」


 彼女がこうして、僕の借家にまで押しかけてきたのは初めての事だった。一先ず話を聞く為、燭台へ明かりを灯した居間へ通し、そのままランタンの明かりを頼りに、暗い台所で小さめの鉄製ポッドへ茶葉を入れて湯を沸かす。釜土式なので火力の調節はしにくいが、火の通りが早く、直ぐに水が沸騰する点では優秀だ。その間にティーカップとソーサーをそれぞれ二つ用意し、眠気覚ましに干した【活力草】の入った瓶の蓋を開けて一本取り出し、口へ含む。奥歯で強く噛むと独特な苦みと、鼻腔を空気が抜ける感覚が走る。本来、こういった使い方をする薬草ではないらしいが、【天界】への報告書提出期限間近の徹夜仕事には非常に便利で、常時数十本ほど備蓄している。一度服用すると二日は寝なくても平気になるが、消耗した体力や睡眠を補おうと食欲が倍近く増すのが難点だ。
 沸騰したので茶葉を抜き取り、カップへと紅茶を注ぐ。味覚や嗅覚がわかるようになって感じたことだが、どうやら僕の淹れ方は下手らしく、ローグメルクが出してくれる紅茶や、アラネアが豆を炒って濾したという謎の黒い飲み物の方が断然美味い。お茶淹れ一つにも温度調節やタイミングなど、様々な要素があるらしいが……素人の僕にはまだ難しい話の領域だ。自分のカップへ注いだ紅茶を試しに口へ含む。……妙に薄い気がする。使っている茶葉は同じ筈だが。
 二人分の紅茶を淹れて居間へ持っていくと、ペントラが揺り椅子に腰かけ僕がまとめた報告書を堂々と見ていた。彼女に読まれたところで恥ずかしさも不利益もないし構わないが、断り無しに部屋を探るのは正直どうかとは思う。【天界】の管理職についている【天使】達よりも先に【悪魔】が検閲している教会など、【地上界】を隅々まで探してもここぐらいだろう。

「紅茶淹れてきましたよ」

「は~い、ご苦労さ~ん。てか、こんな堅苦しく書かなくてもいいんじゃない? それと自己評価も平均より下って、低過ぎやしません?」

「平均よりやや下で評価を付けた方が管理課は突っ込んできませんし、平均値以上で総評すると書類が送られてきて、内容次第では教会自体の評価を下げられるんですよ。部下の評価は意地でも落としませんが」

「はー……お役所仕事だっつーのに、【天使】様は生意気だーって私情を挟むのかい。いいご身分さねぇ。いいのかい、これで」

「良くも悪くも、今はスピカさんやペントラさんの為にあまり目立ちたくないのが本音ですし、管理課に目をつけられ根掘り葉掘りされる方がずっと困ります」

「……それもそうさね。だけど、アタシとしちゃあポーラは頑張ってんのに、正当な評価されないのが納得いかないっていうかさぁ……」

 報告書を部屋の隅に置かれた仕事机へと放り投げ、揺り椅子から立ち上がる。
 彼女の言いたいことはわかるが、現状の【天使】社会では変に目立つと角も立つ。【ルシ】という最大の後ろ盾があっても、彼と並ぶ神々や彼をよく思わない【天使】達が、何をしでかすか予想できない。アダムのように神々を崇拝する【天使】は多く、下手に刺激するとこちらが異端者扱いされ、この教会に勤める【天使】全員が【堕天】させられないとも限らない。部下を含めた全員が【上級天使】で、尚且つ僕か彼が【ルシ】と同じ【特級階級】であれば……彼らの認識を、徐々に覆せる可能性はある。あくまで僅かな可能性の域から出ない話だが。
 窓際のテーブルへ持っていこうと近付くと、前を通った際に右手のソーサーに乗せた僕のカップを彼女は手に取り、そのまま自然に口を付ける。どこまで自由なんだこの【悪魔】は。自分のカップと主張しようかと思ったが、最早何を言っても無駄な気がしたので、そのまま残された方のカップとソーサーを持ち、テーブルの傍の椅子へ腰を落ち着かせた。

