蔵の中の神

結城鹿島

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「さちはるな? 刀自とじがお前をお呼びじゃ、はよう行け」

 下男の源太に、そう声をかけられ、わたしは小さく息を飲んだ。
 並んで大根の皮をむいていた下働きのふきが訝し気な眼差しを向けてくるが、後のことを一方的に頼んで戸口へ向かう。
「さち、お前、なにを粗相そそうしたんじゃ?」

 脇を抜けていくすれ違いざま、源太が尋ねてきた。何の用なのか、まだ聞いてもないのだから、わかるはずがないというのに。

「何もしてなんか……」

 ないはず、と続ける声は我ながら弱々しい。何か知らぬ内に、気に障ることをしてしまった可能性が無いとは言いきれない。

「ないはずなかろう。さもなきゃ、刀自がお前なんぞに何の用じゃ」
「だから、知りません」

 答えて、わたしは台所を後にした。
 実のところ、一つだけ、心当たりはある。

……いよいよこの家を追い出されるんだわ。



 この金海家かなみけはわたしの生家せいかではない。
 遠縁の家だと聞かされているが、それが事実なのかどうかは知らない。七つの頃に二親ふたおやを亡くし、行き場をなくしたわたしを引き取ってくれたのがこの金海家だった。その事実しか、わたしが知っていることはない。
 山奥の小さな村のどん詰まり、村の人間が『北のお山』と呼ぶ一山を背にして金海家は広大な屋敷を構えている。
 引き取られた当時、山中に突然現れた立派な屋敷にわたしは驚いたものだ。まるで、竜宮城みたい。そんなことを思った覚えがある。
 もっとも、竜宮城のようなこの家にいたのは乙姫様などではなかった。
 わたしを迎えた白髪の小柄な老女――金海たき刀自は、こう言った。

――「十年、面倒をみてやる」と。

 この家に来てからもうすぐ十年が経つ。
 それが心当たりなのだった。他に、たき刀自に呼ばれる覚えはない。刀自の身の回りの世話は、使用人頭である年嵩のトメが一手に引き受けている。だから、わたしたち他の使用人が刀自に呼びつけられることは普段ならば無い。

 金海家の屋敷は、わたしたち使用人が暮らす一棟と客用の一棟が母屋を挟み、裏に並ぶ五つの蔵、広大な庭と畑、そしてそれら全てを囲む塀で構成されている。
 刀自の部屋は屋敷の一番奥に位置していて、母屋の中を通っていくと金海家の家人と顔を合わせる可能性が高い。わたしは奥様と大奥様からなるべく姿を見せるなと言いつけられているので、外から回って刀自の部屋を目指すことにした。
……無駄に広くて嫌になる。
 母屋の前の堂々たる日本庭園と違い、裏手は季節ごとに様々な花の咲く回遊式庭園として整えられている。その美しい庭を横目に眺めながら、見苦しくないようにわたしは急いだ。走っていきたいくらいだが、奥様たちに万が一見つかったら酷く怒られてしまう。
 金海の奥様や大奥様に、わたしは嫌われている。子供の頃から、ずっと射るような眼差しを向けられながら過ごしてきた。
……わたしだって。好きでこの家に来たわけじゃないのに。
 蔵を五つも構えているだけあって、金海家は桁外れに裕福な家だ。村の人間やふき等は、金海に拾ってもらえるなんて、お前は恵まれていると言う。たれたり、無体むたいを働かれる訳ではもないし、大事にしてもらって幸せ者だ、そんな風に諭されてきた。

 けれど、何の事情も説明されずにこんな山奥へ連れてこられ、それからずっと使用人として使われてきた身からしたら、そんな風には受け入れられない。わたしにだって、もっと、別の将来だってあったはずだ。
 だから、もしも「出て行け」といわれても、わたしは悲しくはない。
 けれど、同時に嬉しくもないのだった。
 だって――

