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しおりを挟むそれは和恵さんが退院してから1週間後の事だった。その和恵さんから話があると言われ、バイトが終わった後ダイニングでお茶を飲みながら話を聞いていた。
「住み込み、ですか?」
「そう!私が骨折したのが利き手で、完治までまだ暫くかかりそうなのよね。足も同じでやっぱりどうやっても不便なのよ。それで思いついたんだけど、ほのちゃんがウチで住み込みで少し家事もバイトしてくれたら凄く助かるんだけど、どう?」
和恵さんは、まだギブスのついた右腕をひらひらと顔の前で軽く振った。ギブスから僅かに出ている指先は使えるだろうけど、確かにその状態ではかなり不便だろうな。
「あまりピンときませんが、つまり家事をすればいいですか?」
「全部じゃないわよ。私ができない部分のサポートと思ってくれればいいんだけど」
和恵さんの話がぶっ飛びすぎて、理解するのに時間がかかってしまった。つまり、家事の一部と店と両方のバイトという事らしい。家事は得意ではないが嫌いじゃないし、どうせ大学の夏休み中、店には開店前から閉店後までずっといるだろうし、何よりここの家は好きだ。そう考えたら別に悪い話ではない。ただ問題がある。
「あの、裕君から聞いてると思いますが、私手際が悪くてどの作業もノロいんです。家事は一通りできますけど、お役に立てるかどうかわかりません」
「そうなの?裕は仕事が丁寧だって言ってたけど。やれる時にやってくれればいいし、やれる範囲でいいのよ」
おや、その問題はクリアしてしまった。
「わかりました。一度海外にいる両親に相談してもいいですか?今のマンションは両親と一緒に住んでいたので、両親がいない間留守を任されてるんです」
「勿論よ。ご両親からオッケーが出たら私からも挨拶がてら連絡入れさせてもらうわ」
終始和かに笑う和恵さんを見てると、やはり裕君のお母さんなんだな、と感じる。和恵さんに対して緊張したのは最初だけで、すぐに和恵さんの明るさにつられ肩を張らずに話ができるようになった。
話が終わって帰ろうとすると和恵さんに止められた。
「待って、裕に送らせるから」
「毎日悪いですよ。たまにはひとりで大丈夫です」
「ダメよ、女の子なんだから。裕~、裕~!」
そうなんだよね、私がバイトに来る度に裕君は送ってくれる。しかも最近はマンションの前までだ。電車賃も発生してるし、それを考えたらここで住み込みした方が裕君には負担にならないんだよね。
和恵さんの声がしっかり届いたようで、厨房の方から裕君がスリッパをパタパタさせながらやってきた。
「女子会終わった?」
「終わった終わった。裕、ほのちゃんを送ってってよ」
「わかった、わかった。ほのか、もう出れる?」
2人の二度繰り返す所が面白くて思わず吹き出してしまった。クスクス笑う私に裕君は不思議そうに首を傾げた。
帰り道、隣を歩く裕君は興味深々に尋ねてきた。
「女子会はどんな話したの?」
「バイトの話だよ」
もしかして裕君、住み込みのバイトの件をまだ知らないのかな?それならまだ決まってないし言わない方がいいよね。
「母さん強引なとこあるけど、迷惑かけてない?」
「大丈夫だよ?和恵さん楽しい人だよね。最初会った時から思ってたけど、裕君の人柄の良さがわかるご両親だね」
こんないい家族の元でバイトができて、自分は凄く幸せ者だなぁと思いながら歩みを進めていたら、横から急に手を繋がれた。今までも何度か手を繋いで帰ったけど、今日のそれは指を絡ませた繋ぎ方で、いわゆる恋人繋ぎだ。通り過ぎる人達がみんなそこを見ているんじゃないかっていうくらい、繋がれた指先に意識が集中してしまった。
私は部屋に着くとすぐに両親に電話をした。和恵さんからのバイト内容を話すと、意外にあっさりOKが出た。どうやら娘を一人暮らしさせるより、住み込みさせた方が安心できるみたいだった。翌日、バイトに行った際、和恵さんに了承だと伝えると破顔して喜んでくれた。この様子は……裕君にバイトを頼まれて引き受けた時、裕君が喜んだのと全く同じ光景だ。
裕君、私より裕君とあなたのご両親の方が面白いよ。
***
「ほのか、その荷物何?」
住み込みバイトを引き受けた翌朝、さっそく着替えと必要な身の回りの物を持ってバイトに行くと、裕君が不思議そうに尋ねてきた。もしかして……、
「和恵さんから聞いてないの?今日から期間限定で住み込みバイトだよ」
「……は!?」
開店前の店内に裕君の声が大きく響いた。
やっぱり聞いてなかったんだ……。
裕君は目を丸くしたまま棒立ちになって固まっていた。おーい、と顔の前で手をひらひらさせるとやっと我に返った。
「マジ?」
「マジ。少しの間よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げた後、よっこらしょと旅行バッグを持ち上げると、裕君がパッと私の手から荷物を奪った。
「事前に教えてくれたら荷物を持ちに行ったのに」
「これくらいなら大丈夫だよ。私、意外に力持ちなのよ」
「わかった、わかった。ふにふにの力こぶ作らなくてもいいから」
