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4話
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第4話 「能力テスト」
特防課の訓練フロアは体育館じゃなかった。
重い扉を抜けた先にあったのは、学校の地下にこんなの置いていいの?ってレベルの広い空間だった。床はスポンジっぽい素材で覆われてて、跳ねすぎない程度に沈む。壁一面は装甲パネル。天井には衝撃吸収フレーム。ところどころに鉄骨の支柱と監視用のクリスタルみたいなセンサーが埋まっている。
真ん中のスペースには白いラインで四角が区切られていて、「個別トライアル」とか「複数戦対応」とか「緊急回収エリア」とか書いてある。なんだよ緊急回収エリアって。死体置き場じゃないよな? な?
「ここ、学校だよな……?」
俺がつぶやくと、黒瀬が肩を回しながら言った。
「学校だよ。“うちは安全です”って市に向けてPRするときは普通の体育館の写真使うけど、実際の体育はこっち」
「PR詐欺では?」
「生き残れりゃなんでも正義」
ですよね~ってうなずきかけて、自分で少し引いた。いや待て、価値観の崩壊が早すぎるだろ俺。
訓練フロアの端では槙村が医療系のワゴンを準備してる。消毒スプレー、止血バンド、人工血液パックみたいなもの。大量。あの量が「いつもの量」って顔してるの、あまりにも怖い。
黛はフロア中央のラインのところに立って、全員を見渡した。
「静かに始める。まずは神谷の能力確認だ」
「は、はい」
「ビビってんな」と黒瀬。
「ビビるだろ普通!?」
「いやそれはそう」
黒瀬は素直にうなずいた。そこは素直なんだ。
黛は俺の目の前に立って、落ち着いた声で説明してくる。
「神谷。お前の能力《ステータス編集》は、今のところ三系統に分かれてる。あってるか確認しろ」
「三系統?」
「一つ、敵への“弱体化”。昨日の神域体の腕に《弱点化》を付与したやつだ」
「あれは……多分いける。やろうと思えば、もう一回できる感じはある」
俺がそう言うと、黛はうなずく。
「二つ、人間+神域寄生体への“制御権上書き”。さっき廊下でやったやつだな。宿主の意識を一時的に戻した。それで生身を殺さず拘束できた」
「……あれ、怖かったけど、いけた。もう一回やれって言われたら正直気持ちの準備いるけど」
「いい。それでいい。感覚ごと覚えておけ」
黛はそこで少し言葉を区切ってから、三つ目を言った。
「そして三つ。自己編集」
……そこか。
俺は無意識に喉を鳴らした。
自己編集。それは今朝アンロックされたばかりのやつだ。ステータス画面にこう表示されている。
────────────────
自己編集 開放率:20%
効果:自分自身の一部タグを一時的に変更可能
制限:生命維持に直結する領域、致死リスクの高い変更は禁止
コスト:SP(Skill Point)
副作用:身体的負荷(反動ダメージ)
────────────────
20%。
つまり、俺の体とステータスのうち、まだ2割ぶんしか触れないってこと。逆に言うと、その2割なら、俺は自分を“書き換えられる”。
これ、普通に反則じゃないか?
いや。多分、反則だ。
だからこそ、ここでちゃんと扱い方を覚えさせられるんだろう。
黛が言う。
「今日は、それを試す」
「……何を、どのくらいまでやる感じ?」
「ギリギリまで」
「ギリギリってどのギリギリ?」
「死なないギリギリ」
「そのライン信用していいやつ!?」
「俺と槙村がいる」
槙村がビシッと手を挙げた。「はい、います。止血も気道確保も人工循環も準備OK。神谷くんが死なないよう全力サポートします。死んでも“完全に死ぬ前”ならだいたい戻せるから安心してね」
「言葉選んでくれないっ!?!?」
アイが「大丈夫だから」と俺の肩に手を置く。
その声は穏やかだけど、その指先は微妙に震えていた。
怖いのは、俺だけじゃない。
そう気づいて、少し呼吸が整った。
「……わかった。やる。やればいいんだろ」
「よし」と黛。
「黒瀬、準備」
「了解」
黒瀬はポケットから指を鳴らすみたいに手を出して、ふぅと息を吐いた。
さっきまで軽口ばっかり飛ばしてたのに、その空気が一瞬で変わる。ふざけた色が消えると、まるで別の生き物みたいだ。目が細くなる。肩の力は抜けたまま。だけど歩幅が妙にしなやかで、床を踏む音がほとんどしない。
これが、前衛アタッカー兼囮。
見るだけで納得できる。まるで、しなる刃。
「で、黒瀬は何するんだ」と俺。
「殴るよ?」
「いやお前シンプルだな」
「いやいや安心しろって神谷。殺す気はない。リーダーから“殺すな”って念押しされたし。俺、けっこう素直なんだよ?」
「お前らの“殺すな”の基準が信用ならんのよ!!」
「神谷」
黛の声が落ちる。
俺の心臓がキュッと締まった。
「こっからは模擬戦だ。黒瀬は実戦ペースで殴る。お前は自己編集を使って“耐えて”“生き残る”。いいな?」
「攻撃じゃなくて?」
「そうだ。お前が死なないことが、このチームの最優先事項だ。だからまずは“死なない”を叩き込む」
……それ、わりとグッときた。
俺は小さくうなずいた。
「了解」
黛が片手を上げ、ひとつだけ言葉を落とす。
「開始」
瞬間。
黒瀬の姿が、消えた。
いや、消えたっていうのは言いすぎだ。でも、視界からふっとズレた。目で追おうとしたときには、もうそこにいない。足音が聞こえない。代わりに、背中に風圧だけが走る。
「っ……!」
反射で振り向いた瞬間、俺の目の前に拳が迫っていた。
速い。
いや“速い”ですませていいのかこれ?
