上 下
26 / 29

執事の消えた日 ジェフリーside 3

しおりを挟む
「……あれ? なぜ、私は床で寝ているのでしょうか……。そしてやけに側頭部が痛いのは……?」

「ジェフリー……帰っていい、よ」

「ええと……? なにかもの凄い既視感を感じるのですが、何故、いきなり終了しているのでしょう?」

「居ると……邪魔、だから。早く……帰って」
狭い部屋のドアの前を塞がれていては、邪魔に決まっている。実際、踏まないように気をつけるのが面倒だった。

「ちょ、ちょっと待ってください。明らかに前回より酷くないですか? ええと……お名前は尋ねましたっけ?」

ジェフリーは、頭を撫でながらアレグリアに問いかけてきた。
そう言われてみれば、まだ自己紹介をしてなかった。
「……アレグリア、って呼んでいい」

「どうも、私はジェフリー・コッカーと申します。アレグリアさん、もう一度お願いします。説明して頂けませんか、作戦とやらを。それから私にも手伝わせて下さい」

アレグリアは心底面倒くさそうに顔を歪めた。エルガーがこの場にいたら、手を叩いて喜んだかもしれない。常に無表情なアレグリアには珍しい顔だったから。

「……いや、めんどう。邪魔……すごく」

正直に答えたのに、なぜかジェフリーがショックを受けている。
やっぱり精神を支配して、いう事を聞かせようかどうか、アレグリアは悩んだ。やるのは簡単。
でも、こういう手合い――一本芯が真ん中にある、弱いけれど一方強くもある心の持ち主――は精神を弄ると深刻な傷をつけることになりかねない。
ジェフリーのことははっきり言ってどうでもいい。が、ジェフリーのお嬢様とやらが悲しむだろうと思うと、心は痛む。
ジェフリーの精神を覗いて垣間見た『お嬢様』は、吸血鬼だというのに生き生きしていた。少女の身で、吸血鬼に転化するのは面倒なことが多いというのに。
「……あ」
彼女を守りたいというジェフリーと、アレグリアの目的は一致しているとも云えなくもないのかもしれない。ハンターに仲間の吸血鬼を殺させないための『計画』なわけだし。内心で逡巡をしていると、今度は心配するような視線を向けられた。

「あ、あの? アレグリアさん?大丈夫ですか?」

考え事に集中すると、うっかり瞬きも忘れそうになってしまので、今も端から見たら人形のようにでも見えたのかもしれない。そういえば、黙っていると怒っているように思われるから気をつけろとは、よくエルガーに言われるし。

「あ、あの、アレグリアさん……? その、せ、せめて作戦が終わるのを見届けるまで、行動をともにさせて頂けるだけでも――」

冷や汗をかきながら懇願するジェフリーに、アレグリアはチラっと思った。
ジェフリーの『お嬢様』が、ジェフリーのことを放っておけないのはこういう所のせいなのかもしれない、と。
……だって困った犬みたいな顔しているし。
知らず知らずうちに、苦笑が浮かぶ。

「あの、アレグリアさん?」
「……気が変わった、から、連れてってあげてもいい……けど、無断外出、いいの? 三日も……ううん、決行日は明日だから、四日も……無断外出だなんて……?」

「み、三日って!? え、ええ? 本当ですか!?!?」

「最初に、目が覚めるのに二日かかって、また一日寝てた、から……」
ジェフリーが絶句した。顔色が青から蒼白に変わって、もはや燃え尽きた灰。
なぜそんなに強く殴打する必要があったのですか、そもそもなぜに殴って気絶させる必要があったのですか、と言わんばかりの恨みがましい目を向けられても、アレグリアだってあんなに長く気を失うとは思わなかった。
詰ってこないのは、格上の吸血鬼相手だからというより、アレグリアが『お嬢様』と同じ年頃なせいなのでは、と考えるのは邪推だろうか。少女に弱い駄目大人疑惑が浮かぶが、執事としての習性だと思ってあげたほうがいいだろうか。

「……し、仕方ありません。お嬢様には後でお許しを頂きます」
気分を切り替えたのか、ジェフリーは表情を引き締め、尾住まいを正した。
「それで、明日までに何かすることはございますか?」

「……大人しくしてて」

ジェフリーは一瞬固まってから、何かを思いついて部屋を見回している。
「そうですか、それでは――紅茶でもいかがでしょうか? と思ったんですが、キッチンはありませんか?」
吸血鬼の中には血しか口にしない者もいるので、確認したようだ。
「……隣にある、けど……?」
一応小さなキッチンはあるが、使ってはいない。アレグリアもエルガーも人間と同じ食事もするが、嗜好品程度だし、作戦行動中なのでわざわざ料理などしていない。いつも外食で済ませている。一応、基本的なものは一揃えあったはずだが。どうするつもりなんだろう。

「ではお借りしますね」
ジェフリーは懐を探って、小さな包みを確認するとキッチンへ向かった。
そういえば、ジェフリーがハンターを見つけたのはマーケットへ向かう途上、紅茶の茶葉を売っている店の近くでの事だった。記憶を読んだようだ。お嬢様のための茶葉の筈だが、いいのだろうか。

キッチンから格闘する音がしばらく続き、途切れたと思ったら、ジェフリーが丁寧な動きで紅茶を運んできた。慣れているのだろう、その姿はとても様になっている。

「どうぞ、アレグリアさん」

「……ん」

アレグリアは、紅茶の爽やかな香りに僅かに頬を緩めた。日頃、口にするのはラム酒ばかりなので、紅茶なんて実に久しぶりだ。

ふとジェフリーを見ると、眦を下げて満足そうな笑みを浮かべている。
その顔を見て、アレグリアはどうしてジェフリーを殴りたくなるのか分かった気がした。
むず痒いのだ。まじまじ見られていると決まりが悪い。
まるで何も出来ない小さな子供を見る様な、こんな瞳を向けられたのは久しぶりだから。
自分の方が遥かに長生きだというのに。

「……ジェフリー、無礼」

理由が解らずに罵倒されたジェフリーだったが、冷静沈着な執事の仮面をどうにか被って、「申し訳ありません」と一礼した。
しおりを挟む

処理中です...