ポラリス~導きの天使~

ラグーン黒波

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第五章・死にたがりの【天使】

【第九節・森の放浪者】

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 午後十八時十六分。ミーアを連れ、街から西へ離れた森で環境調査を行っているが……昨日まで喧しく騒いでいたのに、今日は朝からトンと会話もしようとしねぇ。ポラリスは死んじゃいない。だが、昼前の時点では目を覚ましちゃいなかった。まぁ、息はしちゃいるし五体満足。腐っても【中級天使】なら明日には目を覚ましてんだろ。
 周囲より少し背の高い木の上から離れた場所を双眼鏡で観察し、地図へ魔物と動物の生息域・種類・生態を書き込む。ミーアはアタイとは少し離れた大木へと登り、黙々と仕事をこなしながらも、時折惚けて遠くの山を眺めていた。お友達が心配でならねぇのは分かるが、プライベートと仕事は切り分けて欲しいもんだ。あんな調子じゃ、双眼鏡の先で昼寝している毛深いサイクロプスの群れや、その上空を飛び回ってる【機神】共に奇襲されたらあっけなくやられそうだ。

 【機神】は自分達の脅威となる可能性を含んだ拠点周辺の魔物や動物を、徹底排除する傾向がある。ああして索敵しつつ近辺の仲間を集め、十分な戦力が集まり次第上空から強襲する。こちらや標的の都合は完全無視で、自分達の拠点拡大で行われる。この習性のせいで王都周辺の希少な魔物の個体や牧場の牛・羊が襲われる報告が後を絶たない。だが、今回奴らの標的は害獣指定のサイクロプスだ。勝手に喰い合って、どちらかが弱った機会を叩けるなら楽に済む。
 意外だったのは、独特な進化を遂げた辺り一帯の狂暴な魔物達に【機神】達も手を焼いているのか、山の麓にある大型拠点から侵略が進んでいない。今朝も五十頭以上の一角獣が固まる住処へ、十数体の【人型機神】と【四足】が襲撃したが、頭数や角の鋭さ、不利になると森へ潜んで逆に奇襲を仕掛ける切り返しの良さに、【人型】一体を残して【機神】側は全滅。そいつも両腕を失い、半壊した頭部のまま命辛々逃げ帰ってやがった。
 昨晩深夜には青白い光を放ち夜空を飛ぶ【人型機神】を、巨大な七色鳥の亜種が上空から強靭な脚で背中を蹴り、地上へ叩き突き落としたあと死骸を巣へ持ち去る光景が見れた。昼間は縄張りさえ気を配れば穏やかだが、夜は一転、飢えた魔物達がこぞって互いを喰い合う地獄みてぇな光景が広がる。旅団や行商人が夜に街の外へ出歩かない訳だ。流石のアタイでも単独であの中を突破しようと思わねぇ。

 数分後。上空に十六体の【人型機神】が集まり、狙いを定めるように一度制止した後――――一斉に落下し、昼寝をしていたサイクロプス達に強襲――――首や目を狙って手にした剣状の武器を突き刺した。サイクロプス側は二十頭、この奇襲で何頭仕留められるかでこの後の戦況が変わる。脳に武器が到達した個体や、首が上手く切れた個体は呻き声も上げずそのまま息絶えた。が……外れて肩を切ったり、分厚い筋肉で剣が抜けなくなるなど、奇襲の結果は五・六頭程を仕留めたのみ。
 異変に気付き、目覚めたサイクロプス達は咆哮を上げ、周囲を飛び回る【人型】へ太い腕を振り回して叩き落し、掴んでは力任せに胴体や頭を引き千切り始めた。あーあー、こいつはひでぇ。分厚い肉鎧に鉄並みの硬度がある骨相手じゃ、奴らの武器でも正しい筋を狙わないと通らない。地上で潜んでいた【四足機神】も申し訳程度に銃撃しちゃいるが、サイクロプス達は怯むどころかビビりもしねぇ。
 戦闘続行不可と判断した二体の【人型】が上空へ逃げるも、投石を当てられ森の中へと落下していく。【人型】が全滅すると標的は【四足】へと移り、殲滅が始まる。……奇襲から数分後。深手を負った個体は失血で死んだが、重軽傷の個体は八頭残った。まぁ、あの数ならミーアの援護無しでも――――

