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幕間 なんでもない日
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近頃ヴィオラは不満だった。
せっかくエルベナに引っ越して来たのに、まだコーヒーショップに行くことが出来ていない。
考えてみれば当然で、夜開いている店でなければ足を運ぶことができないのだ。日光の耐性が高いジェフリーだけ、優雅にコーヒーを飲んでいるのが納得できない。
(まあ、どこのお店がいいか比べてきて、って言ったのはわたしだけど)
「来るまで気づかなかったの盲点よねえ……。わたし我慢強くなったと思うし、すっごく曇っているか、雨の日なら行けると思うんだけど、どうかしら」
「…………む、ぐ、……蜘蛛避けにはレモングラスがよいかと思います」
ジェフリーのずれた答えにヴィオラは頬をふくらませた。
何気なく呟いただけのことだが、こうも上の空だと腹が立つ。
しかし、抗議は飲み込んだ。言っても意味がない。
先ほどからジェフリーは手元に視線を落とし、黙々と縫い物をしている。
「……いっ」
針を指に刺したのか、血の匂いが漂ってきた。吸血鬼でなければわからない程度の些細なものだけれど。
(お腹が空いてきちゃうじゃないの、もう)
手頃な家具付きの物件が見つかったはいいが、寝具の類はなかったので中古で揃えたら数日でダメになった。だから、ああして、ジェフリーがずっと針仕事をしている。本来は執事の仕事ではない。昔はメイドがやってくれていたが、今はジェフリーしかやる人間がいないからやらざるを得ないだけ。苦手な裁縫に集中してるのだから、むしろ褒めるべきとは思うが――
(ちょっと集中しすぎなんじゃないかしらね)
「ねえ、ジェフリー、今日の晩御飯はなあに?」
「ああっ……糸が……」
「……」
駄目だ。やっぱり癪に障る。
(集中するのはいいけど、主人の話にまともに答えないのはどういうことなの!?)
ヴィオラは不満を飲み込みきれなかった自身を反省しつつも、自分の欲求に素直になることにした。
というわけで、答えがいい加減なのにも関わらず、話しかけることを止めはしないのだった。
「夜に居酒屋になる店もあるって言ってたわね。そこは夜もコーヒーを飲めるのかしら?」
「…………ええ、に、二軒ございます」
一旦手を止めれば、いいのに。と、思ったのが通じたのかジェフリーが顔を上げた。
「お嬢様、朝までにどうにかするので、どうかお許しを」
真剣に作業していた顔もいいが、この困った顔もヴィオラは好きだ。にこりと微笑み返す。と、ほっとしてジェフリーは作業に戻ったが、話しかけるなと言われて引き下がるヴィオラではない。
「この辺り、野良猫多いわよね」
「…………そ、そうですね」
「その二軒のコーヒーショップで野良猫が多いのってどっち?」
客からおこぼれが貰えるために、コーヒーショップのテラス席には猫が集まるらしい。
「ぐ……、猫はが多いのは……、う、上の方、でしょうか……」
「……」
うわの空にもほどがある。上ってどっちだ。多分、北の方なんだろうけど。
「じゃあ、ジェフリー、犬が多いのはどっち?」
人間のおこぼれを狙うのは猫だけではない。近隣で一番人口の多い街を選んだだけのことはあって、野良犬も多い。今も窓の外から、遠吠えが聴こえてくる。
「ああっ……、わ、わかりません……」
どうやら、余計な布まで縫い合わせてしまっていたらしい。解いてやり直している。
ちょっと可哀そうな気もするけれど、主を放っておいた罪は重いのだ。
「ねえ、ジェフリーは猫と犬どっちが可愛いと思う?」
無言。視線は手元に落としたまま。
そろそろ止めてあげないと涙目かもしれない。
しかし、ヴィオラはふと思いついた。悪乗りついでに聞いてみたいことを。なるべく平坦な声で尋ねてみる。
「じゃあ猫とわたしなら、どっちが可愛い?」
「それはお嬢様ですね」
どうせヘンテコな答えが返ってくると思ったら、即答だった。
(おおう……)
内心でヴィオラは握った拳を高く掲げた。猫はとっても可愛いので勝ったのは嬉しい。
一拍の間をおいて、さらに聞いてみる。
「犬とわたしならどっちが可愛い?」
「それもお嬢様ですね」
やはり即答。ジェフリーの視線はずっと手元で、縫い目に揺らぎもない。
「じゃあ――猫と犬とわたし、だれが一番好き?」
子供じみたことをしているのは解っている。
でも、いいかげん、こっちを見たっていいんじゃないだろうか。
ジェフリーは手元の動きを止めずに、今までのうわの空はなんだったかという速度で――
「お嬢様ですね」
答えた。
「……っ」
(ひっかけのつもりだったのに……)
一番速かった。
これには参った。顔が熱い。ヴィオラは頭を抱えた。
まだ「あっ」とか「……む」とか言っているし、恐らくは何を言われたか、何を答えたか正確に理解はしてないだろう。だというのに、この即答。
(これだから胸明けする訳よねえ……)
それからヴィオラは、大人しくジェフリーの作業を見守ることにした。
