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二章
5.謎
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――オラァッ! 立てガキィ!!――
言われるままに鞭打たれる体に力を込める。
目の前では鬼形相をした商人が、俺を見下ろしていた。
今すぐにでも、コイツを切り刻んでやりたい。でも、それは叶わない。
何故なら、俺は奴隷なのだから。
それに切り刻んだところで、何も変わらない。俺は奴隷のままで、次の商人が俺を売るだけなのだから。
どこか諦めに近い感情を抱きつつ、俺は次の鞭の痛みに耐えつつ何とか立ち上がる。
しかし、続く第三発目の鞭は足を打ち、俺は大きくバランスを崩してしまう。
――立てコラァアアアアアアア!!――
慈悲の一つもない。むしろ怒りの増した商人の態度に、俺は悔しさを噛み殺す。
なんとか立とうとするが、そうする前に背に凄まじい激痛の嵐が襲う。
見れば、商人は意味もなく俺に鞭の乱撃を浴びせているではないか。
もぅ、この状況に意味など無い。
ただこの男の欲のままに俺は、打たれ続けた。
どれほどの時間が経っただろうか……。
手が疲れたのか、飽きたのか、男はどこかへ去っていく。
背から流れる血液が熱い。
俺は虚ろな目で、ぼやける視界の中真っ白な思考の中で駆け続けた。
何もない。何もない。
何もないのに走る。何かがある気がして、走っていた。
――覆せばいい――
できないよ……。
どこからか聞こえる声に、俺は諦めと悔しさのにじんだ感情を抱く。
俺は、涙すら出ない己の頬に触れ、目を閉じた。
その時、誰かが俺をそっと助け起こす。
誰だろうか?
目を開けた俺は、俺に肩を貸す人物を見た。
すると、同時にその人物も俺の方を向く。
――また……いじめ…………られた?――
親父だった。
「うぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
俺は、勢いよく跳ね起きた。
動悸が激しく、呼吸も荒い。
そして、同時に今の光景が夢であったという事実にホッとした自分がいた。
未だに夢に見る。
奴隷兵から解放されて5日。
奴隷としての日々と、奴隷兵としての日々。いづれも悪夢のような時間が今も俺の心に残留していた。
そして、ふとした瞬間にチラつく父の影。
俺は、弱っていた。
「シャレにならねーよ……」
げっそりとした表情でベッドから抜け出し、鏡の前に向かう。
相変わらず、女にしか見えない可愛らしい顔に白くて華奢な肉体。正直なところもう少し男らしく生まれたかった。
そんなことを考えつつ、無理やり夢のことを忘れようとする。
昨日は丸1日、この部屋で過ごし久方ぶりの休息を満喫した。
戦いの疲れがあったせいで、ヘレッゼが用意してくれた昼食を食べ損ねたことが少し悔やまれる。しかし、その分しっかり寝たことで体力は回復してきた。
夕食については、無理やり匙で捻じ込まれたのでありがたくいただいた。美女にあーんしてもらえるというレアな体験も込みで★
そんな感じで、体については比較的にゆったりとした休息をとれている。
しかし心は、あの夢から考えるに休息には至っていないようだ。
俺は複雑な心境と渋い面持ちで、鏡から離れる。
すると、
ドッドッドッ!
突然部屋の外から、何者かが凄まじい勢いで階段を登ってくる音が響く。
とは言っても、この家いる俺以外の人間など1人しかいないのだが……。
次の瞬間、勢いよく開け放たれたドアからヘレッゼが飛び込んでくる。彼女は、俺に抱きつくようにしてダイブすると、鮮やかなフォームで俺ごと布団に突っ込んだ。
「おっはよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
顔を上げたヘレッゼは、俺に覆いかぶさるような体勢で朝の挨拶を叫ぶ。
俺は、あまりの近さに思わず顔を背けた。
ほんとテンションもキャラも掴めない人である。
昨日、休息がてらに窓から一階の鍛冶屋の様子を見ていたが、この女お得意様には男女問わずスキンシップが激しい。
ちょっとビックリするようなものもあって目を疑っただけに、今の状況くらいでは動じな――――、いや、動じないなんて無理だ。
俺は密着するヘレッゼの温もりと、髪からフワリと香る甘い匂いに心臓が飛び跳ねる。
「おや? おやおや? お前照れてる? 照れてるよね? 顔赤い! 可愛い! やばっ!」
そう言って、なぜかお馴染みの笑い声をあげる彼女。
部屋に「あひゃひゃひゃひゃ」という下品な笑いが響く。
その奇妙かつ違和感しかない笑い声のおかげで心臓は落ち着いたが、やっぱり距離が近い。
「で、本題なんだけどさ」
「いや、だからいきなりテンション変えるな。ついていけん」
「えー。じゃぁ、あひゃひゃ――――――ンゴモゴモゴ」
俺の発言で再び笑いだすヘレッゼの口を塞ぎ、俺は彼女を自分の上から押しのける。
押しのけられた彼女は、「んにゃー!」と声を上げて、ベッドの下に転げ落ちていく。
「で、本題ってなんすか?」
俺は、眼下で「ちぇー。面白くねっ」とボヤくヘレッゼにそう言うと、小さくため息をつく。
すると、彼女は待ってましたと言わんばかりの様子でニヤリと笑い、拳を突き出した。
「街! 行こうぜ!!」
「……街?」
思わず聞き返した俺に、彼女はうんうんと頷き立ち上がる。
「そう! 街だ! ちょうど素材の仕入れ先との関係で隣街まで行くんだが、せっかくなんだからお前もついて来いよ。いろいろ面白いもんも見れるだろうし、気晴らしにもなるぜ?」
そう言ってヘレッゼは、「どうだ?」と小首をかしげる。その唐突な可愛らしい仕草に、俺はスッと顔を背けた。
……なんでこぅ、不意打ちみたいなことするんですかね?
俺はそんなことを思いつつ、少し考える。
ヘレッゼは続けた。
「まぁ、連れていく代わりにと言っちゃなんだが、ちょーっとばかり荷運びの手伝いしてくれたら嬉しいんだよなー」
「いや、絶対それが目的だったろ」
「フッ……」
誤魔化しやがった。
俺は、苦笑いして「わかった」とだけ言って掛け布団と整える。
「え? マジでー? 助かるわー!! マジ助かる! せっかくだし美味いもんも食わせてやるよ!! んじゃ、俺は準備してくるから、お前もそこの服着て用意しとけよ? さすがに、そのナリはねーからな!! あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」
下品な笑い声をあげて、部屋から飛び出していくヘレッゼ。
残された俺は、フゥと息を吐く。
まぁ、世話になってるわけだし、手伝いの一つもしないと罰が当たるってものだ。個人的には、街に出ることよりも休息に励みたかったのだが、荷運びの手伝いくらい奴隷の扱いに比べたら大したことは無い。
俺は、顔をあげるとヘレッゼの用意したという衣服を手に取った。
「……確かに、奴隷兵の服はねーよな」
小さく呟いた俺は、手に取った衣服をいったん置き、身に纏う粗末な衣服を脱ぎ捨てる。
