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第9章
第9章
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第9章:すれ違いの刻(詳細版)
二度目の剃髪を終えた夜、莉子(りこ)と麻衣(まい)は一時の安堵と疲労感に包まれながら、それぞれの寮へと帰っていった。「これでまたやり直せるかもしれない」――そう信じたい思いと、「同じことを繰り返しただけなのではないか」という疑念が入り交じり、心の奥は落ち着かないままだ。
頭皮を撫でれば、ほんの数時間前に味わった剃刀の感触が甦り、身体がかすかに震える。前回よりもずっと官能的で、同時に恐ろしかったあの瞬間。恐怖と陶酔が紙一重であることを、二人は否応なく思い知らされたのだ。
再び始まる「つるつる」の日常
翌朝、二人はそれぞれ少し早めに目を覚ました。シャンプーの量はごくわずかで済み、ドライヤーを使う必要もない。鏡に映るのは、つるりとした丸坊主の頭。昨日まで伸びかけていた半端なザリザリ感が失われ、触れれば滑らかな地肌が指を誘う。
前回と同様に、頭全体をスキンケアし、外へ出る準備を整える。やがて迎える看護学校への通学時間――まるでデジャビュのように、周囲の視線を意識しながら校内を歩く姿がそこにあった。
ただ、一度目の剃髪のときとは微妙に空気が違う。すでに「二人が坊主頭である」という事実は学校中に知れ渡っており、目新しさこそ薄れているが、今度は「いったん伸びかけていた髪が、再度つるつるになっている」という変化にクラスメイトが戸惑っているのだ。
「あれ、また剃ったの……?」
「うん、ちょっと整えたくて」
問いかけに対して莉子はなるべくそっけなく返事をして会話を切り上げようとする。相手の目には「意味がわからない」という疑問が浮かんでいるが、深く踏み込まれるとますます面倒だ。麻衣も似たような態度を取り、どこか冷めた視線を送っていた。
そんな二人を前に、周囲はさらに声をかけづらくなっていく。“また剃った”という行為の意味を測りかねているのだ。共感の言葉をかけるにも、否定的な意見をぶつけるにも、あまりにも背景が見えない。結果として、二人と接点を持とうとするクラスメイトはますます減少していった。
勉強への焦燥と無力感
二人は「今度こそ本腰を入れて勉強しよう」と改めて誓ったはずだったが、再剃髪を終えて数日が経っても状況は変わらない。ノートや参考書を開いていても、頭がどこか上の空で集中できず、嫌な汗ばかりがにじんでくる。
国家試験に再挑戦するためのスケジュールは、確実に迫っている。多くの同級生たちはすでに合格済みで看護師として働いており、今さら「次の試験を頑張らなきゃ」と宣言したところで、周囲は内心「大丈夫かな」と思っているのかもしれない。
焦りに駆られれば駆られるほど、手が止まってしまう。問題集の問題をひとつ解くごとにため息が出る。どれだけ解説を読んでも頭に入らないときがある。
そんなとき、指先が頭頂部に自然と伸び、つるんとした地肌をなぞってしまう。そこにはあの床屋で感じた鋭い刺激の残像がこびりついているようで、現実逃避するかのように虚ろな快感が背筋をかすめる。勉強へ復帰する覚悟のためだったはずなのに、いつの間にか「剃髪の記憶」が煩悶と倦怠を呼び起こしてしまう皮肉な状況が生まれていた。
麻衣の限界
ある日の午後、授業が終わってすぐに麻衣は学校を抜け出し、ひとりで校内の裏庭へと向かった。人目の少ない場所にあるベンチに腰を下ろし、ぼんやりと地面を見つめる。
周囲に人影はない。吹き抜ける風が坊主頭を直撃し、わずかに寒気がする。その感触すらも、いつの間にか慣れ始めてしまった自分がいる。
「何やってんだろ、私……」
呟きは誰にも届かない。剃髪を繰り返しても、国試に再合格するためのモチベーションは一向に上がらない。莉子とも、もう心の底から語り合える感じではなくなってきた。最近はほんの些細なきっかけでイライラが募り、会話すら最小限しか交わしていない。
耳元を掠める風の音が頭蓋骨に反響し、心の奥で不安を増幅させる。現実問題として、次の試験に向けてこのままでは不合格の可能性が高いのではないかという恐怖は常につきまとっているのに、手を動かそうとすると拒絶反応が起こるのだ。