 ――――右脚を押さえる一頭のサイクロプスの傍の茂みから人影が飛び出し、下がっていた頭部へ何かを突き刺した。刺された個体は瞬く間に全身が黒く変化し――――青白い炎を上げて発火した。

「なんだありゃ……旅人か?」

 火達磨になってのたうち回るサイクロプスを飛び越え、黒い尾ひれを引くレイピアを手にした女が【人型】の死骸の上へ着地する。街娘にしては上品過ぎる白黒の服装。頭には灰色のショールを深く被っていて、微かに白髪が見えるも顔立ちまで確認できない。女は【四足】に気取られているサイクロプス達を背後から挟撃する形で次々とレイピアを突き刺し、青い炎を噴き上げるサイクロプスを増やしていく。
 存在に気付いた二頭は女へ襲い掛かる。女は先頭一頭の掴みかかりを姿勢を低くして躱し、腹部へレイピアを突きさして手放し――――股の下を滑り抜け、後続の一頭の胸を蹴り上げた。サイクロプスの巨体が一瞬浮き、背中から地面へ仰向けに倒れ込むと、心臓が潰れたのか血の泡を吹いて痙攣する。その様子を確認すること無く、女は次の獲物を仕留めるべく手の中から新たなレイピアを生み出し、怒り狂う別個体へ素早く接近する。動き方や蹴りの威力が人間離れし過ぎてんな、あの女。

「……おい、ミーア一等へ――――って、いねぇし」

 双眼鏡を外して大木の方を確認するが、クソガキ様は既にそこには居らず、既に事の起こっている現場へと向かっていた。ここからじゃ木々が深くて位置が確認できねぇ。得体の知れねぇ相手にもずかずか行く馬鹿に、単独行動は任せらんねぇし……アタイも向かうしかないか。


 【機神】とサイクロプスの死骸の山の中、ミーアを見て立ち尽くすショールの女。青い瞳に白い肌、人形のような無表情で生気の無い顔が覗いていた。敵意があるかどうか以前に【思考】が読み取れねぇ。一先ず、ミーアを後ろへ下がらせて尋問してみ――――

「――――あの……お怪我はありませんこと? 私達は王都から来た兵士ですわ。道に迷った様子でもなさそうですし、狂暴な魔物が潜む森で……あなたは何を?」

 アタイが出る前に、ミーアが警戒しながらも近付いちまった。アホか、簡単に相手の間合いに入るんじゃねぇよ。ショールの女は腹の下辺りに両手を重ね、綺麗な姿勢で一礼をする。

「お初にお目にかかります。不肖はしがない絵師。未だ見ぬ景色を求め、情熱の赴くままに旅をしております」

 抑揚の無い、無機質な声。おまけに絵師で情熱の赴くまま旅してるだと? 画材も持たねぇでほぼ手ぶら、化け物じみた運動神経に魔術くせぇ青白い炎。絶対嘘ついてんだろこれ。

「まぁっ、素敵っ!! 女性の一人旅はこのご時世だと難しいものだと思っていたけれど……どれほどの間、旅を続けてらして?」

 ミーアは両手を合わせ、さっきまでの文句たらたらな表情からキラキラした表情に変わる。なんで信じてんだこの馬鹿。腰へ差した剣の柄の位置を脇目で確認し、抜刀の剣筋を考えつつアタイも二人へ数歩近付く。

「数十年程。旅の最中、従者として主に仕えていたことも一時期ございましたが、今は従者ではなく絵師の身。一人旅をなさるのであれば、最低限の護身の心得は必要にございましょう」

「最低限って感じじゃないんですがねぇ? どう見ても【殺し慣れてる】。それも四・五回の修羅場じゃねぇ。……今まで何人殺して来た?」

「サリー神官っ!!」

「黙ってろ。あともう数歩下がれ」

「………………」

 ショールの女は微動だにせず、黙りこくって冷ややかな視線を向けた。ミーアもミーアで不満げな表情でその場から動こうとせず、女に背を向けてこちらを睨む。どこまでも面倒な上司様だ。お前の後ろにいるのは魔物よりも質が悪い、化け物の類だぞ。

