【小説版】妖精の湖

葵生りん

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3章

発露2

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「アレス様!」

 出不精の彼を居城の外で見つけるのは非常に珍しいことなので、慌てて呼び止める。そして呼び止められて足を止めた彼は、リズを見るなり渋面を作った。
 しまった。あの人のことだからふらりと逃げるかもしれない。
 逃げられないうちに捕まえなければとドレスの裾をつかんで駆けたが、意外にもアレスは駆け寄るリズを待っていた。

「……リズ、昔のことは私が悪かったと思っている」

 けれど、リズがなにも言わないうちから彼の第一声はそれで、出鼻を挫かれた。言葉と裏腹に、前髪を面倒そうにかきあげながら明後日の方角を見て溜息をつくのは機嫌が悪いときによくする仕草だ。このやたらと溜息をつく癖も、昔と同じく苛立ちを覚える。苛立つ心を私も悪かったのだからと言い聞かせて宥めようと努力する。

「だけど恨むなら私に仕返しすればいい。なんでディーネに八つ当たりするんだ」

 なのに彼はさらに非難の言葉を継ぐ。

「……なによ」

 人の話なんか聞きもしない一方的な非難が頭にきて、謝る気分なんて一気に消え失せた。

「よかったわね、呪われたグラ家の姫君が愛しの妖精にそっくりで! 妖精に心を奪われたあなたと、呪われた者同士でお似合いだわ! あと、もうあなたにリズなんて呼ばれる関係じゃありませんから! 二度とそんな親しげに呼ばないでよねっ!!」

 一息に捲し立てて鼻息荒く踵を返したところで、乱暴に腕を掴まれた。

「――待て。今、なんて言った?」
「なによ、妖精しか愛せないあなたに、妖精にそっくりのいいお相手が見つかってよかったわねって言ったのよ。悪い?」

 ふりほどこうとしてみるが、びくともしない。掴まれた腕が、痛い。

 こんな、加減のない掴み方をする人じゃないのに。
 それほど怒らせたのだろうか?

 心の片隅でそう思ってみた彼は、少し窶れているように見えた。それに、見たことがないほど切羽詰まっている。

「違う。呪われたグラ家の姫君って、どういうことだ?」

 強い口調はほとんど尋問だ。
 常になく冷静さを欠く表情とその問いに、唖然とした。

「……は? なに言ってるの? 知ってるんでしょう?」
「だから、なにを?」

 もどかしそうに問い返され、呆れてものも言えなかった。

「噂話に頓着しないにも程があるわよ。あなたの妻のことでしょう。なんで知らないのよ?」
「説教なら後で聞く。呪いってなんだ?」
「……離して。痛いわ」

 掴まれた腕の痛みがさらに増して、ついに文句を言った。
 はっとした彼が手を離すと、掴まれていた手首に、赤く痣が残っていた。

「すまない――」

 痣をさすっていると、彼は困惑しつつも小さく謝罪を口にする。
 だが、焦燥が浮かぶ瞳でまっすぐにリズを見つめ、じりじりと質問の答えを待っている。

 説教なら後で聞くですって?
 人の話なんてどこ吹く風のくせに。
 気にしないから、こんなことも知らないんでしょうに。
 怒りを通り越して、いっそあの子が哀れだった。

「グラ公爵家の娘達はもう既に3代続けて自分の命と引き替えに子供を産んでるらしいわよ。しかも生まれるのは姫ばかり。それはグラ一族がじわじわと断絶していくように、魔女に呪いをかけられているからだって、みんな噂してるわ。知らないの、きっとあなたくらいよ?」

 ただでさえ悪かった顔色が、音を立てて白く染まっていった。

「あなた、あんなに宝物みたいに大事にしといて――お茶会の時にあの子がひきつけを起こした理由を知ろうとは思わなかったの?」

 彼はただ唖然として言葉をなくしていた。

「……リズに、嫉妬してるだけじゃなかったのか?」
「ああ、それはどうもゴチソウサマ。昔の恋人を今でも親しげにリズって呼ぶような無神経な夫なんて、私ならヤキモチより見限るけどね?」

 彼が絞り出した返事に沸々と怒りが沸騰していく。
 こんな、見目がいいだけで、どうしようもなく無神経で自分勝手な、こんな男と結婚しなくて本当によかったと本気であの妖精に感謝したいくらいだった。

「だけどね、あなたはただの嫉妬で息ができなくなって寝込むの? ほかに理由があるって思わない?」

 バシバシと言葉を叩きつけてやるけれど、彼は堪えたのか堪えていないのかよくわからないほど唖然としたままで、無駄に疲れるだけのような気がしてきた。

「……はぁ、もう。嫉妬するほど人を好きになったことがなさそうなあなたに聞いた私がバカだったわよ」

 ああもう、なんで私が自分の傷を抉るようなことを言わないといけないのかしらねと内心毒吐く。

「私はね、あの子を断崖絶壁の先に追い込んで、なんで飛び込まないのかと責めたてたのよ。そんなおめでたいあなたでも、何も知らないまま崖からつき落とすようなことだけはしてなさそうなのがせめてもの救いだったけど!!」

 彼は一瞬だけ、目眩がして座り込んだのかと思うほど深く額を抱えたが、唐突に弾かれたように駆けだした。

「ちょっ……まだ話は終わってな――って、あぁもう、やっぱり人の話なんて聞かないじゃないのよ! 3才児だってもうちょっとまともな挨拶ぐらいするからねっ!?」

 呼び止めようにも、既に走って追いつけるような距離でもなく、聞く耳も意識もとっくにどこか遠くに行ってしまっていた。

「…………っ」

 行き場のない怒りに、強く拳を握る。

「あぁもうっ、謝り損ねちゃったじゃないのよぉ!!」

 それでも堪えきれずに迸った怒号は、廊下に空しく響いただけで消えていった。



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