ふと、あの床屋で感じた甘美な恐怖が脳裏をかすめる。ほんの数日前に味わったばかりの再剃髪。その際に味わった「もうダメかもしれない」という絶望と、「それでも刃に身を委ねる」背徳的な官能。
何かを達成するために行ったはずの行為が、まるで目的を見失い、ただの強烈な刺激だけを提供しているようにも思える。麻衣はその自己矛盾に耐えきれず、目を閉じて唇を噛んだ。
莉子の苛立ち
同じ頃、莉子は図書室で一人、参考書を開いていた。しかしページを眺めるだけで脳が拒否反応を示す。机の上に突っ伏し、腕で頭を抱えるようにうずくまる。
「勉強しなきゃ」という義務感は山ほどあれど、実際は机に向かう時間が長くなるほど、できない自分に嫌気が差し、イライラしてしまうのだ。
そこへ偶然、顔見知りのクラスメイトが声をかけてきた。
「莉子……大丈夫? 最近、元気ないみたいだけど」
心配そうな目が向けられるが、莉子は素直に答えられない。
「うん、大丈夫。ちょっと眠いだけ」
そう嘘をついて、再び視線を参考書に戻す。だが、まったく頭に入らない。自分が何を目指しているのか、だんだん分からなくなってくる。
「こんなはずじゃなかった。髪を剃ったからって、何も劇的に変わりはしないって、薄々わかってたのに……」
眉間に皺を寄せたまま、莉子はもう一度机に突っ伏した。テキストの白いページがやけに眩しく、煩わしい。まるで自分の心の中の空虚さを晒しているようで、気が滅入る。
すれ違う影
その日の放課後、二人はほぼ同じタイミングで校門を出たが、顔を合わせるでもなく、無言のまま違う方向へと歩き出した。お互い相手の存在を認識していながら、声をかける気力がないのだ。
かつては心強いパートナーだったはずなのに、今ではなぜか避け合うようにすら感じる。せめてどちらかが口を開き、「勉強どうする?」と話題を切り出せばいいのだろうが、その一言が喉に引っかかったまま出てこない。無理に言葉を紡ぐと苛立ちや恨み言がこぼれそうで怖かった。
夕焼けに染まる街を眺めながら、莉子は何度か足を止めかけた。「このままじゃダメだ」と叫びたい衝動に駆られるものの、その叫びを聞いてもらう相手がいない。
「いっそまた剃り直す? でも、この前やったばかりだし……」――つい思考がそちらに逃げる。短期間に三度目ともなれば、もはや「覚悟」ではなく何かの“依存”のように思えてしまう。
一方、麻衣も全く同じような思考に囚われていた。まだ数日しか経っていないのに、もし髪が伸び始めたらどうしよう……またあの床屋に行きたい気持ちが疼く。「まるでおかしいんじゃないの?」と自分を罵倒しながらも、頭皮が求めるあの刃の感触を断ち切れない。
小さな喧騒と孤独
週末、学校では補講や自主勉強のために一部の教室が開放されていた。莉子は朝早くに来てノートまとめをしようと試みるが、やはりうまくいかない。
休憩しようと自動販売機のあるロビーへ足を運ぶと、廊下の奥で麻衣が二人組のクラスメイトと会話しているのが見えた。軽く雑談しているのだろうが、麻衣の表情は険しく、どこか落ち着きがない。
「何か声をかけるべきか?」と逡巡しているうちに、クラスメイトたちが笑い合って解散し、麻衣は一人きりでこちらに向かって歩いてくる。自然と視線がぶつかってしまうが、会釈だけ交わして通り過ぎていった。何も言わずにすれ違う瞬間、二人の間に冷たい空気が流れるのを感じる。
(もう、話すことすらできないのかな……)
莉子は自動販売機の前で立ち尽くす。コーヒーを買おうと小銭を握りしめていたが、その気力さえ失せてしまった。
かつては同じ目標を共有していたはずなのに、これだけ顔を合わせるのが辛くなるとは想像もしなかった。剃髪を経て、自分たちはどう変わったのだろうか。本当に何かが変わっているのだろうか――答えを見いだせないまま、互いを避けるような日々が続いていく。
闇を孕む衝動
その日の夕方、麻衣は自室の机に向かって過去問を解こうとしていたが、やはり集中できず、やるせない気持ちが込み上げてきた。何度も頭に手をやり、「もう二度と剃刀に触れたくない」と思う一方で、「でも、またあそこに行けば……」と危うい誘惑が頭をよぎる。
(私……どうしてこんなにも、あの理容椅子で感じたものを思い出してしまうの?)