「ふにふにじゃないのに!」
その後和恵さんに、暫く私が使わせてもらう一階の客間に案内され、そこでバイトの服に着替えた。なんと10畳くらい広い洋間だった。グレーの絨毯が全面にひいてあって折りたたみ式の小さなテーブルが置かれていた。
そうそう、店長さんが白のブラウスと黒エプロンを私用に新調してくれたので、早速それを身につけた。
「和恵さん、あんな広い部屋使っていいんですか?」
「『和恵ちゃん』って呼んでよ~。使ってない部屋だったから大丈夫、大丈夫!なんならそのまま住んでくれてもいいわよ。お布団は後で裕に運ばせるからね」
「住……?いえ、住む所は困ってないので……おの、やっぱり『和恵さん』じゃだめですか?ちゃん呼びはどうも抵抗が……」
「そっか、じゃあ『和恵さん』で!」
よかった。交渉してみるものだ。ホッと胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます。開店準備まで時間があるので、お家の方何かやりますね」
「じゃあ、洗い終わった洗濯物干してもらっていい?」
「わかりました!」
同じ一階なので今日から昼休憩も和室ではなく、洋間で取ろうとしたら和恵さんが、ダイニングで一緒にご飯を取ればいいと言ってきた。和恵さん曰く、私が昼食を4人ぶん作ってそのままダイニングで食べる、という事だ。いちいちお弁当箱に詰めるのも手間なので、それは有難いかも。
***
閉店後、店の仕事を済ませた私は和恵さんと並んで夕食の準備をしていた。そこへ、ひと段落ついた店長さんがキッチンへ入って来た。
「お!娘ができたみたいでいいねぇ」
「店長、お疲れ様でした。和恵さん、店長と一緒に座っててください。残りは私やりますので」
「わかったわ、ありがとう」
「あ、いいなー。ほのちゃん、僕も店が終わったら店長じゃなくて、茂さんがいいな!」
「わ、わかりました」
このご両親は何故にこんなに呼び名にこだわるのかが不思議だよ。
「俺も茂さんと和恵さんで呼んだ方がいい?」
裕君が呆れ顔でダイニングに入って来て席に着いた。3人並んだ様子を口元を緩めて眺めながら、作った料理をテーブルに並べていった。両親が海外に行ってしまってから、夜はずっと1人で食べていたので、この住み込みバイトの話を貰った時、実はこの時間が楽しみだった。私は久々の賑やかな食卓に、暫く心が踊ったままだった。
食事が済んで後片付けをしていると、裕君が布団を抱えてやって来た。
「布団持って来たけどほのかの部屋に入っていい?」
「あ、はい!ちょっと待ってね、すぐ扉開けるから」
濡れていた手を慌てて拭いて、洋間へ急いだ。扉を大きく開けると、裕君は軽々と抱えていた布団を、洋間の中央部に下ろした。
「ありがとう、裕君はもう仕事終わったの?」
「ううん、まだ。あのさ今度」
「ん?何?」
「デートして」
突然のその話に驚いて、部屋から出ようとしていた私は後ろにいた裕君を振り返った。
「は?」
「デート。嫌?」
ちょっと醤油取って、ぐらいのテンションで言われて私は面食らった。
だいたい裕君にそんな暇あるのかと思いつつ答えた。
「別に嫌じゃないけど……」
「よかった。今度予定合わせよう。ところでほのか」
名前を呼ばれたのと同時に腕を掴まれ裕君の方へ引き寄せられた。まだ白い作業着のままの懐は、甘い香りを纏っていて、その香りと私を捉える腕の温もりで次第にクラクラし始めた。きっとパブロフの犬のように、今後甘い香りを嗅いだら裕君の事が頭に浮かぶんだろうな。
「毎晩メールしてるのに、何でこの事黙ってたの?」
私を抱き締めていた手が背中をつつ、と上から下へなぞり私の身体はビクッと背筋が伸びた。同時に逃げられそうにない甘い雰囲気に緊張して強張った。
「えっと……も、もう知ってるかと思って……」
「ふーん、俺にこんな事されるってわかってて引き受けたんだよね?」
「……そういう事に…なる、かな?」
自分で返事しておきながら急激に恥ずかしくなった。これではまるでいつでも襲ってくださいと言っているようだ。
「じゃあ遠慮なく少し齧《かじ》らせて貰うかな」
徐々にその声が私の耳に近づくと生暖かい息がふっと耳にかけられた。
「……っ」
舌先で軽く耳の形をなぞった後、前みたいに耳朶を甘噛みし始めた。肩は竦めたものの、裕君の腕の中で大人しく目を閉じているとゾクゾクしていたものが身体中に溶けていき、私を包み込む大きな身体に全てを預けたくなってくる。
裕君の唇は頬を掠めて私の唇に降りてきた。前回のキスを思い出して気持ちが自然と身構えた。しかし僅かに触れてすぐ離れていった。もっとがっつりキスされると思ってしまった私は逆の意味で狼狽えた。
「まだ仕事が残ってるからここまでにしておく」
本当はもうちょっと他の事もしたかったと微笑みながら耳打ちして裕君は部屋を後にした。
この程度はいつもの事だから覚悟してたけど、他の事って……?
色々想像してしまって顔から赤みが引くのに時間がかかってしまった。
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