「さて、今夜訪ねてきた理由をお聞かせ願いたいのですが」

「ん。……この紅茶、なんか味が変じゃないかい?」

「淹れるの下手なので。あとそのカップ、僕がいつも使ってる物です」

 カップへ指を差して主張すると、ペントラは含んだ紅茶を吹き出しそうな表情をした後、飲み込んで顔を赤らめ、震える左手で顔を覆う。それほど不味かったのか。……今度ローグメルクに正しい淹れ方を詳しく聞こう。彼女はその場で少し深呼吸をし、赤い顔を左手で仰ぎながら、対面の席へやや乱暴に座った。口をぎゅっと固く結び、若干目が潤んでいるが、口直しに水でも出した方がいいだろうか?

「お水要ります?」

「いっ!? いいいいえケッコウデスッ!? ……っていうより、アタシが申し訳ないって言うかさ?」

「? ……わかりかねますけど、そんなの今に始まったことではないですし、別に使っていいですよ?」

「おおああ、あんたねぇっ!? アタシだってこんなんだけど女だし、【悪魔】だよっ!? もう少しこう、こうさぁっ!? ……あーっ!! もうやめやめこの話はやーめーっ!! 本題入りまーすっ!!」

 僕は腕を忙しなく動かし、表情がころころと変わる目の前の【悪魔】の事がよくわからない。賑やかで身勝手で、時々僕らを支えてくれるペントラという女性の心を読み解くには、まだまだ知識不足らしい。
 彼女は自分の頬を両手で叩いて活を入れ、真剣な表情で向き直って語り始めた。

「家にまで押し掛けたのは、昼間に酒場で会ったアレウスのおっさんの件でさ。いたろ? あんたのマッチョな部下と一緒に狩りへ行った奴。表向きは旅をしながら狩猟を生業にしているようだけど、中身は強者とあらば種族も所属も関係なく戦いを挑む血に酔った戦闘狂。しかも【生成術】で自在に得物を出して、常に全力で殺しにかかる変態だ」

「………………」

「今はウチらの休憩所で寝てるが、朝になったら情報収集の為にまた街をうろつく。最初は酒場へ蜂の巣を届けに寄るだろうけど、回り回ってあんたの教会にも来るかも。困った時の神頼みってね。当然、スピカ達やあの領地の事は話しちゃいけないが……奴が自力であそこを見つけないともいえないさね」

 なるほど。巻き髪の【どれだけ探しても見つからない】証言とも繋がる。酒場では気前の良い旅の狩人といった印象だったが、彼女の話が本当ならば、彼の狂剣が隠れ住むスピカ達にも及ぶ危険性が一気に跳ね上がる。仮にこの街で可能性を取り除き、伏せ隠そうとも、行き先次第では彼女達と偶然接触する確率もある。
 ……厄介だ。遠ざけるにしても、どう誘導すればいいか思いつかない。日付が変わるまで約二時間半。そこから日が昇るまでは六時間少々……往復、最低二時間以上。平原では多くの魔物が活発に行動し始めている時間帯でスピカ達へ伝えるにしても、街の外へ対策無しに出るのは危険である。どうする?

「誘導……いえ、誘導したとして、何かの拍子に戻ってこないとも言い切れない」

「そこなんだよ。おっさんはアタシが【悪魔】だって気付かなかったみたいだけど、ローグメルクやティルレットみたいな角の生えた【ザ・悪魔】って奴らは、一発で見抜かれて面倒なことになるだろうさ。スピカだって【魔王】の娘だ。その話を聞いたおっさんが何するか、アタシにもわからない。んで、力技で返り討ちにするのも無理だねぇ。おっさんに自覚があるか知らないが、アタシら【悪魔】と相性が悪すぎる」

