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見舞い2
しおりを挟む「一握りの良心の呵責もなく女の子を弄んだ挙げ句に飽きたら容赦なく捨てて行く人だと聞いていましたし、会ってやはり軽薄な人と思いましたけど、」
タルトのサクサクした歯触りと、噛みしめる度に広がる香ばしい香り、スポンジに染み込んだ洋酒の香り、濃厚なバニラが香るカスタードクリームと、その甘さを引き締める苺の酸味――目を閉じ、それらに全神経を集中させながら咀嚼。嚥下後もたっぷり余韻に浸ってから紅茶を一口啜り、次の一口に取りかかる。
という一連の作業の合間で、マリーは幸せそうな表情とは裏腹の毒をさらりと吐いてくれた。
まぁ幾度か別れ話がこじれてその噂が立ったのだし、弁明はしない。
彼女こそ運命の人と思って交際してみるけれど、違うなと思い直して別れを切り出すという行動は捨てられた方にしてみれば間違いでもないだろう。言い訳させてもらえるなら、気持ちが向いていないのに交際を続ける方が不誠実じゃないのかとか言い分はあるけれど、潔癖そうなマリーに言ってみてもきっと徒労に終わるだけだ。
ならば今あえて弁明してこのタルトをかわいらしいリスみたいに頬張っている少女を元の鋭利な剣に変えるより、不名誉な噂を甘んじて受けたほうが得した気持ちでいられるというものだ。
「わざわざ見舞いに来て下さるなんて、案外極悪人というわけではないんですね」
屈託のない笑顔で吐かれた毒舌は、もしかして口が悪い自覚がないだけで誉めているのつもりだろうか?
そう思うとなんだか面映ゆい。
「君を口説いて弄ぶためだとは思わない?」
「婚約者を口説く意味があるんですか?」
口元が緩んでしまうのをからかって誤魔化そうとしたのだが、心底不思議そうに切り返されてかえって墓穴を掘ったと知り、思わず口元がひきつった。
……マリーはそれを全く意に介さずタルトに視線を戻してくれたけれど。
あと一口分のそれを、躊躇うようにフォークでちょんと突つくと引っ込め、迷うようにじぃっと眺めている。
子猫みたいでかわいいなぁとついつい口元が緩んでしまいそうになるのを必死に堪えながら、手つかずだった私の分のタルトを差し出す。
「よかったら、これもどうぞ」
警戒するような視線を投げつけられ「しまった。懐かない野良の子猫だったか」と苦笑が漏れた。
「私は食べるより、幸せそうに食べている君を見ているほうが――」
そこまで口にした途端、血色のよかったマリーの頬の色がさぁっと音を立てて冷めていくのを見て、その先の言葉を継ぐのを忘れてしまった。
「………お帰りください」
マリーは怯えるように俯くと、つ、とフォークを置き、代わりにかすかに震えている細い手を握る。
「残り少ない独身の時間をこんな茶番に費やすより、存分に遊んでおけばいいでしょう。あぁ、それとも私が死ねば自由だから余裕がおありですか?」
一息に吐き出された嘲りは、なぜだかマリーが自分自身を傷つけるために言っているように聞こえてさらに閉口してしまった。
マリーは息をしばらく詰まらせて沈黙が落ちたが、やがて、細く弱々しい声を紡いだ。
「こんな……過剰な気遣い、父に叱られます……」
「政略上やむを得ないことはあっても、子の不幸を願う親なんかいないだろう。未来の妻と円満な関係を築こうとして何が悪い」
腹が立って開き直るがマリーは首を振り、揺れた銀髪がきらきらと輝くのが涙のように見えた。
「父は、私の幸福を一秒たりとも許しません」
「なぜ?」
勢い込んで問うたが、マリーはきつく口を引き結んだ。そしてわずかな沈黙の後、細い吐息を振り絞った。
「……あなたは、自身の命より大事なものがありますか?」
唐突だなと思いつつもとりあえず顎に手を当てて空を見上げて考えてみる。
「思いつかないな。とりあえず死にたくないよ」
素直に思ったままを口にしながらマリーに視線を戻すと、彼女の表情にふっと陰のように暗い笑みが差した。
「それは、なによりです」
言葉も思考も闇に引きずり込みそうな黒い霧が胸中に渦を巻いて、息を呑む。
「……父は、母がなにより大事だったのです」
ですから、と彼女は重い言葉を苦もなく軽快に継いで空を仰いだ。
「母の命を奪った私が憎いのでしょう」
それは、見ている方が悲しくなるほど空虚な笑みだった。
完璧に均整のとれた綺麗な人形を思わせる、美しいけれどどこか不自然な笑み。
老獪な印象すら受ける言動で時々失念してしまうが、わずかに15才だというのに。
(この子は、誰に向かって笑いかけているのだろう……?)
あれほど頬を紅潮させて、これ以上の幸福などなさそうな笑顔でタルトを頬張っていたのが、幻のようだった。
あれからほんの一分経ったかどうかだというのに、あの幸福な空気はどこか夢の中にでも置き去りになってしまったみたいだった。
悲哀を押し殺して笑うマリーを包む空気が、ぴりぴりと怯えているみたいに小刻みに震えているような気がする――。
ふっと気づくと、伸ばしかけていた腕を自ら掴み止めていた。
一度触れてしまえばいつか彼女を殺すことになるという予感めいた恐怖と、抱きしめたいという強い衝動がせめぎ合った。
その呪いを一緒に背負う覚悟もないのに、興味本位やからかい半分でちょっかいを出していい娘ではないのだと深く胸に刻み込み、軽はずみな慰めなどやめておけと自分に言い聞かせて抑え込む。
それでも。
それでも腕は、マリーに触れたがっていた。
あの銀の髪を撫でて、頬に触れて、人形ではなく生きた人間なのだと確かめたかった。
タルトを頬張っていた時の、あの笑顔を、もう一度―――
「……先日、誕生日の贈物は何がいいかと聞かれましたね」
声をかけられて顔を上げると、いつのまにか彼女は今にも消えそうな儚げな微苦笑を空から私に移していた。
「その日は母の命日ですので、グラでは喪に服しており、祝うことをいたしません。ですからお気遣いは不要です」
静かな言葉が、彼女もろとも地の底に沈んでいくようだった。
救いたいと思うのに手を伸ばすことは躊躇ってしまう歯痒さを、奥歯を噛んでやり過ごすことしかできなかった。
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