AGI7の俺でもギリで見えるくらいって、コイツほんとにレベルいくつだよ。
——間に合わない。
ガードも構えもできない。拳は俺の鳩尾(みぞおち)へ一直線。
その瞬間、俺の視界に白いウィンドウが跳ねた。
────────────────
自己編集(20%)
対象:自分
候補タグ:
[耐久一時強化:腹部装甲(簡易)] コスト:SP1 副作用:軽内出血
[痛覚鈍化:局所] コスト:SP1 副作用:反応速度低下(微)
[防御姿勢最適化:自動補正] コスト:SP2 副作用:筋肉負荷
────────────────
考えるより早く、手が動いてた。
「《自己編集:腹部装甲》!!」
瞬間、腹筋のあたりに熱が走った。
キュッと締まる感覚。表面に一瞬だけ固い板が走ったみたいな不自然な感触。
ドゴッ!!!
「がっっっっっっっっふッ!?」
鈍い音が体内から鳴った。
肺から空気が勝手に全部押し出される。視界が一瞬白く弾ける。床が歪んで見える。でも——。
折れてない。
内臓ぶちまけてない。
耐えた。
「おおー、マジで立ってる。えらいねぇ新人」
黒瀬が軽く後ろに跳んで、楽しそうに笑ってる余裕の顔がぼやけて見えた。
「痛覚鈍化使わなかったの根性だな。めっちゃ痛いでしょ今?」
「っっっ、ぅぉえっ……! ぜっ、っぜんっっ……だいじょ……ぶな、わけねぇだろが!!!!」
「だよねー!」
床に膝をつきそうになった瞬間、槙村がスッと入り込んで俺の背中に手を当てた。
「はい吸って、4カウントで吐いて。1、2、3、4。肺の圧戻してるだけだからすぐ動けるよ」
「お、おま、医療スキル持ちなん?」
「一応“医療補助(生徒用)”スキル習得済み。救命士もどき」
「もどきって名乗る範囲超えてるよなそれ!?」
呼吸が戻る。肺が動く。やばい。本当にすぐ戻った。なんだこれ。俺いま一回殺されたのでは?
黛の声が飛ぶ。
「続行」
「うぃーっす」
黒瀬がまたふっと消えた。
「っ!」
今度は横。右側。視界の端で肩が動いたのが見える。
殴りっていうか、これは打ち抜き。狙いは下顎。これ食らったら確実に意識飛ぶ。俺は条件反射で自己編集を叩く。
「《自己編集:防御姿勢最適化》!」
身体が勝手に動いた。
いや、マジで勝手に。
顎を下げ、肩をすくめ、首を少し斜めに逃がし、頬を固める。格闘ゲームのガードポーズみたいな防御姿勢を、自分の意思より一瞬早く取らされた。
その直後、黒瀬の拳が頬をかすめた。
ゴンッッ!
スパークでも見えたかと思うくらい、頭の中で星が飛んだ。
「ぐっっ……!」
でも、落ちない。
ふらつくけど、意識は飛ばなかった。
黒瀬が目を細める。
「へぇ。オートでガードと衝撃逃がすのか。お前、それ一歩まちがったら自分の首おかしな角度にしない?」
「しないで!? 頼むからしないで俺の体!!」
ウィンドウの隅に、小さく赤い文字が点滅してる。
《反動ダメージ:軽度内出血》《筋肉負荷:蓄積 12%》
体のダメージはちゃんと溜まっていってるらしい。
つまり、これは本当に“延命措置”。無限じゃない。
呼吸を整えながら、俺はひとつだけ実感してた。
——これ、攻撃にも使える。
今は防御に振ってるが、「筋力強化」とか「瞬間加速」みたいなタグもきっとあるはずだ。いざって時に一瞬だけ爆発力を引き上げられるなら、ワンパンで戦況をひっくり返せるかもしれない。
それが“自己編集20%”の意味か。
黛が俺を見る。
「SP、残りいくつだ」
「……えっと、最初10持ってて、さっき腹部装甲で1、防御姿勢で2、合計3使ったから、今7」
「よし。じゃあ攻撃を試してみよう」
「はい?????????」
攻撃。
つまり殴れってこと?
「ちょっと待って俺、まだ一発も攻撃してないんだけど」
「だから試すんだ」と黛は淡々と言う。「黒瀬、フルには来るな。殺すな。壊すな。ただし甘やかすな」
「はいよー、得意分野」
「お前の得意分野の定義が不安なんだけど」
「大丈夫だって。俺、人殺しはほんと嫌いだし」
「そこはちょっと安心……いや安心していいのかそれ?」
黒瀬は腕を回して一歩踏み込む。今度はさっきまでよりゆっくり——に見えたのは最初だけで、次の瞬間にはもう目の前。
速い。ほんと速い。
脳が「避けろ」と叫ぶ。
けど、黛の声が頭のどこかに引っかかってる。「攻撃を試す」。つまり、今逃げるんじゃない。殴る。
俺は叫ぶ。
「《自己編集:STR出力一時上昇》!!」
ウィンドウが一瞬だけ光った。
────────────────
対象:自分(上肢)
タグ変更:筋力出力+150%(3秒間)
コスト:SP2
副作用:筋繊維損傷(軽~中)
────────────────
「うおおおおおおお!!」
自分の腕じゃないみたいな重さが肩に乗る。いや、重さじゃない。圧。エンジンが肩から肘にぶち込まれたみたいな、無理やり過負荷かけた感じ。
俺はそのまま、黒瀬のガードに向けて拳を突き出した。
ドガァッ!!!
