知ってるけど言いたくない!

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その1

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伯爵という上流貴族であるジェームズ家の二階建ての大きな屋敷。その屋敷の一階の奥隅にある厨房に荒げた声が響いたのは、下働きの者達がご主人様の朝食を準備している早朝だった。

「おい!紫銀の髪の女はどこだ!?」

勢いよく開かれた扉とともに聞こえた怒りの声に、厨房にいた年配の調理人と下働きの女中達が一斉に声の主を見た。ドス黒いオーラを纏って立っていたのは長身でラフな家着でもわかるしっかりとした身体つきの男。肩までの金髪は後ろで雑に纏めてあるため所々こぼれ落ちて顔にかかっている。睨みを効かせた青い瞳は綺麗な二重でこの男の端麗さをより引き立てていた。

その若くて美しい男に視線を残したまま厨房内の全員が凍りついたように青ざめてその場に固まった。ただ一人を除いては。

「紫銀の髪でしたら、私です」

果物を切っていたナイフを握ったまま平然と高く手を挙げたのはこの厨房で歳も勤務歴も一番若いエティ。本人の申告通り白いキャップから出ている前髪は紫銀色である。ナイフを大きくかざしている姿に周りにいた女中はひっ、と後ずさった。

「エティ!ナ、ナイフ下ろして!」
「うわっと、ごめんなさい!」

少し離れた所にいる同じ女中のアネットから注意されエティは慌ててカッティングボードの上にナイフを置いた。そんなやりとりをしているエティの顔を男は厨房の入り口から食い入るように見ていた。

「お前か、こっちに来て髪を見せろ」

男に不躾に言われて、エティは眉を少し寄せるとアネットに「誰?」とさり気なく尋ねた。その言葉を聞いた男は片方の眉をピクリと動かした。

「ほう、俺の事を知らない奴がいたのか?ならば俺が直々に教えてやる。はやくこっちに来い!」

自分の発言が男を更に怒らせてしまったのがわかってエティは仕方なく足早で男の前に立った。離れていても男は背が高いとわかったが近くに行くと小柄なエティはかなりな角度で男の顔を見上げる形になった。通常の顔の向きでは彼のお腹しか見えないだろう。一気に子供に戻った気分だった。

「俺はここのジェームズ家の主人であるクリフォードだ。覚えておけ!」
「……ご存知上げず申し訳ありませんでした」
「早く髪を見せろ」

この怒鳴り散らす男が主人とわかりエティは驚いた。つい最近前のご主人から息子のクリフォードが後を継いだばかりだとは聞いていたがエティは今、初めてクリフォードの顔を知った。
なるほど、この美しい顔ならあの噂も頷ける。そう納得しながらエティはキャップを外し、丸く纏めていた長い髪を解いた。サラサラの髪は三つ編みにしてあったため緩やかなウェーブを描きふわりと揺れた。黒い女中服にかかる髪は紫銀色がより強調された。
同じ青い瞳のクリフォードよりも深く濃い青でエティは上を見上げた。そして首を傾げた。
何故、屋敷の主人の前で自分は髪を下ろしているのだろう。しかもどう見てもクリフォードは怒っている。顔を知らなかった無礼とは別件だ。髪が一体どうしたと言うのか。

クリフォードは険しい表情でエティの顔と髪を眺めると、腰に当てていた手を威嚇するように胸の前で組んだ。

「やはりお前だ。昨夜俺の寝室に入り込んだだろ。いや、昨夜だけじゃない。ここ最近毎晩ずっと来てるな。どういうつもりだ!」
「えっ?……寝室?何の事ですか?昨夜なら私はアネットとずっと一緒に街に居ました」
「下手な嘘はやめろ!俺は自分の目でちゃんと見たんだ。その紫銀の髪だった!」

より一層声を荒げたクリフォードにエティが詰め寄られていると厨房の奥から弱々しい声が聞こえた。

「ご主人様。エティは嘘をついていません。昨夜は深夜まで、私と二人で街の酒場に居ました。疑うようでしたらその店の方に確認してください……!」

アネットは震えながら最後まで言い切るとクリフォードに向かって頭を下げた。誰が見ても恐ろしく怒っているクリフォードにエティは怯えることなく強く見上げると物怖じもせずに意見した。

「昨夜だけでなく他の日もご主人様の寝室へは行っていません。確かに紫銀の髪は珍しいかもしれませんが私の他にもいます。もう少しちゃんと調べてください」

クリフォードに食ってかかるエティに6人ほどいる厨房のメンバーは冷や汗が止まらなかった。頼むからご主人様をこれ以上怒らせないでくれ。そうエティの背中に祈っているとクリフォードが大きく舌打ちをした。
クリフォードは惨忍や卑劣さはないが、決して温暖な気質ではない。怒ると怖いという事は皆んなが知っていた。やはり一人を除いては。