「お姉さん、名前は?」

「【ティルレット】と申します。以後、お見知りおきを」

「ご丁寧にドーモ。そんじゃ早速本題なんだがティルレットさん、あんたの【種族】は? サイクロプスの身体が浮き上がるほどの脚力、純血の人間じゃあない。使っていた武器、奴らを火達磨にした魔術が何かも詳しく答えてもらいましょうか。連中が転がっていた場所にゃ、草が焼けた跡どころか骨の一本も見当たらない。証拠を残さずに標的だけを燃やし尽くすなんざ、【器用で便利過ぎる】特技じゃないか」

「申し訳ございません。不肖にはお答えしかねまする」

「お待ちなさいサリー神官っ!! 初対面の方へ無礼にも程がありましてよっ!!」

「どの口が言ってやがんだ。こいつぁお前がいつもやっているような、ただの王都兵としての職質さ。不審人物は片っ端から取り押さえんのが、あんたらのやり方だろ? そうだねぇ……なら、そのこじゃれた奴を取ってもらってもいいですかい? 耳の形や頭だけでも見せてもらえりゃ、あんたが吐かなくてもアタイは納得するんで」

「申し訳ございません。不肖は要求に応じることは出来ませぬ」

 ショールの女――――【ティルレット】は無機質に拒否を繰り返すだけで、質問へまともに答える様子がない。こんなきな臭い奴を相手に、人目の付かない森の中でならやるこたぁ一つ――――実力行使だ。

「そうかい、そりゃ残――……っ!?」

 抜刀しようと剣の柄を掴んだが……引き抜けない。なんだ? 直ぐ引き抜けるかは確認して――――腰へ刺した二本の剣は柄と鞘半分程まで氷で凍り付き、密着して抜刀出来ない状態になっている。いつの間に? だが――――

「――――ふぅっ!!」

 抜刀体勢からの回し蹴り――――空を切り、背中を逸らして後ろへ一歩下がったのを確認――――回転を殺さず腰の留め具を強引に引き千切り、【鞘が付いたまま】斬り上げる――――左足へ接触する前に奴は飛び上がると、更に後方へ下がった。余裕そうに避けるもんだからあえて深く踏み込んだのに、そこまで見切られてたか。じりじりと近付くアタイと微動だにしないティルレットの間を遮り、ミーアが割り込んで立ち塞がる。

「お止めなさい、サリー神官っ!! 冷静さを欠いた行動、あなたらしくありませんわっ!!」

「黙ってろ」

「いいえっ、黙りませんわよっ!! あなたのその目には覚えがありますものっ!! 親の仇を見るような憎しみの籠った目っ!! 孤児院で散々同じ目の子達を見てきましたわっ!! どのような私怨か分からないけれども、彼女が何をしたというのっ!?」

「不審な言動、質問に対し要領を得ない虚言。拘束して正直に吐かせるだけで、私怨は微塵もない。職質や治安維持もこっちの仕事でしょうや」

 アタイの勘じゃ、こいつは【悪魔】に違いねぇ。それも数十年って言葉が誇張じゃなけりゃ、【はぐれ】の時に相当殺してる。今も【はぐれ】かどうか不明瞭だが、どの道こんな奴を見逃すなんてアタイには選択できないね。
 まずその感情が一切籠ってねぇ青い目が気に食わねぇ。セル達を化けもんに変えやがったあの野郎と同じ目をしてやがる。それ以外なら無視するが、【悪魔】は駄目だ。今度はこっちが化けの皮ひん剥いてやるよ。

「お二方は、とても良い目をしております」

「何?」

「え?」

 未だに構えもせず行儀良く立つティルレットの言葉に、ミーアも振り返る。

「未来を想像し、希望に満ちた美しい目。過去に囚われ、死の淵の底を歩む虚無の目。然し、かつては逆であったのでございましょう。新たに情熱を吹き込まれた者と、奪われた者。黒い兵士様。あなた様の身に宿っていた情熱は、今や僅かな残り火だけが冷たく燻り、周囲の熱を奪い尽くさんとしております」