乾いた爆裂音とともに、黒瀬の体がふわっと浮いて、2メートルくらい後ろにすべった。
「っはは!! マジかよオマエ!!」
黒瀬は床をすってからクルッと後ろ足で止まり、興奮した笑顔を見せた。頬がうっすら赤くなってる。
「いいじゃんいいじゃん新人! 今のガチで効いたわ! 皮膚の下でビリビリきてんの久しぶり!」
「やった……!」
言いかけた瞬間、肩に激痛が走った。
「ッッッッッッッッ痛っっっっっっ!!?」
肩から二の腕にかけて針金で内側から引きちぎられるみたいな痛み。足がガクッと落ちる。
槙村が即座に横から支えて、俺の上腕を固定しながら手早く何かのジェルを押し当てた。
「はい固定。筋繊維の一部裂けてる。『150%』とか調子乗るからだよ神谷くん」
「こっ……これは俺のせいなのか……っ!? いや俺のせいだったわ完全に!!」
槙村はさらっと笑う。
「でもね、いいデータ取れた。今の3秒バフ、SP2でリターンかなり高い。生身のまま黒瀬押し返せるの、普通いないから」
「褒められてるのか俺」
「超褒めてる」
ちょっと嬉しい。
息を吐いて、俺は膝をつきながら状況を整理した。
・自己編集は即座に発動できる
・一時的に防御も攻撃も跳ね上げられる
・ただし反動はでかい。雑に振ると自傷
・SPは有限
つまり俺の役割は、たぶん——
「一番死んじゃいけないやつ」。
チームの中核。だから逃げ道を常に確保して、限界まで生き延びながら、必要な瞬間だけ戦場を書き換える。
これは前に立って突撃するタイプじゃない。
でも、後ろでただ隠れていい立場でもない。
……いやだなぁ。責任重いなぁ。
黛がこちらに歩いてくる。腕を組んで、俺を上から下まで観察している。
「まとめる」
「はい」
「神谷、お前は“戦線維持装置”だ」
「戦線……維持?」
「前衛が吹き飛ばされる瞬間、戦況が崩れる瞬間、その一撃だけを止めろ。その1秒耐えれば味方は立て直せる。その1秒を、お前が買うんだ」
黛の言葉は、低いのにすごくよく入ってくる。
「正直、お前の火力はまだまだ不安定だ。黒瀬を殴り返せたのは評価するが、反動がデカすぎる。連戦に耐えない。だから攻撃は現時点じゃサブ。主務は“守り”と“編集”だ」
「……編集」
「そう。お前の本命はそこだろ」
そう言って、黛は俺の目を真っすぐに見た。
「神谷、味方にも《編集》は使えるんだろう?」
心臓がひとつ、跳ねた。
昨日までは「敵の装甲を紙にするとか」「寄生に奪われた意識を戻す」とか、そういうことばかり意識してた。でも今朝のシステム更新で、ひとつ増えていた機能がある。
《リンク共有》
“仲間”を対象に、限定的な編集が可能
※強化方向のみ
これ、つまり。
「俺、味方を強化できる……かもしれない」
「そうだ」
黛が口角だけで笑った。それは珍しい笑みだった。
「それが、特防課2-Bの生存率を跳ね上げる」
黒瀬がニヤニヤしながら手を挙げる。
「じゃあまず俺にくれよ。なんかこう、“回避率+500%”とか“致命傷ぜんぶノーカン”とかでいいよ?」
「いやそれ俺のSPどんだけ持ってくつもりなの!? あと致命傷ノーカンって何!?」
「欲しいじゃん?」
「欲望が重い!」
アイがスッと割り込んでくる。
「蓮。試すなら……私にして」
「えっ」
反射的に声が裏返った。今の“えっ”は情けなかった自覚がある。
「お、お前、いやアイ、おま、なんで?」
アイは一瞬だけ視線を落とした。それから、まっすぐ俺を見る。
「私が一番、前に出るから」
黛も黙って頷いた。黒瀬も異論なし、って顔をして肩をすくめる。槙村は「はいメディカル準備」とタブレットを構える。
……そうだ。
アイは、黛の指揮があっても、一番最初に飛び出す。
誰かが傷つく前に自分が壁になるタイプだ。俺はもうそれを知ってる。
だったら。
「わかった。やる」
俺はアイの前に立った。
彼女は少しだけ息をのみ、胸の前で両手をぎゅっと握る。
「触れていい?」
「う、うん」
「あ、いや今の変な意味じゃなくて編集の対象指定的な意味で!!?」
「わかってるよ蓮!?!? こっちもそういうテンションじゃないからね!?!?」
黒瀬「青春だ~」
槙村「ログっとこ」
黛「黙れ二人」
二人「はい」
……やかましい。
俺はアイの肩にそっと手を置く。
——その瞬間、目の前に白いウィンドウが展開した。
────────────────
対象:月城アイ
ステータス(簡易):
STR:6 / AGI:8 / VIT:6 / INT:5 / LUK:4
戦闘役割タグ:前衛遮断/即応防衛
変更可能な強化タグ(リンク共有/SP消費):
[反応速度ブースト(瞬間)] コスト:SP2 効果3秒 副作用:反動疲労
[局所防御強化(上半身)] コスト:SP1 効果10秒 副作用:打撲痛移転
[視界認識補正(危険予測)] コスト:SP2 効果15秒 副作用:頭痛
────────────────
……見える。
こわいくらい見える。
数字だけじゃない。タグっていうか“役割”まで見える。「前衛遮断/即応防衛」。——ああそうだ。こいつはそういうやつだ。俺のために、学校のために、迷いなく前に出て世界そのものに「違う」って言い返すやつだ。
喉の奥が少し熱くなる。
俺は迷わずひとつ選んだ。
「《視界認識補正(危険予測)》、付与」
ピッ。
ほんの小さな音がした気がした。
ウィンドウに「SP -2」と表示され、俺のSPは7から5になった。
同時に、アイの目が揺れる。
「っ……! え、なにこれ、すご……っ、頭の中に——」
「どうした、痛いか?」俺は慌てる。
「痛くない。ちょっとズキってするけど、それより……」
アイはゆっくり瞬きして、フロアを見渡す。
その表情が、一瞬で変わった。
