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稼業・悪役令嬢
プディング大作戦
しおりを挟む「庭園の椿が綺麗に咲いたので」という理由でお茶会に誘われたのは、ちらちらと雪の降る頃だった。
庭に面したサロンは日差しをたっぷりと取り込めるようガラス張りになっており、さながら温室のように暖かい。
香り高いダージリンの紅茶を口に運びながら、アイリスはふと、冬の路上にもこんな場所があったら生き延びる孤児が増えるのになと思った。
「楽しんでおりますか? アイリスさま」
声をかけてきたのは、お茶会の主人を勤めるカメリア・エレガンス・マルゴー伯爵令嬢だ。
マルゴー家は交易の盛んな場所に領地を持っており、椿も遠く東の国から輸入したという。
ちなみにカメリアは椿の別名だ。
この辺り一帯の国々では女性の名前には花の名を、男性の名前には石の名をつける風習があり、ミドルネームには母の名を、ラストネームには家名をつけるのが一般的であった。
「ご招待いただきありがとうございます。素敵なお茶会になりましたわね」
そつなく褒めると、カメリアが嬉しそうに頷いた。
「晴天に恵まれたおかげでサロンもうまく機能いたしました。アイリスさま、大椿はもうご覧になって?」
「いえ、まだ……」
「あら、いけませんわ。ぜひ見ていただかなくちゃ。こちらへどうぞ」
アイリスの手を取って、カメリアが離席を促す。
飲みかけのカップを慌ててソーサーに戻すと、アイリスは手を引かれるままカメリアの後を追った。
「ご覧ください。あれが我が家自慢の椿です」
カメリアが示したのはサロンの正面に植えられた一本の大樹だった。
大きく張り出した枝葉にたくさんの赤い花が咲いている。
……が、最も目を引くのは真下に広がる光景だ。
「みごとでしょう? 落ちた椿がまるで赤い絨毯のようで、あたくしあれが大好きですの」
──血溜まりみたいだ。
飲み込んだ言葉と同時に、アイリスの脳裏に幼い日の記憶が蘇った。
音もなく落ちたのは、アイリスを可愛がっていた年上のVの首だった。
つい今し方まで「死にたくない」と喚いていた口が沈黙し、「助けて」と縋っていた瞳が光を失う。
あまりのことに口も聞けずに震えていると、血のついた剣を拭いながら紳士が言った。
──立派な悪役として任務を完遂したVは、『国外追放』され望むだけの大金と自由を手にすることができる。しかし逃げ出したり、正体を知られたVはこうして処分されるのだ。
死にたくなければ励め、と残した紳士の声が心の深いところにこびりつく。
姉のように世話を焼いてくれた美しい彼女の目尻から涙が溢れていて、広がる血液とともに、まるでこの世にしがみ付こうとしているようだった。
「アイリスさま」
袖を引かれてはっとする。
見ると、カメリアがこちらを覗き込んでいた。
「大丈夫ですか? お顔の色が悪いみたい」
「あら……」
扇を使って顔を半分隠す。
表情を隠すこのアイテムは何かと使い勝手がいい。
「昨晩気になる本を読み耽っていたせいかしら。寝不足が祟ったのかもしれませんわね。お恥ずかしいことです」
「そうですか……」
どこか落ち着かない様子で、カメリアがちらりと後方を気にした。
「その、あたくしがシャルロットさまをお呼びしたのを怒っていらっしゃるのではないのですね?」
ああ、なるほど。
そういうことかと得心する。
「マルゴー家が他貴族との交流を重じているのは承知しておりますわ。ルチル王子の婚約者候補としてお名前の挙がっているシャルロットさまを捨て置くことはできないでしょう」
「いいえ、ルチル王子の婚約者に選ばれるのはアイリスさまです」
必死に言い募るのは、カメリアがアイリスの取り巻きだからだ。
つまりマルゴー家としてはアイリスにベットしている状態だが、同時にシャルロットとも繋がりを持ち、保険をかけておきたいということだろう。
「気にしてませんわ。それとも私、そんなに狭量に見えて?」
「いいえ……! そんなことは」
「では、このお話はこれでおしまい」
微笑んで話を切り上げる。
と、シャルロットの席から歓声が上がるのが聞こえた。
「まあ、シャルロットさまったらお可愛らしい……!」
