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第1章 「入部式と黒髪規定」
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春の柔らかな風が、校舎の外壁に咲く藤の花を優しく揺らしていた。私立瑞穂女子高校の入学式から一週間。真新しい制服にまだ馴染みきれない一年生たちが、廊下でそわそわと足を止めていた。
葵はその中にいた。胸元まで伸ばした艶のある黒髪は、小学生の頃からずっと伸ばし続けた宝物だった。だが、手にした入部案内には、信じられない文言が記されていた。
「髪型規定:原則ベリーショート。特例を除き、肩より長い髪は坊主とする。」
「……これ、冗談じゃないよね?」
同じ紙を見つめる少女たちの声がざわめく。葵の隣にいた梨沙は、明るい栗色に染めた髪をポニーテールに結っていたが、その目が泳いでいた。
「嘘でしょ……うちの中学、こんなのなかったのに……」
「瑞穂って、バレー強豪校って聞いたけど、こんな昭和みたいなルールあるなんて……」
そう呟いたのは美鈴だった。背は小柄で、すでにショートボブの髪を揃えている。彼女だけは驚きつつも、少し興味を示しているようだった。
その中で、沈黙している二人がいた。真央と千夏。真央は手元のプリントをくしゃっと握りしめてから無言で丸め、ポケットに突っ込んだ。千夏は少しだけ震えていた。背は低く、幼く見える顔立ちのせいで中学生にも間違われる。そんな彼女の顎下まで伸びた厚めのおかっぱが、彼女のアイデンティティだった。
「……あの、どうして髪型が関係あるんでしょう?」
千夏が、小さな声で問うた。
そこに現れたのは、二年生の主将――**水沢詩織(しおり)**だった。鋭い眼差しに、ほぼ刈り上げのようなベリーショートがよく似合っていた。
「理由はシンプル。私たちは“髪型”にこだわっているわけじゃない。“覚悟”の問題よ」
葵が思わず言い返した。
「覚悟って……髪を切ることでしか証明できないんですか?」
「甘いわね、葵さん。あなただけじゃない、歴代の部員みんなが通ってきた道よ」
詩織の声には圧があった。
「ちなみに――今日が“断髪日”。従う者はそのままグラウンドへ。従わない者は入部不可。以上」
そして、詩織は背を向けて歩いて行った。
空気が凍った。
「……え? もう今日なの?」
「うそでしょ……やるなら心の準備くらい……」
ざわざわと揺れる一年生たちの中で、葵の心臓は早鐘を打っていた。自分の髪を切る? しかも坊主? 意味がわからない。だけど、逃げたら……ここでバレーができなくなる。
そのとき、詩織の後を追うように、一人の先輩がやってきた。短く刈り上げられたスポーツ刈りに整った輪郭。二年の副主将・中園遥だった。
「ちなみに言っておくけど、染髪は規定違反ね。梨沙さん、あなたは“罰則”適用になるから、スポーツ刈り以上確定よ」
「は、はい!? なんで……」
「罰則は厳しいの。わかってて染めてきたわけでしょ?」
梨沙の顔がみるみるうちに青ざめていく。
「……そ、そんな、聞いてない……」
遥は容赦ない。
「部の伝統に“甘え”は通用しない。じゃ、あなたたち――どうするの?」
沈黙が落ちた。
そして次の瞬間、思い切ったように手を上げたのは――美鈴だった。
「私……髪、切ります。ずっとショートにしてみたかったから」
彼女の言葉が、場の空気をほんの少し和らげた。
「そっか……なら、歓迎する」
遥が微笑むと、美鈴は一人グラウンドに向かって歩き出した。後に続いたのは、ためらいながらも覚悟を決めた真央だった。
「……罰ゲームで坊主にするよりマシ、だよね」
真央がぽつりと言ったその言葉が、他の少女たちの胸に刺さった。
だが、葵と梨沙、千夏は動けないままだった。
「……嘘でしょ、ほんとにこのまま……」
千夏の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
葵はその中にいた。胸元まで伸ばした艶のある黒髪は、小学生の頃からずっと伸ばし続けた宝物だった。だが、手にした入部案内には、信じられない文言が記されていた。
「髪型規定:原則ベリーショート。特例を除き、肩より長い髪は坊主とする。」
「……これ、冗談じゃないよね?」
同じ紙を見つめる少女たちの声がざわめく。葵の隣にいた梨沙は、明るい栗色に染めた髪をポニーテールに結っていたが、その目が泳いでいた。
「嘘でしょ……うちの中学、こんなのなかったのに……」
「瑞穂って、バレー強豪校って聞いたけど、こんな昭和みたいなルールあるなんて……」
そう呟いたのは美鈴だった。背は小柄で、すでにショートボブの髪を揃えている。彼女だけは驚きつつも、少し興味を示しているようだった。
その中で、沈黙している二人がいた。真央と千夏。真央は手元のプリントをくしゃっと握りしめてから無言で丸め、ポケットに突っ込んだ。千夏は少しだけ震えていた。背は低く、幼く見える顔立ちのせいで中学生にも間違われる。そんな彼女の顎下まで伸びた厚めのおかっぱが、彼女のアイデンティティだった。
「……あの、どうして髪型が関係あるんでしょう?」
千夏が、小さな声で問うた。
そこに現れたのは、二年生の主将――**水沢詩織(しおり)**だった。鋭い眼差しに、ほぼ刈り上げのようなベリーショートがよく似合っていた。
「理由はシンプル。私たちは“髪型”にこだわっているわけじゃない。“覚悟”の問題よ」
葵が思わず言い返した。
「覚悟って……髪を切ることでしか証明できないんですか?」
「甘いわね、葵さん。あなただけじゃない、歴代の部員みんなが通ってきた道よ」
詩織の声には圧があった。
「ちなみに――今日が“断髪日”。従う者はそのままグラウンドへ。従わない者は入部不可。以上」
そして、詩織は背を向けて歩いて行った。
空気が凍った。
「……え? もう今日なの?」
「うそでしょ……やるなら心の準備くらい……」
ざわざわと揺れる一年生たちの中で、葵の心臓は早鐘を打っていた。自分の髪を切る? しかも坊主? 意味がわからない。だけど、逃げたら……ここでバレーができなくなる。
そのとき、詩織の後を追うように、一人の先輩がやってきた。短く刈り上げられたスポーツ刈りに整った輪郭。二年の副主将・中園遥だった。
「ちなみに言っておくけど、染髪は規定違反ね。梨沙さん、あなたは“罰則”適用になるから、スポーツ刈り以上確定よ」
「は、はい!? なんで……」
「罰則は厳しいの。わかってて染めてきたわけでしょ?」
梨沙の顔がみるみるうちに青ざめていく。
「……そ、そんな、聞いてない……」
遥は容赦ない。
「部の伝統に“甘え”は通用しない。じゃ、あなたたち――どうするの?」
沈黙が落ちた。
そして次の瞬間、思い切ったように手を上げたのは――美鈴だった。
「私……髪、切ります。ずっとショートにしてみたかったから」
彼女の言葉が、場の空気をほんの少し和らげた。
「そっか……なら、歓迎する」
遥が微笑むと、美鈴は一人グラウンドに向かって歩き出した。後に続いたのは、ためらいながらも覚悟を決めた真央だった。
「……罰ゲームで坊主にするよりマシ、だよね」
真央がぽつりと言ったその言葉が、他の少女たちの胸に刺さった。
だが、葵と梨沙、千夏は動けないままだった。
「……嘘でしょ、ほんとにこのまま……」
千夏の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
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