「さち」

 低い声で名を呼ばれ、わたしは驚いて顔を上げた。紫陽花の並ぶ横、その先の角を曲がるとたき刀自の部屋という手前の位置で、行く手の飛び石が男の人に塞がれている。
 すらりとした立ち姿は、金海家の当主の子息、次男の岳治たけはるさんだ。
 羽織姿だから、外から帰ってきたばかりなのかもしれない。当主や長男の松葉さんは近頃は洋装でいることが多いが、岳治さんは着物以外を身に付けているのを見た事がない。何も珍しことはない恰好のはずなのに、凛々しく、どこか艶めいた姿にわたしはいつも見惚れてしまう。
 金海家の男性はみな整った面立ちではあるが、岳治さんの美貌は中でも際立っている。くっきりした目鼻立ちはどこかまるで人形のようだ。それだから、 源太やふきなどは岳治さんのことをどこか近寄りがたいと言って影で怖がっている。けれど、岳治さんは決して怖い人ではない。わたしはそれを知っている。
 ただ名を呼ばれただけで、笑みが浮かんでくるのを気づかれぬように堪え、わたしは岳治さんの前に立った。

「こんなところでどうしたんです?」
「刀自に呼ばれたそうだな」
 
 岳治さんが抑えた声で尋ねてきた。
 わたしは神妙に頷く。何故、そのことを岳治さんが知っているのだろうかと。
 見上げれば、岳治さんは困ったように黙り込んでしまった。しばらく何か考え込んで言葉を探しているようだったが、諦めたのか岳治さんはそっと目を伏せた。
……どうしたんだろう?
 こんな歯切れの悪い岳治さんは珍しい。――嫌な予感がする。

「何かご存知なんですか?」

 なるべくなんでもない表情を作って問うと、深い夜のような瞳がわたしをまっすぐに見つめてくる。なんだか吸い込まれてしまいそう、そんなことをわたしは思った。

「さち……刀自に難しいことを言われるかもしれないが、決して短慮はおこすな」
「難しい話、ですか……?」
「ああ」 

 説明してくれるつもりはないらしく、続く言葉はない。
 予想していた件で呼びつけられるのではなくて、何か無理難題を言いつけられたりするのだろうか……? わたしは、戦々恐々としながらも応じる。

「わかりました。岳治さんが言うなら、刀自に何を言われても取り乱したりしません」

 以前、たき刀自に食ってかかって村八分にされた新入りの使用人がいたから、岳治さんの心配しすぎということはない。たき刀自が気難しい老女だということは、常に身に刻んでおいた方がいい事柄だ。

「本当に大丈夫か? さち」

 何気なく寄ってきた岳治さんに顔を覗き込まれて、わたしは慌てて後ずさった。あまり無造作に近寄らないでほしい。わたしは台所仕事をしていたそのままの恰好で、いつも身なりを整えている岳治さんと並ぶと、恥ずかしくなってしまう。
 態度が悪いと思われただろうか。不安に思いながら、背の高い岳治さんを見上げれば、心配そうにこちらを見ている。
――それが、堪らなく嬉しい。

「……大丈夫です。ちゃんと出来ます、から」

そっと言えば、岳治さんが小さく笑った。

「ならいい。まあ、心配させて悪かった。何かあれば相談してくれ」

 言いながら、岳治さんは懐から薄い小箱を取り出した。

「付き合いで貰ったんだが、俺はいらないから、さちにやろうと思ってな。刀自の話が終わったら食べるといい」

 受け取った小箱を開けると、中には色とりどりの落雁らくがんが並んでいる。

「きれい……」

 普段、このような物と縁のないわたしにも、この辺では滅多に手に入らないような繊細な良い品だと一目で判る。
 お茶会の席で出されたものを、食べずに持って帰ったのだろうか。そうでなければ、どんな付き合いで、二十六の男性にこんなものを贈るのだろうか。
――わたしのために用意してくれたんじゃないだろうかと、そんな風に考えるのはあまりに自惚れが過ぎるだろう。
 でも、理解はしていても、少しだけ夢を見たくなる。

「それじゃあ頑張れな」

 わたしの頭をぽんぽんと撫でてから、岳治さんは母屋の方へ戻っていった。

「……っ」

 ぎゅうっと胸が痛む。
 この家を去ることになったら岳治さんと離れることになる。それが、この家を出るのが嬉しくない理由なのだ。
 この家を出ていかなければならなくなったら、もうこんな風に声をかけてもらえない。
 わたしはこの金海家が好きではない。
 しかし、岳治さんだけは別だ。
 身分が違うから、この想いが報われることなんてないのは重々承知している。
 時折、他愛のない話ができるだけでいい。近くで姿を見れるだけでいい。
……それだけで……十分に幸せだもの。
 たき刀自に出て行けと言われても、どうにか粘ってみよう。わたしは、そう心に決めた。



