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その12
しおりを挟む馬小屋でクリフォードに平手打ちした日から数日後、エティはアネットと街の酒場にいた。
その酒場はクリフォードの屋敷からほど近く、いつも二人が利用している馴染みの店だった。
お酒に強いエティはいくら飲んでも全く酔ったりはしないが、アネットは間逆で、一滴も飲めない。下戸なのだ。それなのにエティが一人で飲みに出ようとすると「一人で楽しむなんてズルい!」と毎回ついて来る。
お酒の味を楽しむというより陽気な店のオヤジさんや奥さん、常連客との会話を楽しみにこの酒場に通ってるエティだが、この夜はそんな気分ではなかった。
「エティ今日は静かね。どうしたんだい?」
注文したエティのお酒とアネットの果実水を運んできた店の奥さんが明るく声をかけてきた。全く同じセリフを向かいに座るアネットから少し前に聞いたばかりだ。
「ちょっと待ってよ。私はいつもそんなに騒がしいの?」
「騒がしいんじゃなくて、もっと元気いっぱいって感じでしょ?」
奥さんの言葉にアネットがウンウンと頷いて同意する。
「若いんだし色々あるんでしょう?まぁ、ゆっくりしていきなさいな」
優しく微笑んでエティの背中を、ポンポンと軽く叩いて立ち去った奥さんは、エティより年上の娘がいると言っていた。きっとエティのような年頃の女性の気持ちが汲み取れるのだろう。変に心配するより暖かく見守るような笑顔に、エティのイライラしていた気持ちが少し懐柔された。
エティが静かだった理由はイライラして気持ちの収まりがつかないからなのだ。未だかつてこんなに気持ちに余裕が無くなることなどなく、どう気持ちを扱っていいか自分自身戸惑う部分もあった。
「ねぇ、本当にどうしたの?最近様子が変よ。落ち着きがないし、いつも気持ちが別にあるっていうか……。やっぱり、この前ご主人様と何かあったの?」
「べ、別に……何もないよ?」
大いにある。このイライラの原因は全てクリフォードのせいだ。
作り笑いで誤魔化したのがわかったようで、アネットは怪訝な表情で探るようにエティの瞳を見たままだった。
エティが強烈なビンタをかました事で、クリフォードはもう接触してこないだろうと思っていたのに、彼は翌朝何食わぬ顔でまた馬小屋でエティを待っていたのだ。呆れた顔で無視し続けたのに、クリフォードはそれから毎朝同じように待ち伏せしているのだ。
そして声をかけるでもなく、馬小屋の作業を手伝いながらエティの方を穴が開く勢いで見つめてくる。
「気持ち悪すぎる……」
「えっ?気分悪いの?だったらこんなの飲んだらダメよ!」
「違う違う、 別のことだからっ」
アネットに取り上げられたお酒のグラスを奪い返すと、エティは一気に半分ほどあおった。今夜は強いお酒を頼んだせいか一瞬頭がクラっとした気がした。
「おう、エティとアネット!久しぶりじゃねぇか」
「ニコラス!久しぶり!」
二人に野太い声をかけてきたのはニコラスといって口髭の目立つ初老の男性だ。一見、山男のようなむさ苦しさがあるが明るい性格で気前がよく、誰からも好かれている。ニコラスもこの店の常連客で、エティ達が店に来ると必ずといっていいほど顔を合わせていた。
「ニコラス一人?一緒に座る?いいでしょ?アネット」
「ええ、もちろん」
「サンキュー。じゃあ、そうさせてもらうよ」
立ち上がって自分の隣の椅子を引いたエティにニコラスは、あれ?と首を傾げた。
「エティ、背が少し伸びたんじゃねぇのか?よく見たら顔も、ちいっと大人っぽくなってる気がするし、やっと成長期に入ったか?」
ガハハと軽快に笑ったニコラスは、椅子に片肘を掛けて座った。まだ立ったままのエティはアネットに、本当に?と尋ねるように輝いた目を向けたが、アネットも言われて初めて気づいたのうで、驚いたようにエティの全身を目測しながら言った。
「言われてみればそうかもしれないわね。顔は痩せたせいだと思っていたけれど、身長は気づかなかったわ」
毎日一緒にいると小さな変化に気づきそうで、案外気づかないものだったりするのだ。
エティはニコラスが席で寛ぐのを見てホッと気を緩めた。アネットと二人だとクリフォードとの事を突っ込んで聞いてくるもしれない。誤魔化すのはあまり上手じゃないし、何があったかなんてできればこのまま誰にも知られたくない。そう思ってエティはニコラスを同席させたのだった。
「エティはこの前誕生日だったんだろ?今日は奢ってやるよ」
「えっ、本当に?ヤッタァ!」
「だからって飲み過ぎちゃダメよ。一応病みあがりなんだから」
「病みあがり?どうかしたのか?」
「ただの風邪よ。もう治ったから今日はたくさん飲んじゃおっかな!」
「お前がザルなの忘れてたぜ……。ホドホドにな」
仕方ないなぁと眉を下げて笑うアネットとニコラスを前に、エティは張り切ってお酒のお代わりを追加注文した。3人は手元にグラスが揃うとカチリと合わせて「いつも良き日に」とお決まりの挨拶で微笑んだ。
軽く一口飲んだニコラスが思い出したように2人に話しかけた。
「ところでよぉ、お前さん達 “花嫁” をやらないか?」
「 “花嫁” って花祭りの?」
「ああ。今年立候補してた娘さん達に恋人ができてよ、その恋人がヤキモチ妬くからって参加を取り辞めたらしいんだよ」
花祭りとは花が咲き誇る春に行われる街でのお祭りで、街の人達の健康と繁栄を願うため毎年行われている。“花嫁” と呼ばれる未婚の若い娘3人がまさしく花嫁のように着飾ってお祭りに色を添えていた。“花嫁”に選ばれた女性はこの役で注目を浴びる事から、大概すぐに大勢の男性から求婚されるため、街の未婚の女性達はこぞって参加したがる。
エティが初めてこのお祭りを見た時は、街をあげた大掛かりなお見合いにしか思えなかった。
「見世物になるなんて嫌よ。それに昨年「お前には “花嫁” なんて当分無理だな」って笑い飛ばしたのは誰よ」
エティがひねくれたように言うと、覚えてねぇなぁ、とニコラスは誤魔化すように視線を頭上へやった。
「エティが出ないなら私も出ないわ。それに今は結婚したいと思わないもの」
「なんだよ、アネット勿体ねぇなぁ。お前さんはそう思っても、手を取りたい男どもはたくさんいるんだぞ。恐れ多くて声をかけれない男どもにチャンスを与えてやれよ」
「やっぱりアネットってモテるのね……。アネットだけでも出たら?」
「私は何でもエティと一緒がいいの」
エティの尊敬の眼差しを跳ね除けて、まるで子供が我儘を言うように断るアネットにニコラスは苦笑した。
「実は今年の “花嫁” 担当は俺なんだ。準備もあるからよ、できるだけ早めにオッケーしてくれよ。俺の知ってる娘っ子の中でお前さん達が一等のべっぴんさんだから声かけたんだぜ」
ガハハと大口を開けて豪快に笑うニコラスに、おいおい、今ちゃんと断っただろ!とエティは突っ込んだ。
しかしべっぴんさんと言われて満更でもない2人はいつの間にか嬉しそうに笑っていた。
暫くして目の前に座っているアネットの動きが急に止まった。驚いたように目を見開いてエティの後方を見ている。エティに向ける心配そうな顔はよく見るが、こんなに驚いた表情のアネットはあまり見た事がない。何がそんなに彼女を驚かせたのかと、興味津々にエティはアネットの視線の先を見た。
「……アレってお前さん達の旦那様じゃねぇのか?」
エティにつられて後ろを振り向いたニコラスは物珍しそうに視線を定めたまま2人に尋ねた。しかし2人からは何の返事もない。
「へぇー、噂の美丈夫は遠目に見ても絵になるんだな」
感心したようにニコラスが呟いてる間に、その美丈夫は3人が座っているテーブルまで歩み寄ってきた。
「やあ、エティとアネット。楽しんでいるようだね」
そう言うとクリフォードはにっこり微笑んだ。見たことの無い態度にエティとアネットは唖然とした顔でクリフォードを見上げた。
屋敷内でクリフォードに会ったとしても使用人が頭を下げるだけでクリフォードからは声などかけられた事がない。それなのに名前まで口にして笑いかけるなどあり得なかった。エティより長く屋敷に務めていて、その事を熟知しているアネットにとっては衝撃的だった。おかげでポカンと口を開けた間抜けな顔を暫く人前に晒してしまった。アネットはハッと我に返って慌てて立ち上がると軽く頭を下げた。
「ああ、そんな事しなくていい。ここは屋敷じゃないし、もう仕事は終わってるだろう。たまたま見かけたから声をかけただけだ」
厨房で怒鳴っていた人と同じ人物とは思えないくらいに優しい口調で話すクリフォードと、信じられない物を見るように固まったままのエティを見てアネットは気づいてしまった。
やはり2人の間に何かあったと。
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