吸血鬼は恋する5秒前 ー人間に恋した吸血鬼とその周囲についての中間報告ー

灯トモル

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6 思いもよらないトラブル

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 夜間の受付が始まった時は驚くほど人が少なかったが、午前1時を回って以降は受付リストはびっしりと患者の名前で埋め尽くされた。
 スタッフ同士の会話は短い連絡事項や受け答えのみで、ひたすら目の前の作業をこなし、家泉にいたっては何台もやってくる救急車の誘導をする羽目になり、椅子に座っている時間よりも立っている時間の方が圧倒的に多く、気を抜いていられる時間は皆無に近かった。
 それでも2時を過ぎる頃にはほとんどの患者がいなくなり、なんとかひと息つけるくらいの余裕が出てきた。

「やーっと、患者さん減ったな。今夜だけで何人来たんだ?え?102人!?ちょっと多すぎだろ。これ」

 月森が受付表の人数を数えて声を上げる。ようやく椅子に座れた家泉も疲れ切っていて、人数を聞くと腹の底から大きな溜息をついた。

「道理で大変だった……このペースだと今夜は休憩とれなさそう」
「わたしもそう思います」

 イリヤもさすがにこの大人数の受付は初めてだったのか、わずかに疲労の色が浮かんでいた。月森が慌てて2人をフォローする。

「だったら、人が少ない今のうちに休憩取ろう。ふたりとも今から順番でいってきていいぞ」
「いいの?」
「オレは一番最後でいい」

 その言葉に家泉がイリヤの方を見た。

「じゃあ、イリヤさん。先に行ってください」

 家泉はイリヤを促すが、イリヤは頷かなかった。

「いえ、わたしより疲れているのは家泉さんなので、先に休んでください」
「え、いや、そんなわけには」
「わたしはまだ大丈夫ですから」

 イリヤの譲らない雰囲気に家泉は渋々頷く。

「そう?ありがとう。じゃあ」

 礼を言って家泉が椅子から立ち上がった時だった。カウンターに置かれていたティッシュケースほどの大きさの箱が、バランスを崩して落下した。それは患者の拾得物を保管する箱で、普段は2階の総務部に置いてあるのだが、今日に限って落とし物の問い合わせが複数あり、受付に移動させていたのだ。
 蓋付きの箱は、ゆっくりと回転しながら床に落ちると同時に、蓋が外れて中の物が散乱する。そして、その中からきらりと光る物が飛び出したと思った瞬間にイリヤが悲鳴を上げた。

「痛っ!」

 その声を聞いた家泉と月森が同時にイリヤを見ると、彼女の左手の甲は赤黒く、やけどをした皮膚の状態になっていた。側には銀色の指輪が落ちていて、家泉はイリヤが怪我した原因を瞬く間に理解する。
 家泉がイリヤの手を取るなり、月森に言う。

「月森、おれはイリヤさんの怪我の手当をしてくる。悪いけど、そこの箱を片付けたらしばらくひとりで受付にいてくれ」
「わかった!」

 そして有無を言わさずイリヤを引っ張って職員用の給湯室へ向かった。すぐに蛇口から水を出してイリヤの左手を冷やし始める。手のやけどは指輪の形にひどい炎症を起こして見ているだけで痛々しい。

「大丈夫?人間のやけどの処置と同じでいいんだよね?イリヤさん」
「はい」

 いつもなら怪我の患者を見ても取り乱したりしない家泉だが、怪我をした吸血鬼を見たのは初めてだったため、動揺が隠せない。言葉遣いも職場であるにも関わらず、率直な物言いになっていた。

「ごめん。箱の中に銀製の指輪があることに気付いてなくて」
「わたしの方こそ、ごめんなさい。まさか銀だとは思ってなくてよけそこなってしまいました」
「やっぱり銀で出来ているものは全部ダメ?」
「はい。人間のアレルギーというものに近いと思います。少し触れただけでひどく痛いのです」

 弱々しく返事をしたイリヤに、家泉は唇を噛んだ。同時に申し訳ない気持ちで頭がいっぱいになる。
 吸血鬼は銀が弱点ということを、イリヤが怪我をするまですっかり忘れていた。そもそも吸血鬼と働くならば、そういう銀製の物が身近にあることを事前にチェックしておく必要があったのだ。
 自分の落ち度でイリヤにやけどを負わせてしまったことに、家泉は悔やむ。
 目の前にいるイリヤの横顔は痛みを堪えているせいで青白く、長い睫毛が震えていた。水に濡れた手は小さくて、体も細い。圧倒的な力を持った吸血鬼とは思えない見た目をしている。

(吸血鬼って言っても、こうしてみると人間の女の子とあまり変わらないな)

 ぼんやりとイリヤの顔を眺めて既に5分以上経過していたが、家泉はそんなことにも気付かずに、ずっとイリヤの手を握って水で冷やし続けていた。
 そのうち黙ってされるがままだったイリヤが、ぎこちなく家泉を見上げる。

「あ、あの。家泉さん、充分に冷えたので、もう手を、握ってもらわなくて、結構です」
「あっごめん!」
 慌てて手を離せば、イリヤは水を止めてハンカチを取り出すと手の甲を押さえた。
「ここまで冷えれば、後1時間くらいで完全に治ると思います」
「そ、そうなんだ」
「はい……あの、お騒がせしました」
「あ、その、おれのほうこそ」

 家泉が気まずくなって口を閉ざすと、イリヤも俯く。沈黙が給湯室に流れる。が、それも長くは続かなかった。給湯室に月森が駆け込んできたのだ。

「おい!また患者たくさん来たから、悪いけど休憩はあとにしてくれ!」
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