用意された衣服はいかにもファンタジー世界の服装と言った感じで、村人Aと言ったら伝わるだろうシンプルなモノだった。
黒い長袖のアンダーシャツを着て、その上から深緑の半袖Tシャツに袖を通す。茶色い七部ズボンと黒いブーツを履き、腰に真っ白のシーツのような布を巻く。
最後に軽くアンダーシャツの両袖を捲った俺は、「よし!」と小さく言って鏡に向かう。
《なかなか様になっているのぅ》
不意にリフリアがそんな感想を述べる。
俺は、僅かに眉間にしわを寄せた。
「……今度はなんだよ」
《別に。我とて、いつもいつも貴様をいじめたいわけではない。時として、玩具にはソレなりの愛を注がねばならぬからのぅ》
「何が愛だよ。ただの気まぐれじゃねーか……」
つーか、お前に愛とか言われるとゾッとする。
俺は、複雑な心境で鏡を睨む。
その時、俺はあることが気になり、リフリアに声をかける。
「なぁ、リフリア」
《なんじゃ?》
正直、コイツにいろいろ聞くのは気が引けるが、奴の機嫌がいい今ならいろいろと聞き出せるかもしれない。
俺は思い切って質問を投げかけた。
「俺が助かったのって、不死の呪いの力か?」
《もちろんじゃ。もともとはお主が自殺できないようにかけた呪いだったが、このような形で幸いするとは運がいいのぉ。我に感謝するんじゃな》
嫌だよ。
俺は、内心そう呟きつつ、もっとも聞きたかったことを口にした。
「でさ。見たところ、不死の呪いって傷も綺麗に治るみたいだけど。なんで胸の傷は消えてないんだ?」
俺はそう言って、鏡に向かって服をたくし上げた。
鏡に映る俺の胸元には、自殺時についた包丁による傷跡。
俺が異世界に来て助かったのも、リフリアが俺に「不死の呪い」をかけたからだ。でなければ、異世界にトリップしても俺はあの場で死んでいた。
これまでの経験から、「不死の呪い」にかかってから全ての傷は二日と経たずに跡形もなく消えている。鞭で打たれた背の傷も、鎖でついた痣も、そして、モンスターに裂かれた肩の傷も、全て跡形もなく消えているのだ。
しかし、何故だかこの胸の傷だけは消えていない。それがずっと不思議だった。
何度かタイミングがあれば聞いてみようと思ったが、そんな余裕はなかった。さらにリフリアも口を開けば嫌味ごとしか言わなかったということもあって、俺の精神安定的な問題上話しかけたくなかったのである。
俺はリフリアの返答を待つ。
《そんな傷。我は知らんぞ》
耳を疑った。
「え? でも、これ。不死の呪いで治ったんじゃ……」
《我は知らんぞ。確かに見つけた時、お主は血まみれで倒れておったが、既にその傷は塞がっておったぞ》
リフリアのキョトンとした口調が、俺の思考を混乱させる。
俺は、無言で服の裾を下した。
「じゃぁ……、どうして俺は生きていて、この傷も……塞がったんだ」
その声には生気が無く、闇を探るような複雑な心境が俺の内に渦巻いていた。
×××××
『いよぉ。首尾はどうだい?』
ガイアフィリップの陽気な声に、一人の男が振り返る。
「お前か……」
振り返った青年は、ガイアフィリップを確認すると興味無さげに呟いた。
そして、彼はすぐに視線を目の前に広げてある実験機器に戻し、作業を続ける。
『全くぅ、そう邪険にしなさんなぁ。今日は、情報と謝罪、そして詫びの品を持ってきたんだぁ』
そう言って申し訳なさそうに、一礼するガイアフィリップ。
「謝罪?」
ガイアフィリップの言葉に眉をひそめた青年は、作業の手を止める。
白衣のポケットに手を突っ込み、再びゆっくりと振りかえった青年は、酷く不機嫌そうであった。
「まさか。とは思うが、「あのガキが生きている」とか抜かすんじゃねーだろうな?」
