田舎の犬と都会の猫ー振興係編ー

雪うさこ

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第2章 仕事の仕方

03 田舎犬の見てきたものは

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 どれくらい時間が経ったのだろうか。とりあえず、なんとなく浮かんだ構想を書類に落とし込んでいると、お腹が鳴った。残業をする時は、夕食を調達することもあるが、予想外の残業だったので、そこまで頭が回っていなかったのだ。顔を上げると、時計の針は十時を回るところだ。

 ——もうこんな時間か。

 そう思って保住に視線を向けると、彼は黙々と仕事をしているところだった。

「係長」

「ん?」

 保住は先ほどと同じ空返事だ。

 ——もしかして……嫌な予感。

 田口は立ち上がり、保住の側に行って声をかけた。

「あの! 係長」

 大きな声で彼を呼ぶと、弾かれたように保住は顔を上げた。それから目を瞬かせてから口を開いた。

「驚くだろう。……なんだ。田口じゃないか。今日は残業なしの日だろうが」

 ——やっぱり。

 さっきのやり取りは、彼の意識には残っていなかったらしい。田口は顔を押さえた。

「……先ほど、あなたの許可をもらいましたが」

「そうか? いつ? さっきって?」

 ——これ以上は無理。

「すみません。しかし、残ってしまったので取返しが付きません」

 田口が険しい表情になるのを見て、保住は笑った。

「そう構えるな。別にいいじゃないか。人事に見つかったら『ごめんなさい』しておけばいいのだ。おれだって同罪だからな」

 保住は大きく伸びをする。

「夢中になっていたせいで、背中が痛むな」

「痩せすぎですよ」

 つい思っていることが口に出てしまう。はっとして口元を押さえるが遅い。保住は大して気にしていない様子で首を傾げた。

「そうかな?」

 そう言われると続けないわけにいかない。諦めて続きを口にする。

「係長は運動、好きではないんですか?」

「どうしてそう思う?」

「まったく運動していないをしていますよ」

「え! なんで見てもいないのにわかるのだ」

 保住の驚きように、逆にはっとして顔が熱くなってしまった。

「べ、別に。ジロジロ見ているわけではないですからね! おれが運動系だったので、それとは相反する体系だなと思ったので。きっと筋肉なんてついていないんだろうなという想像です」

「想像って、お前……」

「だから! 変な風に捉えるのはやめてください」

 保住の前では無表情なんて形無しだ。

 ——からかわれているんだ。きっと。いや。確実に……っ!

「お前の推理は、大正解だな」

 田口の戸惑いなど気がつきもしなきのか、保住は豪快に笑いだした。

「……」

 なんだか、面白くないなは気のせいではない。田口は咳払いをして黙り込んだ。

「運動というものには全く縁がないな」

「縁がないのではなく、関わってこなかっただけですよね」

「まあ、そうだな。縁はあるな。今の日本の教育では、否応なしに体育というものをやらされるからな」

「そうですね」

「体を動かすことは嫌いだ。頑張るというのも好きではないな」

「そうなんですか?」

「勝負事は嫌いだ。面倒だし。勝っても負けても嫌な気持ちになる」

「そうでしょうか……」

「平和主義みたいな顔をしているくせに、勝負事が好きか」

 保住は意外そうに田口の顔を覗き込んできた。じろじろ見られると恥ずかしいので、思わず視線を逸らしてしまった。

「ずっと剣道をしていましたから、勝っても負けても後味が悪いという気持ちが分かりません」

「ほほう」

 保住の相槌は、自分の言葉を促すような力がある。ペラペラとしゃべる質ではないはずなのに、言葉がわいてくるのだ。

「おれはいつでも真剣に勝負してきました。相手もそうです。自分が勝ったとしても、相手に敬意は払いますし、負けても敬意を払います。相手も然りです。ですから、いつでも勝負して良かったと思います」

「悔しいという気持ちは起きないのか?」

「それはありますよ。ですが、悔しい気持ちは相手に対してではありません。出来ない自分に対してです。自分の能力がそこまで到達していなかったということです。それに勝負には、運もあります。今日勝った相手に、明日また勝つという保証はありません。ですから、相手を恨むなんてことはあり得ません」

「それはお前だけの話ではないのか?剣道をやっている人間が全てそうだとは、到底、思えんな」

「それはそうです。世の中にはいろいろな人間がいます。ですが、おれはそうしてきました」

 田口の言葉に保住は大きく頷く。

「それは、興味深いな」

「そうでしょうか」

「おれが経験したことのない世界だ。大変面白い!」

 保住のリアクションはなんだか古めかしくて笑える。田口は少し吹き出した。

「笑うな。失礼なやつだな」

「笑っていませんよ」

「いいや。笑ったぞ。失礼だな~。おれは、本当に感銘を受けているのだ」

「そうでしょうか」

 ——自分の見てきた世界がすべて。

 田口にとって当たり前の、その世界を「面白い」という人がいることに驚いていた。




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