今まで“反射で体が動くタイプ”って感じだったアイが、違う目をした。完全に、戦場を俯瞰してる目だ。視線の動きがぜんぜん違う。さっきまで見えてなかった死角を、ちゃんと計算で把握してる。
「……動きのラインが、わかる……。黒瀬が来るとしたらここ、黛先輩が一歩踏むとしたらそこ。槙村の退避動線ここ。——やば。何これ、マジで未来わかるみたいなんだけど」
「未来視ってほど正確じゃない」と槙村が冷静に入る。「多分、“危険な動き”に色がついて強調されてるだけ。脳のパターン認識を強制でブーストさせてんの。代償に頭痛。たぶん後でガンガンくるから覚悟して」
「いい。こんなの、いくらでも我慢できる」
アイは深く息を吸って、笑った。
「これで、もっと守れる」
……。
胸が、キュッとなった。
やばいなこれ。普通に惚れるやつだろ。いや落ち着け蓮、今は戦力評価のターン。
黛が短く指を鳴らした。
「黒瀬、アイに接近戦。殺すな」
「うぃー」
「だから殺すなって言ってんだろ」
「わかってるよぉリーダー。俺だって推しメンは大事にするし?」
「誰が推しメンだお前殺すぞ」とアイ。
次の瞬間、黒瀬が一気に踏み込んだ。
さっきの速さ。そのまま。
いや、さっきよりさらに速い。床との接地が軽い。これ見える人間、そうそういないだろってレベル。
でも——アイは、動けた。
ふっと半歩引き、黒瀬の軌道をずらすように腕を差し込む。まるでそこに黒瀬が来るのを、最初から知っていたみたいに。ギリギリで最小の角度。最小の距離。なのに完璧に軌道を外してる。
「っはは!? マジ!? いきなりこれか!?」
黒瀬が笑いながら、今度は低くしゃがんで蹴りを回す。床をえぐるような低いスイープ。普通なら避けきれないタイミングの蹴り——を、アイは膝をたたんでぎりぎりで浮くようにかわして、逆に黒瀬の肩口に肘を押し当て、体勢だけ奪った。
バランスが、黒瀬から一瞬だけ奪われる。
「こっわ!? これ、普通に実戦でやられたら俺死んでんじゃん!」
「死なない程度にしてる!」
「優しい~!」
二人の動きは超速いのに、楽しそうで、しかもアイは転ばない。まるでずっとこの反応速度だったみたいに動いてる。
いや違う。
俺の力が、あいつを強くしてる。
俺、いま、仲間を強化した。
自分のためじゃなくて、仲間のために。
うわ、やべぇ。
これめっちゃ気持ちいいじゃん。
黛が腕を組んだまま、静かにうなずいた。
「神谷。いいな」
「いけるか?」
「いける。お前はこのチームの“バフ役”だ。神殺し候補にして、生存維持装置にして、戦線補強用支援機構。唯一無二だ」
「肩書き盛りすぎて名刺に入らんのだけど」
「その肩書きごと守る。それが俺たちの役目だ」
黛はそう言って、ほんのわずかに口角を上げた。
「ようこそ、正式に。お前はもう特防課2-Bの戦力だ」
言葉が喉の奥につっかえた。
返事しようとして、一瞬だけ声が震えた。
「……ありがとな」
その時だった。
訓練フロアの天井にあるクリスタル状のセンサーが、一斉にピキッと赤く光った。
警告音でもサイレンでもない。もっと低い、耳の奥だけを叩くような振動。
空気が、ほんの少しだけ冷たくなる。
槙村が顔を上げる。「え、外部接続? なんで今——」
「待って。警報システムじゃない。これ、違う」
アイの声が低くなる。
フロアの中央、俺たちの前の空間が、ゆっくりと揺れた。
そこは何もないはずの空気だった。
でも、見える。そこだけ空気の密度が変わる。水面が光を歪ませるみたいに、輪郭がぶれていく。
……これ、見覚えがある。
昨日、俺たちの教室に現れた“裂け目”。
そこから、細いヒールの音がした。
コツ。
コツ。
女が、現れた。
年齢は……二十歳前後くらいに見える。大人の女って感じというより、大学生って言われたら信じる、でも高校生には絶対見えない、そんなラインの雰囲気。髪は長い白銀。色素が薄いわけじゃなくて、ほんとうに光を吸わない感じの白。肌は病的に白いのに、どこにも弱い感じがない。瞳だけが、深い赤。宝石みたいな赤。
制服じゃない。黒いワンピースに、薄いコート。
でも首元には見慣れたものがあった。
——管理局の識別チップ。
なのに、雰囲気は管理局の人間とはまるで違う。冷たいようでいて、どこか柔らかい。笑ってるわけでもないのに、空気が吸い寄せられるみたいな存在感。
黛が即座にアイたちを後ろに下げる。
「全員、後退。戦闘態勢。ただし不用意に攻撃するな」
黒瀬が小声で囁く。「……あれ、やばいやつ?」
槙村が青ざめながらうなずく。「私の知識ベースに該当なし。つまり機密レベルS以上。つまりやばいやつ」
その女は、俺をまっすぐ見た。
そして、微笑んだ。
「やっと会えた」
声はやわらかい。落ち着いていて、揺らぎがない。
耳に気持ちよく入ってくるのに、背骨の奥だけは本能的に冷える。そんな声だ。
女はゆっくりと片手を持ち上げた。敵意は見せない。ただ、差し出すみたいに。
「はじめまして、神谷 蓮くん。私は“神側”の交渉担当よ」
訓練フロアの空気が、一瞬で凍りついた。
“神側”。
女は続ける。俺から視線を外さないまま。
「——あなたをスカウトしに来たの」
(第4話 終)
特防課の訓練フロアは体育館じゃなかった。
重い扉を抜けた先にあったのは、学校の地下にこんなの置いていいの?ってレベルの広い空間だった。床はスポンジっぽい素材で覆われてて、跳ねすぎない程度に沈む。壁一面は装甲パネル。天井には衝撃吸収フレーム。ところどころに鉄骨の支柱と監視用のクリスタルみたいなセンサーが埋まっている。
真ん中のスペースには白いラインで四角が区切られていて、「個別トライアル」とか「複数戦対応」とか「緊急回収エリア」とか書いてある。なんだよ緊急回収エリアって。死体置き場じゃないよな? な?