『おっ……おぉ……。いやぁー。本当に申し訳ないとは思っているんだがなぁー。いやぁー悪かったなぁー』
焦りのにじむガイアフィリップのセリフと、威圧的な青年の声。
ガイアフィリップはポリポリと、頭をかいてそっぽを向く。
その態度を見て、青年は大きなため息をつく。
「図星……か。全く……貴様が余計な真似をしなければ、こんなことにはならなかったんだ」
青年は、そう言ってその場に広げていた書物を片付け始める。
ガイアフィリップは言った。
『いやぁ、でもよ? 俺は基本スタンスとして、そのガキを殺すのには反対なんだぜぇ?』
「それは分かっている。でも、腹は立つ。だが責めはしない」
『なぜ?』
その言葉に、パタリと本を閉じた青年は答える。
「確かに貴様とは提携こそしているが、協力関係でない。そうである以上、今回のような事態はあってもおかしくはなかったんだ。そこを考慮しなかった俺にも非はある。そういうことだ」
『……偉く殊勝な発言だなぁ。なんかいいことでもあったのかぁ?』
「無い。ただ冷静な判断を下しただけにすぎん」
『そぉかよ。全くいちいち態度が硬いよねぇお前さん』
ガイアフィリップは、プイっとソッポを向きつつ腰元から何かを取り出した。
『ほれぇ。一応詫びの品だ。受け取れぇぃっ!』
取り出した品を投げてよこすガイアフィリップに、青年は眉一つ動かさずソレをキャッチした。
青年がキャッチしたのは、カセットテープ型の白いガジェット。
「これは?」
『新作のフォースレコードだ。上手に使えよ? 今回のは、結構暴れるからよぉ』
「助かる」
受け取ったガジェットをじっくりと観察した青年は、それをポケットにしまう。
そして、横にある椅子に腰かけ足を組むとこう言った。
「で? 情報と言うのは?」
低く鳴るその声に、ガイアフィリップは肩をすくめた。
『二件ある。一つは、あのガキはヘレッゼとかいう鍛冶屋に匿われているってこと。そして、もう一点は……』
そこで言葉を切ったガイアフィリップは、一瞬にして青年の隣に詰め寄るとその耳元で何やら一言二言囁いた。
すると、青年はニンマリと笑みを見せる。
「へぇ。それはいい」
『だろぅ?』
薄暗い研究室に響く二つの笑い声は、誰に聞かれるでもなく闇に溶け、怪しげな夜の影をより色濃いものへと変えていくのであった。
言われるままに鞭打たれる体に力を込める。
目の前では鬼形相をした商人が、俺を見下ろしていた。
今すぐにでも、コイツを切り刻んでやりたい。でも、それは叶わない。
何故なら、俺は奴隷なのだから。
それに切り刻んだところで、何も変わらない。俺は奴隷のままで、次の商人が俺を売るだけなのだから。
どこか諦めに近い感情を抱きつつ、俺は次の鞭の痛みに耐えつつ何とか立ち上がる。
しかし、続く第三発目の鞭は足を打ち、俺は大きくバランスを崩してしまう。
――立てコラァアアアアアアア!!――
慈悲の一つもない。むしろ怒りの増した商人の態度に、俺は悔しさを噛み殺す。
なんとか立とうとするが、そうする前に背に凄まじい激痛の嵐が襲う。
見れば、商人は意味もなく俺に鞭の乱撃を浴びせているではないか。
もぅ、この状況に意味など無い。
ただこの男の欲のままに俺は、打たれ続けた。
どれほどの時間が経っただろうか……。
手が疲れたのか、飽きたのか、男はどこかへ去っていく。
背から流れる血液が熱い。
俺は虚ろな目で、ぼやける視界の中真っ白な思考の中で駆け続けた。
何もない。何もない。
何もないのに走る。何かがある気がして、走っていた。
――覆せばいい――
できないよ……。
どこからか聞こえる声に、俺は諦めと悔しさのにじんだ感情を抱く。
俺は、涙すら出ない己の頬に触れ、目を閉じた。
その時、誰かが俺をそっと助け起こす。
誰だろうか?