「……希望や情熱なんざ、馬鹿単純な連中を踊らせるための餌に過ぎねぇよ。羽虫の様に喜んで火へ飛び込み、それを見た仲間も連なって飛び込んで逝く。得をするのは最初に火を点けた連中と、遠くで眺めて馬鹿笑いする連中、無知なのを利用して扇動し、信じ込ませる連中だ。余計な物や仲間・関係を持てば持つほど、生き物ってのは愚かになってく。あんたやこいつみたいにな」

「左様でございますか。ならば――――」

 周囲の気温が下がり、ティルレットを中心に冷気が集まるのを感じる。ミーアを強引に退かせ、鞘に収まったままの剣を構える。身体の中心で差し出した奴の左手の中に、真っ白のなレイピアが握られた。

「――――止めねばなりませぬ」

 目の前にはレイピアの先端、右へ首を捻り躱す。動きは直線上で読めるが――――反撃へ繋げるには厳しい。脇を駆け抜けられ、視界から外れそうになるも上半身を捻らせ視界へ入れる。振り返り、既に二撃目の体勢へ入ったティルレットの攻撃軌道を予測――――突きを両手に持った剣の凍りついた部分へ当て、防ぎながら氷を砕く。嫌な音、鞘だけでなく刀身に亀裂が入ったと判断。止まったレイピアを鞘で殴りつけて逸らし、抜刀――――突きの体勢で止まったティルレットの頭へ横薙ぎする。
 だが、ひび割れた刀身は空を切った。足元――――構え、喉を狙われる。かかったな。
 集中させていた【信仰の力】を発現し、鎌の先端で逆に肩や腕へ突きさ――――違和感、蹴りをくらわして突き放し、鎌をティルレットの身体から引き抜く。鎌の先に付いたのは血と、どろりとした【黒い文字の羅列】。こいつ、仕込んでやがったか。

「テメェっ、身体に【呪詛】を刻み込むとかイカれてんのかぁっ!?」

「………………」

 返事はない。負傷した肩や左腕を庇う様子も無く、奴はレイピアを構える。……その前にしつこく鎌へ纏わりつくこの呪詛だ。熱を持ち、青白く発火して鎖をじわじわと伝って来る。身体に到達する前に【信仰の力】を消すと、鎖や鎌に付いた呪詛は地面へ落下し、周囲の草を燃やすことなくそのまま霧散した。骨や灰も残らない炎だ、一度燃えたら【上級天使】の治癒力でも追いつかない。

「死に場所を探しているのに、降りかかる火の粉を振り払う。己が在り方へ疑問に思ったことはございますか?」

「あぁっ!? ねぇよっ!! 確かに死に場所を探しちゃいるが、血に飢えた【悪魔】に殺されるのは御免だっ!!」

「……【悪魔】?」

 ミーアが背後で小さく呟くのが聞こえた。いくら学のねぇお嬢様でも、【悪魔】がどういった存在かは知ってる筈だ。魔力を求めて血肉を貪り、心の弱い人間をかどわかして契約して搾取する。神々や教会と対を成す存在。お前が関わっていい世界の存在じゃねぇんだよ。ティルレットは否定せず、こちらを見て沈黙を保っている。

「アタイの見立てじゃ、奴のショールの下には角がある。……大方、色仕掛けやうっさん臭い言葉回しで、人間やお前みてぇな頭お花畑を食いもんにしてるんだろ。あの女は、お前が思ってるような素敵な旅人じゃねぇ。狂人か異常者の類に耳を傾けたところで、脳が腐り落ちるだけだ」

「………………」

「単純なお嬢様は納得いかねぇだろ? だがこれが現実さ。人の不幸を食いもんにする連中がのさばり、馬鹿な連中は手のひらで踊らされる。……そうなりたくなければ強者に逆らわず、悟られないよう賢くいろ。自分の弱みを見せず、相手の弱みを握れ。自分以外を信用するな、見返りの無い善行は罠だと思え」

「………………」

 ミーアの返事は無い。お前の視点から見る世界なんて知ったこっちゃないが、失いたくなけりゃ――――

「――――いいえ、サリー神官。それは目を背けているだけでしょう?」

「…………あ?」

 背後に立つミーアの表情に怒りや癇癪ではなく、哀れみを含めた目でアタイを見ていた。

「一月の付き合いだけれど、あなたが何かを隠していることは知っていますわ。でも、それはあなたの弱みじゃなく、向き合うべきもの。他人を遠避け、死にたいと常日頃から漏らしながらもしぶとく生きているのは、自分だけの命じゃないと理解しているからでしょう?」