「ここ、学校だよな……?」
俺がつぶやくと、黒瀬が肩を回しながら言った。
「学校だよ。“うちは安全です”って市に向けてPRするときは普通の体育館の写真使うけど、実際の体育はこっち」
「PR詐欺では?」
「生き残れりゃなんでも正義」
ですよね~ってうなずきかけて、自分で少し引いた。いや待て、価値観の崩壊が早すぎるだろ俺。
訓練フロアの端では槙村が医療系のワゴンを準備してる。消毒スプレー、止血バンド、人工血液パックみたいなもの。大量。あの量が「いつもの量」って顔してるの、あまりにも怖い。
黛はフロア中央のラインのところに立って、全員を見渡した。
「静かに始める。まずは神谷の能力確認だ」
「は、はい」
「ビビってんな」と黒瀬。
「ビビるだろ普通!?」
「いやそれはそう」
黒瀬は素直にうなずいた。そこは素直なんだ。
黛は俺の目の前に立って、落ち着いた声で説明してくる。
「神谷。お前の能力《ステータス編集》は、今のところ三系統に分かれてる。あってるか確認しろ」
「三系統?」
「一つ、敵への“弱体化”。昨日の神域体の腕に《弱点化》を付与したやつだ」
「あれは……多分いける。やろうと思えば、もう一回できる感じはある」
俺がそう言うと、黛はうなずく。
「二つ、人間+神域寄生体への“制御権上書き”。さっき廊下でやったやつだな。宿主の意識を一時的に戻した。それで生身を殺さず拘束できた」
「……あれ、怖かったけど、いけた。もう一回やれって言われたら正直気持ちの準備いるけど」
「いい。それでいい。感覚ごと覚えておけ」
黛はそこで少し言葉を区切ってから、三つ目を言った。
「そして三つ。自己編集」
……そこか。
俺は無意識に喉を鳴らした。
自己編集。それは今朝アンロックされたばかりのやつだ。ステータス画面にこう表示されている。
────────────────
自己編集 開放率:20%
効果:自分自身の一部タグを一時的に変更可能
制限:生命維持に直結する領域、致死リスクの高い変更は禁止
コスト:SP(Skill Point)
副作用:身体的負荷(反動ダメージ)
────────────────
20%。
つまり、俺の体とステータスのうち、まだ2割ぶんしか触れないってこと。逆に言うと、その2割なら、俺は自分を“書き換えられる”。
これ、普通に反則じゃないか?
いや。多分、反則だ。
だからこそ、ここでちゃんと扱い方を覚えさせられるんだろう。
黛が言う。
「今日は、それを試す」
「……何を、どのくらいまでやる感じ?」
「ギリギリまで」
「ギリギリってどのギリギリ?」
「死なないギリギリ」
「そのライン信用していいやつ!?」
「俺と槙村がいる」
槙村がビシッと手を挙げた。「はい、います。止血も気道確保も人工循環も準備OK。神谷くんが死なないよう全力サポートします。死んでも“完全に死ぬ前”ならだいたい戻せるから安心してね」
「言葉選んでくれないっ!?!?」
アイが「大丈夫だから」と俺の肩に手を置く。
その声は穏やかだけど、その指先は微妙に震えていた。
怖いのは、俺だけじゃない。
そう気づいて、少し呼吸が整った。
「……わかった。やる。やればいいんだろ」
「よし」と黛。
「黒瀬、準備」
「了解」
黒瀬はポケットから指を鳴らすみたいに手を出して、ふぅと息を吐いた。
さっきまで軽口ばっかり飛ばしてたのに、その空気が一瞬で変わる。ふざけた色が消えると、まるで別の生き物みたいだ。目が細くなる。肩の力は抜けたまま。だけど歩幅が妙にしなやかで、床を踏む音がほとんどしない。
これが、前衛アタッカー兼囮。
見るだけで納得できる。まるで、しなる刃。
「で、黒瀬は何するんだ」と俺。
「殴るよ?」
「いやお前シンプルだな」
「いやいや安心しろって神谷。殺す気はない。リーダーから“殺すな”って念押しされたし。俺、けっこう素直なんだよ?」
「お前らの“殺すな”の基準が信用ならんのよ!!」
「神谷」
黛の声が落ちる。
俺の心臓がキュッと締まった。
「こっからは模擬戦だ。黒瀬は実戦ペースで殴る。お前は自己編集を使って“耐えて”“生き残る”。いいな?」
「攻撃じゃなくて?」
「そうだ。お前が死なないことが、このチームの最優先事項だ。だからまずは“死なない”を叩き込む」
……それ、わりとグッときた。
俺は小さくうなずいた。
「了解」
黛が片手を上げ、ひとつだけ言葉を落とす。
「開始」
瞬間。
黒瀬の姿が、消えた。
いや、消えたっていうのは言いすぎだ。でも、視界からふっとズレた。目で追おうとしたときには、もうそこにいない。足音が聞こえない。代わりに、背中に風圧だけが走る。
「っ……!」
反射で振り向いた瞬間、俺の目の前に拳が迫っていた。
速い。
いや“速い”ですませていいのかこれ?
