ポラリス~導きの天使~

ラグーン黒波

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第四章・小さな偶像神

【第三節・流星のように】

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「はぁ、昼間にも関わらず流星のような物を見た。それも……【天使】のような白い羽が生えていたと?」

「ええ。雲より低い高さだったのはわかるのだけど、まるで鳥のように空を飛んで、山の方へ飛んで行っちゃったのよ。アレは間違いなく手足の付いた人の姿でしたし、羽が六枚も生えていたわ。【鳥人族】にしては羽の枚数が多いし、もしかしたら【天使】様なのかしらと……ポラリス司祭様は何かご存知です?」

 午後の懺悔室。目の前へ座る、頭に薔薇を模した髪飾りを付けた【薔薇婦人】は不安げに語る。
 今日で【天使】と思われる目撃情報は五件目だ。記憶を辿って読み取る限り、幻覚や嘘では無いが……目撃者が見たのは【鳥人族】とも【竜人族】ともつかない、白い鎧を纏った人型の姿。羽は六枚、どのようにして飛んでいるか原理不明。かなりの高度を飛んでいることから、人間ではないと思われる。
 時間帯も目撃地点も様々で、唯一の共通点は六枚の羽を持つ白い鎧が【東の山】へ向かって飛んで行ったこと。【東の山】には【ドワーフ族】と【エルフ族】が住んでいるが……関係あるとすれば【エルフ族】か? 彼らは精霊の力を借り、空中を自在に舞えるという話もあるが……自然と共に生きる彼らが、全身無機質な【鉄の鎧】を身に着けるのは想像し難い。

「この街に住んで五十年にもなりますけども、こんなことは初めてですわ。悪い事の前兆でなければいいのだけど……」

 正体について考察する前に、まず目の前のご婦人の不安を払拭しなければ。出来る限り笑顔を作り、ゆっくりと落ち着いた口調で諭すこととする。

「近頃は人や動物の形を模し、人を襲う魔物も平原に現れると聞きます。ご婦人以外にも同様の魔物を目撃した方はおられるかもしれませんが、【天使】様やもしれないと皆へ不安を煽るより、ご婦人自身の中で押し留めておいた方が良いかもしれません。教会の方でも狩猟会へ見回り・討伐依頼を出しておきますので、安心してください。それに本物の【天使】様だとしたら、他人へ口外にしては幸せが逃げてしまうとも言いますからね」

「あらやだ、司祭様に話しても幸せは逃げて行ったりしませんわよね?」

「幸せは【天使】様が運ぶものですが、それを掴むのはあなた自身ですよ、薔薇婦人」

「おっほほほほほっ!! お若いのに弁が達者ですことっ!!」

 薔薇婦人の不安は上手く掻き消せ、口留めもできた。少なくとも、【天使】かもしれない存在について話すと幸福が逃げてしまうと刷り込めた。目撃者達は悪戯にこの話を他者へ拡散しないし、【空飛ぶ羽鎧】に対し不安を強く抱くことも無くなるだろう。

「では失礼しますわね。【天使】様の導きがあらんことを」

「ええ、【天使】の導きがあらんことを」

***

 時刻は午後二十三時過ぎ。その日の仕事が終わり、アダムといつもの酒場のカウンター席へ座り、夕食を食べながら【空飛ぶ羽鎧】について情報交換をしていた。彼は午前中の懺悔室勤務だったが、やはり彼の元へも同様の不安を抱え相談に来る者が多かったようだ。

「――まるで【天使】様のようだった……そう話してはいましたが、ごつごつした鎧を着こんだ【天使】なんて見たことがありません。【鉄の鎧】が大空を舞う。現実味の無い嘘話のようですが、目撃者達の意識は皆鮮明でした。早朝で寝ぼけていた訳でもないようです」