「ああ、くそっ!……もういいっ!!」

全く納得はしていない気配だがクリフォードは諦めて厨房を後にした。
荒々しい足音が遠のいていったのを確認するとエティは振り返ってクリフォードに負けないくらいの声で叫んだ。

「何あれ!?間違えたなら素直に謝るべきじゃない!?」
「まあまあ、貴族の方相手だと色々あるんだよ」

嵐が去った厨房では固唾を飲んで一連を見守っていた調理人と女中達は一斉に肩の力を抜いた。
クリフォードは納得していないようだったがエティも納得していなかった。エティが一方的に怒鳴られて終わっただけだ。


***


厨房を出たクリフォードは自室に帰る途中、自分を迎えに来た執事のハンクの顔を見た途端ぶっきらぼうに尋ねた。

「あんな子供みたいな女中いたか?初めて見たぞ」
「みんなクリフォード様がこの屋敷に来る前からいますよ。クリフォード様が顔を合わせる女中は身の回りを担当している2名くらいでしょう」

ハンクはクリフォードの斜め後ろをついて歩きながらハキハキと答えた。


前当主であったクリフォードの父はまだ55歳と引退するには若い方だが、田舎で暮らすのが昔からの夢だったと夫婦で離れた土地へ行ってしまった。
王宮で騎士をしているクリフォードは他の騎士と一緒に王宮の宿舎にいたがジェームズ家の爵位を継いだのをきっかけにこの屋敷に戻って来た。
クリフォードは朝から晩まで王宮で騎士を務めて、屋敷に帰って来ても殆ど自室にいるため会話をするとしても執事のハンクくらいしかいなかった。

「それで、どうでしたか?」
「本人は否定していたがあいつが紫銀の女だ」
「そう結論付けた決定的な事項は何ですか?」
「髪の色と青い瞳、あと肌の白さだ」

クリフォードは自信満々と答えた。しかしハンクは「それだけですか?」と首を傾げた。


***


「アネット今朝はありがとう。ほんっとムカつくあのご主人様!何様のつもりよ!……ってご主人様か……」

昼休憩、エティは賄いをフォークでブスブス突きながら顔を怒りで歪ませた。向かい合って座っているアネットは小さく溜息をつきながらエティを眺めた。

「エティ……口を開くと儚くて可愛い姿が台無しよ」
「何言ってるの。こんなちんちくりんのどこが儚いの?そういう言葉はアネットみたいな人に使うのよ」

エティは唇を尖らせながら刺さった野菜ごとフォークをアネットに向けた。

アネットが言ったようにエティは黙って大人しく座っていればその紫銀の髪と色白の肌、ぱっちりした青い瞳と小さいながらぷっくりとした唇は女性としてとても魅力的な容姿だった。しかし周りにいる同世代の人と比べると背は低く小柄で幼稚に見える為か男性からは全く相手にされなかった。

一方、男爵家の三女であるアネットはお嬢様育ちで仕草や立ち居振る舞いがとても女性らしい。それを抜きにしてもハニーブロンドにゴールドアイで美しい顔立ちをしている。エティはそんな3歳年上のアネットに密かに憧れていた。

サバサバした男っぽい性格のエティと
女らしさを持ったアネットとは一見気が合わなさそうだが二人はすぐに仲良くなった。昨夜は二人は一緒だったとクリフォードに言ったが、昨夜どころか殆ど毎晩一緒にいる。

「エティ、さっきからお行儀が悪いわよ。それよりご主人様の言ってた事気にならない?ご主人様の寝室に入って来たって人がエティに似てるって」
「本当にそんな人いたのかな?あの人、あらかた夢でも見たんじゃないの?」
「あの人……って、ご主人様の事をそんな言い方して。それよりエティはご主人様の顔知らなかったのね」
「ああ、うん。私の担当する仕事の範囲ではご主人様にはまず会う事がないからね。前のご主人様でも見たのは一回きりだもん」

一番下っ端のエティは雑用の仕事が多く屋敷の中は厨房のみで後は外での作業が多い。身体を動かすことが好きなエティは女性だからとか、か弱い泣き言は一切言わずどんな仕事でも喜んで引き受けていた。

エティとアネットが会話を続けながら食事を進めていると休憩室に執事のハンクがやって来た。ハンクは全く乱れのない黒のスーツ姿で丁寧(?)に挨拶をすると淡々とした口調で話し始めた。

「御機嫌ようレディー達。今朝はクリフォード様が厨房に乱入して申し訳ありませんでした。その件でエティ殿に話があります」




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