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1章 炎の瞳のウルリカ
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産まれて初めて見たものは燃える母だった。
もちろん、赤ん坊だった自分には記憶にない。全てが後で聞かされたことだ。
けれど燃え上がる母の絶叫が、耳の奥に焼きついているような気がしてならない。
視界いっぱいに広がる紅のイメージが、常にウルリカの根底にはある。
母を燃やしたのはウルリカ――自身の瞳だ。
揺り籠に寝かされた赤ん坊に乳をあげようと、近寄った姿がウルリカの瞳に移った瞬間、母は発火して死んだ。それから乳母も続いて燃え死ぬという尋常ならざる事態に、父は床に転がる二人の遺体もそのままに、慌てて呪い師を呼んだ。
呪い師は告げた。ウルリカが呪われた娘であると。
――その目に映す者を燃やす呪いをかけられた、娘。
赤ん坊のウルリカには、すぐさま目隠しをかけられた。眠っている最中、幾重にも厳重に。
そうして森の中の別邸に、少数の使用人と捨てられたのだった。
捨てられたウルリカは父の顔を一切知らない。
それどころか、他人の顔を見たことがない。
自身で目隠しを取れるようになるまでは、ずっと暗闇の中で生きていた。世話は全て使用人がしてくれたが、一体彼らがどんな顔でウルリカの面倒を見ていたのか。
――知らない。
何もかも知らず、知らされず、知ることができずにウルリカは暮らした。
何故、目隠しを義務付けられているのかも分からないまま、暮らしていた。決して目隠しを取ってはいけないという使用人の言いつけを、ただ守った。数人の使用人がウルリカの世界に生きる全ての人間だったから。
成長するにしたがい疑問を覚え、一人きりの時に目隠しを外してみたことがあった。
目隠しをしている時間が長く直射日光は眩しすぎ、慣れるのに手間取りもしたが、光はウルリカの心を癒した。なぜ目隠しをしなければいけないのか、まるで解らなかった。
それからは、一人の時はしばしば目隠しを取って、ただの子供のように過ごしたりもした。幼いウルリカは、自分が呪われているなど思いもしなかった。
呪いの瞳は人間以外には効かなかったからだ。
邸の中庭に、いつの間にか野良犬が入り込んでいたことがあった。
始めて見る犬は、不思議な生き物だった。犬はウルリカの瞳を正面から見ても燃えはしない。無邪気な犬の暖かさはウルリカを癒した。母が居ないことも、父が居ないことも当然と思っていたが、ウルリカも孤独に怯える子供だったのだ。
ある日、野良犬と遊ぶことに夢中になる余り、近づいてくる足音に気付くことが出来なかった。
何気なく、悪気なく、ウルリカは間近に迫る人の気配に振り返ってしまった。
――目隠しを外したまま。
ウルリカと目のあったその途端、使用人は紅蓮の炎に包まれ死んだ。
邸の中なら比較的自由に歩きまわれていたのだが、その日から部屋を出ることができなくなった。
鍵は外から厳重に掛けられた。
見るもの全てを燃やすのでなく、ただ人間のみを燃やす。それがウルリカの呪いだった。
七歳ぐらいの頃から――ウルリカは自分の年も、誕生日も知らないのではっきりとは分からないが――徐々に使用人が運んでくれる食事の量が減っていった。
鍵を壊すことはとっくに諦めていた。ウルリカは試しもしなかった。死ぬのも悪くないかもしれないと感じ始めていたからだ。
一日中ベッドに転がって、ただ天井を眺めていた。
そして食事が完全に運ばれなくなって、死を覚悟した日に、それは訪れた。
近づいてくるのは、波のような軍靴の響き。それまで聞いたことのない大勢の話し声。
何が起きているのか、わからぬまま呆けていると、部屋の扉が壊され、乱暴に開けられた。
大きな音がした方から、ウルリカはそちらに視線を向けた。考えなど無しに。
――目隠しはしていなかった。
刹那、視界が赤に染められた。
ウルリカの瞳に映った先頭の一人が、炎に包まれたのだ。悲鳴と怒声が上がった。
そのことを何か思う間もなく、体を苦痛と衝撃が包む。
矢を受けて床に転がったのだと自覚できた頃には、何者かの足によってウルリカは頭を踏みつけられていた。
「顔を上げれば殺す」
冷たい男の声が頭上から降ってきた。