目を開けた俺は、俺に肩を貸す人物を見た。
すると、同時にその人物も俺の方を向く。
――また……いじめ…………られた?――
親父だった。
「うぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
俺は、勢いよく跳ね起きた。
動悸が激しく、呼吸も荒い。
そして、同時に今の光景が夢であったという事実にホッとした自分がいた。
未だに夢に見る。
奴隷兵から解放されて5日。
奴隷としての日々と、奴隷兵としての日々。いづれも悪夢のような時間が今も俺の心に残留していた。
そして、ふとした瞬間にチラつく父の影。
俺は、弱っていた。
「シャレにならねーよ……」
げっそりとした表情でベッドから抜け出し、鏡の前に向かう。
相変わらず、女にしか見えない可愛らしい顔に白くて華奢な肉体。正直なところもう少し男らしく生まれたかった。
そんなことを考えつつ、無理やり夢のことを忘れようとする。
昨日は丸1日、この部屋で過ごし久方ぶりの休息を満喫した。
戦いの疲れがあったせいで、ヘレッゼが用意してくれた昼食を食べ損ねたことが少し悔やまれる。しかし、その分しっかり寝たことで体力は回復してきた。
夕食については、無理やり匙で捻じ込まれたのでありがたくいただいた。美女にあーんしてもらえるというレアな体験も込みで★
そんな感じで、体については比較的にゆったりとした休息をとれている。
しかし心は、あの夢から考えるに休息には至っていないようだ。
俺は複雑な心境と渋い面持ちで、鏡から離れる。
すると、
ドッドッドッ!
突然部屋の外から、何者かが凄まじい勢いで階段を登ってくる音が響く。
とは言っても、この家いる俺以外の人間など1人しかいないのだが……。
次の瞬間、勢いよく開け放たれたドアからヘレッゼが飛び込んでくる。彼女は、俺に抱きつくようにしてダイブすると、鮮やかなフォームで俺ごと布団に突っ込んだ。
「おっはよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
顔を上げたヘレッゼは、俺に覆いかぶさるような体勢で朝の挨拶を叫ぶ。
俺は、あまりの近さに思わず顔を背けた。
ほんとテンションもキャラも掴めない人である。
昨日、休息がてらに窓から一階の鍛冶屋の様子を見ていたが、この女お得意様には男女問わずスキンシップが激しい。
ちょっとビックリするようなものもあって目を疑っただけに、今の状況くらいでは動じな――――、いや、動じないなんて無理だ。
俺は密着するヘレッゼの温もりと、髪からフワリと香る甘い匂いに心臓が飛び跳ねる。
「おや? おやおや? お前照れてる? 照れてるよね? 顔赤い! 可愛い! やばっ!」
そう言って、なぜかお馴染みの笑い声をあげる彼女。
部屋に「あひゃひゃひゃひゃ」という下品な笑いが響く。
その奇妙かつ違和感しかない笑い声のおかげで心臓は落ち着いたが、やっぱり距離が近い。
「で、本題なんだけどさ」
「いや、だからいきなりテンション変えるな。ついていけん」
「えー。じゃぁ、あひゃひゃ――――――ンゴモゴモゴ」
俺の発言で再び笑いだすヘレッゼの口を塞ぎ、俺は彼女を自分の上から押しのける。
押しのけられた彼女は、「んにゃー!」と声を上げて、ベッドの下に転げ落ちていく。
「で、本題ってなんすか?」
俺は、眼下で「ちぇー。面白くねっ」とボヤくヘレッゼにそう言うと、小さくため息をつく。
すると、彼女は待ってましたと言わんばかりの様子でニヤリと笑い、拳を突き出した。
「街! 行こうぜ!!」
「……街?」
思わず聞き返した俺に、彼女はうんうんと頷き立ち上がる。
「そう! 街だ! ちょうど素材の仕入れ先との関係で隣街まで行くんだが、せっかくなんだからお前もついて来いよ。いろいろ面白いもんも見れるだろうし、気晴らしにもなるぜ?」
そう言ってヘレッゼは、「どうだ?」と小首をかしげる。その唐突な可愛らしい仕草に、俺はスッと顔を背けた。
……なんでこぅ、不意打ちみたいなことするんですかね?