「……仮にそんな理由があったとして、クソガキ様には関係ねぇよ」

「ええ、そうでしょう。……ですが、私はあなたのように逃げませんわ。自分の血からも、これからの未来も。目を背けず、私はあなたの否定したクソガキのままで、前へ進みますわ」


 理想や希望に縋る馬鹿は淘汰され、踏みにじられる。アタイも若い頃は信じてたさ。貫く正義とは何か、裁くべき悪とは何か。分かっていたつもりだった。でもその正義感を利用され、神々の威光を利用され、悪逆の前に仲間達は倒れた。この世界は聖書に書かれている、楽園や理想郷には程遠い。意識のあるまま異形へ変えられる【天使】もいれば、自らの死を悟り、救うべき子を殺して自身も火に呑まれるエルフ族もいる。
 互いを喰い合い、神の望むように踊り、いずれ人々は己が正義を胸に争い、歴史と過ちは繰り返される。クソみてぇな生き地獄を覆そうと足掻くのも疲れた。それでも毎日だらだらと生きて酒を飲んで眠るのは、自分なりに最大限終末を楽しみたいから。
 ……セル、ウール、ゼイン。アタイはあんたらが取り締まろうとした奴らや、苦しめた奴らに媚びへつらって生かされている。それでも、あの場であんた達が身を呈してまで生かそうとした理由が、アタイには分からないよ。
 神々も【悪魔】もアタシら【天使】も、全てが滅んでまっさらになっちまえばいいのに。


「……ポラリスは昨日殺しとけばよかったな。世間知らずの甘ったるい理想や希望は、流行り病のように伝染する」

「それでも今を諦めて、他人の未来や可能性さえも潰そうとするあなたより、ずっとマシですわっ!! サリー神官、あなた――……ぁ?」

 突然口と鼻から血を吹き出し、ミーアは力なく背面へ倒れた。支えようと手を伸ばし――――正面から風を切る音――――判断――――左へ首を曲げると同時に耳元を何かがかすめ、右頬が切れる。敵影は? ……見えない。音もせず、正面の森に何かが潜んでいる様子もない。ミーアは……右脇腹と左胸の鎧に二ヶ所、直径二寸程の穴が開き、出血していた。

「おいっ、立――――」

「――――神官様。その場へ伏せることを提案します」

 背後から冷気にその場へ伏せると、頭上をレイピアが矢のように飛んで行き――――森に入る直前、何もない空中で何かに当たり砕けた。

「っ!?」

「畜生か、化生か。姿はありませぬが、【何か】が潜んでいる様子。急ぎ止血を行い、この場から離脱することを提案いたします」

 ティルレットはレイピアが砕けた方向を警戒し、新たなレイピアを作りアタイとミーアの前へ立つ。

「どういうつもりだっ!? 【悪魔】がアタイらに情けなんて――――」

「――――お急ぎを。殺気は一つに非ず」

「ちっ!! おいっ、おいっ!! くそっ!!」

 ミーアは呼吸が荒く、目が虚ろで呼びかけても反応が無い。鎧が止血の邪魔だ。留め具を外して脱がせる。当て布はミーアが携帯している鞄の中にあるが、止血用の長布は……アタイのマフラーを使おう。傷は貫通し、背面にもあった。正面とミーアの傷を交互に見ながら傷口へ当て布をし、上からマフラーを右脇腹と左胸の傷口へ通るよう巻き付け、きつく縛る。まだ感染症や失血死の可能性もある。走れば二十分ほどで街へ着くが、それまで――――左足に力が入らず、立ち上がれなかった。
 目視で確認すると左脹脛に穴が開いて血が噴き出し、骨や腱まで綺麗に持っていかれたらしい。音はしなかった。いや、集中していて聞こえなかったのかもしれない。痛みも無く直ぐ治るが、今はこの僅かな治癒の時間さえも煩わしい。