 沓脱石くつぬぎいしに履物を揃え、縁側に上がって刀自の部屋へ声をかける。

「さちです」
「上がりな」

 中から応じる声は硬質で、否応なしに緊張させられる。膝をつき、わたしは静かにたき刀自の部屋の障子を開けた。
 室内は、床の間に龍の掛け軸が飾られているだけで他には何もない。散らかしがちな当主や、骨董集めが趣味の奥様と違って、寂しいくらいに何もない部屋だ。
 ただ、部屋の真ん中に座るたき刀自自身のせいで、質素な印象は全くない。
 齢九十になる刀自は、黒い羽二重の着物に銀糸で刺繍された帯を締め、真っ白になった髪をきっちり結い上げている。いったいどれくらい詰め物をしてるのか、つるりとした輪郭の丸髷に、いくつも挿されている金の簪が眩しい。両の手を飾るごてごてとした指輪も含めれば、全身の装いにかかっている費用はいかばかりか。わたしには想像もつかない。
 

「わたしをお呼びだそうですが、なにか御用でしょうか……」

 わたしはたき刀自の視線に耐えかねて、尋ねた。

「用があるから呼んだに決まっておる」
「……はい」

 決まりが悪く、それ以上は何も言えずに黙って刀自の言葉を待つ。
 たき刀自の肩書は隠居の老婆だが、岳治さんや松葉さんたち金海の子息だけでなく、当主や奥様でさえ、逆らったりしない。それどころか村長や駐在さんですら、たき刀自に逆らいはしない。
 刀自は金海家のみならず、この村の支配者なのだ。性別と生まれた時代が違えば、きっと殿様と呼ばれていたに違いない。
 しばらくわたしの全身をじろじろ見まわしてから、刀自が口を開いた。

「さちよ、そろそろお前をこれまで育ててきた恩を返してもらおう、と思うてな」

……恩を返す?

 さっと背筋に冷や汗が浮かぶ。追い出されるかもしれないとは覚悟していたが、それ以上のことは考えもしていなかった。例えば、「これまでお前にかけた分の金を返せ」なんて言われても、わたしは一銭も持ってない。これまでに一度も給金を貰ったことはないのだから。

「恩を返せと言われましても……」
「なにも銭を寄こせなどとは言うてはおらん。嫁にいって、子を産んでくれればええ」

……お嫁に? わたしが?

 思ってもいなかった言葉に、頭の中が真っ白になった。わたしは、自分が嫁入りすることなど考えたことがない。金海家の使用人に自由などないし、わたしのことを欲しがる人などいない、と、ずっと思ってきた。
 だって、両親どころか祖父母もわたしにはいない。当然、持参金など望めない。嫁入り道具の一つも自分自身では用意できないし、本当に身一つしか持ち物が無い。見た目だって、決して美人とはいえない平凡なものだ。女学校には勿論、小学校にも行ったことはない。一体どこの誰がわたしなどを嫁に迎えるというのか。
 真偽のほどはともかく、遠縁だということになっているから、金海との縁を願ってきた誰かにわたしをくれてやるつもりなのだろうか。いったい誰と結婚しろというのだろう?
 わたしの顔に浮かんだ山ほどの疑問を読んだのか、

「相手はな――山神様やまがみさまじゃ」

 たき刀自が告げた。

……やまがみ?

 それがどんな字で表されるのか、すぐに思い浮かばなかった。急な話で何を言われているのか、中々飲む込むことができない。
 やまがみ、そういう苗字のお家が村にあっただろうか。わたしは覚えがない。

「お前、この金海の家が、なぜにこう栄えたかわかるか?」

 突然の話題転換にわたしは戸惑って、思わず顔をしかめた。さっき聞いたことは、聞き間違えだったのだろうか。それがわたしの嫁入りと、どんな関係があるというのだろう。

「ええと――」

 たき刀自の不興をかわないように、混乱する頭でわたしは必死に考える。
 金海家は、この山間の村のほとんどの土地を所有している。それを村人に貸しているから裕福だというのが、皆の知るところだが――村の土地はあまり豊かではない。実りは大したものでなく、金海家に入る金額も実のところそう多くはないような気がしている。だから、

「街の方にいくつか工場こうばを持っているから、でしょうか……?」

 思いついたことを口にした。詳しいことはともかく、街に複数の工場を金海家が所持していることは聞いている。計算事の得意な岳治さんが仕事を手伝っているようだし、当主や松葉さんもしばしば工場の視察へ行って帰ってこない。だから夕食はいらないと、何度か言われたことがある。食事の支度に関わることならば、わたしにだって知らされるのだ。