「職業柄、皆さんの嘘を嘘と見抜くのは簡単な分、その光景を実際に見せられては信じるしかないでしょう。アダムはどう思います?」

「どうもこうも。魔物か、それとも魔術師の悪戯か。……ですが、あんなものと【天使】を誤認されてしまうとは……」

 アダムは不機嫌そうに言葉を漏らしながら、皿へ盛られたサラダの葉野菜をフォークで突き刺す。彼は自分が【天使】であるのを誇りに思う分、【羽鎧】が【天使】と誤認されることへ酷く腹を立てているようだ。流石に何も知らぬ住民や参拝者へ怒鳴り散らすことはしないにしても、ストレスを抱えた彼の胃の調子は最低らしい。肉を食わないのはいつものことだが、皿の横へ胃薬が添えられているのが証拠だ。
 魔物の仕業。そう言った方が住民達へ不安が広がりにくいが、魔術師の仕業となると狩猟会ではなくギルドや自警団の領分となるだろう。この街にはギルドが無いため、他の街へ依頼を出さなければならない上、費用も数倍掛かる。町長も人当たりのいい方ではあるが、予算不透明な依頼にはあまり良い顔をしないだろう。

「すんませーんっ!! こいつと同じ奴と麦芽酒三つっ!! おっさんは?」

「鶏の串焼き十本と根菜スープ、あと蜂蜜のパンケーキ三枚だ。隣座るぜ司祭様?」

 目の前の香ばしいローストポークを切り分けていると、隣へ仕事を終えたペントラとタンクトップに短パン、頭には手拭いを巻いた装いのアレウスが注文をしながら座る。アレウス氏は全身返り血塗れで帰ってくることが多く、夕方に酒場へ訪れる時はほぼこの装いだ。腕や肩、首、足に至るまで包帯が巻かれており、痛々しい重症患者のようにも見えるが本人曰く「返り血を浴びると火傷痕が痒くなる」そうので、水気を弾く特殊な薬品を塗り、包帯を常に巻いているとのことだ。

「おう、司祭サマと副司祭サマ。調子はどうだい」

「お疲れ様ですアレウスさん。今日も大変だったようですね」

「んやぁ、大変なのはいつもの事だが、今日は妙な奴の【狩り】まで依頼されてなぁ。そいつの体液被ったら痒いのなんので……そのせいで今日の仕事は頭打ちだぜ。あー、くっそめんどくせぇ魔物が世の中にはいたもんだ」

 頬の火傷痕を忌々しそうに掻きながら、アレウスは持っていた依頼書の束をこちらへ差し出す。受け取って目を通すと、目撃された地域は別々だが同じ特徴が書かれた狩猟依頼書ばかりで、依頼された日付は全て今日であった。

「【茶色く錆びた鉄の鎧を身に着け、四足歩行の集団で行動する魔物】……ですか。近辺の平原では見たことも聞いたこともない特徴ですが、外来種でしょうか?」

 横から依頼書を覗き見たアダムが呟く。僕はあまり平原に出る魔物の種類に詳しくないが、これほど特徴的な魔物ならばもっと昔から話題になる筈だ。彼が言ったように、元々住み着いていた魔物ではない。

「と思うじゃん? おっさんから貰った奴らの死骸を調べてたら、どーも生き物じゃないっぽいんだよねぇ。心臓無いし、口も歯も鼻も無い。魔術師が扱う絡繰人形の鉄版みたいな奴さ。目っぽいものは硝子製、血管はよくわかんない銅の紐や透明な細い筒だし、触手の先端は【銃】ときたもんだ。アタシも初めて見たわこんなんっ!! おまけに臭いのなんのっ!!」

「腐ったオイルみてぇな臭いだった。オイルを血液代わりに全身へ流す変態な魔物は今まで会ったことねぇよ。口からくせぇ体液や酸を撒き散らす奴はいたけどよぉ。別に手を出さなきゃ人間にも家畜にも手を出さねぇ大人しいもんだが、畑やら住宅地やらお構いなしに歩き回るし、邪魔すると触手から【鉄の玉】を飛ばしてくる。まだ怪我人も死者も出ちゃいねぇが、当たったら痛いじゃ済まねぇだろうよ」