ウルリカが顔を上げようとしなかったのは、言葉に従ったのではない。そもそも抑えつけられていて不可能だったし、体の痛みでそれどころではなかったからだ。
射られた足が酷く熱かった。人に射られたのだと、遅れてやってきた自覚に頭が支配されていた。ただただ、恐ろしい。
死んでも構わないなんて嘘だった。
殺されたくない。それしか考えていなかった。
血と埃の中、床に這いつくばるウルリカは惨めでしかたなかった。
ウルリカの頭を一層強く踏みつけ、得体の知れぬ男は言った。
「我々に力を貸せ、炎の瞳を持つ娘よ。吸血鬼より忌まわしく、人狼より汚らわしい、呪いの娘よ。我らに力を貸すか、ここで殺されるかのどちらかしか、お前に道はない。さあ、どうする?」
それは選択ではなく脅しだった。
空腹で空っぽになった頭を痛みで満たされた惨めなウルリカは、ただ黙って頷いた。もっとも頭を踏まれていたので、ろくに頷けてはいなかったが。
男はすぐに足を退けずに、話を始めた。
ウルリカの父が国の要職に就いていたらしいこと。しかし、政変が起こり失脚したのだということ。このままここに居ても、もはや暮らしていけないこと。そして、他に帰る場所はないこと。その場ではウルリカには理解できなかったが、そういった説明を男はした。幼い娘に説明することもなかろうに、と今は思うが。どうやらウルリカを……いや、その瞳を――呪いを恐れていたのだ。
『男たち』は国のために炎の瞳を使うと言った。ウルリカは、とにかく生きて外に出られるならなんでも良いと思った。
ようは邪魔な存在を消すのに、呪われた娘を暗殺者に仕立て上げようということだと、今では勿論わかっている。
「映しただけで人を殺せるその瞳は貴重だ」
その一点を評価され、ウルリカは生き延びることができたのだった。
◇
そうして、それから生きるためにウルリカは『仕事』をしてきた。
時は過ぎ、はもはや七歳の子供ではない。男たちから逃げることは出来るだろう。造作もないことだ。ただ、目を開ければいいのだから。
だが、一人で暮らしていくことを考えると億劫だった。才覚があれば人里離れた山奥で一人暮らせるのかもしれないが、そんな風に暮らせる気がしない。
そもそも死にたくはないが、生きたいのかは分からない。
生きたいと思うほどの何かはウルリカの人生にない。
今までも、きっとこれからも。
瞳を永遠に閉じるその日まで。
もちろん、赤ん坊だった自分には記憶にない。全てが後で聞かされたことだ。
けれど燃え上がる母の絶叫が、耳の奥に焼きついているような気がしてならない。
視界いっぱいに広がる紅のイメージが、常にウルリカの根底にはある。
母を燃やしたのはウルリカ――自身の瞳だ。
揺り籠に寝かされた赤ん坊に乳をあげようと、近寄った姿がウルリカの瞳に移った瞬間、母は発火して死んだ。それから乳母も続いて燃え死ぬという尋常ならざる事態に、父は床に転がる二人の遺体もそのままに、慌てて呪い師を呼んだ。
呪い師は告げた。ウルリカが呪われた娘であると。
――その目に映す者を燃やす呪いをかけられた、娘。
赤ん坊のウルリカには、すぐさま目隠しをかけられた。眠っている最中、幾重にも厳重に。
そうして森の中の別邸に、少数の使用人と捨てられたのだった。
捨てられたウルリカは父の顔を一切知らない。
それどころか、他人の顔を見たことがない。
自身で目隠しを取れるようになるまでは、ずっと暗闇の中で生きていた。世話は全て使用人がしてくれたが、一体彼らがどんな顔でウルリカの面倒を見ていたのか。
――知らない。
何もかも知らず、知らされず、知ることができずにウルリカは暮らした。
何故、目隠しを義務付けられているのかも分からないまま、暮らしていた。決して目隠しを取ってはいけないという使用人の言いつけを、ただ守った。数人の使用人がウルリカの世界に生きる全ての人間だったから。
成長するにしたがい疑問を覚え、一人きりの時に目隠しを外してみたことがあった。
目隠しをしている時間が長く直射日光は眩しすぎ、慣れるのに手間取りもしたが、光はウルリカの心を癒した。なぜ目隠しをしなければいけないのか、まるで解らなかった。
それからは、一人の時はしばしば目隠しを取って、ただの子供のように過ごしたりもした。幼いウルリカは、自分が呪われているなど思いもしなかった。
呪いの瞳は人間以外には効かなかったからだ。
邸の中庭に、いつの間にか野良犬が入り込んでいたことがあった。
