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追加エピソード・花火大会

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 日本全国の至る所で花火大会が催される夏。遠く離れた場所の花火だって、エアコンの効いた涼しい室内でテレビの中継として鑑賞できることは何て贅沢なんだろうか。実際に現地へ行くとなると、暑さや人混み、蚊などの虫とも戦わなければならないのだから。
 始まるまでの待ち時間や終わった後の混雑のことを考えると、多少の物足りなさがあったとしても遠くから眺めているか、こうしてテレビで観るのが一番だとさえ思える。

 けれど、信一は地元で一番大きな花火大会には毎年欠かさず妻を連れ立って、打ち上げ場所近くの会場まで赴いていた。チケットを取って有料の観覧席を確保するだけではなく、知り合いの伝手を辿って近くに車を停める場所までしっかりと見つけてくるのだ。事前準備に抜かりがないのは、彼の性格だったのだろう。

「そろそろ花火のチケットを買っとかななぁ。駐車場は、去年のとこでいいか」

 他府県の花火大会のテレビ中継を眺めながら、至極当然のことのように口にする。彼にとって、地元の大花火大会を観に行くのは決定事項でしかない。しかし、隣で話しかけられた貴美子はギョッとする。お中元で貰ったばかりの梨を夕食後のデザートとして頬張っていたが、思わずむせ返る。

「こ、今年はやめときましょうよ。お父さん、調子悪いんだから……」
「花火くらい平気や」

 むっとした表情で不機嫌になる夫を、困り顔で宥める。人混み、騒音、暑さ、どれをとっても今の信一の身体には大きな負担になるのは分かり切っている。けれど、全く納得いかないとでもいいたげに、夫は不貞腐れながら言い返してくる。

「花火も観れんなら、生きててもしゃーない。何も面白いことあらへん」

 大人げない言い草だとは思ったが、貴美子だってその気持ちが分からない訳じゃない。体調を理由にしてアレコレ制限されていては、確かにつまらないことばかりだろう。少しでも負担がかからないようにと気遣ってあげたいのと同時に、本人がやりたいことをやらせてあげたいとも思ってしまう。一体、何が正解なのだろうか。
 せめて主治医に聞いてからにしましょうという貴美子に、信一は悔しそうに「しゃーない」と呟き返していた。

「負担が全く無いとも言い切れないけど、花火くらいは別に問題ないですよ。音とか光の影響で、動悸が激しくなったりして具合が悪くならないかは気を付けないといけないとは思いますが――まあ、本人が行きたいっておっしゃってるのなら、連れていってあげてください」

 診察時間が終わるのを見計らって病院へと電話した貴美子に、主治医である木下は明るい声で答えてきた。水分補給だけはしっかりするようにとだけ念を押して。

 この一連の流れを母親から伝えられると、有希はすぐに姉へと連絡を取る。心配する母の気持ちも分かるし、父の花火好きもよく知っているから複雑な心境だ。由依ならどうしたがるだろうか。

「えー? 本当に大丈夫なん?」
「本人が行きたがってるし、止めるのも可哀そうじゃない?」

 まあ確かに、と由依は電話口で呟いている。すぐに後ろから「どうしたのー?」という姪っ子の声が聞こえてくる。「じいじが花火を観に行きたいんだって」という由依からの説明に、「なっちゃんも行きたい!」と大騒ぎをし出したようだ。

「有希も行くの?」
「うん、お母さんから一緒に来てって言われたから」
「じゃあさ、菜月も連れてってあげて、行きたいらしいし。私は美鈴がいるから行けないけど……」

 「はぁ?!」と素っ頓狂な声を上げた妹へ、「チケットは取りに行っておくから、ヨロシク」と言い捨てると、あっさりと電話を切ってしまう。父親の身体は勿論心配だが、娘の要望も大事らしい。

 ――うわっ、面倒なことになってきた……。

 貴美子も一緒だとは言っても、父の容態を気にしつつ幼児の相手もしないといけないことになったのだ。祖父母である二人は孫との外出に喜ぶだろうが、有希にとっては気疲れする未来しか想像できない。

 花火大会の当日。本当にどういう伝手を使ったのか、打ち上げ会場のすぐ近所のガソリンスタンドへ有希は車を停めるよう指示された。周辺が交通規制されてしまう為、いつも花火大会に合わせて臨時休業にし、駐車場として場所を提供しているらしい。すでに他にも何台かの車がギチギチになって停められている。

 有希が車のトランクから荷物を下ろしている間に、貴美子はスタンドの事務所の方へと駐車場代を支払いに行っていた。一体いくらを払ったのかは分からないし、このスペースに最終的に何台の車が停められていくのかも想像できない。中古車販売店並みのすし詰め状態だ。下手したら、普段の営業時よりも儲かってるんじゃないかと勘繰ってしまいそうになる。

 持ってきた荷物の中で一番重いクーラーボックスをひょいと抱えると、信一は貴美子が戻ってきたのを確認してからスタスタと先に歩き出す。菜月は家から持たされたピンクのリュックを自慢げに背負って見せると、「じいじ、待ってー。なっちゃんもー」と追いかけ始めた。

 先に行く二人を追いかけながら、有希は父がとても楽しそうにしているのに安堵する。昨日までは夜の人混みに幼児を連れて行くことに不安があったが、菜月がいることで花火が始まるまでも退屈することはなさそうだ。
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