「……どういうことですか?」

 ペントラは深く溜め息をついて椅子から立ち上がり、僕の仕事机まで近付くと、ペン立てから銀色のペンを一本引き抜いた。それは僕が三年前に商業区で購入した物で、中身のインクが減り次第、新しいインクを注ぎ足せば繰り返し使える代物だ。定期的に使用しないとインクが固まって詰まるが、羽ペンや使い捨ての木製ペンよりも使い易いので愛用している。

「【銀の武器】ってのは使用者に信仰があろうとなかろうと、【殺す】という明確な意思さえあれば【退魔の力】を宿すと言われてる。そのせいか、アタシら【悪魔】が純度の高い【銀の武器】で怪我や傷を負うと、滅茶苦茶治りが遅い。理屈は頭の悪いアタシにはさっぱりだが、身体の内側を流れる魔力の結合力や膨張力が狂って、魔術や自己再生がうまく出来なくなるんだとさ。おっさんはなんでか作る武器が全部【銀】になるって話をしてたし、ありゃ天然の【祓魔師】だわ」

 彼女は右手人差し指の付け根辺りで、くるくると器用にペンを回す。苦々しい表情をしているが触れられないという事ではないらしく、それを用いられて怪我や致命傷を負うのが良くないようだ。
 その話を聞きいて、一人の狩人が【天使】より授かった【神聖なる銀の矢】を用いて【悪魔】や狼男、吸血鬼を退けた有名な御伽話を思い出した。銀の矢を撃ち込まれた三人は完全に変身ができず逃げ遅れてしまい、建物の窓や小さな穴へ詰まったところを、農具や調理器具を持った村人達に叩きのめされるといった内容だ。おとぎ話の通りなら、戦闘能力が高いローグメルクやティルレットも、【一撃も負わない】条件の元で戦うことになる。相手は狂暴な魔物も次々と仕留める凄腕の狩人、いよいよもって手が付けられなくなってきた。

「【銀の武器】、【生成術】、そして【祓魔師】。【天使】の言葉で準えれば、【エクソシスト】とでも呼べばよいでしょうか。人間や魔物を含めた他種族でも、太刀打ちできないほどの強さ。彼と戦わずに済む方法がどれも不安定で、決め手に欠けます。なんといっても、アレウス氏本人の行動が予測できません。僕はまず、スピカさん達へ伝えることを提案しますが……」

「『一人じゃ怖いっ!!』だろ? 任せなさいってのっ!! アタシが付いてるからには、行きの道は保障するよっ!!」

 ニヤッと笑ったペントラはペンを戻して再び席へ座り、紅茶の入ったカップに口を付ける。内容物を思い出したのか、顔を赤らめて口元を押さえつつ、カップをソーサーへ静かに置いた。そんなに不味いか。

「んんっ!! ……でも、帰り道は保証できない。アタシの魔力は、あの二人やおっさんほど底無しじゃないのさ。あんたの【信仰の力】と合わせても、正直ギリギリ戦力が足りないのが本音さね。向こうで誰かしらの力を借りて帰るのも危険だ。逃げるなら逃げる、籠城なら籠城で、固まって行動してもらいたいのよ」

「そう……ですね。一応、部下二人に当たってみますが新人は念の為、街へ置いて行きます。道中何が起こるかわかりませんし、教会を無人のまま放置するのもあまり良くない気がします」

「早起きしたおっさんが凸って来ないとも言えないからねぇ。わかった。そっちが準備出来次第、街の入り口で全員集合しようか」

 時間との勝負になる。一番は伝えに行って、その場で何かしらの対策案が立てられること。あの領地には僕らの知らない住人がまだ多く、現状を打破できる適材な人物がいるかもしれない。最悪な展開は街へ戻る前に、アレウスがスピカの領地を偶然発見してしまうこと。間違いなくどちらにも犠牲が出るこれだけは絶対に避ける。僕が導くと誓った彼女らを、血に酔った狩人が放つ銀の矢の犠牲にするわけにはいかない。