道具を手に自分で坊主にするならまだしも、わざわざ床屋へ行き、プロの手で剃刀を当てられるあの行為。痛みと隣り合わせの快楽を味わう代償に、一時の「やり直し感」を得られているにすぎないのではないか。
いつしか、それは“看護師へのリベンジ”とは全く別の文脈で、麻衣の心に巣食い始めているようだった。
一方、莉子もまた、似たような衝動に悩まされていた。おそらく麻衣と同じタイミングで「あの床屋に行きたい」という矛盾した感情が湧き上がるたび、「こんなの変だよ」と自分を責める。
髪を失う覚悟が必要だったはずなのに、いつの間にか“失う行為”そのものに囚われているのかもしれない。
実際、二度目の剃刀は、覚悟云々よりも「あの官能をもう一度」という誘惑が大きかったように思う。頭では理解している。なのに、心がどうしても別方向へ走り出してしまうのだ。
第9章の結び
二度目の剃髪を終えてなお、生活に変化の兆しは見られず、むしろ焦燥と孤独が深まっていくばかり。看護師への道は遠く、勉強に本気で打ち込めない自分への嫌悪が二人の胸を締め付ける。
かつては互いを支え合った莉子と麻衣でさえ、いまではろくに言葉を交わすこともできなくなった。すれ違う時間が増え、共に抱える問題が山積しているのに、それを共有できないもどかしさが関係をすり減らしていく。
そして、彼女たちを密かに蝕むのは、いつしか“看護師になるため”とは別の次元で根づき始めた「あの剃刀の感覚」への執着。絶望を打破できなかったはずの衝動が、再び二人の心を危うい方向へと導きかけていることに、まだ誰も気づいていない。
切り揃えられた髪の残像が織りなす官能と狂気の狭間で、二人は徐々に迷いを深めていくのだった。次に行き着く先が光か闇かすら見えないまま、丸裸の頭を撫でる指先だけが冷たく震えていた。
二度目の剃髪を終えた夜、莉子(りこ)と麻衣(まい)は一時の安堵と疲労感に包まれながら、それぞれの寮へと帰っていった。「これでまたやり直せるかもしれない」――そう信じたい思いと、「同じことを繰り返しただけなのではないか」という疑念が入り交じり、心の奥は落ち着かないままだ。
頭皮を撫でれば、ほんの数時間前に味わった剃刀の感触が甦り、身体がかすかに震える。前回よりもずっと官能的で、同時に恐ろしかったあの瞬間。恐怖と陶酔が紙一重であることを、二人は否応なく思い知らされたのだ。
再び始まる「つるつる」の日常
翌朝、二人はそれぞれ少し早めに目を覚ました。シャンプーの量はごくわずかで済み、ドライヤーを使う必要もない。鏡に映るのは、つるりとした丸坊主の頭。昨日まで伸びかけていた半端なザリザリ感が失われ、触れれば滑らかな地肌が指を誘う。
前回と同様に、頭全体をスキンケアし、外へ出る準備を整える。やがて迎える看護学校への通学時間――まるでデジャビュのように、周囲の視線を意識しながら校内を歩く姿がそこにあった。
ただ、一度目の剃髪のときとは微妙に空気が違う。すでに「二人が坊主頭である」という事実は学校中に知れ渡っており、目新しさこそ薄れているが、今度は「いったん伸びかけていた髪が、再度つるつるになっている」という変化にクラスメイトが戸惑っているのだ。
「あれ、また剃ったの……?」
「うん、ちょっと整えたくて」
問いかけに対して莉子はなるべくそっけなく返事をして会話を切り上げようとする。相手の目には「意味がわからない」という疑問が浮かんでいるが、深く踏み込まれるとますます面倒だ。麻衣も似たような態度を取り、どこか冷めた視線を送っていた。
そんな二人を前に、周囲はさらに声をかけづらくなっていく。“また剃った”という行為の意味を測りかねているのだ。共感の言葉をかけるにも、否定的な意見をぶつけるにも、あまりにも背景が見えない。結果として、二人と接点を持とうとするクラスメイトはますます減少していった。
勉強への焦燥と無力感
二人は「今度こそ本腰を入れて勉強しよう」と改めて誓ったはずだったが、再剃髪を終えて数日が経っても状況は変わらない。ノートや参考書を開いていても、頭がどこか上の空で集中できず、嫌な汗ばかりがにじんでくる。