始めて見る犬は、不思議な生き物だった。犬はウルリカの瞳を正面から見ても燃えはしない。無邪気な犬の暖かさはウルリカを癒した。母が居ないことも、父が居ないことも当然と思っていたが、ウルリカも孤独に怯える子供だったのだ。
ある日、野良犬と遊ぶことに夢中になる余り、近づいてくる足音に気付くことが出来なかった。
何気なく、悪気なく、ウルリカは間近に迫る人の気配に振り返ってしまった。
――目隠しを外したまま。
ウルリカと目のあったその途端、使用人は紅蓮の炎に包まれ死んだ。
邸の中なら比較的自由に歩きまわれていたのだが、その日から部屋を出ることができなくなった。
鍵は外から厳重に掛けられた。
見るもの全てを燃やすのでなく、ただ人間のみを燃やす。それがウルリカの呪いだった。
七歳ぐらいの頃から――ウルリカは自分の年も、誕生日も知らないのではっきりとは分からないが――徐々に使用人が運んでくれる食事の量が減っていった。
鍵を壊すことはとっくに諦めていた。ウルリカは試しもしなかった。死ぬのも悪くないかもしれないと感じ始めていたからだ。
一日中ベッドに転がって、ただ天井を眺めていた。
そして食事が完全に運ばれなくなって、死を覚悟した日に、それは訪れた。
近づいてくるのは、波のような軍靴の響き。それまで聞いたことのない大勢の話し声。
何が起きているのか、わからぬまま呆けていると、部屋の扉が壊され、乱暴に開けられた。
大きな音がした方から、ウルリカはそちらに視線を向けた。考えなど無しに。
――目隠しはしていなかった。
刹那、視界が赤に染められた。
ウルリカの瞳に映った先頭の一人が、炎に包まれたのだ。悲鳴と怒声が上がった。
そのことを何か思う間もなく、体を苦痛と衝撃が包む。
矢を受けて床に転がったのだと自覚できた頃には、何者かの足によってウルリカは頭を踏みつけられていた。
「顔を上げれば殺す」
冷たい男の声が頭上から降ってきた。
ウルリカが顔を上げようとしなかったのは、言葉に従ったのではない。そもそも抑えつけられていて不可能だったし、体の痛みでそれどころではなかったからだ。
射られた足が酷く熱かった。人に射られたのだと、遅れてやってきた自覚に頭が支配されていた。ただただ、恐ろしい。
死んでも構わないなんて嘘だった。
殺されたくない。それしか考えていなかった。
血と埃の中、床に這いつくばるウルリカは惨めでしかたなかった。
ウルリカの頭を一層強く踏みつけ、得体の知れぬ男は言った。
「我々に力を貸せ、炎の瞳を持つ娘よ。吸血鬼より忌まわしく、人狼より汚らわしい、呪いの娘よ。我らに力を貸すか、ここで殺されるかのどちらかしか、お前に道はない。さあ、どうする?」
それは選択ではなく脅しだった。
空腹で空っぽになった頭を痛みで満たされた惨めなウルリカは、ただ黙って頷いた。もっとも頭を踏まれていたので、ろくに頷けてはいなかったが。
男はすぐに足を退けずに、話を始めた。
ウルリカの父が国の要職に就いていたらしいこと。しかし、政変が起こり失脚したのだということ。このままここに居ても、もはや暮らしていけないこと。そして、他に帰る場所はないこと。その場ではウルリカには理解できなかったが、そういった説明を男はした。幼い娘に説明することもなかろうに、と今は思うが。どうやらウルリカを……いや、その瞳を――呪いを恐れていたのだ。
『男たち』は国のために炎の瞳を使うと言った。ウルリカは、とにかく生きて外に出られるならなんでも良いと思った。
ようは邪魔な存在を消すのに、呪われた娘を暗殺者に仕立て上げようということだと、今では勿論わかっている。
「映しただけで人を殺せるその瞳は貴重だ」
その一点を評価され、ウルリカは生き延びることができたのだった。
◇
そうして、それから生きるためにウルリカは『仕事』をしてきた。
時は過ぎ、はもはや七歳の子供ではない。男たちから逃げることは出来るだろう。造作もないことだ。ただ、目を開ければいいのだから。
だが、一人で暮らしていくことを考えると億劫だった。才覚があれば人里離れた山奥で一人暮らせるのかもしれないが、そんな風に暮らせる気がしない。
そもそも死にたくはないが、生きたいのかは分からない。
生きたいと思うほどの何かはウルリカの人生にない。
今までも、きっとこれからも。
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