俺はそんなことを思いつつ、少し考える。
ヘレッゼは続けた。
「まぁ、連れていく代わりにと言っちゃなんだが、ちょーっとばかり荷運びの手伝いしてくれたら嬉しいんだよなー」
「いや、絶対それが目的だったろ」
「フッ……」
誤魔化しやがった。
俺は、苦笑いして「わかった」とだけ言って掛け布団と整える。
「え? マジでー? 助かるわー!! マジ助かる! せっかくだし美味いもんも食わせてやるよ!! んじゃ、俺は準備してくるから、お前もそこの服着て用意しとけよ? さすがに、そのナリはねーからな!! あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」
下品な笑い声をあげて、部屋から飛び出していくヘレッゼ。
残された俺は、フゥと息を吐く。
まぁ、世話になってるわけだし、手伝いの一つもしないと罰が当たるってものだ。個人的には、街に出ることよりも休息に励みたかったのだが、荷運びの手伝いくらい奴隷の扱いに比べたら大したことは無い。
俺は、顔をあげるとヘレッゼの用意したという衣服を手に取った。
「……確かに、奴隷兵の服はねーよな」
小さく呟いた俺は、手に取った衣服をいったん置き、身に纏う粗末な衣服を脱ぎ捨てる。
用意された衣服はいかにもファンタジー世界の服装と言った感じで、村人Aと言ったら伝わるだろうシンプルなモノだった。
黒い長袖のアンダーシャツを着て、その上から深緑の半袖Tシャツに袖を通す。茶色い七部ズボンと黒いブーツを履き、腰に真っ白のシーツのような布を巻く。
最後に軽くアンダーシャツの両袖を捲った俺は、「よし!」と小さく言って鏡に向かう。
《なかなか様になっているのぅ》
不意にリフリアがそんな感想を述べる。
俺は、僅かに眉間にしわを寄せた。
「……今度はなんだよ」
《別に。我とて、いつもいつも貴様をいじめたいわけではない。時として、玩具にはソレなりの愛を注がねばならぬからのぅ》
「何が愛だよ。ただの気まぐれじゃねーか……」
つーか、お前に愛とか言われるとゾッとする。
俺は、複雑な心境で鏡を睨む。
その時、俺はあることが気になり、リフリアに声をかける。
「なぁ、リフリア」
《なんじゃ?》
正直、コイツにいろいろ聞くのは気が引けるが、奴の機嫌がいい今ならいろいろと聞き出せるかもしれない。
俺は思い切って質問を投げかけた。
「俺が助かったのって、不死の呪いの力か?」
《もちろんじゃ。もともとはお主が自殺できないようにかけた呪いだったが、このような形で幸いするとは運がいいのぉ。我に感謝するんじゃな》
嫌だよ。
俺は、内心そう呟きつつ、もっとも聞きたかったことを口にした。
「でさ。見たところ、不死の呪いって傷も綺麗に治るみたいだけど。なんで胸の傷は消えてないんだ?」
俺はそう言って、鏡に向かって服をたくし上げた。
鏡に映る俺の胸元には、自殺時についた包丁による傷跡。
俺が異世界に来て助かったのも、リフリアが俺に「不死の呪い」をかけたからだ。でなければ、異世界にトリップしても俺はあの場で死んでいた。
これまでの経験から、「不死の呪い」にかかってから全ての傷は二日と経たずに跡形もなく消えている。鞭で打たれた背の傷も、鎖でついた痣も、そして、モンスターに裂かれた肩の傷も、全て跡形もなく消えているのだ。
しかし、何故だかこの胸の傷だけは消えていない。それがずっと不思議だった。
何度かタイミングがあれば聞いてみようと思ったが、そんな余裕はなかった。さらにリフリアも口を開けば嫌味ごとしか言わなかったということもあって、俺の精神安定的な問題上話しかけたくなかったのである。
俺はリフリアの返答を待つ。
《そんな傷。我は知らんぞ》