***

「では、部下三人に声をかけてきます。準備をしに一度借家へ戻ってきますが、ペントラさんはこのまま向かわれますか?」

「え? あー……アタシは、あんたが戻ってくるまで待ってるよ。この格好で待ち合わせ場所うろうろしてると目立つからねぇ。ポーラ一人で行ってきな、ここの留守は任せなさいっ!! アッハッハッハッ!!」

 歯切れの悪い言葉にポーラはなんとも言えない表情をし、教会のローブを羽織ると駆け足で借家から飛び出して行く。十分もしないうちに戻ってくるだろう、それまでアタシは少し休憩だ。ポーチに入った【悪魔の七つ道具】、現役の時なら魔物の二十や三十どうってことないが、今は節約しなきゃ二個使うのが精一杯だ。情けないねぇ……重たい【正規契約】なら、一人でスピカ達の領地まで行けるってのに。ポーラ達にまで危険を冒させちまう、自分の非力さが憎いよ。

「でも、そんなこと言ったら怒るんだろうなぁ。……ポーラも、あの人も」

 まっさらな白い砂と岩ばかりの戦場。血と鉄の臭いと爆発音、悲鳴、あの人がアタシを庇って刺される姿――あの背中だけは、思い出したくもないねぇ。あの人は、笑って逝けただろうか。それとも憎しみに満ちた表情で、逃げたアタシへ呪いをかけようと呪文を呟いていただろうか。

「わかんないよなぁ……あの人が、そうかもしれないだなんて……」

 目頭が熱くなるのを、左右の頬を両手で叩き強引に止める。泣いちゃ駄目、泣いたって過去は変わらない。スピカ達だって前を向いて歩き始めてるんだ。アタシが弱気になってどうするのさ。しっかりしろ、ペントラ。笑え。どんな時でも、笑ってりゃ大体何とかなる。
 思考を切り替えようと視線をテーブルに移すと、ポーラがいつも使っているカップと、あいつが一口も口を付けなかったカップが目に入る。

「………………」

 いやいや、何意識してんだ。今は普通に非常事態だよ? 好きな男のカップ間違えて使ったくらいで、恥ずかしがってんな。異性を意識し始める、少年少女の純粋な感情は捨てなさい? いくつだと思ってんの自分? 【地上界】じゃ二十五歳程度で見た目年齢十代後半だけど、【冥界】込みならもう五十路だよ? 青春とかそんなもん、サタンの契約と一緒に向こうへ置いてきたっしょ? でも、アタシは表情にすぐ出るし、ポーラはポーラで鈍感だし……。あのなんとも言えない、曖昧なポーラの表情が脳裏に浮かぶ。

「絶対変な奴だって思われてるよねっ!? うっわ恥ずっ!? ヤバ、変な汗出てきたっ!!」

 あいつの居ない借家に、アタシの声が反響する。家具や寝具も、最低限にしか置いていないからだろう。部屋の大きさの割に声がよく響いて、羞恥心を増大させた。感情の行き場がなくなって、テーブルへ熱くなった顔を伏せる。こんなんじゃ、またスピカにからかわれちまうよ。……あくまでも、二人にとって【明るいお姉さん】だ。アタシが変にグイグイいって、今の適度な距離間と関係が壊れるのは怖い。もしかしたら、もしかしたらだよ? ポーラの意中の相手がスピカだった場合、アタシゃどうすればいいわけ? いや応援するべきだよ、そりゃ。【天使】と魔王の娘の恋物語とか、それこそロマンチックで後世へ語り継がれる御伽話だろう?

「……はぁ、何やってんだか」

 顔を上げる。目の前にはソーサーへ乗った二つのカップ、どちらも湯気が出ていて中身もまだ残ってる。座り直して、あいつの淹れてくれた紅茶にもう一度口を付ける。薄い。味覚と嗅覚がわかるようになってから自分で淹れているらしいが、その腕前はまだまだらしい。