「名ばかりではなく本当にルチル殿下をお慕いしていらっしゃるなんて」
テーブルについているのは先日の舞踏会でシャルロットに声をかけていたローズ、ジャスミン、エニスダだ。
三方向から熱い視線を注がれて、シャルロットは真っ赤になっていた。
「そ、その……殿下には内緒にしてください」
「どうしてですの。そういうことはお耳に入るよう動いたほうがよろしいですわ」
「そうです、そうです。貴族の婚姻に当人同士の自由意志はございませんが、お相手に恋できるなんて素敵ですわ」
「ルチル殿下のご寵愛をいただければなお素敵だわ。ご好意はお伝えすべきです」
うう、と呻いてシャルロットが両手で顔を覆う。
手にした扇を広げることも忘れているようだ。
彼女がルチルに淡い恋心を抱いていることは、アイリスも知っていた。
専属となる相手の情報は、細部にわたるまで調べつくして頭に叩き込むのだ。
シャルロットが齢7つにして恋に落ちたのは、迷子になった市中でたまたま通りかかったルチルがずっと手を握ってくれていたからだ。
実際のところルチルもまた迷子だったようで、結果的にふたりを救い出したのは探し回っていたアガットだったのだが……。
見つけなりすごい剣幕で弟を叱ったアガットには恐怖を、そばで励まし続けたルチルには思慕を抱いたらしい。
そうだわ、とエニスダが手を打って提案した。
「シャルロットさま、ご存知ですか。プディングの日の話」
「プディングの日……?」
「はい。今、隣国セイブル国との親交を深めるためにバザールを呼んでいますでしょう? 市では人と人とが交流いたしますから、あちらの文化や行事も入ってきているようで、そのひとつに『プディングの日』というのがあるんですよ」
エニスダによると、その日は好きな相手にプディングを贈って気持ちを伝えるのだという。
もとは親しい友人同士やお世話になった目上の人などに贈る慣習が、いつの間にか若者たちの告白のきっかけとなったそうだ。
もとセイブル国出身なだけあって、エニスダは詳しかった。
「冬の最も寒い日、『虫篭りの日』がその日だそうです。あと二週間ほど先のことですが、市中では流行を見越してプディングの材料を売り始めたようですわ。これをルチルさまに差し上げては?」
「えっ」
「まあ」
反応したのはシャルロットだけではない。
アイリスのそばにいたカメリアも、他の令嬢たちも、各々異なる思惑で眉を上げる。
「アイリスさまを差し置いてずうずうしい」
部屋の向こうで聞こえよがしに声をあげたのはアリスの取り巻きの一人だ。
「だいたい、まだ婚約者として決まったわけでもないのに不敬ですわ」
「アイリスさまもいらっしゃる場所でそのようなはかりごと、恥とは思わないのかしら」
なによ、とエニスダが気色ばむ。
シャルロットは不穏になっていく場の雰囲気に青ざめていた。
素直にのびやかに育ったシャルロットは、いまだ人の悪意に揉まれ慣れていない。
感情が表情に直結するし、時折粘り強さを見せるものの、基本的には打たれ弱かった。
「あの、私料理は苦手なので……」
知っている。
一見おくゆかしくも聞こえるその言葉は真実だ。
不器用な彼女は裁縫や料理が不得意で、苦手意識を持っている。
(でもいずれ妃となり、国母となる身なら刺繍と菓子作りくらいはできなくちゃ……!)
上流階級の貴族でも、子の守りとする刺繍や茶会に出す菓子は手製で作る。
技術は器量のひとつとして評価されるから、疎かにして良いはずはなかった。
「差し上げる人もいないような人のやっかみを耳に入れる必要はありませんわ、シャルロットさま」
「な……っ、いるわよ! 差し上げたい男性の一人やふたり!」
「まああ、本当かしら」
「男爵家のくせに生意気だわ……!」
ヒートアップしていく口論。
右往左往するカメリア。
もはや口を出すこともできなくなっているシャルロット。
どうやら場を沈められる人間はいないようだ。
ふむ、と小首をかしげて、アイリスは扇を閉じた。
「では、みんなで作りましょうか」
呆気にとられたように、令嬢たちが口をつぐんだ。
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