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悪役皇子はざまぁ展開を希求する。

6皇子の騎士(下)

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「おじさん、パオジひとつちょうだい」

 本来の体であればパオジの二つや三つぺろりと食べてみせるのだが、なにぶん体と一緒に胃も小さくなっている。
 ここ数日で自分の許容量を把握していたユリウスは、欲張らずに適量のパオジを要求した。

「まいど。250リムね」

 小銭を支払うと、店主が蒸し器の中から蒸し立てのパオジを選んでくれる。
 食べ歩き用に準備が整えられる間、ユリウスは何気なく辺りを見回した。

 ふと目に止まったのは細い路地の間に座り込む人影だ。
 汚れた服に乱れた髪。何日も髭をあたっていない顔には影が落ちている。

 マーケットの賑わいからはあまりにも隔たりのある昏さを纏った男に目を止めていると、紙に挟んだパオジをこちらに差し出しながら店主が言った。

「あんまり見ちゃいけないよ」

 見ちゃいけない、という言葉の中に「関わったらいけない」という響きを汲み取って、ユリウスは尋ねるように店主を見上げた。

「数日前からこのあたりで見かけるようになった人なんだけど、処刑の谷からやってきたとか、復活した幽霊だとか、妙な噂があってね」

「幽霊?」

「夜になるとどこからともなくふらっと現れて、日が出るといつのまにかいなくなるからそんな噂が立ったんだろうけど……そういえば今日は珍しく日の高いうちからいるなぁ」

 幽霊はないだろうな、とユリウスは店主の手から紙に挟まれたパオジを受け取りながら思う。

 別に幽体が存在しないなどとロマンのないことを言いたいわけではない。
 もっと単純な話だ。
 昨日までの行動パターンを逸脱して日の高いうちから座り込んでいるのなら、「移動できない」事情が発生したと見るべきだろう。

 つまり力尽きているのだ。
 肉体を酷使して疲れる、など人間でなくて何だと言うのか。

「物乞いじゃないみたいだけど、坊やみたいに身綺麗な子どもが近づいたら何をされるか分からないよ」

 身包みを剥がされるとか、拐かされるとか、そういうことを忠告したいのだろう。
 適当に頷いて店主に礼を言うと、ユリウスは店を離れた。

 あれこれ構われると面倒なので、店主に見咎められないよう迂回して路地に向かう。

 ユリウスが近くに寄っても、男は顔を上げなかった。
 町の子どもが好奇心で近づいたとでも思っているのか、胡乱な瞳で石畳を見つめたまま微動だにしない。

 幽霊の話は紛い物だが、物乞いじゃないという話の方は当たっているだろう。

 乱れてはいるが伸びてはいない髪。マントの上からでも分かる鍛えられた肉体。身につけている服も、簡素だが決して貧しい者のそれではなかった。

「ん」

 ずい、と男の鼻先にパオジを突き出してみる。
 一拍遅れて、男の視線がのろのろと地面からパオジに移動した。
 ほんの少しだけ上がった顔を確認して、ユリウスは思わず息を呑んだ。

 そうだ。やっぱりそうだ。間違いない。

 崩れ落ちそうになる体を懸命に両足で支えながら、ユリウスは予感を確信に変えた。

 ──ギルバート。

 喉元まで迫り上がったその名前を口に出せなかったのは、幼くなった自分の容姿を思い出したからである。
 エイダでさえ気づかなかった。ユリウスの魔法を知っているとはいえ、ギルバートが混乱なく事態を受け入れられるとは思えない。

 とにかく、まずは回復させないと。

 はやる心をねじ伏せて、ユリウスは再度ギルバートにパオジを勧めた。

「食え。食わないと力が出ないぞ」

 しかし肝心の男は微かに首を振るだけでパオジを受け取らない。

「お前は……俺が差し出したものを拒むな」

 小さく苦笑すると、ユリウスは無理矢理ギルバートの手にパオジをねじ込んだ。
 と、同時に腹の虫がぎゅるぎゅる鳴る。

 今か。今鳴るか俺の腹は!

 全くもって格好がつかない。そしてバツが悪い。
 もう一つ買ってこようと身を翻した、その時。ふいに強い力で腕を引かれた。

 振り返ると、ギルバートがユリウスを捕まえたまま、片手で器用にパオジを割っている。
 半分になったパオジを差し出されて、ユリウスは反射的にそれを受け取った。

 一瞬、泣き出しそうな顔をして、ギルバートがオッドアイの瞳を伏せた。
 そしてまるでキスするように、ユリウスの手の甲にうやうやしく額をつける。

「……ユリウス様」

 かすれた声で、ギルバートがユリウスを呼んだ。

「ユリウス様」

 握りしめた手に力をこめて、今度ははっきりその名を口にする。

 聞き間違いではない。

 この男は、明かす前にこちらの正体に気付いたのだ。
 思わずこみ上げてくるものがあって、ユリウスは用意していた数々の文句の代わりに別のことを言った。

「──馬鹿が。探したぞ」
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