耳を疑った。
「え? でも、これ。不死の呪いで治ったんじゃ……」
《我は知らんぞ。確かに見つけた時、お主は血まみれで倒れておったが、既にその傷は塞がっておったぞ》
リフリアのキョトンとした口調が、俺の思考を混乱させる。
俺は、無言で服の裾を下した。
「じゃぁ……、どうして俺は生きていて、この傷も……塞がったんだ」
その声には生気が無く、闇を探るような複雑な心境が俺の内に渦巻いていた。
×××××
『いよぉ。首尾はどうだい?』
ガイアフィリップの陽気な声に、一人の男が振り返る。
「お前か……」
振り返った青年は、ガイアフィリップを確認すると興味無さげに呟いた。
そして、彼はすぐに視線を目の前に広げてある実験機器に戻し、作業を続ける。
『全くぅ、そう邪険にしなさんなぁ。今日は、情報と謝罪、そして詫びの品を持ってきたんだぁ』
そう言って申し訳なさそうに、一礼するガイアフィリップ。
「謝罪?」
ガイアフィリップの言葉に眉をひそめた青年は、作業の手を止める。
白衣のポケットに手を突っ込み、再びゆっくりと振りかえった青年は、酷く不機嫌そうであった。
「まさか。とは思うが、「あのガキが生きている」とか抜かすんじゃねーだろうな?」
『おっ……おぉ……。いやぁー。本当に申し訳ないとは思っているんだがなぁー。いやぁー悪かったなぁー』
焦りのにじむガイアフィリップのセリフと、威圧的な青年の声。
ガイアフィリップはポリポリと、頭をかいてそっぽを向く。
その態度を見て、青年は大きなため息をつく。
「図星……か。全く……貴様が余計な真似をしなければ、こんなことにはならなかったんだ」
青年は、そう言ってその場に広げていた書物を片付け始める。
ガイアフィリップは言った。
『いやぁ、でもよ? 俺は基本スタンスとして、そのガキを殺すのには反対なんだぜぇ?』
「それは分かっている。でも、腹は立つ。だが責めはしない」
『なぜ?』
その言葉に、パタリと本を閉じた青年は答える。
「確かに貴様とは提携こそしているが、協力関係でない。そうである以上、今回のような事態はあってもおかしくはなかったんだ。そこを考慮しなかった俺にも非はある。そういうことだ」
『……偉く殊勝な発言だなぁ。なんかいいことでもあったのかぁ?』
「無い。ただ冷静な判断を下しただけにすぎん」
『そぉかよ。全くいちいち態度が硬いよねぇお前さん』
ガイアフィリップは、プイっとソッポを向きつつ腰元から何かを取り出した。
『ほれぇ。一応詫びの品だ。受け取れぇぃっ!』
取り出した品を投げてよこすガイアフィリップに、青年は眉一つ動かさずソレをキャッチした。
青年がキャッチしたのは、カセットテープ型の白いガジェット。
「これは?」
『新作のフォースレコードだ。上手に使えよ? 今回のは、結構暴れるからよぉ』
「助かる」
受け取ったガジェットをじっくりと観察した青年は、それをポケットにしまう。
そして、横にある椅子に腰かけ足を組むとこう言った。
「で? 情報と言うのは?」
低く鳴るその声に、ガイアフィリップは肩をすくめた。
『二件ある。一つは、あのガキはヘレッゼとかいう鍛冶屋に匿われているってこと。そして、もう一点は……』
そこで言葉を切ったガイアフィリップは、一瞬にして青年の隣に詰め寄るとその耳元で何やら一言二言囁いた。
すると、青年はニンマリと笑みを見せる。
「へぇ。それはいい」
『だろぅ?』
薄暗い研究室に響く二つの笑い声は、誰に聞かれるでもなく闇に溶け、怪しげな夜の影をより色濃いものへと変えていくのであった。
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