刈り上げの覚悟

S.H.L

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第6章

初めての模試

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冷たい雨が降る土曜日の朝、恵梨香はまだ薄暗いアパートの部屋で目を覚ました。窓の外を見やると、雨粒がガラスを叩いている。空は厚い雲に覆われ、部屋の中には自然光がほとんど入ってこない。

「模試か……」
小さくつぶやくと、ベッドの上で伸びをした。今日は医学部再受験を目指してから初めての模試の日だった。予備校の仲間たちにとってはそれほど特別な日ではないのかもしれないが、恵梨香にとっては小さくない一歩だった。初めての成果を試す場。自分がどこに立っているのかがはっきりとわかる、怖くもあり楽しみでもある場だった。

ベッドの隅に置いていたスマホに目をやると、工藤からのメッセージが届いていた。

「模試、緊張するけど一緒に頑張ろうな!」

シンプルなその一言に、少しだけ肩の力が抜けた。勉強の進み具合に自信はないけれど、彼女は少しでも前に進もうと決めていた。それが自分の選んだ道だから。

「よし、行くか。」
短くつぶやき、恵梨香は立ち上がった。

会場となるビルに着いたとき、雨はさらに強くなっていた。傘を閉じ、ビルの入り口に入ると、予備校の仲間たちが数人集まっているのが見えた。工藤の姿もすぐに見つかった。彼は小さなメモ帳を開きながら何かを確認している。

「あ、恵梨香さん!」
彼女の姿に気づいた工藤が手を振る。近づくと、彼は軽く頭をかきながら笑った。
「雨、すごいですね。朝からテンション下がるけど、なんとかやるしかないか。」
「そうだね……。」
恵梨香も笑顔を作るが、内心では既に心臓が早鐘を打っていた。どれだけ準備したつもりでも、テストというものはいつだって不安を呼び起こす。特に、結果が自分の実力を容赦なく示すものだとわかっているときは。

「じゃあ、行きましょう。」
工藤に促され、教室へと向かう。試験会場の教室は広く、長机がずらりと並んでいる。知らない受験生たちが静かに座っており、試験の緊張感が空気をピリピリとさせていた。

恵梨香は席に着くと、カバンから筆記用具を取り出し、深呼吸をした。手汗でシャープペンの軸が少し滑る。試験官が用紙を配り始めると、彼女の心臓の音はさらに大きくなるように感じた。

模試が始まった。

最初の科目は化学だった。黒い活字でびっしりと埋まった問題文が目に飛び込んでくる。恵梨香は最初の問題を見つめた。

「酸化還元反応において電子を与える物質を……?」

頭をフル回転させるが、答えが浮かばない。あれだけ予備校で勉強したはずなのに、問題文がまるで暗号のように感じられる。焦りが胸をじわじわと締め付ける。

「落ち着け、落ち着け……」
小さく自分に言い聞かせるが、ペンを握る手は止まったままだ。隣の受験生がシャカシャカとペンを走らせる音が耳に入るたび、心の中の焦燥感が膨らんでいく。

何とか手を動かし始めたものの、答えを書き終わるたびに「これで合ってるのか?」という不安が頭をもたげる。次の問題に進むが、またわからない。1問、2問、そして3問。白紙の箇所がどんどん増えていく。

「やっぱり、私には無理なんじゃないの?」

そんな声が心の奥底から聞こえてくる。

昼休みになり、彼女は一人で廊下の隅に座り込んでいた。お弁当を持ってきていたが、手をつける気にはなれない。窓の外では雨が降り続けており、灰色の空が視界いっぱいに広がっている。

そのとき、工藤が近づいてきた。彼は缶コーヒーを手にしており、一つを恵梨香に差し出した。

「お疲れさまです。」
その言葉には、どこか彼なりの優しさがこもっていた。

「ありがとう……」
恵梨香はコーヒーを受け取ったが、視線を窓に向けたままだった。そんな彼女を見て、工藤は少し眉をひそめた。

「どうでした?調子。」
「……正直、全然ダメ。」
恵梨香は力なく笑った。自分の弱さを認めるのは悔しかったが、今日はとても隠しきれない。

「最初はそんなもんですよ。」
工藤は軽く肩をすくめて言った。「俺も最初の模試なんてボロボロだったし。まだ時間はあるんだし、これから上げていけばいいんじゃないですか?」

彼の言葉に、恵梨香は思わず顔を上げた。その笑顔には、何かを悟ったような安心感があった。

「でも、みんな普通にできてるのに……私だけこんなにわからなくて。」
「そんなの、みんな表面上は平気そうに見えるだけですよ。本当は焦ってる人ばっかり。」
工藤は言い切るようにそう言った。「何が大事かって、今日の結果で自分がどこにいるかを知ること。それで、次に何をするか考える。それだけっしょ。」

その言葉はシンプルだったが、恵梨香の心に深く刺さった。自分を必要以上に責めていた気持ちが、少しだけ軽くなったように思えた。

午後の試験が終わり、彼女は会場を後にした。外に出ると、雨は上がり、薄暗い空の向こうにほんの少しだけ光が差し込んでいた。

「次は、もっとやれるよね……」
そう自分に言い聞かせながら、恵梨香はポケットからスマホを取り出し、予備校のアプリを開いた。模試の範囲を確認し、帰りの電車で復習するためのプランを立て始めた。

新しい自分への道はまだ遠い。でも、歩き始めた以上、戻るわけにはいかない。彼女は小さく息を吐くと、駅へと向かって歩き出した。
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