「左足、負傷」

「問題ねぇっ!! すぐ治るっ!!」

「左様で――――ふっ!!」

 ティルレットは気配を感じたのか、今度は呪詛の纏わりついた黒いレイピアを正面の一角へ投げた。砕けると同時に【何か】へ纏わりつき――――全体像が一瞬見えた。トカゲのような顔に長い首と背びれ、六本の太い足と羽毛の無い翼、渦巻き状に巻いた尻尾――――野生の中型龍か? その後、青白い炎を上げて全身が燃え上がった――――が、二・三秒燃えただけで再び景色へ溶け込み姿は見えなくなった。

「竜人族が飼育している、品種改良された龍でございましょう。炎や熱に耐性がある様子」

「【機神】騒ぎで飼い主が居なくなって野生化しやがったか……っ!! アタイはケツまくって逃げるよっ!! あとはご勝手にっ!!」

「了承」

 ミーアを抱え、完治した足で地面を蹴ってサイクロプスと【機神】の死骸の山を駆け抜け、獣道へ入る。ティルレットは振り向くことなく黒いレイピアを構えては時折投げ、周囲に潜む龍へ牽制していた。引き付けるつもりか。【悪魔】に庇われるのは不愉快だが、今は好都合だ。
 まだ息と体温はある。……頼む。頼むから、抱えてる腕の中で死んでくれるなよ。

***

 午後二十二時四十三分。血の臭いで目が覚めた。起き上がり、空いていた左隣のベッドを見ると、僕と同じ入院患者用の白い服を着て眠るミーアの姿が目に入る。正面には……狩猟会長・カインが同様の格好に左足を包帯で厚く巻いて固定され、天井のフックと布で吊り上げられた状態でこちらを見ていた。

「よぉ、起きたか司祭サマ。ったく……今日は王都兵サマも俺も厄日だぜ」

「カインさん? その足はどうされたのですか?」

 彼は天井を見上げて腕組みをし、溜め息をつく。

「……分かんねぇ。今日の狩猟中、西方面の森の獣道で【何か】に突き飛ばされて、起き上がろうとしたら足の肉が抉れて折れてた。それ以上の被害はなかったが、少し後ろを同行させてたマルセルにも犯人は見えなかったって話だ。あとは肩貸してもらって街まで戻り即入院よ。魔物共の様子を確認して罠を仕掛けて戻るだけが、とんだ土産を持たされちまった」

「それは……災難でしたね。ですが、治る範囲の怪我で済んで良かったです。近頃は新種の魔物が目撃されて、近隣の街でも死傷者が出る騒ぎにもなっていますし」

「まぁな。怪我は時間経ちゃ治るが、死んじゃ元も子もねぇ。……あんがとよ。マルセルが同行してなきゃ、今頃魔物共の餌になってるだろうさ。クッソ腹立つが、司祭サマの言ってた通りになっちまった」

「いえ、僕は――――」

「――――俺の若ぇ頃に亡くなった先々代の狩猟会長も、単独で行動してる最中に食われてる。複数人の狩りは手柄云々や誇りがどうの言う連中はまだいるが、今後しばらくは最低でも二人組ませて狩猟を行わせるつもりだ。新種やわけわんねぇ魔物が増えてきて、俺らの経験と勘も通用しねぇ。……これが時代の流れって奴なんだろうよ」

 首元を掻くカイン氏は、苦々しい表情で語った。本人もまだ決心半ばといった印象だが、身を持って経験したからこそ重要性を理解している。会長である彼が腰を据え慎重に動くとすれば、狩人の犠牲者は着実に減るだろう。喜ばしい話ではあるが、息子と共にはしばらく狩猟を行えないカイン氏本人は寂しそうに見えた。
 ……今日の午後から入院した彼なら、隣のベッドで眠るミーアが運ばれた理由を知っているだろうか?