AGI7の俺でもギリで見えるくらいって、コイツほんとにレベルいくつだよ。
——間に合わない。
ガードも構えもできない。拳は俺の鳩尾(みぞおち)へ一直線。
その瞬間、俺の視界に白いウィンドウが跳ねた。
────────────────
自己編集(20%)
対象:自分
候補タグ:
[耐久一時強化:腹部装甲(簡易)] コスト:SP1 副作用:軽内出血
[痛覚鈍化:局所] コスト:SP1 副作用:反応速度低下(微)
[防御姿勢最適化:自動補正] コスト:SP2 副作用:筋肉負荷
────────────────
考えるより早く、手が動いてた。
「《自己編集:腹部装甲》!!」
瞬間、腹筋のあたりに熱が走った。
キュッと締まる感覚。表面に一瞬だけ固い板が走ったみたいな不自然な感触。
ドゴッ!!!
「がっっっっっっっっふッ!?」
鈍い音が体内から鳴った。
肺から空気が勝手に全部押し出される。視界が一瞬白く弾ける。床が歪んで見える。でも——。
折れてない。
内臓ぶちまけてない。
耐えた。
「おおー、マジで立ってる。えらいねぇ新人」
黒瀬が軽く後ろに跳んで、楽しそうに笑ってる余裕の顔がぼやけて見えた。
「痛覚鈍化使わなかったの根性だな。めっちゃ痛いでしょ今?」
「っっっ、ぅぉえっ……! ぜっ、っぜんっっ……だいじょ……ぶな、わけねぇだろが!!!!」
「だよねー!」
床に膝をつきそうになった瞬間、槙村がスッと入り込んで俺の背中に手を当てた。
「はい吸って、4カウントで吐いて。1、2、3、4。肺の圧戻してるだけだからすぐ動けるよ」
「お、おま、医療スキル持ちなん?」
「一応“医療補助(生徒用)”スキル習得済み。救命士もどき」
「もどきって名乗る範囲超えてるよなそれ!?」
呼吸が戻る。肺が動く。やばい。本当にすぐ戻った。なんだこれ。俺いま一回殺されたのでは?
黛の声が飛ぶ。
「続行」
「うぃーっす」
黒瀬がまたふっと消えた。
「っ!」
今度は横。右側。視界の端で肩が動いたのが見える。
殴りっていうか、これは打ち抜き。狙いは下顎。これ食らったら確実に意識飛ぶ。俺は条件反射で自己編集を叩く。
「《自己編集:防御姿勢最適化》!」
身体が勝手に動いた。
いや、マジで勝手に。
顎を下げ、肩をすくめ、首を少し斜めに逃がし、頬を固める。格闘ゲームのガードポーズみたいな防御姿勢を、自分の意思より一瞬早く取らされた。
その直後、黒瀬の拳が頬をかすめた。
ゴンッッ!
スパークでも見えたかと思うくらい、頭の中で星が飛んだ。
「ぐっっ……!」
でも、落ちない。
ふらつくけど、意識は飛ばなかった。
黒瀬が目を細める。
「へぇ。オートでガードと衝撃逃がすのか。お前、それ一歩まちがったら自分の首おかしな角度にしない?」
「しないで!? 頼むからしないで俺の体!!」
ウィンドウの隅に、小さく赤い文字が点滅してる。
《反動ダメージ:軽度内出血》《筋肉負荷:蓄積 12%》
体のダメージはちゃんと溜まっていってるらしい。
つまり、これは本当に“延命措置”。無限じゃない。
呼吸を整えながら、俺はひとつだけ実感してた。
——これ、攻撃にも使える。
今は防御に振ってるが、「筋力強化」とか「瞬間加速」みたいなタグもきっとあるはずだ。いざって時に一瞬だけ爆発力を引き上げられるなら、ワンパンで戦況をひっくり返せるかもしれない。
それが“自己編集20%”の意味か。
黛が俺を見る。
「SP、残りいくつだ」
「……えっと、最初10持ってて、さっき腹部装甲で1、防御姿勢で2、合計3使ったから、今7」
「よし。じゃあ攻撃を試してみよう」
「はい?????????」
攻撃。
つまり殴れってこと?
「ちょっと待って俺、まだ一発も攻撃してないんだけど」
「だから試すんだ」と黛は淡々と言う。「黒瀬、フルには来るな。殺すな。壊すな。ただし甘やかすな」
「はいよー、得意分野」
「お前の得意分野の定義が不安なんだけど」
「大丈夫だって。俺、人殺しはほんと嫌いだし」
「そこはちょっと安心……いや安心していいのかそれ?」
黒瀬は腕を回して一歩踏み込む。今度はさっきまでよりゆっくり——に見えたのは最初だけで、次の瞬間にはもう目の前。
速い。ほんと速い。
脳が「避けろ」と叫ぶ。
けど、黛の声が頭のどこかに引っかかってる。「攻撃を試す」。つまり、今逃げるんじゃない。殴る。
俺は叫ぶ。
「《自己編集:STR出力一時上昇》!!」
ウィンドウが一瞬だけ光った。
────────────────
対象:自分(上肢)
タグ変更:筋力出力+150%(3秒間)
コスト:SP2
副作用:筋繊維損傷(軽~中)
────────────────
「うおおおおおおお!!」
自分の腕じゃないみたいな重さが肩に乗る。いや、重さじゃない。圧。エンジンが肩から肘にぶち込まれたみたいな、無理やり過負荷かけた感じ。
俺はそのまま、黒瀬のガードに向けて拳を突き出した。
ドガァッ!!!
