6 / 18
6 思いもよらないトラブル
しおりを挟む
夜間の受付が始まった時は驚くほど人が少なかったが、午前1時を回って以降は受付リストはびっしりと患者の名前で埋め尽くされた。
スタッフ同士の会話は短い連絡事項や受け答えのみで、ひたすら目の前の作業をこなし、家泉にいたっては何台もやってくる救急車の誘導をする羽目になり、椅子に座っている時間よりも立っている時間の方が圧倒的に多く、気を抜いていられる時間は皆無に近かった。
それでも2時を過ぎる頃にはほとんどの患者がいなくなり、なんとかひと息つけるくらいの余裕が出てきた。
「やーっと、患者さん減ったな。今夜だけで何人来たんだ?え?102人!?ちょっと多すぎだろ。これ」
月森が受付表の人数を数えて声を上げる。ようやく椅子に座れた家泉も疲れ切っていて、人数を聞くと腹の底から大きな溜息をついた。
「道理で大変だった……このペースだと今夜は休憩とれなさそう」
「わたしもそう思います」
イリヤもさすがにこの大人数の受付は初めてだったのか、わずかに疲労の色が浮かんでいた。月森が慌てて2人をフォローする。
「だったら、人が少ない今のうちに休憩取ろう。ふたりとも今から順番でいってきていいぞ」
「いいの?」
「オレは一番最後でいい」
その言葉に家泉がイリヤの方を見た。
「じゃあ、イリヤさん。先に行ってください」
家泉はイリヤを促すが、イリヤは頷かなかった。
「いえ、わたしより疲れているのは家泉さんなので、先に休んでください」
「え、いや、そんなわけには」
「わたしはまだ大丈夫ですから」
イリヤの譲らない雰囲気に家泉は渋々頷く。
「そう?ありがとう。じゃあ」
礼を言って家泉が椅子から立ち上がった時だった。カウンターに置かれていたティッシュケースほどの大きさの箱が、バランスを崩して落下した。それは患者の拾得物を保管する箱で、普段は2階の総務部に置いてあるのだが、今日に限って落とし物の問い合わせが複数あり、受付に移動させていたのだ。
蓋付きの箱は、ゆっくりと回転しながら床に落ちると同時に、蓋が外れて中の物が散乱する。そして、その中からきらりと光る物が飛び出したと思った瞬間にイリヤが悲鳴を上げた。
「痛っ!」
その声を聞いた家泉と月森が同時にイリヤを見ると、彼女の左手の甲は赤黒く、やけどをした皮膚の状態になっていた。側には銀色の指輪が落ちていて、家泉はイリヤが怪我した原因を瞬く間に理解する。
家泉がイリヤの手を取るなり、月森に言う。
「月森、おれはイリヤさんの怪我の手当をしてくる。悪いけど、そこの箱を片付けたらしばらくひとりで受付にいてくれ」
「わかった!」
そして有無を言わさずイリヤを引っ張って職員用の給湯室へ向かった。すぐに蛇口から水を出してイリヤの左手を冷やし始める。手のやけどは指輪の形にひどい炎症を起こして見ているだけで痛々しい。
「大丈夫?人間のやけどの処置と同じでいいんだよね?イリヤさん」
「はい」
いつもなら怪我の患者を見ても取り乱したりしない家泉だが、怪我をした吸血鬼を見たのは初めてだったため、動揺が隠せない。言葉遣いも職場であるにも関わらず、率直な物言いになっていた。
「ごめん。箱の中に銀製の指輪があることに気付いてなくて」
「わたしの方こそ、ごめんなさい。まさか銀だとは思ってなくてよけそこなってしまいました」
「やっぱり銀で出来ているものは全部ダメ?」
「はい。人間のアレルギーというものに近いと思います。少し触れただけでひどく痛いのです」
弱々しく返事をしたイリヤに、家泉は唇を噛んだ。同時に申し訳ない気持ちで頭がいっぱいになる。
吸血鬼は銀が弱点ということを、イリヤが怪我をするまですっかり忘れていた。そもそも吸血鬼と働くならば、そういう銀製の物が身近にあることを事前にチェックしておく必要があったのだ。
自分の落ち度でイリヤにやけどを負わせてしまったことに、家泉は悔やむ。
目の前にいるイリヤの横顔は痛みを堪えているせいで青白く、長い睫毛が震えていた。水に濡れた手は小さくて、体も細い。圧倒的な力を持った吸血鬼とは思えない見た目をしている。
(吸血鬼って言っても、こうしてみると人間の女の子とあまり変わらないな)
ぼんやりとイリヤの顔を眺めて既に5分以上経過していたが、家泉はそんなことにも気付かずに、ずっとイリヤの手を握って水で冷やし続けていた。
そのうち黙ってされるがままだったイリヤが、ぎこちなく家泉を見上げる。
「あ、あの。家泉さん、充分に冷えたので、もう手を、握ってもらわなくて、結構です」
「あっごめん!」
慌てて手を離せば、イリヤは水を止めてハンカチを取り出すと手の甲を押さえた。
「ここまで冷えれば、後1時間くらいで完全に治ると思います」
「そ、そうなんだ」
「はい……あの、お騒がせしました」
「あ、その、おれのほうこそ」
家泉が気まずくなって口を閉ざすと、イリヤも俯く。沈黙が給湯室に流れる。が、それも長くは続かなかった。給湯室に月森が駆け込んできたのだ。
「おい!また患者たくさん来たから、悪いけど休憩はあとにしてくれ!」
スタッフ同士の会話は短い連絡事項や受け答えのみで、ひたすら目の前の作業をこなし、家泉にいたっては何台もやってくる救急車の誘導をする羽目になり、椅子に座っている時間よりも立っている時間の方が圧倒的に多く、気を抜いていられる時間は皆無に近かった。
それでも2時を過ぎる頃にはほとんどの患者がいなくなり、なんとかひと息つけるくらいの余裕が出てきた。
「やーっと、患者さん減ったな。今夜だけで何人来たんだ?え?102人!?ちょっと多すぎだろ。これ」
月森が受付表の人数を数えて声を上げる。ようやく椅子に座れた家泉も疲れ切っていて、人数を聞くと腹の底から大きな溜息をついた。
「道理で大変だった……このペースだと今夜は休憩とれなさそう」
「わたしもそう思います」
イリヤもさすがにこの大人数の受付は初めてだったのか、わずかに疲労の色が浮かんでいた。月森が慌てて2人をフォローする。
「だったら、人が少ない今のうちに休憩取ろう。ふたりとも今から順番でいってきていいぞ」