 ペントラは魔物から取り除いたと思われる小さな部品をポケットから取り出し、テーブルの上へ転がす。錆びた小さな杭、捻れた部品、銅色に輝く紐、錆びつき欠けた小さな爪、少しの衝撃で小さく跳ね回る渦を巻いた細い鉄――どれも見たことのない物だ。
 店員がカウンター越しに麦芽酒の入ったジョッキを三つ持ってきた。ペントラはそれを僕と自分、アレウスに手渡して持つように促す。いつものか。

「はい、今日もお仕事お疲れさんでしたっ!! 乾杯っ!!」

「「乾杯」」

 ペントラの音頭に合わせてお互いのジョッキを軽くぶつけ、麦芽酒を口に運ぶ。苦くて渋みのある匂いが鼻腔を通り抜け、舌へ広がる。
 いつからだろうか。僕ら三人は酒場で顔を揃える度、ペントラがその日の仕事の健闘を称え、祝杯の儀式をするようになったのは。麦芽酒代は彼女持ちなのでこれと言って不満は無いのだが、翌日仕事がある時は少々困りものだ。アダムは嫌だと断り、アポロは喜んで混ざるが、丸眼鏡の新人【天使】は酒にあまり強くないらしく、オレンジやベリーの果汁をジョッキに入れて加わっている。

「ぷぅっ、これ飲むと一日の終わりって気がするねぇっ!!」

「ペントラさんは昼間から飲んでるじゃないですか」

「ばぁか、それとこれとは違うんだよ。おっさんはわかるだろ?」

「まぁなぁ。仕事上がりの一杯は格別だ、甘露がありゃもっと最高だぜ」

 アレウスは手渡された鶏の串焼きへ齧りつき、麦芽酒で流し込む。彼はなるべく食費を節約するようにしているのか、以前の僕のように一番安い物や質素な食事で済ませてしまうことが多い。狩猟で仕留めた害獣や魔物の肉を携行食糧・保存食へ回しているらしいが、人間は栄養が偏ると体調を崩しやすくなると聞いたことがある。
 【天使】は胃で消化できる物であれば、仮に雑草でも【受肉】の肉体を動かす栄養へ変換することが出来る。些細なことでも相談を受けるようになり、その相談を通して初めて知ったのだが、人によっては苦みや渋みなど特定の味覚を嫌う傾向があるそうで、それが食べ物の好き嫌いを作る要因であり、特に子供の頃に芽生えた感情を克服するのは難しいらしい。午後に訪ねてきた「幼い子供が野菜を食べてくれない」と嘆く母親には、どう対応すれば正解だったのだろうか。

「副司祭サマはいつもの野菜サラダか。そんなんだからほせぇんだよ、一昨日から干してある肉でも持っていくか?」

「空飛ぶ魔物が【天使】だなんだとちょっとした噂になってて、神へ仕える身として胃が痛いんですよ。……アレウス氏は見なかったのですか? 六枚の羽を付けた鎧が【東の山】の方へ飛んで行くのを」

「狩りの最中呑気に空なんて見てる余裕ねぇよ。獲物が空飛んでる前提なら別だがなぁ。ほれ、一本くれてやる」

 アダムの野菜が盛られた皿へ、アレウスはまだ手を付けていない串焼き肉を一本入れる。それに対しアダムは眉間に皺を寄せて露骨に嫌そうな顔をするが、小さく舌打ちしながら肉を串からフォークを使って切り離し、葉野菜で包んで口へ運ぶ。なんだかんだ言いつつ君は律儀だ。……だから胃に穴が開くのだろうけど。

「アタシは見たよ。ちょうど屋根の雨漏りの修理を依頼されてたんでね。【鳥人族】や【竜人族】が重たい鎧を着て飛ぶってのは考えられないが、元々【鎧の魔物】とかだったらありえなくないさねぇ。それか、表面上だけ鎧っぽく見せてるか、あるいは――」

「――ベファーナ、だなぁ」

「そう、あの子がまーた質の悪い【悪戯】してるかもって話」

 ペントラの言葉へ、顎を擦りながらアレウスが小さな【魔女】の名を口にし、彼女もそれに同意する。
 ベファーナと出会ってから数日以内に、この場にいる僕を含めた皆何かしらの被害を被っている。アレウスは狩猟の真っ最中に彼女の作った魔物やザガムをけしかけられ、ペントラは仕事場の作業道具が全て【水飴】製になり、アダムは借家へ毎日のようにティルレットの描いた絵を送り付けられている。かくいう僕自身も【天界】への報告書へ偽りの記述や神を冒涜する内容の落書きを不定期にされていたりと、どれだけ厳重に隠しても行われる悪戯に頭を悩ませていた。
 しかし、彼女はとても目立ちたがり屋な【魔女】でもある。悪戯をした後は決まって僕らの前に姿を見せ、やったのは自分だと高笑いしながら箒へ跨り空へと消えていく。構って欲しさからやっているのだとしたら、見た目の容姿相応の感情ではあるのだろう。赦されるかどうかは別として。

「だとしたら……また彼女へ尋ねに行く必要があるかもしれません。明日は教会も休みですし、急ぎの仕事もありませんから。アダムはどうします?」

「勿論行きますよ。いい加減、よくわからない怪画を飾る場所がなくなってきたところです」

「僕に譲ってくれてもいいのですよ?」

「嫌です」

「なんで?」

「何故司祭が喜ぶことを私がしないといけないのです?」

「君って奴は……」

 皮肉かもしれないが、本心では気を遣っているのかもしれない。在庫処分に協力してやりたいし、ティルレットがどのような作品を描いているのか気にもなる。……どうやって彼を説得したものか。

「俺は行けねぇ。明日も朝から例の魔物達が畑や居住区を踏み荒らさないか、丸一日監視しなきゃならねぇ。流石に俺一人の手に余る件だ。狩猟会や噂を通して小僧の耳にも入ってるだろうし、久し振りに面倒見てやるよ」

「おっさん行けないんならアタシ行くわ。昼間だから危なくはないだろうけど、ディアナとも話したいことあるし。あとは新人ちゃんかぁ……むん、たふん、ついてくるんだろうふぁねぇ」

 ローストポークを口いっぱいに頬張りながら、ペントラは新人も同行するだろうと予想する。

〈――司祭サマ、嬢ちゃんから目を離すんじゃねぇぞ。副司祭サマもだ。杞憂かもしれねぇが、一応な〉

 串焼き肉を噛み千切りながら目くばせしつつ、アレウスは【思考】をこちらへあえて伝える。あれこれと表立って深く詮索はしないが、スピカ達を通して【天使】の特性や使命についてほぼ理解し、【思考】の読み取りも【他人には聞こえない会話手段】として活用している。以前アダムにも新人の【瞳】については話してあるので、彼も溜め息をつきながら目で応答した。
 彼は根拠のないアレウスの話へ半信半疑のようだが、こちらが彼女の様子をみれない時、ある程度目の付く距離にいてくれている。新人を疑うわけではないが、ルシにも相談できていない現状は気を配るしかない。

「……あん? 外が騒がしいなぁ?」

 アレウスの言葉に背後の店外へと視線を移す。すると――意外な人物が小さな子供を背負い、人々の賑わう通りを全速力で走り抜けていくところだった。

「「「アラネア?」さん?」」

「誰だあの蜘蛛男」

 数秒おいて、彼の後ろを四足歩行で走る脚の細長い魔物と、白く輝く羽鎧が低く飛びながら追いかけて行くのが見えた。アレウスの話していた例の魔物に羽鎧の魔物? アラネアは――