国家試験に再挑戦するためのスケジュールは、確実に迫っている。多くの同級生たちはすでに合格済みで看護師として働いており、今さら「次の試験を頑張らなきゃ」と宣言したところで、周囲は内心「大丈夫かな」と思っているのかもしれない。
焦りに駆られれば駆られるほど、手が止まってしまう。問題集の問題をひとつ解くごとにため息が出る。どれだけ解説を読んでも頭に入らないときがある。
そんなとき、指先が頭頂部に自然と伸び、つるんとした地肌をなぞってしまう。そこにはあの床屋で感じた鋭い刺激の残像がこびりついているようで、現実逃避するかのように虚ろな快感が背筋をかすめる。勉強へ復帰する覚悟のためだったはずなのに、いつの間にか「剃髪の記憶」が煩悶と倦怠を呼び起こしてしまう皮肉な状況が生まれていた。
麻衣の限界
ある日の午後、授業が終わってすぐに麻衣は学校を抜け出し、ひとりで校内の裏庭へと向かった。人目の少ない場所にあるベンチに腰を下ろし、ぼんやりと地面を見つめる。
周囲に人影はない。吹き抜ける風が坊主頭を直撃し、わずかに寒気がする。その感触すらも、いつの間にか慣れ始めてしまった自分がいる。
「何やってんだろ、私……」
呟きは誰にも届かない。剃髪を繰り返しても、国試に再合格するためのモチベーションは一向に上がらない。莉子とも、もう心の底から語り合える感じではなくなってきた。最近はほんの些細なきっかけでイライラが募り、会話すら最小限しか交わしていない。
耳元を掠める風の音が頭蓋骨に反響し、心の奥で不安を増幅させる。現実問題として、次の試験に向けてこのままでは不合格の可能性が高いのではないかという恐怖は常につきまとっているのに、手を動かそうとすると拒絶反応が起こるのだ。
ふと、あの床屋で感じた甘美な恐怖が脳裏をかすめる。ほんの数日前に味わったばかりの再剃髪。その際に味わった「もうダメかもしれない」という絶望と、「それでも刃に身を委ねる」背徳的な官能。
何かを達成するために行ったはずの行為が、まるで目的を見失い、ただの強烈な刺激だけを提供しているようにも思える。麻衣はその自己矛盾に耐えきれず、目を閉じて唇を噛んだ。
莉子の苛立ち
同じ頃、莉子は図書室で一人、参考書を開いていた。しかしページを眺めるだけで脳が拒否反応を示す。机の上に突っ伏し、腕で頭を抱えるようにうずくまる。
「勉強しなきゃ」という義務感は山ほどあれど、実際は机に向かう時間が長くなるほど、できない自分に嫌気が差し、イライラしてしまうのだ。
そこへ偶然、顔見知りのクラスメイトが声をかけてきた。
「莉子……大丈夫? 最近、元気ないみたいだけど」
心配そうな目が向けられるが、莉子は素直に答えられない。
「うん、大丈夫。ちょっと眠いだけ」
そう嘘をついて、再び視線を参考書に戻す。だが、まったく頭に入らない。自分が何を目指しているのか、だんだん分からなくなってくる。
「こんなはずじゃなかった。髪を剃ったからって、何も劇的に変わりはしないって、薄々わかってたのに……」
眉間に皺を寄せたまま、莉子はもう一度机に突っ伏した。テキストの白いページがやけに眩しく、煩わしい。まるで自分の心の中の空虚さを晒しているようで、気が滅入る。
すれ違う影
その日の放課後、二人はほぼ同じタイミングで校門を出たが、顔を合わせるでもなく、無言のまま違う方向へと歩き出した。お互い相手の存在を認識していながら、声をかける気力がないのだ。
かつては心強いパートナーだったはずなのに、今ではなぜか避け合うようにすら感じる。せめてどちらかが口を開き、「勉強どうする?」と話題を切り出せばいいのだろうが、その一言が喉に引っかかったまま出てこない。無理に言葉を紡ぐと苛立ちや恨み言がこぼれそうで怖かった。
夕焼けに染まる街を眺めながら、莉子は何度か足を止めかけた。「このままじゃダメだ」と叫びたい衝動に駆られるものの、その叫びを聞いてもらう相手がいない。
