田舎の犬と都会の猫ー振興係編ー

雪うさこ

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第9章 代替えとしての役割

05 地獄絵図

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 時間は開演五分前だった。

「後、来ていないのは」

 谷口は参加者リストを眺めて苦笑する。

「問題の県教育長大友だけだな」

「まだお見えになっていませんね。後お一人なら、おれだけで充分です。谷口さん、先に上に戻ってください」

「そうか? 別におれも中で聞きたいわけではないが」

「局長に嫌味言われます。会場には、少しでもメンバーがいたほうがいいです」

 背中を押すと、谷口は不本意そうな表情をしつつも、仕方なく歩き出した。

「じゃあ、よろしく」

「任せてください。来たらすぐお連れします」

 大友は開式時の挨拶が控えている。遅刻などありえない。必ず来る。そう確信して、田口は真っ暗になってきた外を眺めた。平日、集まりを行う団体は少ない。しんと静まり返っているホールに小さなクラシック音楽が妙に響いていた。

 ——大友教育長だって? どんな人がきたって、なんとかする。

 そんなことを考えていると、意外にも大友ではなく、二階から保住が姿を現した。もう始まるのだろう。挨拶をしなくてはいけない主役が来ないのは大事おおごとだ。様子を見に来たようだった。

「まだか」

「いらっしゃいません」

「全くルーズな男だからな」

 保住は心底、嫌悪するかのように、表情を険しくして、舌打ちをした。

「男——?」

 田口は目を瞬かせて保住を見下ろした。

 ——だって、手を握るのだろう? そして、しつこく付き纏うのだろう?

「大友教育長って、男性——ですか」

「そうだが」

 てっきりふくよかな中年女性を想像していた田口は、目の前が真っ白になった。おばちゃんに手を握られる保住は、想像しやすいが、太ったおじさんとなれば話は別。

 ——絶対に別!

 田口は一気に本気モードだ。

「絶対、触らせません!」

「田口……」

 むうむうとしている田口を見て、保住は苦笑した。いつもより覇気のない保住に田口は視線を落とす。顔色が悪かった。相当、疲弊している様子が見て取れた。

「お疲れのようですね」

「流石に一日こんなことばかりだと疲れるようだ。日常業務が一番だな」

「県の研修会はいかがでしたか」

ちゅうおうの方向性は変わらないが、今年の県は少し色合いが違うようだ。色々と面白くなりそうだが……」

 そこまで話をするとタクシーが一台止まり、男が慌ただしく降りてきた。

「来たな」

 保住と田口は頭を下げた。

「お待ちしておりました」

「ごめん、遅くなっちゃって。タクシーの運転手が行き先間違えるからさ。驚いちゃったよ」

 ちらりと頭を上げると、なるほど。谷口の言葉通り。小太りで、ふうふうと深呼吸をしている。身につけているスーツはブランドものか? お洒落なスーツも台無しだなと田口は思った。

 太っているから似合わないという意味ではないのだ。滲み出ている人間性が、人好きのするような感じではないということだ。
 
 彼は保住を認めると、不気味な笑みを浮かべてから、さっそく手を取った。

「久しぶりだね~。保住ちゃんにまた会えるなんて、今日はツイてるなあ」

「お久しぶりでございます。大友教育長」

「やだな、堅苦しい挨拶なんて止めてよね」

 保住は営業スマイルだが、気分を害しているのは、よくわかる。田口は両手で撫でるように握っている大友を見つめてから、さらりと大友の肩を掴んで方向転換させる。

「時間もございません。ご案内致します」

「あ、あの」

 心残り、とばかりに保住を見ている大友だが、田口のエスコートからは逃れられない。さっさと彼は大友を連れて二階に上がった。


***

 田口が大友を二階に連れて行った後ろ姿を見送ってから保住は側のソファに腰を下ろした。

「疲れた……」

 ——さすがに、疲れたようだ。

 ソファに持たれると、眠ってしまいそうだ。

「また、田口に助けられたな」

 そんなことを呟いてから、瞼を持ち上げた。このままいたいところだが、仕方ない。

「仕事だ」

 自分に気合を入れるように、保住は立ち上がった。



***


 しかし田口の考えは甘かったのだ。渡辺たちの言葉通り、いやそれ以上。
 田口は唖然として会場の騒ぎを見ていた。受付を済ませた人たちは、みんな紳士淑女の振る舞いだったのに。
 
 「昔から! あんたのその物言いが気にくわないって言ってんのよ」と言って、周囲の男性に絡む中年の女性。あれは隣町教育長の佐々木女史。

 「日本の教育はクズだ、クズ! クズに育てられたクズ共、なんて」と下品な笑いを起こすのは、別市の教育長の加藤。

 目も当てられない。これが聖職者と言われている人々かと思うと頭が痛んだ。過酷の意味を今まさに理解する。精神的なダメージは破壊力を増す。

 ——保住さんは大丈夫か?

 田口は視線を巡らせる。彼は壁際に目立たないように立っていた。顔色が悪い。熱中症の時みたいだ。彼がこの場にいる必要もないような気もした。どこかで休むように、声をかけに行こうと足を踏み出した途端に、佐々木に捕まった。

「あら、あなた。見たことない顔ね」

「佐々木様。梅沢市役所文化課振興係の田口です」

「そうなの? なかなかいい男じゃない? 私のお酌係に任命してあげましょう」

 ——嘘だろ?

 焦るが遅い。腕を組まれた。

「業務がありますので」

「あら! 私の接待も仕事の一つでしょう?」

「それは……」

「さあ、来なさいな」

 保住の元に行きたいのに、叶わない。あちらもこちらも、職員一人一人が精一杯。誰も人のことを構っていられるほどの余裕がないのだ。

 ——これは。酷い!

 考えが甘かったと思っても、後の祭りだ。保住に何事かないようにと息巻いていたはずなのに、まさか自分が巻き込まれるだなんて……。

 ——甘かった。

「可愛い子ね! 可愛がってあげるわ。光栄に思いなさい」

 佐々木の声は悪魔の囁きのようだった。




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