「いいの?」
「オレは一番最後でいい」
その言葉に家泉がイリヤの方を見た。
「じゃあ、イリヤさん。先に行ってください」
家泉はイリヤを促すが、イリヤは頷かなかった。
「いえ、わたしより疲れているのは家泉さんなので、先に休んでください」
「え、いや、そんなわけには」
「わたしはまだ大丈夫ですから」
イリヤの譲らない雰囲気に家泉は渋々頷く。
「そう?ありがとう。じゃあ」
礼を言って家泉が椅子から立ち上がった時だった。カウンターに置かれていたティッシュケースほどの大きさの箱が、バランスを崩して落下した。それは患者の拾得物を保管する箱で、普段は2階の総務部に置いてあるのだが、今日に限って落とし物の問い合わせが複数あり、受付に移動させていたのだ。
蓋付きの箱は、ゆっくりと回転しながら床に落ちると同時に、蓋が外れて中の物が散乱する。そして、その中からきらりと光る物が飛び出したと思った瞬間にイリヤが悲鳴を上げた。
「痛っ!」
その声を聞いた家泉と月森が同時にイリヤを見ると、彼女の左手の甲は赤黒く、やけどをした皮膚の状態になっていた。側には銀色の指輪が落ちていて、家泉はイリヤが怪我した原因を瞬く間に理解する。
家泉がイリヤの手を取るなり、月森に言う。
「月森、おれはイリヤさんの怪我の手当をしてくる。悪いけど、そこの箱を片付けたらしばらくひとりで受付にいてくれ」
「わかった!」
そして有無を言わさずイリヤを引っ張って職員用の給湯室へ向かった。すぐに蛇口から水を出してイリヤの左手を冷やし始める。手のやけどは指輪の形にひどい炎症を起こして見ているだけで痛々しい。
「大丈夫?人間のやけどの処置と同じでいいんだよね?イリヤさん」
「はい」
いつもなら怪我の患者を見ても取り乱したりしない家泉だが、怪我をした吸血鬼を見たのは初めてだったため、動揺が隠せない。言葉遣いも職場であるにも関わらず、率直な物言いになっていた。
「ごめん。箱の中に銀製の指輪があることに気付いてなくて」
「わたしの方こそ、ごめんなさい。まさか銀だとは思ってなくてよけそこなってしまいました」
「やっぱり銀で出来ているものは全部ダメ?」
「はい。人間のアレルギーというものに近いと思います。少し触れただけでひどく痛いのです」
弱々しく返事をしたイリヤに、家泉は唇を噛んだ。同時に申し訳ない気持ちで頭がいっぱいになる。
吸血鬼は銀が弱点ということを、イリヤが怪我をするまですっかり忘れていた。そもそも吸血鬼と働くならば、そういう銀製の物が身近にあることを事前にチェックしておく必要があったのだ。
自分の落ち度でイリヤにやけどを負わせてしまったことに、家泉は悔やむ。
目の前にいるイリヤの横顔は痛みを堪えているせいで青白く、長い睫毛が震えていた。水に濡れた手は小さくて、体も細い。圧倒的な力を持った吸血鬼とは思えない見た目をしている。
(吸血鬼って言っても、こうしてみると人間の女の子とあまり変わらないな)
ぼんやりとイリヤの顔を眺めて既に5分以上経過していたが、家泉はそんなことにも気付かずに、ずっとイリヤの手を握って水で冷やし続けていた。
そのうち黙ってされるがままだったイリヤが、ぎこちなく家泉を見上げる。
「あ、あの。家泉さん、充分に冷えたので、もう手を、握ってもらわなくて、結構です」
「あっごめん!」
慌てて手を離せば、イリヤは水を止めてハンカチを取り出すと手の甲を押さえた。
「ここまで冷えれば、後1時間くらいで完全に治ると思います」
「そ、そうなんだ」
「はい……あの、お騒がせしました」
「あ、その、おれのほうこそ」
家泉が気まずくなって口を閉ざすと、イリヤも俯く。沈黙が給湯室に流れる。が、それも長くは続かなかった。給湯室に月森が駆け込んできたのだ。
「おい!また患者たくさん来たから、悪いけど休憩はあとにしてくれ!」
10
あなたにおすすめの小説
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
可愛らしい人
はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」
「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」
「それにあいつはひとりで生きていけるから」
女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。
けれど、
「エレナ嬢」
「なんでしょうか?」
「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」
その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。
「……いいえ」
当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。
「よければ僕と一緒に行きませんか?」
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
誰でもイイけど、お前は無いわw
猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。
同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。
見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、
「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」
と言われてしまう。
その断罪、三ヶ月後じゃダメですか?
荒瀬ヤヒロ
恋愛
ダメですか。
突然覚えのない罪をなすりつけられたアレクサンドルは兄と弟ともに深い溜め息を吐く。
「あと、三ヶ月だったのに…」
*「小説家になろう」にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる