瞳の石と魔女の物語

結城鹿島

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2章 鏡の瞳のイジュア

1

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最後に見た物がなんだったのか覚えていない。
だれかの暗い笑みだったような気がする。おそらく叔父あたりの顔だろう。
祝いの席の酒に毒が盛られていたのだ。命を取り留めたものの、光を失ったイジュアは玉座から遠ざかることになった。

「貴方が次の王だったのに」

か細く泣く母の声には申し訳なさを覚えるよりも、責められているような気になって嫌で仕方なかった。
(……実際責めていたのかもしれないが)
それまで一身に期待を受け、自惚れでなく応えてきたつもりだった。王になるために生きてきたのだ。無くした物は光だけではなかった。周囲の人間の多くが去っていった。それまで擦り寄ってきていた者達が、どんな人間だったのか知ることが出来たのだけは、幸いだったと言える。

「ほとんどの人間にとって無価値な人間になったわけだ」
イジュアは寝台の上で苦笑した。体調が落ち着く頃には、もう笑うしかない心境だった。
王都の中心にある屋敷を離れ、森の中にある別邸に移って暫くすると見舞いの数はごっそりと減った。
「そんなことを言うのはお止め下さい、兄上……」
弟の態度が変わらなかったことは救いではあった。勿論、何も変わらなかったわけではない。イジュアに代わり、弟が王の候補になったのだ。

「お前は気をつけろ。二の舞にはなるな」
「兄上……」

                 ◇

それまでのように、あちこちに出かけなくてすむようになったので思わぬ時間が出来た。だが、何をしたらいいものか分からず、イジュアは時間を持て余した。目が見えないと、出来ることも中々ない。腫れ物に触るような周囲から距離をとり、自覚が不十分なまま鬱々と過していたある日、弟が訪ねてきた。

「兄上、こんなものを持ってきましたよ」
弟が気分転換にと持ってきたのは竪琴だった。
「目が見えないと、弾けたものまでまるで感じが違うな」
元々イジュアは音楽が嫌いではない。琴も嗜み以上の腕があったが時間をかけることで、見えなくなってからの方が、格段に腕が上がった。

王宮に出入りしていた楽師だった老人を師匠に、日々音楽に打ち込むようになった。
「流石ですな。イジュア様」
「師の腕前がいいのだろう」
「いえいえ。今の琴では物足りなくなったのではありませんか? 今日はこれを持ってきたのですが、どうです?」
目の前に置かれたものに手を伸ばす。硬い弦に指が触れる。重たく冷たい形を一通り指でなぞった。
「竪琴だが……今までに触ったことのない種類のものだな」
「――はい。銀湖琴ぎんこきんで御座います」
「それはまた、珍しい物を……」

銀湖琴はこの国では作られない。遠い北国のクルーガにある、一年を通して溶けることのない銀湖ぎんこの氷が割れる音が再現されているという琴だ。

「凍ったままの湖の、氷の割れる音を再現というのはどういう事なのだろうな。春になって解ける音でもないし、氷が成長する時に軋む音でもないだろう?」
「いくつか説があるのですよ。銀湖には琴が沈んでいるという伝説があって、その音を再現しているのだという説があります」
「それは……より矛盾しているのでは?」
開闢以来凍りついたままだという湖が、銀湖ではないのか。いつ、誰が琴を沈めたのだ。

「ええ――ですから、銀湖琴は楽器職人の届かぬ理想を追った楽器とも言われます。弾き手の望みも音に表れると言われ、語り琴とも呼ばれます。イジュア様、失った物は返りませぬ。けれど、鎖から解き放たれた物もありましょう」
「……随分心配させてしまったようだな」
イジュアは言葉に詰まった。老楽師の声が窘める風であったなら、笑いとばしていただろう。だが、深く心配する声音だったのだ。その奥に、母や弟の声が重なって聴こえるような気がした。
自らの紡ぐ音に集中していたが、周囲の声が聞こえなくなった訳ではない。どこまでいっても一人にはなれやしないのだと、イジュアは覚悟した。この辺が潮時なのだろう。苦笑して答える。
「これが形になったら、もう逃げるのは、やめるさ。もう少し目こぼししておくれ」
「……分かりました」

                  ◇

結局、イジュアは銀湖琴を弾きこなすことは出来なかった。
難しすぎたのもあるが、練習の時間がなくなったのだ。
弟はイジュアに劣る出来ではなかったが、いかんせん若かった。そして、覚悟が足りなかった。支えなければ倒れてしまうと思った。
イジュアが後見にたつことになり、忙しい時間が戻ってきた。
目が見えなくなっても、これまでの知識が失われる訳ではない。学んだ知識を弟に一つずつ教えていった。人と会う時には、口を出すことは控えたが同席するようにもした。皮肉な事に目が見えなくなってからの方が、その人間が語る言葉が真実か否か、はっきりと聞き分けることができるようになった。
そして、イジュアが光を失った事は急速に過去の出来事になっていった。
なにせ、代わりが見事に機能している。

つまり――自分は替えられるようなものだったのだ。イジュアは自分がどんな顔をしているのか、わからなかった。

                  ◇
「ウルリカと申します」
凛とした声だと思った。
温度を感じさせない硬質な声は、人によっては冷たい印象を抱かせるものかもしれない。だが、イジュアには心地よく響いた。媚も同情もまるで無いのが良い。
ウルリカは、母が気分転換にと連れてきた楽人の一人だった。
自分で弾くことは滅多になくなったが、音楽を聴くのは大切な息抜きのひと時だ。しかし、イジュアの気に入る音を出せる楽人はそういなかった。なにせ自分の方が上手いのだから。
今までにも何度か母が楽人を連れてはきたが、すぐに暇を出すことになるだけだった。
ウルリカのことも、紹介はされたもののすぐに忘れた。
今では、身の回りのことは完全に自分でこなすことが出来るとはいえ、それでもやはり書類などは他者に読んでもらわねばならない。時間はあっというまに消費されていく。

だから、それは完全な不意打ちだった。
恐ろしいまでに鮮烈な音。まるで、全身を激しく打たれたかのように痺れた。
演奏者の分からぬ旋律が耳に届き、イジュアは思わず駆け出す。
音の出所へ急がねば。必死に駆けた。目が見えなくなってから、こんな風に走ったことはない。いや、走ったこと自体がない。以前と同じように動こうとすると、周りの者が止める。
音は離れの中庭から溢れていた。
中庭は母の自慢であったが、自分の目が見えなくなってからは手入れに本腰をいれていないという。半ば忘れられた庭。その片隅の東屋で、誰かが琴を弾いている。
もしも音に色がついているのなら、それは間違いなく赤だった。深紅より深い響き。
イジュアは東屋の前で、荒い息を整えながら曲が終わるのを待った。
(赤い、燃えるような色彩の音なのに……)
まるで氷のように冷たい。鋭い調べだ。

「不思議だな…」
思わず零れたイジュアの呟きに、琴の音が止まる。

「すまない、気にしないで」
「私の音色はイジュア様のお気に召しませんでしたでしょうか」

平板な声ですぐに奏者が誰なのかはわかった。ウルリカだ。
「――いや、そうじゃないんだ。気に入らないなんてことはない。むしろ逆だ」
今まで母が連れてきた、どの楽人よりも腕がいい。これほどまでに鬼気迫る腕前の持ち主には二度と会えないだろう。

「今まで君を呼ばなかったのは――忙しくて。
どうか、これからは弾いてくれると嬉しい」
「はい。イジュア様」
ウルリカは喜んだそぶりもなく、淡々と答えた。
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