「ハハハッ!! 不味っ!! でも……誰かの為に、一生懸命なところも好きなんだよなぁ……うん」

 アタシも料理の腕前は人並程度にしかできないけども、不器用なポーラの為にちょっと練習してみるのもいいかもねぇ。

***

「……なんで私まで巻き込むんですか。……ほんっと司祭は面倒な星の下に生まれましたね」

「理由聞いたら即決で二つ返事したのに、まだ文句言ってるんですか?」

「うるさいぞ寝坊助。無駄口はいい、あの集団へ煙幕撃ち込んで黙らせろ」

 時刻は二十八時を少し過ぎた頃か。アダム、巻き髪の後輩【天使】、ペントラと共に、僕は道中の平原を走る。不規則な間隔で眠りから覚めた魔物達が集団で屯していて、僕らは蹴散らし、やり過ごし、追い払いながら森へ向かって進み続ける。目的地まで、まだ半分を過ぎたくらいか。曇り空で月明かりも無いが、ランタンの明かりは魔物達を引き寄せてしまうので使えない。闇に視界が慣れるとそれなりの距離まで視認できるが、足元にも気を配らなければならない。

「ポーラっ!! 跳べっ!!」

 背後からペントラの指示が聞こえ、反射的に足元の固い地面を蹴って前へ大きく跳ぶ。着地し、襲撃に備えて【信仰の力】で翼の盾を作りながら、先ほど蹴った地面を確認する。その直後に地面が盛り上がり、土竜とよく似た姿で前足に長く鋭い爪を持つ、犬程の大きさの魔物が数匹這い出てきた。この魔物と遭遇するのは三度目だが、長い爪を地面のように擬態させて下へ潜み、上を通りかかった獲物を襲う習性があるようだ。逃げようにも足が速く、振り切れない。……戦うしかない。

「司祭っ!?」

「大丈夫ですっ!! 二人は進行方向の道を確保してくださいっ!!」

 土竜の数は五頭。半透明の翼が完全に実体化するのと同時に、爪を振りかざして一斉に飛びかかってくる。左右の翼を正面へ構えると、固い物体が複数回ぶつかる衝撃が腕に伝わった。翼は若干亀裂が入ったが、割れることなく土竜達の攻撃を全て防ぎきり、隙が生まれる。仰け反る土竜達の背後で、ペントラが右手に握った【小さな刷毛】を横へ振り、土竜の首元へ短く赤い横線を付けていく。
 数秒の間隔を置いて土竜達は背後の存在へ気付くが、同時に彼女の付けた赤い横線から血が噴き出し、五匹の土竜は白目を向いてその場へ崩れる。倒れた土竜達は息をしていないが、身体を小刻みに痙攣させていた。大量失血によるショック死。翼の向こうではペントラが顔へ付いた返り血を右腕で拭いながら、荒い呼吸を整えている。

「ふ……ふぅっ……悪いね。……思ったよりも、魔力の消耗が早いみたいだ」

「まだ森まで距離があります。無理せず、僕らへ任せてもらっても――」

「ん……いいや、まだいけるさね。デカ男ならまだしも、魔物相手の経験が浅いあんたとクソガキは、今のうちに魔物の習性を理解しておきなさいな。帰り道で絶対役立つから」

 爆発音が聞こえ、背後を振り返る。巻き髪が前方の鹿の様に枝分かれした角を持つ四足歩行の魔物の群れへ、煙幕を撃ち込んだらしい。魔物達は混乱しつつも身の危険を感じ、散り散りになって逃げていく。今なら問題なく先へ進めそうだ。

「ポーラ司祭っ!! 姐さんっ!! 急いでくださいっ!! 煙で別の魔物が寄ってきますっ!!」

 巻き髪が周囲を警戒しながら僕らへ叫ぶ。アダムは少し先行し、煙の向こう側へ行ったようだ。翼を消して身軽にし、再び走る準備をする。ペントラの様子を確認すると落ち着いたようで、ニヤッと笑って進行方向を【小さな刷毛】で指す。彼女はああ言ったが、盾役の僕がなるべく傍にいた方が負担を減らせるかもしれない。大丈夫だ。まだ誰も怪我はしていないし、時間もある。無理はせず、堅実に進もう。
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