「――おいおいっ!? ありゃ追われてんじゃないかいっ!?」

「ちっ、めんどくせぇなぁっ!! わりぃがツケといてくれやっ!!」

 アレウスは串を咥えながら通路の客を押し退け店外へ飛び出し、彼らが飛び去っていた方向へ駆けていく。

「私も行ってきますっ!! ポラリス司祭、お勘定お願いしますっ!!」

「えっ、待ってくださいアダムっ!?」

 アレウスに続いて店外へ飛び出し、アダムも視界の外へと消えていった。今は自分の食事代しか財布へ入ってないんですけど……。

「なんだいありゃあっ!? 街中まで魔物が入ってくるなんて、珍しいこともあるもんだ。……司祭様とペントラちゃんは行かなくていいのかい?」

 厨房から駆け足でカウンターへ戻ってきた酒場の店主が、二人の駆けて行った方向を見つめながら尋ねる。ペントラはこめかみへ指をあてて少し悩むような仕草をし、ポケットから財布を取り出して中身の残金を確認する。

「……いや、アタシらが行っても何できるわけでも無し。下手に付いてって怪我するよりもずっと賢いさね。アレウスのおっさん強いし、なんとかなるでしょ」

「んん、そうかい? 自警団の連中にも連絡しといた方がいいかねぇ……」

 ペントラは自分や僕へ言い聞かせるようにして、店主へ答えた。
 僕と彼女は【人間】としての身体能力は【普通】だ。アレウスのように魔力で編んだ武器を出し、凶悪な魔物相手に人前で堂々と戦えるわけでも無く、アダムのように生身でも常人以上の武術の心得があるわけでも無い。大通りの、ましてやまだ人が往来し賑わう時間帯、【信仰の力】や【悪魔】としての力を使うところを見られるわけにはいかない。
 それはわかってはいるのだ。だが……誰かが傷付いて、逃げているのを見過ごしていいのか? 両手は先程からカウンターテーブルの縁へ付いたままで、今すぐにでも振り返って彼らの後を追い、アラネアと見知らぬ子供を助けたいという衝動に駆られる。彼らを守れる【信仰の力】もある。自警団や狩猟会が共に対応してくれているかもしれないが、アレウスもまともにやり合うのは危険だと言っていたくらいだ。【信仰の盾】ならあの数の魔物でも――

「――気持ちはわかる。でも、たまには皆のことも信じてやりなさいな」

「………………」

 ペントラが立ち上がりそうになる僕の背中を右手で抑える。いつものような力強さはない。ただ背に手を乗せているだけなのに、彼女の手を払いのけることができなかった。

「目に見えるものを守りたくなる気持ちはわかるよ。だからって、あんたやアタシが今突っ走ったら、皆の帰ってくる場所が無くなっちまうじゃないか。適材適所ってのとは少し違うけど、今すべきなのはアタシらの場所を守るってことじゃないかい?」

 そう諭すように止める彼女の表情は、あまり見たことの無い少し悲しそうな笑顔だった。シスターと過去にあったことを思い出しているのか。見ていることしかできず辛いのは、ペントラも同じなのだ。

 僕らの歩んでいる道は細く、険しく、足を一度踏み外したら戻れない。人々を欺きながら、着実に信頼を得て共に生きる。この距離感が街の皆には必要であり、僕らにとっても存在意義や生命線に限りなく近い。今のアポロやアレウスがあるのは僕らがいたからであり、僕らがこうして彼らや街の自警団・狩猟会を信じて待てるのも皆がいてくれたからなのだ。
 自分にそう言い聞かせ、落ち着くために少し深呼吸する。

「……二人共、特にアレウスさんがいれば百人力です。アダムの事も守ってくださると思います。弱肉強食と口では言っても、彼の人間性は間違いなく善人です。本人は無自覚かもしれませんが」

 アダムのサラダに置かれた、食べかけの串焼き肉を見つめながら話す。ペントラも「違いないねぇ」と笑い、麦芽酒を口に含んだ。

「ペントラさんも僕も……今の皆さんにとって必要な存在です」

「そうそう、ペントラちゃんも司祭様もウチの常連様だっ!! 俺にできることは美味い飯を作って酒をあんたらに出すことさっ!! みんなが笑って飯を食えるここが俺の居場所、そんなに悩むことたぁないぜっ!!」