乾いた爆裂音とともに、黒瀬の体がふわっと浮いて、2メートルくらい後ろにすべった。
「っはは!! マジかよオマエ!!」
黒瀬は床をすってからクルッと後ろ足で止まり、興奮した笑顔を見せた。頬がうっすら赤くなってる。
「いいじゃんいいじゃん新人! 今のガチで効いたわ! 皮膚の下でビリビリきてんの久しぶり!」
「やった……!」
言いかけた瞬間、肩に激痛が走った。
「ッッッッッッッッ痛っっっっっっ!!?」
肩から二の腕にかけて針金で内側から引きちぎられるみたいな痛み。足がガクッと落ちる。
槙村が即座に横から支えて、俺の上腕を固定しながら手早く何かのジェルを押し当てた。
「はい固定。筋繊維の一部裂けてる。『150%』とか調子乗るからだよ神谷くん」
「こっ……これは俺のせいなのか……っ!? いや俺のせいだったわ完全に!!」
槙村はさらっと笑う。
「でもね、いいデータ取れた。今の3秒バフ、SP2でリターンかなり高い。生身のまま黒瀬押し返せるの、普通いないから」
「褒められてるのか俺」
「超褒めてる」
ちょっと嬉しい。
息を吐いて、俺は膝をつきながら状況を整理した。
・自己編集は即座に発動できる
・一時的に防御も攻撃も跳ね上げられる
・ただし反動はでかい。雑に振ると自傷
・SPは有限
つまり俺の役割は、たぶん——
「一番死んじゃいけないやつ」。
チームの中核。だから逃げ道を常に確保して、限界まで生き延びながら、必要な瞬間だけ戦場を書き換える。
これは前に立って突撃するタイプじゃない。
でも、後ろでただ隠れていい立場でもない。
……いやだなぁ。責任重いなぁ。
黛がこちらに歩いてくる。腕を組んで、俺を上から下まで観察している。
「まとめる」
「はい」
「神谷、お前は“戦線維持装置”だ」
「戦線……維持?」
「前衛が吹き飛ばされる瞬間、戦況が崩れる瞬間、その一撃だけを止めろ。その1秒耐えれば味方は立て直せる。その1秒を、お前が買うんだ」
黛の言葉は、低いのにすごくよく入ってくる。
「正直、お前の火力はまだまだ不安定だ。黒瀬を殴り返せたのは評価するが、反動がデカすぎる。連戦に耐えない。だから攻撃は現時点じゃサブ。主務は“守り”と“編集”だ」
「……編集」
「そう。お前の本命はそこだろ」
そう言って、黛は俺の目を真っすぐに見た。
「神谷、味方にも《編集》は使えるんだろう?」
心臓がひとつ、跳ねた。
昨日までは「敵の装甲を紙にするとか」「寄生に奪われた意識を戻す」とか、そういうことばかり意識してた。でも今朝のシステム更新で、ひとつ増えていた機能がある。
《リンク共有》
“仲間”を対象に、限定的な編集が可能
※強化方向のみ
これ、つまり。
「俺、味方を強化できる……かもしれない」
「そうだ」
黛が口角だけで笑った。それは珍しい笑みだった。
「それが、特防課2-Bの生存率を跳ね上げる」
黒瀬がニヤニヤしながら手を挙げる。
「じゃあまず俺にくれよ。なんかこう、“回避率+500%”とか“致命傷ぜんぶノーカン”とかでいいよ?」
「いやそれ俺のSPどんだけ持ってくつもりなの!? あと致命傷ノーカンって何!?」
「欲しいじゃん?」
「欲望が重い!」
アイがスッと割り込んでくる。
「蓮。試すなら……私にして」
「えっ」
反射的に声が裏返った。今の“えっ”は情けなかった自覚がある。
「お、お前、いやアイ、おま、なんで?」
アイは一瞬だけ視線を落とした。それから、まっすぐ俺を見る。
「私が一番、前に出るから」
黛も黙って頷いた。黒瀬も異論なし、って顔をして肩をすくめる。槙村は「はいメディカル準備」とタブレットを構える。
……そうだ。
アイは、黛の指揮があっても、一番最初に飛び出す。
誰かが傷つく前に自分が壁になるタイプだ。俺はもうそれを知ってる。
だったら。
「わかった。やる」
俺はアイの前に立った。
彼女は少しだけ息をのみ、胸の前で両手をぎゅっと握る。
「触れていい?」
「う、うん」
「あ、いや今の変な意味じゃなくて編集の対象指定的な意味で!!?」
「わかってるよ蓮!?!? こっちもそういうテンションじゃないからね!?!?」
黒瀬「青春だ~」
槙村「ログっとこ」
黛「黙れ二人」
二人「はい」
……やかましい。
俺はアイの肩にそっと手を置く。
——その瞬間、目の前に白いウィンドウが展開した。
────────────────
対象:月城アイ
ステータス(簡易):
STR:6 / AGI:8 / VIT:6 / INT:5 / LUK:4
戦闘役割タグ:前衛遮断/即応防衛
変更可能な強化タグ(リンク共有/SP消費):
[反応速度ブースト(瞬間)] コスト:SP2 効果3秒 副作用:反動疲労
[局所防御強化(上半身)] コスト:SP1 効果10秒 副作用:打撲痛移転
[視界認識補正(危険予測)] コスト:SP2 効果15秒 副作用:頭痛
────────────────
……見える。
こわいくらい見える。
数字だけじゃない。タグっていうか“役割”まで見える。「前衛遮断/即応防衛」。——ああそうだ。こいつはそういうやつだ。俺のために、学校のために、迷いなく前に出て世界そのものに「違う」って言い返すやつだ。
喉の奥が少し熱くなる。
俺は迷わずひとつ選んだ。
「《視界認識補正(危険予測)》、付与」
ピッ。
ほんの小さな音がした気がした。
ウィンドウに「SP -2」と表示され、俺のSPは7から5になった。
同時に、アイの目が揺れる。
「っ……! え、なにこれ、すご……っ、頭の中に——」