「いっそまた剃り直す? でも、この前やったばかりだし……」――つい思考がそちらに逃げる。短期間に三度目ともなれば、もはや「覚悟」ではなく何かの“依存”のように思えてしまう。
一方、麻衣も全く同じような思考に囚われていた。まだ数日しか経っていないのに、もし髪が伸び始めたらどうしよう……またあの床屋に行きたい気持ちが疼く。「まるでおかしいんじゃないの?」と自分を罵倒しながらも、頭皮が求めるあの刃の感触を断ち切れない。
小さな喧騒と孤独
週末、学校では補講や自主勉強のために一部の教室が開放されていた。莉子は朝早くに来てノートまとめをしようと試みるが、やはりうまくいかない。
休憩しようと自動販売機のあるロビーへ足を運ぶと、廊下の奥で麻衣が二人組のクラスメイトと会話しているのが見えた。軽く雑談しているのだろうが、麻衣の表情は険しく、どこか落ち着きがない。
「何か声をかけるべきか?」と逡巡しているうちに、クラスメイトたちが笑い合って解散し、麻衣は一人きりでこちらに向かって歩いてくる。自然と視線がぶつかってしまうが、会釈だけ交わして通り過ぎていった。何も言わずにすれ違う瞬間、二人の間に冷たい空気が流れるのを感じる。
(もう、話すことすらできないのかな……)
莉子は自動販売機の前で立ち尽くす。コーヒーを買おうと小銭を握りしめていたが、その気力さえ失せてしまった。
かつては同じ目標を共有していたはずなのに、これだけ顔を合わせるのが辛くなるとは想像もしなかった。剃髪を経て、自分たちはどう変わったのだろうか。本当に何かが変わっているのだろうか――答えを見いだせないまま、互いを避けるような日々が続いていく。
闇を孕む衝動
その日の夕方、麻衣は自室の机に向かって過去問を解こうとしていたが、やはり集中できず、やるせない気持ちが込み上げてきた。何度も頭に手をやり、「もう二度と剃刀に触れたくない」と思う一方で、「でも、またあそこに行けば……」と危うい誘惑が頭をよぎる。
(私……どうしてこんなにも、あの理容椅子で感じたものを思い出してしまうの?)
道具を手に自分で坊主にするならまだしも、わざわざ床屋へ行き、プロの手で剃刀を当てられるあの行為。痛みと隣り合わせの快楽を味わう代償に、一時の「やり直し感」を得られているにすぎないのではないか。
いつしか、それは“看護師へのリベンジ”とは全く別の文脈で、麻衣の心に巣食い始めているようだった。
一方、莉子もまた、似たような衝動に悩まされていた。おそらく麻衣と同じタイミングで「あの床屋に行きたい」という矛盾した感情が湧き上がるたび、「こんなの変だよ」と自分を責める。
髪を失う覚悟が必要だったはずなのに、いつの間にか“失う行為”そのものに囚われているのかもしれない。
実際、二度目の剃刀は、覚悟云々よりも「あの官能をもう一度」という誘惑が大きかったように思う。頭では理解している。なのに、心がどうしても別方向へ走り出してしまうのだ。
第9章の結び
二度目の剃髪を終えてなお、生活に変化の兆しは見られず、むしろ焦燥と孤独が深まっていくばかり。看護師への道は遠く、勉強に本気で打ち込めない自分への嫌悪が二人の胸を締め付ける。
かつては互いを支え合った莉子と麻衣でさえ、いまではろくに言葉を交わすこともできなくなった。すれ違う時間が増え、共に抱える問題が山積しているのに、それを共有できないもどかしさが関係をすり減らしていく。
そして、彼女たちを密かに蝕むのは、いつしか“看護師になるため”とは別の次元で根づき始めた「あの剃刀の感覚」への執着。絶望を打破できなかったはずの衝動が、再び二人の心を危うい方向へと導きかけていることに、まだ誰も気づいていない。
切り揃えられた髪の残像が織りなす官能と狂気の狭間で、二人は徐々に迷いを深めていくのだった。次に行き着く先が光か闇かすら見えないまま、丸裸の頭を撫でる指先だけが冷たく震えていた。
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