「カインさん。僕の隣で寝ている王都の兵士さんなのですが……」

「ん? あー、俺の後に来た嬢ちゃんか? 相方の首に古傷のある女が運んできたんだ。胸と脇腹から出血してて、魔物に刺されたかとでも思ったぜ。エルフとドワーフの混血って話で、殺菌と止血・解熱・鎮痛・増血剤投与して、臓器は無事なんで縫合施術はせず自然治癒でどこまで治るか一日様子見。さっきまで相方の女と司祭サマの部下達も居たが、帰っちまったみてぇだな」

「そうですか。……僕は今夜には退院してしまいますが、容体が変わった際、彼女の事をよろしくお願いします」

「はっ!! 誰が他所者なんか――……っと言いてぇ所だが、あんたには貸しがある。足はこんなんだが、杖突いて医者の爺さん呼びつけるぐらいはできらぁ。徹夜の張り込みも慣れてる。任せとけ」

「ありがとうございます」

「聞きゃあ王都兵の嬢ちゃんも、身寄りがねぇ孤児院出身らしいじゃねぇか。喋り方は薔薇ババアと被っててムカつくが、親の愛情を知らねぇってのも酷なもんだ。王の住まう都と言っても、他種族は厳しいんかねぇ」

 背もたれ替わりの枕をずらして調整しながら、カイン氏はベッドに置いていた公報を読み始める。

「……で、司祭サマはどっちが好みなんでぇ?」

「?」

「とぼけんじゃねぇよ。何でも屋のペントラと王都兵の嬢ちゃん、どっちが好みかって話だ」

「はぁ、好み……ですか。お二人とも大切な友人なので、どちらかを選ぶというのは……」

「そうじゃねぇ。男としてどっち――――が……っ!?」

 バチリと小さな雷がカイン氏へ落ち、一瞬痙攣して気絶した。

「カインさんっ!?」

「イーヒッヒッヒッ!! 野暮ったいことを聞くもんじゃないヨッ!!」

「姐さんは司祭サマとくっつくんだよぉっ!! 一途な乙女を裏切って、どこの馬の骨とも知らねぇ女とくっつくわけねぇだろぉっ!!」

 病室の開いた窓から顔を出したのは【魔女・ベファーナ】とザガムの愛馬・エポナだ。まだ夕方だが、迎えに来てくれたらしい。

「コンバンワ、ポーラ君ッ!! 言われた通リ、睡眠はしっかりとったかイ?」

「こんばんわ、ベファーナさん、エポナさん。お迎えありがとうございます。少し早いですが、こちらの準備はできていますよ。新しい修練着も、寝ている間にアダム達が持って来てくれたようです。あの……カインさんは大丈夫ですよね?」

「ダイジョ~ブッ!! 肩こりも腰痛も意識も軽く吹っ飛ぶ程度サッ!! 【電気マッサージ】って言うらしいネ?」

 彼女の語るそれは、果たして本当に大丈夫な加減なのか。ベッドから出て手早く修練着へ着替え、その上から更に無地の灰色ローブを羽織り、出発前に眠るミーアの顔を見る。薬が効いているようで顔色は良く、寝息も穏やかだった。彼女やカイン氏へ重傷を負わせた魔物の正体も気にはなるが、今は自分自身を鍛える時だ。ベッドから垂れ下がっていた彼女の左腕を持ち上げ、傷へ響かないよう静かにベッドの上へ乗せる。

「……サリーさんは厳しくて冷たい方ですが、それは失う怖さを知っているからこそなのです。昔はきっと生真面目で、誠実な人だったのでしょう。そんな彼女にもう一度、この世界で【生きたい】と言って貰えるよう、僕は今から頑張ってきます。君と彼女の歩む未来に【天使】として、そして友として、幸多き導きがあらんことを」

 窓の傍へ戻り、窓枠の高さを利用してそのままエポナへ跨り、フードを深く被って手綱を握る。人通りの少ない道を選んで通るとはいえ、念の為顔は隠しておかねば。ザガムの姿は周囲に見当たらない……街の外か。

「よろしくお願いします、エポナさん」

「ぶるるるるぅっ!! 主殿以外を乗せんのは特別なんだからなぁっ!? あともう少し食った方がいいぜぇっ!? 軽過ぎて俺様の走りじゃ振り落とされちまうよぉっ!!」

「それと……できればもう少し、静かにお願いします」

「おぉう? すまねぇ。んじゃあキリキリ行こうぜぇ。主殿が待ってんだ」

「ザガムを含メ、君にとっても浅からぬ縁がある者達が今日の先生サ。存分に彼らから戦い方を学ぶとイイッ!!」
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