瞳の石と魔女の物語

結城鹿島

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2章 鏡の瞳のイジュア

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イジュアの住む離れには少ない使用人しかいない。慣れた者でなければ、世話を任せられないし、身元の確かな者しか置いてはおけないからだ。

「随分機嫌が良いようですね」
弟は日に日に成長していく。見えずとも、心身逞しく、王に相応しくなっていくのが分かった。
「母上の連れてきた楽人がお気に召したとか……」
「ああ。彼女は素晴らしい楽人だ。お前も都合が合う時に聴いていくといい」
「……機会があれば」

ウルリカは一通りの楽器を嗜み、更には歌にも優れていた。レパートリーも多く、様々な国の曲を自在にこなす。ただ、ウルリカは女が男に愛を伝える歌でも、氷のような響きで唄う。
だがそれでもいいと思った。それが彼女の心の現われなのだ。無垢な魂を持っているのだと思えた。
「君は子供なんだな、ウルリカ」
「…そうかもしれません。すみません」

「いや、責めてはいないよ」
苦笑が浮かぶ。イジュアは相手の反応を見ることができない。普段は声音で反応を測るが、ウルリカは常に静かな口調で語る。だから、今どんな顔をしているのか、見えないことがひどくもどかしい。ウルリカがどんな人生を送ってきたのか知りたかった。何を思っているのかが知りたい。何より、ただ彼女の顔が見たかった。
たった一度でも、それが叶えばどれほどの喜びか。
銀湖琴を弾いてもらうことにしたのは、銀湖琴が語り琴とも呼ばれているというのを思い出したからだ。それに、難しい楽器を前に困るウルリカというのも、きっと可愛いだろう。

「さて、君に銀湖琴が弾きこなせるかな」
ウルリカは迷うことなく絃を弾きはじめた。
選曲はよりによって迎春の歌。淀みなく弾きこなしていく。
クルーガの春は短い。まして、銀湖には訪れない。銀湖琴で語られたのは、氷の底に閉じ込められた激しい怒り。
(彼女は世界を憎んでいる)
そのことを飲み込んでしまっている。
(そして、感じるのは、叶わぬ望み……)
矛盾をそのまま音にしたような、この世のものと思えぬ響きが静かに終わった。

「……見事だ。本当に見事だよ、ウルリカ」
ウルリカを抱きしめたかった。イジュアはその日初めてそう思った。

                 ◇

「兄上、あの楽人に執心なさるのは止めて下さい」
「なぜ?」
弟が言葉を丁寧に捜しているのがわかった。イジュアは言葉を待った。
「――あの女は、不吉です。上手く言えないのですが、どうしてもあの女の音を聴いていると不安になるのです」
弟の言はわからなくない。ウルリカの音は鮮烈過ぎる。決して露になることがないといえ、氷の底の憎悪を感じてしまえば、怯えるのは正しい事だ。
「お前の心配はありがたく思うよ。だが、ウルリカのことは――もう言わないでくれ」
自分には多くのものを望むことはできないのだから、と言外に滲ませれば、弟が項垂れたのがわかった。
「……申し訳ありません」
「それより聖カニアの祭りの事はどうなった?」
聖カニアの祭りは祖先に感謝し、繁栄を願う祭りだ。本来は親親類縁者を招いて行う私的な集まりなのだが、今回は広く多く客を招待することになっている。弟の本格的な顔見せのためだ。
「本当に、自分でいいのでしょうか、兄上……」
「いや、おまえでいい、ではないよ。お前でなくてはならないんだ」
もう替えはないのだから。

「申し訳ありません」
「そう簡単に謝るな。お前は王になるのだから」
弟の身体が硬くなったのがわかった。安心させるため、イジュアは笑みを作ってみせる。
「気にするな。まだ言いたいことがあるか?あるなら言ってくれ」

「……それでは、一つだけ。……あの、兄上は聖カニアの祭りに顔を見せるのはお嫌ではありませんか?」
そう、心配されるのも無理はない。イジュアが光を失ったのは、二年前の聖カニアの祭りでのことだった。あれ以来、大きな集まりには顔を出していない。
「もう、過ぎたことだ……。お前が立派に務めを果たすところを聞かせてくれ」
はい、と小さな声で弟が答えたのは、随分経ってからだった。

                 ◇

東屋からウルリカの音が聴こえてくる。今日は随分と解り易く悲壮な音だ。何か迷っているのか、氷にひびが入ったような危うさを感じる。
イジュアが側に寄っても、ウルリカは演奏を止めなかった。

「今日は随分悲しそうだね」
「イジュア様のような方には――」
途中で途切れたが、珍しく言葉そのものに温度があった。彼女らしくない。
何か言わなければ、と思った。だが何を言うべきか。イジュアは迷った。
「きっと君は僕には想像つかないような苦労をしてきたんだろう」
彼女の音から滲む冷たさの原因が、これまでの人生にあることは間違いない。
何か、何か言わなくてはと思うのに、
「……望む暮らしを手に入れるのは困難なことだ。だけど、諦めたくはない。負けたくないんだ。自分がどれだけの人間に生かされているのかもよく分かっているしね。例え、望まぬ暮らしだとて、諦めたくはない――。君だって望みのために――」
つまらない言葉しか出てこない。

「強いのですね、イジュア様は」
遮られ、陳腐な言葉を続けることはできなかった。
所詮、イジュアはウルリカを温めるような言葉を持っていない。生まれも育ちも、なに不自由なく、目が見えずとも周りに助けられ生きている。
なにより、どれほど取り繕っても、結局のところ自分自身が冷め切ってしまっている自覚があった。人生など、虚しいものだと。
それでも、このまま行かせたくはない。

イジュアは、逃げるように立ち去ろうとするウルリカの腕を掴んだ。空を切る覚悟だったが、引き止めることはできた。安堵して、詰めていた息を吐く。
せめてウルリカに体温が伝わるといい。そう思った。
「なにを……」

強張るウルリカの耳に唇を寄せる。

自然と、口から零れた言葉は――
「君の瞳が見たかったな……」
それだけだった。

ほとんど抱きしめている形だが、ウルリカは激しく拒まない。何かに耐えるように震えてる。どれだけの時間が過ぎたのかわからない。
時が凍ればいいのにと思ったが、彼女を離さなければならない。
せめても、彼女の髪をそっと掬い上げ、口付けた。
ウルリカがどんな顔をしていたのか、イジュアが知ることは永遠に出来ない。

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