「その元手がどこから出たのか、根っこの話をしておる」

 たき刀自は面白くなさそうに息を吐いた。

「すみません。わかりません……」

 わたしは口を噤んで頭を下げた。動揺を押し殺すので精一杯だ。何も考えることが出来ない。頭の中では、「嫁に行って子供を産め」という刀自の言葉がぐるぐると回っている。

「昔はな、この金海の家も貧しい家だったんじゃ。この辺りは、田を耕してもロクなもんがならんからな。じゃから、先祖は山の中に狩りに行って、獲物をとって暮らしておった。ある時、山の中で先祖は白い大蛇にうた」

……大蛇?

 刀自は何を話し始めたのだろう。まったく頭がついていかない。金海の先祖の昔話が、わたしの嫁入りとなんの関係があるというのだろう。
 狼狽えるわたしをよそに、たき刀自の語りは止まらない。

「白い大蛇は山の神で、狩りをする先祖に祟りをなした。先祖は敬って奉るから許してくれと懇願したが、こん山のものは全て自分のものじゃと許してはもらえなんだ。じゃが、それではわしらは生きていけん。重ねて怒りを解くよう乞うとな――山神様は、条件を出してきた」

 濁った目がずっとわたしを捉えている。わたしは、ふと、たき刀自の帯にされた刺繍が鱗文様なことに気が付いた。

「おんしの娘を嫁を寄こすなら、これまでのことを許し、恵みをやろう、と、山神様は言うた。先祖はな、末の娘を差し出した。すっと、しばらくして――娘は山神様の子を産んだ。すっとよ、それに呼応するように、北のお山の川に砂金が沸いた。ここらの山は元々は金が取れるような山ではない。じゃから、ああ、これが山神様の云うておった恵みなんだと、呑み込んだ」

……子を産めば砂金が沸く……?

 そんなおとぎ話を真面目な顔で語られても、どうしたらいいのかわからない。わたしは、段々と頭がくらくらしてきた。

「ええか、さちよ、お前から銭をとろうなんぞ思ってないわい」

 刀自はそこで言葉を区切って、立ち上がり、わたしのすぐ目の前に座りなおした。年寄り特有の臭いが鼻について息苦しい。鋭い眼光や皺だらけの顔は、この家にやってきた時からまるで変ってないように思える。だからだろうか、わたしは自分が七つの子供に戻ってしまったような気分になった。心細くて、足元が覚束おぼつかない。

「山神の子を産め、お前に望むのはそれだけじゃ。お前が山神の子を産めば、山に恵みが湧く」
「そ、んなこと言われても……」

 「山神に嫁いで子供を産め」などと言われたって、はいそうですか、と、了承できるわけがない。
 何かの例え――、結婚と出産を模した儀式でもやれというのだろうか。もし、山神役になった誰かと子をなせということならば、そんなことは嫌だ。わたしが誰かの子を産んだところで、山に金なんて沸いたりするわけがないのだから。
 しかし、目の前の刀自はその話を信じきっているように見える。お国が開かれて随分経ったとはいえ、刀自のような老女ならば妙な言い伝えを信じてしまっていることも珍しくはない。――ないが、相手が刀自では一笑に付すようなこともできない。
……わたしにどうしろっていうの。
 わたしは俯いて唇を噛んだ。本来ならば、刀自に疑問を呈することなど許されない。
 けれど、事が事だ。覚悟を決めて深く息を吸い込む。それから、顔を上げる。

「わたしに……一体何をしろと仰っているのですか」

 刀自は、じいっとわたしの顔を見つめてから口を開いた。

「子を産め。子を。そうすりゃそれでええ」

 期待していたような答えは返ってこなかった。刀自は、まともな説明をする気はないらしい。

「……そのお話は、拒むことはできるのでしょうか?」

 刀自は答えず、「もう出ていけ」というように障子の方へ向けてあごをしゃくった。
 牛や馬のように子供を産むことを勝手に決められるなんて、ひどい。応じられるわけがない、そう吠えたいが、岳治さんの言葉が思い浮かぶ。
――短慮たんりょはおこすな。
 両手で胸を押さえれば、懐にしまった小箱が存在を主張する。
 わたしは歯を食いしばって頭を下げた。

「…………わかりました。そのお役目、お受けします」
「今宵、迎えをやる。支度をしておけ」

 たき刀自はそういうと、話はこれで終わりだというように目を閉じた。
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