「店主さん……」

「あんた達にはみんな感謝してるよ、ホント。チャラチャラしてた娘に真面目な男を引き合わせてくれたり、厨房の水回りがイカれた時もペントラちゃんが駆け付けてくれて助かった。この街は田舎臭くて何もないって旅人やギルドの連中は言うけど、俺はそうは思わない。子供から年寄りまで、全員が助け合える街ってのはそうそうないもんさ」

 店主はそう言い、カウンターから木のトレイへ何かを乗せて出て来た。甘い香りのする温めた蜂蜜酒の入ったカップを僕とペントラの前へ置き、空いたペントラの左隣の席へ座る。

「サービス。温かいもんでも飲んで落ち着くといい」

「アッハッハッハ、悪いねぇ店主さんにまで気を遣わせちゃってっ!! まぁ、さっきの魔物達が酒場を荒そうってんならアタシらに任せてよっ!!」

「すみません、店主さん。ありがとうございます」

 店主も自分の分の蜂蜜酒を飲みながら、手をひらひらとさせて返事をする。

「……それより、ペントラちゃんはいつになったらくっつくんだい?」

「な゛っ!? アタシはそのぉ……ねぇ?」

 眉を下げて気まずそうな表情をし、ペントラはこちらを見やる。普段の彼女が彼女なのであまり考えたことも無かったが、意中の相手でもいるのだろうか?

「ペントラさん、好きな方でもいるんです?」

「あ、ああんたねぇっ!? アタシも二十五だよぉっ!? 好きな奴の一人や二人くらい……あーもうホントこの男はっ!!」

 彼女は何故か顔を真っ赤にして、僕の左頬をつねる。ペントラさん、すごく痛いんですけど。

***

「装甲の薄い関節を狙えっ!! 四肢を落としても油断するなよぉ、一番厄介な触手が出てきやがるっ!! 出てきたらすぐ切り落とせっ!! 小僧そっちだっ!! 建物の上を陣取ってやがるっ!! 射落とせっ!!」

「無茶言わないでくださいっ!! 住宅街で矢ぁ使って避けられたら誤射しちゃいますよっ!! アダム先輩っ!!」

「わかっているっ!!」

 路地に重ねられた木箱や資材を踏み台にし、羽鎧の魔物とアラネアが対峙している背の高い民家の屋上へと飛び乗る。彼は大きな貯水槽を背に、追い詰められていた。糸を巻き付けて背負った子供を隠すようにして、羽鎧の魔物に身振り手振りで何やら話している。

「――――――」

「いやさ? 俺は君らが【この子を殺そう】って理由をまず知りたいんだよ。君達が古代人か魔物かは知らないけど、目的を分かり合おうとすれば、お互い争わなくてもいいんじゃないかなぁ?」

 羽鎧の魔物は左手に剣を握り、地へ足を付けることなく低く浮遊し、アラネアへゆっくりと近付く。阿呆が、言葉も理解できない魔物相手に説得など無駄だ。そいつはお前と、背に背負った子供へ明確な殺意を抱いているのだからな。
 アレウスの【生成術】で作られた【銀の剣】を握り直し、羽鎧の魔物の背へ斬りかかる。金属と金属がぶつかり合う高く固い音を出して羽鎧は前へと仰け反るが、その身に纏っている鎧は見せかけではなく本物で、凹みや傷すらつかない。錆びた四脚の魔物達は耐久性が低く、蹴れば崩れる脆い鎧でも羽鎧は別か。厄介な。

「おおっ、アダム君じゃないかっ!! ごめんね、この人達を引き連れて来るつもりは無かったんだけど――」

「――話は後ですっ!! 離れてくださいっ!!」

 【銀の剣】を両手に持ち替え、未だアラネアに近付こうとにじり寄る羽鎧の頭部と胴体の間――装甲の薄い、首を狙い横へ全力で振る。

「ふぅうっ!!」

 全身を捻り、剣の重みを最大限に生かした遠心力と超硬度の金属との接触――【生成術】で生み出した武器は耐久限界を超えたようで、握られていた【銀の剣】は砕けると同時に爆発した。