「どうした、痛いか?」俺は慌てる。
「痛くない。ちょっとズキってするけど、それより……」
アイはゆっくり瞬きして、フロアを見渡す。
その表情が、一瞬で変わった。
今まで“反射で体が動くタイプ”って感じだったアイが、違う目をした。完全に、戦場を俯瞰してる目だ。視線の動きがぜんぜん違う。さっきまで見えてなかった死角を、ちゃんと計算で把握してる。
「……動きのラインが、わかる……。黒瀬が来るとしたらここ、黛先輩が一歩踏むとしたらそこ。槙村の退避動線ここ。——やば。何これ、マジで未来わかるみたいなんだけど」
「未来視ってほど正確じゃない」と槙村が冷静に入る。「多分、“危険な動き”に色がついて強調されてるだけ。脳のパターン認識を強制でブーストさせてんの。代償に頭痛。たぶん後でガンガンくるから覚悟して」
「いい。こんなの、いくらでも我慢できる」
アイは深く息を吸って、笑った。
「これで、もっと守れる」
……。
胸が、キュッとなった。
やばいなこれ。普通に惚れるやつだろ。いや落ち着け蓮、今は戦力評価のターン。
黛が短く指を鳴らした。
「黒瀬、アイに接近戦。殺すな」
「うぃー」
「だから殺すなって言ってんだろ」
「わかってるよぉリーダー。俺だって推しメンは大事にするし?」
「誰が推しメンだお前殺すぞ」とアイ。
次の瞬間、黒瀬が一気に踏み込んだ。
さっきの速さ。そのまま。
いや、さっきよりさらに速い。床との接地が軽い。これ見える人間、そうそういないだろってレベル。
でも——アイは、動けた。
ふっと半歩引き、黒瀬の軌道をずらすように腕を差し込む。まるでそこに黒瀬が来るのを、最初から知っていたみたいに。ギリギリで最小の角度。最小の距離。なのに完璧に軌道を外してる。
「っはは!? マジ!? いきなりこれか!?」
黒瀬が笑いながら、今度は低くしゃがんで蹴りを回す。床をえぐるような低いスイープ。普通なら避けきれないタイミングの蹴り——を、アイは膝をたたんでぎりぎりで浮くようにかわして、逆に黒瀬の肩口に肘を押し当て、体勢だけ奪った。
バランスが、黒瀬から一瞬だけ奪われる。
「こっわ!? これ、普通に実戦でやられたら俺死んでんじゃん!」
「死なない程度にしてる!」
「優しい~!」
二人の動きは超速いのに、楽しそうで、しかもアイは転ばない。まるでずっとこの反応速度だったみたいに動いてる。
いや違う。
俺の力が、あいつを強くしてる。
俺、いま、仲間を強化した。
自分のためじゃなくて、仲間のために。
うわ、やべぇ。
これめっちゃ気持ちいいじゃん。
黛が腕を組んだまま、静かにうなずいた。
「神谷。いいな」
「いけるか?」
「いける。お前はこのチームの“バフ役”だ。神殺し候補にして、生存維持装置にして、戦線補強用支援機構。唯一無二だ」
「肩書き盛りすぎて名刺に入らんのだけど」
「その肩書きごと守る。それが俺たちの役目だ」
黛はそう言って、ほんのわずかに口角を上げた。
「ようこそ、正式に。お前はもう特防課2-Bの戦力だ」
言葉が喉の奥につっかえた。
返事しようとして、一瞬だけ声が震えた。
「……ありがとな」
その時だった。
訓練フロアの天井にあるクリスタル状のセンサーが、一斉にピキッと赤く光った。
警告音でもサイレンでもない。もっと低い、耳の奥だけを叩くような振動。
空気が、ほんの少しだけ冷たくなる。
槙村が顔を上げる。「え、外部接続? なんで今——」
「待って。警報システムじゃない。これ、違う」
アイの声が低くなる。
フロアの中央、俺たちの前の空間が、ゆっくりと揺れた。
そこは何もないはずの空気だった。
でも、見える。そこだけ空気の密度が変わる。水面が光を歪ませるみたいに、輪郭がぶれていく。
……これ、見覚えがある。
昨日、俺たちの教室に現れた“裂け目”。
そこから、細いヒールの音がした。
コツ。
コツ。
女が、現れた。
年齢は……二十歳前後くらいに見える。大人の女って感じというより、大学生って言われたら信じる、でも高校生には絶対見えない、そんなラインの雰囲気。髪は長い白銀。色素が薄いわけじゃなくて、ほんとうに光を吸わない感じの白。肌は病的に白いのに、どこにも弱い感じがない。瞳だけが、深い赤。宝石みたいな赤。
制服じゃない。黒いワンピースに、薄いコート。
でも首元には見慣れたものがあった。
——管理局の識別チップ。
なのに、雰囲気は管理局の人間とはまるで違う。冷たいようでいて、どこか柔らかい。笑ってるわけでもないのに、空気が吸い寄せられるみたいな存在感。
黛が即座にアイたちを後ろに下げる。
「全員、後退。戦闘態勢。ただし不用意に攻撃するな」
黒瀬が小声で囁く。「……あれ、やばいやつ?」
槙村が青ざめながらうなずく。「私の知識ベースに該当なし。つまり機密レベルS以上。つまりやばいやつ」
その女は、俺をまっすぐ見た。
そして、微笑んだ。
「やっと会えた」
声はやわらかい。落ち着いていて、揺らぎがない。
耳に気持ちよく入ってくるのに、背骨の奥だけは本能的に冷える。そんな声だ。
女はゆっくりと片手を持ち上げた。敵意は見せない。ただ、差し出すみたいに。
「はじめまして、神谷 蓮くん。私は“神側”の交渉担当よ」
訓練フロアの空気が、一瞬で凍りついた。
“神側”。
女は続ける。俺から視線を外さないまま。
「——あなたをスカウトしに来たの」
(第4話 終)
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