返事なんかされたら――、顔を見られたら、耳まで真っ赤なことに気づかれてしまうから。
せっかくエルベナに引っ越して来たのに、まだコーヒーショップに行くことが出来ていない。
考えてみれば当然で、夜開いている店でなければ足を運ぶことができないのだ。日光の耐性が高いジェフリーだけ、優雅にコーヒーを飲んでいるのが納得できない。
(まあ、どこのお店がいいか比べてきて、って言ったのはわたしだけど)
「来るまで気づかなかったの盲点よねえ……。わたし我慢強くなったと思うし、すっごく曇っているか、雨の日なら行けると思うんだけど、どうかしら」
「…………む、ぐ、……蜘蛛避けにはレモングラスがよいかと思います」
ジェフリーのずれた答えにヴィオラは頬をふくらませた。
何気なく呟いただけのことだが、こうも上の空だと腹が立つ。
しかし、抗議は飲み込んだ。言っても意味がない。
先ほどからジェフリーは手元に視線を落とし、黙々と縫い物をしている。
「……いっ」
針を指に刺したのか、血の匂いが漂ってきた。吸血鬼でなければわからない程度の些細なものだけれど。
(お腹が空いてきちゃうじゃないの、もう)
手頃な家具付きの物件が見つかったはいいが、寝具の類はなかったので中古で揃えたら数日でダメになった。だから、ああして、ジェフリーがずっと針仕事をしている。本来は執事の仕事ではない。昔はメイドがやってくれていたが、今はジェフリーしかやる人間がいないからやらざるを得ないだけ。苦手な裁縫に集中してるのだから、むしろ褒めるべきとは思うが――
(ちょっと集中しすぎなんじゃないかしらね)
「ねえ、ジェフリー、今日の晩御飯はなあに?」
「ああっ……糸が……」
「……」
駄目だ。やっぱり癪に障る。
(集中するのはいいけど、主人の話にまともに答えないのはどういうことなの!?)
ヴィオラは不満を飲み込みきれなかった自身を反省しつつも、自分の欲求に素直になることにした。
というわけで、答えがいい加減なのにも関わらず、話しかけることを止めはしないのだった。
「夜に居酒屋になる店もあるって言ってたわね。そこは夜もコーヒーを飲めるのかしら?」
「…………ええ、に、二軒ございます」
一旦手を止めれば、いいのに。と、思ったのが通じたのかジェフリーが顔を上げた。
「お嬢様、朝までにどうにかするので、どうかお許しを」
真剣に作業していた顔もいいが、この困った顔もヴィオラは好きだ。にこりと微笑み返す。と、ほっとしてジェフリーは作業に戻ったが、話しかけるなと言われて引き下がるヴィオラではない。
「この辺り、野良猫多いわよね」
「…………そ、そうですね」
「その二軒のコーヒーショップで野良猫が多いのってどっち?」
客からおこぼれが貰えるために、コーヒーショップのテラス席には猫が集まるらしい。
「ぐ……、猫はが多いのは……、う、上の方、でしょうか……」
「……」
うわの空にもほどがある。上ってどっちだ。多分、北の方なんだろうけど。
「じゃあ、ジェフリー、犬が多いのはどっち?」
人間のおこぼれを狙うのは猫だけではない。近隣で一番人口の多い街を選んだだけのことはあって、野良犬も多い。今も窓の外から、遠吠えが聴こえてくる。
「ああっ……、わ、わかりません……」
どうやら、余計な布まで縫い合わせてしまっていたらしい。解いてやり直している。
ちょっと可哀そうな気もするけれど、主を放っておいた罪は重いのだ。
「ねえ、ジェフリーは猫と犬どっちが可愛いと思う?」
無言。視線は手元に落としたまま。
そろそろ止めてあげないと涙目かもしれない。
しかし、ヴィオラはふと思いついた。悪乗りついでに聞いてみたいことを。なるべく平坦な声で尋ねてみる。
「じゃあ猫とわたしなら、どっちが可愛い?」
「それはお嬢様ですね」
どうせヘンテコな答えが返ってくると思ったら、即答だった。
(おおう……)
内心でヴィオラは握った拳を高く掲げた。猫はとっても可愛いので勝ったのは嬉しい。
一拍の間をおいて、さらに聞いてみる。
「犬とわたしならどっちが可愛い?」
「それもお嬢様ですね」
やはり即答。ジェフリーの視線はずっと手元で、縫い目に揺らぎもない。
「じゃあ――猫と犬とわたし、だれが一番好き?」
子供じみたことをしているのは解っている。
でも、いいかげん、こっちを見たっていいんじゃないだろうか。
ジェフリーは手元の動きを止めずに、今までのうわの空はなんだったかという速度で――
「お嬢様ですね」
答えた。
「……っ」
(ひっかけのつもりだったのに……)
一番速かった。
これには参った。顔が熱い。ヴィオラは頭を抱えた。
まだ「あっ」とか「……む」とか言っているし、恐らくは何を言われたか、何を答えたか正確に理解はしてないだろう。だというのに、この即答。
(これだから胸明けする訳よねえ……)
それからヴィオラは、大人しくジェフリーの作業を見守ることにした。
返事なんかされたら――、顔を見られたら、耳まで真っ赤なことに気づかれてしまうから。
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