「――――――!!」

 奇怪な悲鳴のような高音を出して羽鎧の魔物は吹き飛び、取れかかった首の断面からガラガラと小さな物を撒き散らしながら屋上を転がり跳ねる。足裏から出る光と羽の光が不規則に点滅し、体勢を立て直そうとしているが、自分でも制御がきかないのか手足を振り回しもがいているように見えた。……こう暴れられては近寄れない。

「俺に任せて」

 一歩前へ出たアラネアは背中の四本の足と左右の手から糸を出し、跳ね回る羽鎧に巻き付け、縛る。あらぬ方向へ手足・羽が折れ曲がり、奇妙な体勢で固定された羽鎧の関節はメキメキと音を出し――足先や羽の青白い光とぶら下がった目の赤い光が消え、完全に動きを止めた。ようやく死んだらしい。
 その光景を見ていたアラネアは悲しげにため息をつき、右手のひらを額に当てて俯く。

「はぁ、やっぱりこの人達と和解するのは無理なのかなぁ……」

「……アラネアさん、どういうことか説明していただけますか? 場合によっては――」

「――待って待ってっ!? 俺はポラリス司祭に助けを求めに来たのさっ!! 羽鎧と四つ脚に追われてるのは、背中のこの子のせい……だと思う」

 彼は背負った金髪の少年がこちらに見えるよう、上半身を捻る。肌の色が異様に白い少年は小さく呼吸をしているが、これは……【人間】なのか?

「平原を超えて拠点に戻ろうにも、夜はこの子を連れたままだと危険だし、一晩だけポラリス司祭のところでお世話になろうと考えてたんだ……でも、ごめん。街の人達へ迷惑を掛けるつもりは無かったんだ」

「………………」

 【東の山】へ羽鎧の魔物達が飛んでいったのも、錆びた四脚魔物達が現れたのもこいつが原因か。どこから連れてきた子供か知らないが、随分と厄介なことをしてくれたものだ。建物下の通りではまだアポロやアレウス、狩猟会や自警団が躍起になって残党の対処をしている。この混乱の最中なら――袂から鍵を取り出し、教会の上へ突き刺さる金の十字架を指差す。

「……あの大きな十字架の教会へ行ってください。鍵は裏口のものを渡しておきます。ポラリス司祭へは私の方から話しておきましょう。私達も明日スピカさん達の元へ伺う予定でしたから、同行するのは構いません。ただし、日が昇るまで決して表へ出てはなりませんよ。住民への混乱を招くような行為をしたとあっては【天使】の名に恥じますし、教会や神々への不信も買います。いいです――」

「――ありがとう、アダム副司祭っ!! この恩は一生忘れないよぉっ!! いやぁ、本当にありがとうっ!!」

「うわっ!! ちょっと、うぇ……」

 もさもさと毛の生えた両手に鍵を持った左手が包まれ、体験したことの無い奇妙な感触に悪寒が走る。気持ちが悪いと脳が【受肉】した肉体へ細い神経を通して訴え、全身から汗が噴き出す。駄目だ、この男にこれ以上触れていたくない。

「ああごめんっ!? じゃあ、俺は急いで教会まで退散するとするよっ!! また明日ゆっくりと話そうっ!!」

 両手を放し、鍵を受け取ったアラネアは軽快に屋根を跳ねて教会へ向かう。その姿は蜘蛛というよりも飛蝗や蛙の動きに近い。
 バクバクと音をたてる胸を掴み、気持ちをどうにか静めようと空を見上げ、深く息を吸う。晴天の夜空には星々が煌めき、山から顔を出し始めた大きな月は煌々と青白い光を発していた。澄んだ空気を取り入れ心拍数を下げていると――星々の光の中に、白い光を発しながら【東の山】へと向かういくつもの流星を見てしまった。

 【天界】に住まう神々よ、見ておられますか。私に力をください。私情に駆れぬ、強く自分の意思を戒められる力をください。私達【天使】は未だ弱く、あなた様達の糧とする人間達や見捨てられた魔物、他種族の助力無しでは試練を乗り越えられません。

 それとも【地上界】が混沌であられることを、神々は望まれるのですか?
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